第21話 異世界にいくために
異世界まで引っ越すのに、まさか身一つでというわけではいかない。シズは、自分のアパートで黙々と私物をまとめていた。
「こうしてみると少ないものですね」
アザミの部屋は物が少ないと思ってしまったが、シズも似たようなものだった。
学生の実家の部屋とは違って、生活必需品が含まれているのでアザミの部屋より物があるように見えるだけである。趣味の品のような私物はないに等しい。
「そもそも趣味がありませんでした……」
仕事一筋といえば聞こえが良いが、休日の過ごし方が下手なのだ。喫茶店でコーヒーを飲むぐらいしかやっていない。
「あちらでは、どういう暮らしになるでしょうか?いえ、そもそも大きな荷物も持っていけるかどうか……」
遊雅たちの話によれば、あちらの世界では着物と呼ばれる服を着て、人々は平屋に住んでいるらしい。ベッドはなく、布団を床に敷いて寝ているという話である。
さらに、整備された道でも石畳は敷かれていないという話だ。
「想像できませんね。……念の為に、衣類と靴を買い足しますか」
履物も靴ではなく、下駄や草履といったサンダルと似たものを使っているという話だ。服や食べ物よりも何より、靴を履かない生活に慣れるのに時間がかかりそうだった。
「あちらからやってきた人々は厚着をしているようでしたから、異世界は寒いのでしょうか?マフラーや手袋、コートの類を買い足した方がいいのか……」
旅行よりも面倒な荷造りに、シズはため息をつく。アザミも今頃は荷物整理に追われているだろうが、あちらは名家の息子である。
きっと使用人と共に荷造りをしているだろう。持っていくものだって、新たに作りなおしたものかもしれない。
「……なんだか、嫁入りみたいになっていますね」
質の良いモノの方が、長持ちはするだろう。それに、本当に新品ばかりを用意しているとは思えない。
異次元に移住することが決まってから、数日しか経っていないのだ。職人を総出で働かせても全ての荷物を新品でそろえるのは無理であろう。
「でも、名家の力ならば……」
出来そう、とシズは思ってしまった。
「あっ。そうだ。あれは、一応は持っていった方がいいですよね」
シズはタンスの奥から、白いレースで出来たベールを取り出してきた。美しいベールは、シズの母親が結婚式で使ったものである。シズにとっては、親の形見の一つだ。
アザミとは、いつか一緒になるかもしれない。
そのとき、アザミがベールを望んだふうに使うことが出来るようにと思ったのだ。
使わなければ、使わなくてもいい。だとしても、シズにとっては形見としての価値があった。
ベールを丁寧に畳んでいれば、部屋のドアがノックされた。シズがドアを開けば、そこには意外な人物がいた。
ユウダチだった。
「えっと……あの」
シズは、ユウダチとそこまで親しいわけではない。ただし、仕事は一緒にやった仲なので全くの他人というわけでもなかった。
とりあえず、家に一人でやってくるほどの間柄ではなかったはずだとシズは思った。
「もしかして、アザミさんとのことですか?」
それしか考えられなかった。
アザミとユウダチは、良好な関係を築いている。末裔とウォッチャーとしての絆もあるだろう。なにより、アザミとユウダチは親戚同士だ。
「よくも俺の魔法使いの末裔をさらっていったな。一発ぐらいはなぐらせろ」とでも言われるとシズは思った。
「あまり……力を入れて殴るのは止めてくださいね」
シズが身体を縮こませていれば、ユウダチは苦笑いをした。あきらかに「こいつは何を考えているんだ?」と言いたげな顔である。
「いきなり来て悪いな。アザミから色々と聞いてな」
やはり、アザミ関連のことだった。
シズは、すかさず頭を下げる。
「ユウダチさん。私は、アザミさんとは真剣なお付き合いをしようと思っています。だから、拳は一発で許してもらえないでしょうか?」
ユウダチは「違う!お前に『アザミはやらない』とかはやらないから!!」と叫んだ。
シズが何を考えていたかを理解したユウダチは、深いため息をついた。
「アザミの名前を出したのは、悪いと思ったけど……。まさか頑固おやじみたいな妄想をされるとも思わなかったよ」
ユウダチは、アザミの親から彼の婚約者がシズに決まったことを聞いている。
一度だが仕事では一緒になったので、シズが優れた魔法使いの末裔であるとユウダチは知っていた。シズがアザミの婚約者になることには、ユウダチは文句などないのだ。
「アザミの親から、婚約の件は聞いた。今の状態を考えれば、あんたみたいな実力者との婚約は最善策だと思っている」
守ってやってくれ、とユウダチは言う。
魔法を使えないユウダチは、これ以上はアザミを守ることが出来ない。だから、信頼できるシズにアザミを託さなければならなかった。
「そのつもりです」
言い切ったシズの様子に、ユウダチは安堵していた。
シズは真剣な表情で、拳を握りしめる。
ユウダチは、その姿に少し脅えてしまった。なぜならば、冷たい風を少しばかり感じたからである。その風は、間違いなくシズから漏れた魔力から発生していた。
制御が狂っているのではない。
わざと狂わせているのだ。
