第7話 緊急事態
シズとツヅミは、コーヒーを飲んでいた。
趣ある静かなカフェである。
中央には黒光りするピアノが置かれており、極稀にではあるが店主の娘が演奏してくれる。
その音楽の音色は優しくて、前からシズは彼女のファンでもあった。学園を卒業してから見つけた店で、軽食の味も気に入って通っている。
もっとも、この店がツヅミにバレてからは落ち着かない店になってしまった。
同じ学園に通って、さらには同じ仕事をしているというのにシズはツヅミのことが嫌いだった。
幼い頃から、酷い虐めを受けていたからだ。
自分の持ち物を勝手に捨てられたり、部屋に鍵をかけて閉じ込められた相手を好きになるはずもない。
今この瞬間にも、シズが抱くのはツヅミに対しての憎しみだ。
その癖に、ツヅミが怖くてシズは離れられないでいる。シズは、幼い頃からツヅミが恐ろしくたまらない。大の大人が情けないことだが、幼少期の力関係を引きずってしまっている。
されども、今の状況を誰かに相談すれば状況を打破できるだろう。しかし、そこまでの信頼できる人間をシズは知らなかった。
人間不信なのだ。
人に相談したとしても、全てが上手くいくという未来が見えないのである。だから、他人に相談も出来ない。
ツヅミは、コーヒーとサンドイッチを摘んでいた。
シズは、コーヒー以外は何も頼んでいない。ツヅミと一緒では、コーヒーすら泥水と同じ味がしているような気がしてならない。
当然、ツヅミと一緒では食欲もわかない。だというのに、仕事の有無に関わらずツヅミとは日中は共にいることが多かった。
ツヅミが、シズを財布代わりにするせいだ。
だから、シズはいつも最低限ものしか食べずに痩せていた。もう少し食べなければと思うのだが、いつも口の中に広がるのは泥の味だ。
遠い昔に泥団子を食べさせられた記憶が蘇るからなのだろうか。何歳の頃だっただろうかと考えるが、似たような事件が数多くて分からなくなっていた。
「今頃、お前にふられた奴はどういう顔をしているだろうな」
ツヅミは、にやにやと品なく笑っていた。
恐らくは、シズの人生を操っているつもりになっているのだろう。
ツヅミは、いつだって気まぐれでシズの人生をコントロールしようとする。そうやって、自分が優位に立っていると確認したいのだ。
まるで、子供のようだ。
あの頃と明白に変わったのは、金銭の面でもシズを搾取している面である。
給料が支給されるたびに、ツヅミはシズに金の無心をする。その金は返金されず、シズも請求できずにいた。おかげで、シズの生活は何時もかつかつであった。
静かなカツアゲのせいで、シズの財布はいつも淋しい。反対に、ツヅミはいつだって懐が温かいのだ。だから、ツヅミは身の程に見合わない贅沢が出来ている。
シズは、密かにため息をついた。
ツヅミをいかに悪く思おうが、シズも同じ穴のムジナに過ぎない。学生時代の関係性を引き摺っている。こんな自分が、誰かに好かれるわけなどない。だから、お見合いの妨害などしても無駄なのだ。
「別に、どんな顔もしていませんよ。あちらにとっては、私なんておじさんです」
シズの反論が気に入らなかったのであろう。
ツヅミが怖い顔をして、シズに近づいてきた。その顔を見るだけで、シズの体が固まる。
恐怖からだ。
学生時代の頃から染み付いた恐怖心は、なかなか消えてくれない。今では自分の方が魔法を使えて有利だと分かっているのに。
「こんなキレイな面に惚れない奴がいるはずないだろ。相手だって見惚れていたに違いない」
そうなのだろうか、とシズは疑問に思う。
確かに言動はおかしな子供ではあったと思うが、学生なんてそんなものだとも思う。
自分の学生時代だって、思春期特有のおかしな考えと行動をやらかす生徒はいた。それらは、中二病と呼ばれていたが。
「それにしても、面白い子でしたね」
髪を褒められたことはあれども、手入れの方法を聞かれたのは初めてだった。
女性ならば自慢の手入れ方法があるのだろうが、残念ながらシズは男だ。髪も普通に洗っているだけである。
自分の髪を褒めてくれたお見合い相手の子供からは、健全に育っている気配がした。
自分とは違って、良い環境で育っているのだろう。このまま何事もなく、成長して欲しいものである。それが、大人としてのシズの願いであった。
「お前は、見合い相手を気に入ってたんじゃないのか。シズの面だったら、今回も惚れられると思ったのに……」
シズに見合いの話がやってきたのは、初めてではない。
シズは、卓越した魔法使いである。シズの噂を聞いた多数の名家が、息子や娘をシズと見合いをさせていた。
シズは、そのような話をいつだってツヅミの命令で断っていたが。
「今回も残念だったな。良い家に婿入りしそこねて」
ツヅミの言葉に、シズは「そういうことだったのか」と納得する。
シズが見合いをしたアザミの家は、祖に有力な魔法使いがいた名家だ。魔法使いの血を濃く保っているが故に、今でも攻撃的な魔法を使う末裔を多く輩出している。
モンスターと戦える末裔を多く輩出した結果、彼らは政治面にも多少は顔がきく。
ツヅミは、何かの間違いで見合い相手にシズが気に入られることを危惧したのだ。
