第25話 旅立ちのとき


 異世界に旅立つ日までは、あっという間だった。


 シズは少なくともそう感じた。


 異世界からきた魔法使いの話は口止めされているため、シズは遠くに引っ越す体にして世話になった人々に挨拶に回ることにした。


 馴染の店では別れを惜しまれて、色々と食べ物をもらってしまった。おかげでシズは、ここ数日間は貰い物ばかりで食事をまかなえた。


「何故でしょう。節約生活をしている気分です」


 ツツジの件があったから懐は温かったのだが「ちゃんと食べるんだよ」と知り合いにはもれなく言われた。どうやら、シズが細いせいで普段から粗食だと思われていたらしい。


 結局、異世界に向かうという選択をしたのは末裔の全体の三分の一だった。ほとんどが若者であり、これからの予想もつかない新生活に期待と不安を胸に抱いている。


 そして、大抵の人間が家族や友人との別れを惜しんでいた。


 アザミとの別れを惜しむユウダチの姿を見つけたので、シズは出来るだけ静かにしていた。悲しいことだが、シズには別れを惜しんでくれる人はいない。


「アザミ、向こうでは体に気をつけるのよ」


 アザミの姉のように振る舞っているのは、シズの知らない少女だった。


 荷物の少なさから異世界にいく様子ではなさそうだ。しっかりしているように見えるが、アザミとは同世代だろう。学校の友人なのだろうか。


「あら。あれが、シズさん?」


 少女は、シズに近づいてきた。


 目付きが鋭いので、なかなか迫力がある。怒らせたりしたら、同世代の男子はタジタジになってしまうであろう


「私は、イズミです。アザミの友達の」


 彼女は魔法使いの末裔ではないようだった。しかし、事の次第は知っているようだ。


 はて、とシズは首を傾げた。


 異世界の話も、魔法使いの話も、一般には知らされていないはずだ。


「……父と母の最後のプレゼントだ。イズミは周囲には、ユウダチみたいに魔法が使えない魔法使いの血統ってことにしているから」


 アザミの両親としては、自分の子供だけを特別扱いしていたことを周囲に知られるわけにはいかないのだろう。それでも、息子に友人との最後の挨拶ぐらいはさせてやりたい。


 アザミの両親の想いに、シズは心を打たれた。


「ほら、これをあげる。大事にしなさいよ」


 イズミは、アザミの手首に革製のブレスレットをつけた。丈夫そうなブレスレットで、イズミは「手作りよ」と胸を張る。


「本当はミサンガにしようと思ったんだけども。アザミは、ミサンガが切れたら修理できないでしょう。だから、丈夫なものにしたの」


 アザミは、革細工のブレスレットをしげしげと見つめる。


「ありがとうな。大事にするから」


 アザミとイズミの会話は、まさに青春の一ページだ。シズには入り込めない。


 本当はアザミに渡したいものがあったが、会えなくなる友人のプレゼントには劣るだろう。それに、自分とアザミには時間がたっぷりあるのだ。友人との最後の別れには、水を差したくはなかった。

 

「シズ!」


 声が聞こえてきたので、シズは振り返る。


 そこにいたのは、ツツジだった。


 長年シズを虐げていたという罪で財産を没収されたツヅミだが、身体は拘束されなかったらしい。


 ツヅミは集まってきた魔法使いの末裔たちを押しのけて、シズの前に立った。


「てめぇのせいで、こっちは生活も立ち行かなくなっているんだよ。しかも、街には変な噂まで広がってやがる」


 ツヅミが、シズから金の無心をしていたことはユウダチによって言いふらされていた。


 仲間を大事にしない人間など御免だということで、ツヅミはどこの店でも働き手になることを拒まれている。


 無論、国に雇われるという方法も取れなくなっていた。逮捕まではされなかったが、今やツヅミは街の嫌われ者だ。


「てめぇ、よくも俺の金を使ってくれたな。それで何を買ったんだよ!」


 シズは、目をそらさずにツヅミを見た。


 どうしてだろうか。


 昔はとても恐ろしかったはずのツヅミが、今のシズにはまるで恐ろしくはなかった。


「それは、あなたには関係がないことです。それに、あなたの財産は私から脅し取っていた財産でもある。それは、国から認められています」


 頭に血が上ったツヅミは、気がつかなかった。


 いつもならば質素なシズが、今日に限って上等な服を着ていることに。そして、彼の周囲には沢山の魔法使いの末裔がいたということを。


「あれが、末裔に全部を押っ付けていたウォッチャーかよ」


「しかも、金までとっていたらしいぞ」


「なんのためのウォッチャーだよ」


 周囲の末裔たちは、ツヅミの過去の仕事ぶりを悪しきように言う。


「もしも、アレが自分のウォッチャーだったら殴っているところよ」


 一人の末裔の言葉に、周囲は納得して頷く。


「もし、そなたはシズのウォッチャーだったという者か?」


 遊雅が、ツヅミに語り掛ける。


「そうだよ。ちょうどいい金ずるだったというのに、俺の財産まで自分のものにしやがって……」


 まるで自分の所有物のようにシズを語るので、ツヅジに対して遊雅たち魔法使いも苛立ちを隠せないでいた。


 シズの兄を自称する礎などは、今にもツヅミに襲い掛かろうとしていた。しかし、遊雅が代表して喋ることでわずかだが溜飲を下ている。


「お主のした悪行では、こちらの世界ではやりにくいであろう。ならば、我々の世界に行く気はないか?」


 遊雅の言葉に、全員が驚いた。


 魔法使いがばかりの異世界では、魔法使いではないものは暮らしにくい。彼女たちは、それを何度も言っていた。なのに、ツヅミは連れて行こうとする。


「シズには礎の父の別邸が使っていた屋敷を相続させようと思っていたが、使用人の数がたりないのじゃ。こちらで生きづらいというのならば、連れて行ってもかまいはせん」


 ツヅミは、シズを見た。


 少し前とは、シズの面構えが違っている。なにか覚悟を決めたような顔だった。


 だが、所詮はシズである。あっという間にツヅミの言う通りになって、主の座まで引き渡しに違いない。


 七面倒なアザミという子供は、大人しくしなければ始末すればいいのである。そうすれば、ツヅミの生活はより豊かなものになるはずだ。


「分かった。……異世界というところに行ってやろうじゃないか」


 異世界といっても、所詮は人間もどきしかいないような場所だ。すぐに前のような生活に戻れるだろうとツヅミは考えていた。


 ツヅミにとって、魔法使いは劣った者たちなのである。


「それでは、そろそろ天を開く。今ならば、この世界に残ることもできる!」


 優雅の言葉は、最後の選択だ。


 アザミは、シズの手を掴んだ。絶対に離れないし、自分の考えは曲げないという決心からだった。


「それでは、参るぞ」


 遊雅の言葉と共に身体が浮き上がり、地面がどんどんと離れていく。このような経験は初めてで腰を抜かした者が多数いたが、アザミは逆に興奮していた。


「すごい。もう人があんなに小さくなってる。シズも見てみろって」


 アザミの言う通り、人も建物も全てが小さく見える。これが失われた魔法の力なのか、とシズは感心していた。


「さぁ、目をつぶれ。次の瞬間は、そなたたちの故郷じゃ」


 遊雅の言葉にしたがって、シズは目を閉じた。


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