第29話 結婚準備

 

「アザミ様、起きてください!ご主人様が首をくくろうとしているのです!!」


 翌朝、使用人の物騒な叫び声でアザミは目を覚ました。起き上がるだけで腰にだるさと痛みがある為、昨日の行為は夢ではないと知る。。


「……いや、このタイミングで首吊りはしないだろう」


 本来ならば、嬉しくも恥ずかしい朝を二人で迎えるはずだ。少なくとも級友たちとの妄想ではそうだった。


 だが、現実は違う。


 アザミより早起きしたシズは、ロープや踏み台を持ち出して死ぬ死なないの騒ぎを庭で起こしているらしい。


 寝起きのアザミには、理解できないことが起こっている。


「ちょっとおぶりますよ。なんでも良いからご主人様を止めてください!」


 使用人におぶられて現場という名の庭に向かえば、たしかに使用人とシズの舌戦が繰り広げられていた。


「アザミさんのような幼気な子供に手を付けるだなんて……。死んでお詫びします!!」


 シズの叫ぶ言葉で、アザミは面倒なことになっていることは分かった。シズはアザミを抱いた罪の意識で、自殺するところまで追い詰められているのである。色々な意味で迷惑だ。


「だから、なんでご結婚したのに世をはかなむんですか!目出度い日でしょうに!!」


 使用人の言い分も分からない。


 アザミとシズは、未だに婚約中だ。結婚だなんてしていない。無論、式だって挙げていない。


「シズ、ちょっと落ち着け!」


 アザミが大声を上げれば、大人のくせに大泣きしたシズの顔とかちあった。今まで大人っぽくて頼り年上だったのに、今は子供のようであった。


「昨日のことは、互いに気分が高揚してただけだろ。忘れられるのも困るけど……。とりあえず、自殺未遂を止めろ!!」


 アザミは必死に昨日のことは両者の同意である和姦であったと何度も説明する。口に出すのも恥ずかしい経験なのに、なんでこんな事をしているのだろうか。


 だが、そのおかげでシズからロープを奪うことに成功した。


「まさか、初めての朝に自殺をしようとするなんて……」


 アザミは、大きくため息をついた。


 しかし、よく考えれば妙な話でもあった。今までは頑なにアザミを拒んでいたのに、昨日のシズは積極的だった。ついでに、アザミも開放的な気分になっていた。


「もしかして……薬湯か?」


 使用人は、落ち着く香りだと言っていた。


 無意識に気を張っていた二人の神経は、その香りでぷつんと切れて大胆すぎる行動に出てしまったのだろう。


「完全に事故だな。これは……」


 使用人たちだって、予想外の出来事だったはずだ。そして、シズにとっても予想外の出来事だったのだろう。


 一晩休んでだら、罪の意識のさいなまれるようになったのだろう。そこから今の自殺未遂に繋がっているのだろうが、迷惑この上ない。


「あと、結婚って言っていたけど……。そっちは何なんだ」


 アザミが尋ねるれば、使用人の一人が背筋を伸ばして真剣な声で答えた。しかし、顔は笑っている。おめでたいことなので、気が緩んでいるのかもしれない。


「婚約すれば共に暮らし、夜を共にすれば結婚する。普通のことですよ」


 アザミは、苦笑いをした。


 風習が違うことは覚悟していたが、目の当たりにするまで自覚が足りなかった。アザミがシズと共に館を案内されたのは、『許嫁同士は共に住むもの』という風習にのっとったものだったのである。


「お二人が夫婦になったことは、遊雅様にすでにお知らせしております。本来ならば今日の昼にでも結婚式が始まりますが、今回は色々とありますから明後日の日取りになるでしょうか。大至急でお衣装とご馳走を用意させております」