ツヅミは、シズに寄生しているといっていい。
だが、それはシズが天涯孤独の身の上だから出来るのである。シズに頼りになる身内が出来てしまえば、ツヅミなどあっという間に追い払われてしまうだろう。
さらに、それだけではない。
シズが名家に婿入りすれば、相手によるにせよ将来的に有力な地位に上り詰めることだって夢ではない。
つまり、どのようになろうともツヅミとの縁を切ることが出来るのだ。その上、シズは出世まで約束されてしまう。
それはシズを格下に見ているツヅミには、耐え切れない事なのだろう。だから、どんな見合いであってもツヅミはシズに断らせるのだ。
それにしても、とシズは前回の見合いのことを思い出す。
上司から持ち込まれた見合いの相手は、まだ幼さが残る十六歳の少年だった。名家の人間は早いうちに婚約者を持たせたがるとは聞いていたが、今までの見合い相手としては最年少かもしれない。
表情がころころと変わる可愛らしい少年だったので、シズが見合いを断っても近い内に婚約者が見つかる事であるだろう。
しかし、あの口付けは今更ながらいらなかったかもしれないとシズは思った。
手酷くふれとツヅミに言われていたので、あの場では唇を奪う事しか思いつかなかった。しかし、子供にするには早すぎた口付けだったかもしれない。
あの少年は、自分の事を嫌ったであろう。
第一印象は悪くはないようだったので、彼と一緒になる未来があったとしたらどうなったのだろうか。ツヅミから逃げることが出来て、彼と幸せになった未来がシズには思いつかなかった。
それはまるで、今のようにツヅミに飼いならされている内は幸せなどないという事実を突きつけられたようだった。
「シズ、何を考えている?」
ツヅミの言葉に、シズは投げやりに「別に」と答えた。
「お前は、俺から逃げられるなんて思うなよ。お前は、俺の奴隷なんだからな。だって、この世界にモンスターを連れて来た魔法使いの末裔なんだから。元々の世界の住人たちに奉仕するのは当然のことなんだよ」
ツヅミの言葉は、もう聞き飽きたものだ。
シズは、ぼんやりと外を見た。
モンスターと共にやってきたと呼ばれる先祖たちは、この世界に一体なにを思ってやってきたのだろうか。そして、何を思いながら故郷を捨てたのか。
シズは、名前も知らない祖先たちのことを思う。
祖先たちが本当にモンスターたちを連れて来たというのならば、この世界に残ったのは責任感からなのか。自分たちは、その想いの残り香のようなものに過ぎないのだろうか。
「シズ、ツヅミ。やっぱり、ここにいたのか!」
店の中に、泡食った同僚たちが入ってくる。
彼らも魔法使いとウォッチャーであり、魔法使いの方は腕に怪我をしていた。シズはすぐさま立ち上がって、魔法使いの傷を見聞する。
深くはないが、傷口から異臭がする。なにかの獣に——モンスターに襲われた傷口の特徴が一致していた。
「今日は休みのはずだろ」
ツヅミは嫌そうな声を出して、コーヒーを啜った。
その口ぶりが癇に障ったらしいウォッチャーが、ツヅミに殴りかかろうとする。
「それより、報告を!私たちの力が必要で、探していたのでしょう!!」
シズの言葉に、ウォッチャーは正気に戻った。
今日のシズとツヅミは休みである。
それでも、自分たちに助けを求めたということは、普通の魔法使いの末裔では対処できない厄介な事案が起きたのである。ツヅミの態度の悪さをいさめている場合ではない。
「デパートにモンスターが現れたんだ。近隣の魔法使いの末裔たちは、ほとんどが召集されている。でも、デパートが広いから、モンスターや逃げ遅れた客やデパートの売り子を発見するのも大変で……」
魔法使いの末裔であっても魔法の強い弱いは、はっきりと分かれる。さらに言えば得意分野もはっきりと分かれているので、暴れるモンスターに魔法使いの末裔をあてがえば安心だという話でもなかった。
デパートという特殊な空間と要救助者の数が不明と言う状況は、なかなかに難しい。休暇中のシズに声をかけた同僚の気持ちも分かるというものだ。
「マスター。すみませんが、怪我人を置いておきます」
戸惑っている店の店主に一言だけ言い残し、シズとツヅミは店を出た。
一応コーヒー代はツヅミの分も含めてテーブルに置いてきたシズだが、慌てていた店主の様子を見るに気がつくのは随分先の話になるだろう。
「それにしても、よりにもよってデパートにモンスターが入るなんて……」
デパートは、富裕層向けに作られた商業施設だ。あらゆる高級品を扱うというのがキャッチフレーズで、ツヅミとシズには縁が無い店でもある。
ここからは少し離れているので、乗り合いの馬車に事情を話して目的地まで急いでもらうしかないだろう。
「急ぎますよ」
シズは表通りに向かおうとしたが、ツヅミはポケットをゆったりとまさぐった。
「まぁ、待てよ。一服ぐらいはさせてくれ」
ツヅミは悠長にタバコを胸ポケットから出すが、待ってはいられない。シズは、ツヅミの言葉など聞かずに馬車の通り多い大通りに向かった
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