自分の力を見せつけて、全力をもってアザミを守る。そういう覚悟を見せつけられたのである。
「ラブラブじゃんか……」
ユウダチは苦笑いをした。
シズもつられるようにして笑っていた。
「あの子は、健やかに育っています。私とは違って、眩しいぐらいに……」
シズが言葉を切ったので、ユウダチは心配そうな表情を作る。シズが言いたいことには、覚えがあるからだ。
「何かあったのか?差別とか……」
魔法使いの末裔の力を恐れて、彼らを排除しようとする人間は数多くいる。ユウダチも魔法使いの血筋だからといって、学生時代にはちょっとした虐めを受けたことがあった。ユウダチは嫌がらせの全てに対して、やり返していたけれども。
「学生時代に、少し……」
シズは、ツヅミのことを思い出していた。学生時代から虐げられて、今では寄生されて……。
「私がいなくなったら、ツヅミはどうする気なのでしょうか?」
ツヅミは、シズから金を巻き上げるのを日課としている。それで、身分不相応の酒屋に入り浸っていたりしていた。
このままシズがいなくなれば、間違いなくシズの生活レベルというものは下がるであろう。ツヅミは、それに耐えきれないはずだ。
「ツヅミって、お前のウォッチャーだよな?まさか、あいつに何かされていたのか?」
答えようとしないシズに、ユウダチは舌打ちした。シズの態度では、何かがあったのだと言っているようなものであった。
「あのやろう。ウォッチャーとしての仕事をしないだけじゃなくて、魔法使いの末裔に何をしているんだよ!!」
ユウダチの考えでは、ツヅミは許せない人間だ。
魔法使いの末裔に守ってもらいながらも、彼らはを害するというのは人間の風上にも置けないと思ったのだ。同じウォッチャーとして、腸が煮え返りそうになる。
「ウォッチャーも解体されるが、あいつは他の部署の推薦枠なんてもらえないようにしてやる。今までの所業の全部を上にチクってやる」
ユウダチは、怒りに燃えていた。
けれども、すぐに行動に移さなかったのは年の甲である。アザミは、シズからツヅミの悪行を聞き出した。そして、烈火のごとく怒り狂った。
サボるのは日常茶飯事で、シズに金の無心までしている。ユウダチは、末裔を助けることがウォッチャーの仕事だと考えている。
だが、ツヅミはシズの活動を妨害するどころではない。人生そのものを邪魔している。
「こんなに酷いことをされて、どうして黙っていたんだ」
ユウダチの言葉に、シズは曖昧に笑った。
その笑みは、あきらめている者の顔だった。
「……慣れているんですよ。踏みにじられることに。だって、私たち魔法使いの末裔は化け物と呼ばれることもありますし」
シズの言葉を聞いたユウダチは、彼の頬を弱い力で叩いた。
それは、ユウダチなりの気付けのつもりであった。
「魔法使いの末裔は化け物なんかじゃない。むしろ、代をかさねるほどに弱体化していってもモンスターと戦っている凄い奴らだ」
ユウダチの言葉に、シズはアザミのことを思い出していた。
自分は化け物と呼ばれても何も思わないが、アザミのことを化け物と呼ばれたら腹が立つ。彼は気高い人間であると言いたかった。
なるほど、とシズは思った。
自分のことならば何とも思わない。
けれども、大切な人の化け物と呼ばれたら許せないと思った。
「次に末裔は化け物って卑下したら、あんたがどこにいても俺が殴りに行くからな。あんたが末裔の事を卑下するってことは、アザミを卑下するってことでもあるんだ!」
すべてのものに愛されて健やかに育ったアザミは、自分のことを卑下したりはしないであろう。これからは、アザミの婚約者となったという自覚をシズも持たなければならない。
ツヅミに化け物と言われ続けたことを忘れて、前を向いて歩かなければ。
「異世界でも俺が一緒に行ってやりたいぐらいだった。でも、俺は魔法が使えない」
ユウダチは、残念そうな表情をしていた。
彼は、アザミを守るために異世界に行くつもりだったのだ。全てを捨てたってかまわないと思うぐらいに、アザミのことを好いていたのである。
「……アザミさんは、私の婚約者です」
シズの言葉に、ユウダチは首を横に振った。
「変な勘違いするな。俺は親戚のオジサンとして、アザミを心配しているんだ。でも、自分でそんなふうに言えるようになったってことは大丈夫だな」
ユウダチは、シズの頭をなでる。
三十代のユウダチにとっては、二十歳のシズも若造に過ぎない。そして、その若造が新たな道を進むことを祝福しようとしていた。
「ともかく、ツヅミのこれまでの悪行は上の人間に伝えてくる。色々と間に合えば、あいつから奪われた金もいくらかは返ってくるかもしれないし」
そう言われてしまえば、現金な話ではあるがシズは助かる。手持ちが増えれば、別次元に持っていけるものが増えるからだ。
「そういえば、おやつはいくらぐらいまで許されるのでしょうか?」
シズが真剣な顔をして考え始めたので、ユウダチは苦笑いしてしまった。
「アザミよ……。本当に、この男でいいのかよ。結構な天然だぞ」
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