 シズは、再びロープと踏み台を手にしていた。顔面は真っ青で「死ぬしかない」と呟いている。アザミと使用人は、大急ぎでシズからロープを奪い取る。


「だから、止めろって。大丈夫だって。だれも『異世界にきて、一日目で仲良くやっているなよ』とか思わないからな!」


 アザミは、そのようにシズには言った。


 しかし、間違いなく末裔たちは考えるだろうなとシズは思う。自分だったら、絶対に思うからだ。





 ●




「皆、聞いてほしい。明後日にシズ様とアザミ様の結婚式が開かれることが決まった」


 屋敷の若い主たちのお目出度い報告は、台所で行われた。この場所が、朝には使用人がたくさん集まるからだ。


 突然の発表に、台所に集められた使用人から歓声が上がった。若い当主の結婚に、使用人は興奮を隠せない。


「目出度いわねぇ」


「私は、分かってたわよ。あの二人はお似合いだもの」


「こちらに来てすぐの結婚だなんて、この屋敷に骨を埋める決意に違いないわ」


 女性の使用人は色めきだって、美貌の主と可愛らしい婚約者の仲を羨む。


「はいはい。お喋りは準備のあと。大急ぎで結婚式の準備をするよ」


 年長の使用人たちは、興奮する若い使用人に仕事を次々と言いつける。結婚式とは、使用人にとっては戦争である。


 短時間で主人たちの衣装やご馳走を作って、お祝いにやってきた客人をもてなす。本当ならば結婚式は結ばれた翌日の昼から始まるが、今回は主たちがやってきたばかりだ。


 結婚式の説明やしきたりを学ぶのには、少し時間が必要だった。それでも使用人のやることは多くて、休み時間などありはしない。


「さっそくやっておるの」


 大忙しで結婚式の準備をしている使用人たちの前に現れたのは、自分の家の使用人を連れてきた遊雅である。


 アザミは、遊雅の姉の子孫である。そのため、彼女の家がアザミの実家代わりをすることいなったのである。


 結婚式の準備には、とにかく人手がいるのだ。そのため、花嫁の生家からも使用人が助っ人が来るのが一般的だった。


 遊雅が連れてきた使用人は、速やかに厨房をやら客間やらに散らばって手伝いを始める。


「母が使ったもので悪いが、花嫁衣装を持ってきたぞい。今回ばかりはいきなりの事が多くて、衣装の準備までは手がまわらんじゃろ?」


 なにせ昨日やって来たと思ったら、今日が結婚式だ。料理はともかく、衣装までは間に合わないと遊雅は踏んだのだ。


 普通だったら同居の段階で衣装を作り始めるが、今回は今日明日のことである。衣装までは手は回らないであろう。


「それが、遊雅さま。……お耳をお借りします」


 声を潜めた使用人の言葉に、遊雅はニヤニヤと笑った。


「いやはや、可愛い花婿じゃのう。準備も力が入るというものじゃ」


 それでは、と言って遊雅は家の奥に失礼する。


 花婿と花嫁に挨拶をしなければならないからだ。ついでに、こちらの世界の結婚式について話しておいた方が良いだろ。


「おい、さっさと水を運べ!」


