第19話 まだ大人にはなれない


 アザミはシズの手を引いて、自分の部屋に向かう。


 緊張しているからなのだろう。


 アザミの手は、汗ばんでいる。そして、なにより速歩きであった。シズと二人でいることすら、恥ずかしいと言いたげである。


「ここが……俺の部屋だ」


 アザミの部屋は、物が極端に少ない。


 ベッドと勉強机だけが大きな家具で、本棚やソファーもなかった。しかし、タンスから飛び出ていた洋服はいたるところにあった。アザミは、慌ててそれを片付け始める。


 それが、年相応の少年らしい。


 シズは、思わず吹き出してしまった。


「いっ……今までは魔法使いの末裔としてモンスターを倒すことに集中していたから。だから、片付ける暇なんてなかったんだよ」


 アザミは、早口で己の部屋を語った。


 学生なら流行り物や本などを置いていてもおかしくもないのに、アザミの部屋には趣味的なものは置かれていなかった。


 シズが思ってた以上に、アザミは人生をモンスターの討伐に捧げていたのかもしれない。


 学生の身でありながら、一つだけの役割に猛進する。アザミの人生は、シズが思うよりも理不尽なものだった。幼少期のシズが、体験していた虐めのように。


 シズの体に、温かいものが押し付けられる。


 それは、アザミの体温だ。


 後ろから抱きしめられたシズは、アザミの手を振り解く。


「あ……」


 残念そうなアザミの声が聞こえた。


 シズは向かい合うようにして、アザミを抱きしめた。シズはアザミの若い唇に自分のものを押し付けて、二人でもつれるようにベッドに倒れ込む。


 アザミは、大人しかった。


 それは、これから起きる手順に疎いからだろう。知らないあるいは分からないから、体をこわばせているのだ。


「大丈夫だから。……大丈夫だ」


 自分に言い聞かせているアザミの手の甲に、シズは口付け贈る。さっきまで散々貪るような口付けを教えてきたのに、手の甲に贈られた口付けでアザミは真っ赤になっていた。


 シズは、アザミの衣類にそっと手をかける。


 アザミはそもそも凝った服を着ているわけではないが、マグロのように寝転んでいてはシズも服を脱がすことは出来ない。


「手伝ってもらえませんか?」


 手伝うという響きに、アザミは少しばかり混乱を示した。


「あっ、えっと……手伝うって?」


 アザミは、シズの様子をまじまじと見つめた。


 シズの表情は、少しも乱れてはいない。アザミだけが、口付けで前後不確定になっている。


「もっと……キスしないとダメなのか?」


 手伝うという意味と衣服を脱ぐという意味は、アザミの脳裏では結ばれていないらしい。


 アザミがシズの様子をうかがっていれば、シズは「服を脱いでください」と短く告げた。


「そうか。……そうだよな。こんなふうに寝っ転がってたら、何にもできないよな!」


 慌てて起き上がるアザミは、色気も何もなく服をぽいぽいと脱ぎ捨てる。せっかく片付けた部屋は、元の光景に戻った。


 アザミの体には、モンスターとの戦いで受けた大小様々な傷が見え隠れした。魔法使いの末裔ならば珍しくもない。シズの体だって、傷だらけである。


 勢いよく上着は脱ぎ捨てたが、ズボンに手をかけたアザミの動きは急に止まってしまった。手の震えが酷いし、目には涙が浮かんでいた。


 頃合いである。


 これ以上はすることは出来ない。


「ここまで、です」


 シズがそう言った途端に、アザミは安堵していた。そんな自分に気がついたアザミは、情けない自分を隠すようの顔をうつむかせる。


 もう少しだったというのに怯えてしまった自分が不甲斐ない、とアザミは感じてしまったのだ。自分が言いだしたことなのに。


「なんでだよ!せっかく、ここまでやったのに!!」


 八つ当たりをしてしまうアザミに、シズは穏やかな声で話す。


「あなたは、大切に育てられました。そんな方が怯えながら抱かれるなどあってはなりません」


 シズは、踏みじられた苦しみを知っている。


 その苦しみをアザミに味合わせるつもりはなかった。シズは温室で花を育てるように、アザミのことを守りたかったのだ。


「あなたには、幸せだけを知ってほしい」


 シズの言葉に、アザミの目に涙が溜まる。


 シズが欲しかったのに、自分が未熟者故にチャンスを逃してしまった。それが、とてもなさけないのだ。


 アザミは、シズが欲しかった。


 けれども、それ以上に怖かったのだ。


 シズは、そんなアザミを抱きしめた。


 自分の皮膚に触られた時に、アザミは肩を震わせた。けれども、拒否したりはしない。


 シズは子供をあやすように、心音のリズムで背中を叩いてくれる。そこには、性的なものはなかった。だから、アザミも安心が出来た。


「ごめんなさ……い。俺は、異世界に行くのが怖くて……一人になるのが、すごく怖くて……」


 味方が欲しかったのだ、とアザミは泣きながら言った。絶対に裏切らない味方が欲しい。それは、偽らざるアザミの本音だった。


 好きや嫌いといった恋愛の感情など関係なかった。裏切らない味方が出来れば、どんな手段でもとれると思っていた。


「いいんです。……異世界に行くなど、誰だって怖いに決まっています」


 シズは、アザミの手を握った。


 シズと違って、アザミの体温は高かった。子供の体温だ。誰かが守らなけでならない体温であった。


「アザミさん。もし、嫌でなければ婚約で手を打ちませんか?」


 アザミは、シズの言葉にきょとんとした顔をする。


「シズさんは、俺のことを嫌いになったんじゃないのか?……その……出来なかったから」


 シズは、アザミに微笑んだ。


 その優しい微笑みに、アザミは思わず見惚れてしまう。


「そんなことぐらいでは嫌いになりませんよ。だから、ゆっくりと育ってください。あなたが大人になるまで、私は婚約者として待っていますから」


 婚約者と言っても、それは法で縛られるものではない。ましてや、アザミとシズは異世界に行くのだ。


 単なる口約束ならば、簡単に破られるかもしれない。そう思うとアザミは、不安な気持ちになるのであった。


「う……うらぎったりしないか?シズさんて、綺麗だからモテるだろうし……」


 アザミの言葉に、シズは虚を突かれたような顔をしてしまった。そして、忍び笑う。


 アザミは、シズのことを高く評価してくれているらしい。


 しかし、シズは自分が大層な人間ではない事を知っている。アザミ以外に、熱烈に欲しいと思ってくれる人はいないであろう。


「私は、モテませんよ。それに、誰も彼も好きになってしまうほど広い度量の持ち主でもないです」

 

 シズは、アザミの手を取った。


 そして、手の甲に口付けを落とす。

  

「私は婚約者として、あなたと共にいます。無論、あなたに好きな人ができたら、私は身を引きましょう。若いアザミさんを縛るつもりは、私にはありませんから」


 アザミは、まだ子供だ。


 今はまだ小さな世界でシズに頼っているが、成長して視野が広がればシズ以上の人を見つけるであろう。そんな時がくれば、シズは静かに身を引くつもりでいた。


「ばか……」


 アザミは、シズの胸を拳で叩いた。


「そんなこと言われても不安になるだけなんだよ。離さないって、言えよ!」


 アザミの言葉に、シズは戸惑った。


 だって、シズは自分が素晴らしい人間だとは思っていない。アザミの踏み台になれたら、上等な人生であったと思っていたぐらいだ。


「俺のことを離さないと言え。俺を一生離さないって言うんだ!」


 アザミの必死な言葉が、シズには信じられない。


 アザミは、いつかシズよりも素晴らしい人間に出会うのだ。その人間と結ばれることが、彼の幸せに繋がる。


「私は……。私は、あなたに相応しくなくて」


 アザミは、体当たりをするようにシズに抱き着いた。力任せの抱擁である。


「相応しくない、だなんて言葉で逃げるな。俺は、お前を幸せにする。お前は、俺を幸せにしろ!そういう約束だ!!」


 アザミが余りにも強くシズに抱き着いたので、今度はアザミがシズを押し倒すような形でベッドに沈む。


 シズは天井を眺めながら、学生時代に虐めを受けた自分の幻を見た。結局のところ、シズは学生時代から成長していなかったのだ。


 虐められる自分は無価値で、誰も欲しがらないと思っていた。けれども、アザミは全力で欲しいと言ってくれた。それが、たまらなく嬉しかった。


「アザミさん……。私のことを幸せにしてくださるんですか?」


 シズは、そう尋ねていた。


 アザミは勿論と答えて、シズの瞳から溢れ出そうになっている涙を舐めとる。そんなアザミの行動で、自分の涙にシズは初めて気がつく。


「俺は、シズさんを……。シズを幸せにする。だから、シズも俺のことを幸せにしてくれよ」



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