第17話 まんまる月
・忠治、赤城山の隠れ岩に着く。
・待っていた子分ら、口々に。
子分ら「親分、親分、待ってやした」
忠治「ちょっくら寄ってくるとこがあってな」
円蔵「おい、握りめし出しな。腹がへっちゃ戦さができねえ」
忠治「で、どうするィ」
円蔵「あいつもこいつも殺られ、人数は少しばかり減ったがここは最後の勝負でサ」
友五郎「そうしやしょう。こちとらどうせやくざな命、お上の手下をバッタバッタと斬りてえ」
・子分ら、口々に。
子分ら「そうでえ。そうでィ」
忠治「おめえらの気持ちはよーく分かった。だがナ木っ端役人なんぞいくら斬ったって。やるんなら代官や大名だが、こう睨まれちまっちゃー」
才市「逃げるってんですかい」
忠治「そうよ。おれたちゃー侍じゃねえ、あるじのためだ、国のためだなんてェのはいらねえ。三十六計逃げるに如かずだ」
・三十六計逃げるに如かず;サンジュウロッケイ、ニゲルニシカズ。南
斉書に「敬則いわく、檀公の三十六策、走(に)ぐるはこれ上計なり」
(王敬則伝)とある。南斉書は二十四史の一書。中国南朝の斉(479-
502)の史書。
子分ら「……」
忠治「とはいえ、おれの面体はそこいらじゅうの貼り紙で知れわたっている。お上はおれ一人が目当て。だから、おめえらはおれと一緒じぇねえほうがいい」
友五郎「別れるっていうんですかィ」
忠治「そういうこった。だが、その後があらーナ。おめえらそれぞれが縄張りを持ったなら、博奕でうんと稼ぎ、その中から百姓の鍬や鋤を激しく安く売る店をつくるんだ。お上に願い出ても一向にできねえ溜池や水路をつくってやりな。そうしたらお上が歯ぎしりして悔しがる。それがこれからの世の仇討ちってもんだ。しかしなナ、まちがっても百姓のためだなんて思うんじゃねえ。お上を苛々させるために百姓を使っているだけだ。悪党は最後まで悪党根性で通そうぞィ」
・百姓の鍬や鋤を安く売ることが、なぜこれからの世の仇討ちになるの
か。お上は溜池や水路の敷設や修理という公共事業の許認可権をにぎ
ることにより、業者からキックバックが得られる仕組みを作っている。
それが、村人らの努力でやられては賄賂という旨味がなくなる。お上
は歯ぎしりをすることになる。よって、仇討ちになるという寸法。
・忠治は悪党という名のまっとうな人間。
・お上、役人は善人という名の悪党。
・円蔵、子分の一人に向かって。
円蔵「それにゃーおめえ、モちっと博奕の腕をあげなきゃーな、アッハハッハー」
子分「あげまさー。まかしておいてくんなせー」
・皆、ドッと咲う。
忠治「話は終わった。みんな手に手に酒を持ちねえ。円蔵、音頭を執ってくれ」
・まんまる月が昇っている。
円蔵「みんな、親分と、親分の背中にかかっているまんまる月を見てくれ。さあ思い思いの一献だ。三十六計、逃げて逃げて逃げまくり、死ぬときゃーそんときだ。成仏なんて願わなくたって阿弥陀さまはちゃーんと分かってらー」
・子分ら、それぞれ。
子分ら「へーい。合点でィ」
円蔵「南無赤城大権現、忠治一家を頼みまサー。ゥオ-」
・乾杯などという手垢の付いた音頭は執らない。「ゥオー」という獅子の
ごとき一声で酒杯をかかげ飲みほし、酒杯を叩きつけて割る。
友五郎「目を山の下へ向けてみねえ。バカ提灯の明かりが登ってくるぜ」
・麓の方から数多の「御用」提灯が登ってくる。
忠治「長居は無用だ。みんな散れ。達者でな」
・子分ら、それぞれに。
子分ら「じゃご免なすって」
子分ら「親分世話になりやした」
子分ら「どっかでまた会わして下せえ」
子分ら「ご免なすって」
・忠治と数人の子分が残る。
忠治「円蔵、友五郎、浅次郎、もういい、おめえらも行きな。あ、浅、三室(みむろ)の勘助親分に子があったってな」
浅次郎「へえ、勘太郎ってまだ三つくれえの」
忠治「いちにんめえにしてやんな」
浅次郎「へえ、有り難うござんす」
円蔵「それじゃ一足さきに、ご免なすって」
友五郎「ご免なすって親分」
・一人残った忠治、長脇差しを抜いて月にかざす。
忠治「赤城の山も今宵かぎり。とうとう一人になったが、なに、おれにゃー生涯(しょうげえ)、加賀の国の住人、小松ノ五郎義兼(よしかね)が鍛えた業物(わざもの)という強(つえ)ー味方が、つえー味方があったのよ」
・約束どおり、雁が渡ってゆく。約束通りというのは、国定忠治のこの
場面ではお決まりのという意。
忠治「おい、皆様方よ。悪党のわしらには勿体(もってえ)ねえし、照れくさくもあろうが、別れのさいごだ。おれがいう言葉をなぞってくんねえ」
友五郎「別れのさいご。親分、おれたちゃ何でもやりますぜ」
・子分ら一斉に。
子分ら「おーよ」
・「おーよ」は「そうーよ」の変形。
忠治「故郷、ここに去りぬ」
子分ら「故郷、ここに去りぬ」
忠治「ゆうべの心、千々に何ぞ遙かなる」
子分ら「ゆうべの心、千々に何ぞ遙かなる」
忠治「故郷を思うて、赤城山にゆきつ遊ぶ」
子分ら「故郷を思うて、赤城山にゆきつ遊ぶ」
忠治「赤城山、なんぞかく悲しき」
子分ら「赤城山、なんぞかく悲しき」
・「あしたに」が「ここに」に変わっている。
忠治「じゃー、みんなあばよ」
・忠治、そういって小径をゆく。
・子分ら、声も出ず、たたずむ。
・忠治、少し行って一人になったことを確かめ、まんまる月をしばらくあ
おぐ。そして、口の中で。
忠治「お華ちゃん、達者でな」
・忠治の揺れる後ろ姿。
・後ろ姿のストップ/モーション。
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