 屋敷の外から怒鳴り声が聞こえてきた。気になって遊雅が覗いて見れば、そこではへっぴり腰になって水を運ぶ男がいた。


「あれは、たしか……。ツヅミという男じゃな」


 シズを人扱いしていなかった男は、慣れない水運びをやらされていた。だが、監督している男もびっくりするほどツヅミは力がないようだった。


 向こうの世界ではあらゆる仕事をシズに押し付けていたのだから、体が弱っているのだろうか。


 魔法を使えば、子供だって水瓶二つは運べる。ところが、ツヅミは一つしか運べていない。


 遊雅は少し考えて、水を運ぶ監督をしている男に話しかけた。


「何をやっておるのじゃ、水運びなど一人で十分だろうが」


 水運びを監督していた男は、遊雅に近づいて頭を下げた。


「見張りがいないとサボるんですよ。しかも、掃除も料理も出来やしない。仕方ないから、子供がやるような水運びをやらせている所です」


 水瓶を運ぶツヅミは、屈辱に塗れた表情をしていた。魔力があること当たり前の世界では、体力を目一杯使う下働きは堪えるであろう。


「魔力なしだなんて役に立たないのに、シズ様が雇うだなんて言い出すから」


 はぁ、と男はため息をつく。


 余計な仕事ができて、辟易しているようだ。結婚式の準備だってあるのに、新人の世話などしたくないというのが本音であろう。


 ふむ、と遊雅は頷く。


「お主は、結婚式の準備で忙しいであろう。こいつはサボらぬように妾が見ておるから、お主は別の仕事をしてくればよい」


 客人の遊雅には、新人の監督など普通のだったら頼まない。今日は結婚式。猫の手も借りたいほどの忙しさだ。


「……では、お願いします」


 男は、急いで別の持ち場に走っていく。


 さて、と遊雅はツヅミを見た。


 使用人のなかでも一番格下の着物を着せられたツヅミは、あちらの世界で威張り散らしていた同一人物だとは思えない。


 けれども、目だけが同じだ。


 生来の我の強さがよく出ている。


「さて、急いで水を運んでもらうぞ。それが終われば、掃除もしてもらわなければならぬからな」


 ツヅミは、遊雅に向って瓶の水をかけた。おそらくだが、遊雅が女だから侮っているのだろう。


「バケモノが、良い気になるよ」


 遊雅は満足した。


 弱いものには強気に出る卑屈な精神が、遊雅は気に入った。これならば、多少は虐めたところで罪悪感はない。これでも遊雅は、ツヅミに対して怒っているのだ。


 仲間を人間扱いせずに、シズの好意まで踏みにじっていた。普通であれば、魔力なしのツヅミなどは誰も雇ってくれないだろう。それを衣食住を保障し、金が貯まったら独立すればいいとも言ったらしい。


 あまりに寛容すぎるシズに、遊雅は驚いたぐらいだ。同時に、シズたちとの価値観が違うことも思い知った。


 一般的に、魔力なしは役立たずの奴隷に等しい。魔力なしの魔法使い末裔を連れてこなかったのはこのためだ。あちらの世界の方が、魔力なしには間違いなく生きやすいであろう。


