第9話 デパートでの戦い
シズは床を凍らせて、その上を滑っていた。
バランス感覚がものをいう移動方法だったが、慣れたシズには簡単な移動方法だ。走るよりも早く行動移動できるし、疲れることもない。
シズは初めてデパートに入ったが、その高級感には舌を巻いていた。
床には赤い絨毯が敷き詰められて、いたるところに鏡がある。おそらくは、商品の服のフィッティング用であろう。宝石を売っている階もあって、その階など全体が光り輝いているようだった。
ツヅミがいたら、一個ぐらい失敬していたかもしれない。それを考えれば、ツヅミがいないのは僥倖だったのかもしれない。
「モンスターが破壊した跡が残っていますね」
糞などの残された形跡や足跡によれば、モンスターは大型である。足跡は、シズの一回りほど大きい。そして時より二足歩行をしているようだから、大型の猿のモンスターである確率が高い。
「知能が高いというと厄介ですね」
モンスターが人間の活動区域に入らないように特殊なフェンスを使っているが、猿型のモンスターは知識を駆使して出てきたに違いない。それぐらいに猿型のモンスターは厄介なのである。
「たっ、助けてくれ」
シズの耳に、消え入りそうな男の声が届いた。
要救助者が近くにいるのは間違いない。だが、辺を見回したところで、姿は見えなかった。
「一体どこに……」
そのとき、シズの肩に粘り気のある液体が落ちた。はっとしたシズは、天井に何かがいるのを確認する。そして、すかさず両手を天井に向かって出す。
「アイスシールド!」
分厚い氷が出現し、天井から降りてきたモノの攻撃を防ぐ。肉体が切り裂かれることはなかったが、氷の壁ごとシズの体は後退する。それぐらいに力が強い。
氷の盾の向こう側にいたのは、ゴリラを彷彿とさせるモンスターだった。先程は、鋭い爪での攻撃だったらしい。氷の盾には、くっきりとした爪で引っかかれた跡があった。
「た……助けてくれ」
ゴリラのようなモンスターが喋ったことに、シズは驚きを覚える。人語を解するモンスターがいるとは聞いたことがない。
「助けてくれ」
しかし、モンスターの声には抑揚や感情が含まれていなかった。これは言語として言葉を習得したのではなくて、人の言葉を真似ているだけなのだろう。オウムのようだ、とシズは思った。
「人の言葉で末裔を呼び出して、フェンスを壊したのかもしれませんね」
モンスターの侵入を防ぐためのフェンスは、魔法使いの末裔が交代で常に守っている。
しかし、人間の言葉で「助けて」と言われたら、見張りの末裔たちは持ち場を離れるしかない。モンスターは、そうやってフェンスをすり抜けてきたのであろう。
「アイスランス」
シズの手の中に現れたのは、氷の槍であった。
透明な槍をモンスターに向けたシズは、周囲の様子を探る。目の前のモンスター以外には、特に怪しい気配はない。救出対象も他のモンスターもいないようだった。
目の前のモンスターに集中しても問題にならない。そう判断したシズは、氷の槍を構える。
猿のモンスターが、シズが向かって床を蹴る。そして、鋭い爪を素早く振るった。シズは、その攻撃を槍で払いのける。
「やぁ!」
シズは、気合を入れた一撃を繰り出す。この一撃で猿の爪を折ってしまうつもりであったが、予想外に爪が硬い。
爪を折るのは無理だと判断したシズは、新たな作戦に出る。
「凍りつけ!」
その言葉と共に、シズの魔力が爆発する。魔法には二通りの使用方法がある。
一つは、槍や盾のように明確な形を与える魔法。
もう一つは、ただ魔力を放出する魔法だ。
威力だけならば、圧倒的に魔力を無制限に放出させる魔法に軍配が上がる。しかし、魔力を使いすぎることで動けなくなることもあった。
もっとも、そんな状況に陥るのは半人前だ。
シズの魔力によって、モンスターは瞬間的に凍りついた。だが、シズに疲労の色はない。
現場に出るような魔法使いは、これぐらいのことでは疲れてはいられない。
それに、シズは他の魔法使いよりも魔力が高い。一回ぐらいの魔力の放出では、何も感じないのだ。
「一匹……な理由はないですよね」
シズは氷の槍を構えながら、他のモンスターを探しに行く。常に全方位を警戒しながら進むのは、なかなか骨が折れる。
こんなときに自分以外の目が欲しいと思うが、自分のウォッチャーのツヅミが危険な現場に来てくれるはずがない。
「シズさん、危ない!」
アザミの声と共に、火球が飛んできた。
シズは驚きながらも、バックステップを踏む。それと同時に、シズは両手を前に突き出した。
「アイスシールド」
火炎から身を守ったシズが見たのは、燃えているモンスターだった。ゴリラに似た容貌をしているので、自分が先程戦っていたものと同種だろう。
シズは、火球が飛んできた方向を見やった。そこにいたのはアザミである。
「シズさん、ごめん。その……大丈夫ですか?」
アザミは申しわけなさそうに、シズに謝った。シズは、苦笑いを浮かべる。
アザミの魔法が威力こそ十分だが、命中率が悪いようだ。これは魔法の質というよりも修行不足から来るものかもしれない。
シズも若い頃はコントロールが苦手だった。というより、魔法は何よりも威力がものを言うと思っていた。きっとアザミも若い頃のシズと同じ考えなのだろう。