 ツヅミが何を企んで、異世界にまでやってきたのかは不明だ。しかし、まともな考えではないであろう。


 最初から、シズを頼るつもりだったか。


 それとも、最初からはシズを利用するつもりだったか。


 なんであれ、今のツヅミ状況は思い描いていたものとは違うはずだ。不満などなければ、遊雅に水などかけないであろう。


「もしも、そなたが改心してシズに仕えるというならば、妾も考えた。だが、お主は態度も考えも改めないのう」


 ツヅミは、シズに寄生して生きてきた。


 そのことを反省もせず、それどころか今まで通りにシズを利用しようと思考する。その考えが、たまらなく遊雅は嫌いだ。


「お主はの人生は、寄生虫のようじゃのう。宿主を操って主導権を握っているように見えて、自分では何もできない愚か者」


 遊雅は、着物の袖に入れていた腕輪を取り出す。


 遊雅たちの世界には、魔道具というものが存在する。


 装飾品的な意味も持つので高価だが、魔道具を使いこなすことができれば自分の属性以外の魔法も扱えるようになる便利な品だ。  


「これは、結婚祝いにとでも思ったが……。ここで使ってやるかのう」


 遊雅は、ツヅミを睨みつける。


「なっ、なんだよ。くそっ。何をやりやがった!」


 ツヅミは、喋ることしかできない。そして、ツヅミは恐ろしいことを思い出した。


 自分は、まだ遊雅の魔法を見ていない。


 遊雅が強力な魔法使いであったら、ツヅミは簡単に殺されるだろう。もっと残酷なことだって、出来るに違いない。


 ツヅミは、幼いころのシズを思い出していた。小学校に侵入してきたモンスターを凍らせたシズは、普通の人間ではなかった。


 化け物だった。


「人の動きを止めるのは、妾の十八番じゃ。そして、この腕輪には面白い効力があるのじゃ」


 遊雅は渡しながら、ツヅミの手首に腕輪をつけた。銀色の腕輪には精緻な模様が描かれており、何も知らなければ高価な装身具だという印象しか抱かなかったであろう。


 だが、ツヅミは知っている。


 魔法使いというのは残酷だ。


 彼らの力を恐れて封じ込めておかなければ、普通の人間など刃が立たない。だから、ツヅミがシズにしたように常日頃から押さえつけていなければならない。


「この魔道具は、聞き分けのない者に使うものじゃ。お主のように、働かせてもらえることに恩義すら感じない者にはぴったりなのじゃ」


 遊雅の視線が外れたせいなのだろうか。


 ツヅミの体は動くようになった。けれども、今度は手足におもりをつけたように重くなる。立っていることもままならず、ツヅミは地面に四つん這いになった。


「良いざまだのう。この腕輪は、役に立たない魔力なしを犬のように扱うための腕輪じゃ。立ち上がることも出来ぬじゃろ。シズたちの性格から使わないと思って、模様で祝いの品を選んだが……。こんなところで役に立つとは思わんだ」


 ツヅミが立ち上がろうとしても、脚も手も重くて動かせない。他人を犬のように扱うための魔道具という言葉が、ツヅミのなかで木霊する。


「こんなものはずせ!」


 ツヅミは怒鳴ったが、手足が動くことはなかった。それを見ている遊雅は、楽しそうに笑う。


「良いざまだのう。妾の仲間をバケモノ扱いをして、こき使っていた男だとは思えん」


 遊雅は、シズが下した処分がそもそも甘いと思っていた。シズの庇護下から去れば、魔力なしとしてツヅミはさらに酷い扱いを受けるであろう。


 この世界の誰もが、魔力なしのツヅミを厭うはずだ。本来ならば仕事につくことも出来ずに、ツヅミは惨めに飢えで死んでいたであろう。


 シズがツヅミを雇うことで、彼の安全と衣食住は保障される。さらに、シズはツヅミに給金までやるという。遊雅からしてみれば、魔力なしにはやり過ぎなぐらいの対応だ。


「役に立たないな魔力なしは、獣のように生きるべきじゃ」


 あのお人好しなシズならば、ここまでは出来ないだろう。だから、遊雅が代わって復讐してやろう。なにせ、シズはこれからは遊雅の家族にもなるのだから。


「お待たせしましたーー。って、どういたしました!」


 ツヅミを監視していた男が帰ってきて、びしょ濡れの遊雅と四つん這いのツヅミを発見した。何が起こっているのが、男には分からない。


 とりあえず、ツヅミは何か粗相をしたのであろう。それだけは分かる。


「この男は、妾に水瓶を投げつけおった。そのため、魔道具で犬にしてやった」


 遊雅は、水を吸ってしまった袖を絞った。


 目出度い日なので特別に上等な着物を着てきたというのに台無しである。しかし、遊雅の顔に不機嫌さはなかった。


「この男の所有権をもらえんか?妾が魔力なしに相応しくなるように躾けよう」


 悠々と振る舞う遊雅だったが、上等な着物をツヅミがわざと濡らしたと聞いた男は気が気でなかった。


 なにせ、遊雅の家は名家中の名家だ。遊雅と縁続きなるのだから、主であるシズの首が飛ぶということはないだろう。しかし、使用人の方は分からない。


「今すぐに拭くものと替えの着物をお持ちいたします。ツヅミに関しても、シズ様に聞いておきます!」


 男はツヅミのことも忘れて、遊雅の着替えなどを取りに行く。残されたツヅミは、四つん這いのままで遊雅を睨んだ。


「いいのう。その反抗的な目はぞくぞくする」


 けれども、遊雅は笑っていた。


 



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