そんな未熟なアザミが、シズは妙に可愛らしく思ってしまった。
「おや……?」
シズは、自分の感情に疑問を覚える。
未熟な人間は、何人も見てきた。なかには指導をつけた者もいる。しかし、彼らには可愛いという感情は抱いたことはない。
シズは、アザミに対して何かの気持ちを抱いていることを自覚した。子供ではないので、シズは自分の気持ちに戸惑うようなことはない。
シズは、アザミのことを愛しく思い始めている。感情豊かで才気あふれるアザミに好意を抱いている。
これは、あまりよろしくない。
年齢差や立場からの問題ではなかった。法的になら、アザミは結婚できる年齢だ。
シズだって、他に想い人がいるわけでもない。今だからこそ四年の年齢差は気がかりになるが、互いに少し年を取れば忌避感も薄れていくであろう。
しかし、駄目だ。
シズには、ツヅミがいる。
シズがアザミと一緒になれば、ツヅミはその家の力で排除されるかもしれない。その時ーーあるいは、それを恐れたツヅミがアザミを傷つける可能性をシズは考えてしまう。
魔法使いの末裔は強い。
しかし、アザミの心は柔い子供のものだ。武力ではアザミを傷つけられなくとも、言葉でならば彼を簡単に傷つけられるであろう。
それは、よろしくない。
若者ゆえの溌剌とした笑顔がアザミから消えてしまうのは、シズの本意ではなかった。
だから、抱いた好意は隠そうと思った。
幸いにして、自分は若い。モンスター退治に心血を注げば淡い感情など消えるであろう。
それに、今はそれよりも関心を払うべき事柄があった。アザミの魔法のコントロールである。
魔法の末裔は、フェンスの向こう側でモンスターと戦うことが一番多い。そこにはモンスターが多く出現して、さらに民間人がいないのでコントロールの有無があまり問われない。
シズがやったように魔力を放出させるだけで、事足りてしまうのだ。
アザミもフェンスの向こう側で戦うことが多かったはずだ。だからこそ、コントロールを学習する機会が少なかったのであろう。
「防御したから大丈夫です。かすり傷もありません」
そのようにシズがつたえれば、アザミの顔が一気に明かるくなった。その様子が年齢相応に子供っぽくて、シズまでも笑ってしまう。
可愛らしいと思ってしまう。
「アザミさんは、魔法のコントロールが甘いようですね。今度一緒に練習しましょう。これでも、少しはコントロールに自信があるんですよ」
シズは、指を鳴らした。
それだけで、凍りついたモンスターの体が砕ける。その光景に、アザミは目を見開いた。
「すごい……」
普通の人間ならば、氷ったまま体を砕かれる光景を残酷なものとして顔を背けただろう。しかし、アザミは卓越した魔法使いの実力を見たと思った。
シズに教えを請えば、自分はもっと強くなれるとアザミは確信した。それと同時に、若いのにも関わらず卓越したシズの魔法に、アザミは惚れてしまった。
この瞬間ならば、はっきりとアザミは言える。
シズに惚れてしまった。
「アザミ、シズさん!怪我はないか!!」
拳銃を構えたユウダチが走ってやってくるが、それにアザミはむっとする。せっかく二人っきりになったというのに、これでは台無しではないか。
「こちらに被害はありません。えっと……」
シズは、ユウダチを見て首を傾げた。
ユウダチは拳銃をしまってから、手を差し出した。
「アザミのウォッチャーのユウダチだ」
名乗ったユウダチに、シズは笑顔を見せた。
「はじめまして。魔法使の末裔のシズです。得意の魔法は氷です。以後、お見知りおきを」
シズは、ちらりとアザミを見た。
ユウダチに、アザミの以前の見合い相手だと伝えた方が良いのかと迷ったのだ。
「助けて……」
聞こえてきた声に、三人はモンスターが現れたのかと思って構える。だが、そこにいたのは壮年の男性だった。
「た……助けてくれ。妻と買い物に来たが、逃げ遅れたんだ」
壮年の男によれば、妻には隠れてもらって自分だけで魔法使いの末裔に助けを求めに来たという。
モンスターがうろついていたデパートの内部を一人でさまようのは、男性と言えども怖ろしかったであろう。
しかし、彼は妻の安全を確保したい一心で、魔法使いの末裔を探していたのだ。
「奥さまが隠れている場所を教えてください。こちらで、保護しますから」
シズの言葉に、男性はへたり込んでしまった。魔法使いの末裔と会ったことで、気が抜けたのであろう。
「アザミさんとユウダチさんは、この人を外まで連れて行ってください。私は奥様を探してきます」
男性は、ユウダチに背負ってもらう。そこをアザミが護衛すれば、安全にデパートの外に出られるであろう。
「本当に、なんとお礼を言うべきか……」
ユウダチに背負われた男が安心できるように、シズは落ち着いた声色で話す。
「これが仕事ですから。すぐに奥様の方も保護します」
そう言って、シズはアザミたちと離れようとした。その時、アザミがシズを呼び止める。
「シズさん、こんな時に言うことではないけど……。俺の婚約者になってくれ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます