第13話 蕪村のうた
・お華、一呼吸おいて。
お華「君、あしたに去りぬ
ゆうべの心、千々(ちぢ)に何ぞ遙かなる
君を思うて、岡の辺(べ)に行(ゆ)きつ遊ぶ
岡の辺なんぞ、かく悲しき」
・お華、少し照れて。
お華「先生、どこかおかしかないですか。まちがっていませんか」
洪庵「ようお出来です。才気煥発ということばはお華さんのためですなー」
成エ門「緒方先生、あんまりおだてちゃ困ります。で、何ですか、いまのは」
洪庵「これはですな、わたくしや忠治どんが生まれた年から百年ほど前に、上方で生まれた与謝蕪村という御仁が作った新しい詩歌です。和歌とも連歌とも違う。異才奇才の部類に入るかと思いますが、才あふれるお華さんによいと思って教えたのです」
忠治「与謝蕪村、珍しい名でからね、覚えてますよ。あっしが餓鬼のころ通(かよ)った寺子屋がありましてね、そこの自然(じねん)和尚から教わったのが、ちっとんべー頭に残っておりやす。その和尚さまは、あっしら子どもに絵を見せて、これが有名な蕪村の絵だといいて、写しだか何だか子どもにゃー分かりませんでしたが、よく覚えておくがよいっていってたような」
成エ門「あそこの和尚さまは文人墨客を理解されます」
・お華、懐に挟んだ紙片を出して。
お華「忠治さん、いいでしょう、読んでごらんになりませんか」
成エ門「お華、莫迦なことをいうもんじゃ……」
忠治「あっしには分不相応ですが、お嬢さんの命(めい)を受けちゃー読まねば、忠ノ治の名がすたりやす。ただあっしは難しい字はとんと駄目で」
・「忠ノ治」は「忠の字」のしゃれ。
成エ門「忠治どんはそんなこたーないんだ。何せ、そういっちゃー悪いが、いまはち
ーっと廃れてしまったが、何せナ、親御さん祖父さまどんは読み書き堪能な立派な人で、わしらの村にも名が聞こえておりました」
・一同、うなずきシンとなる。
・忠治「君」を「故郷」、「岡の辺」を「赤城山」に替えて読む。
忠治「故郷(こきょう)、あしたに去りぬ
ゆうべの心、千々に何ぞ遙かなる
故郷を思う 赤城山に行きつ遊ぶ
赤城山、なんぞかく悲しき」
・一同、感嘆の声をあげる。
洪庵、成エ門「おおーーー」
お華「わーー」
・忠治、まじめな顔になって。
忠治「沼の泥さらいも終わり、一応のことは為(し)はしたが、あっしなんぞが調子に乗って善人ぶっちゃーならねえと思ってやす。素人衆には指ひとつも悪ささせねえ、悪党は悪党、お上御法度の博奕を打って、切ったァ張ったァとやりあうのが飯より好きでござんして。渡世人はどこにもいるが、お上は国定一家が憎くて仕方ねえらしい。こちとらも望むところだが、あっしらが里にいちゃー近隣の村の衆にとばっちりがゆく。そろそろ赤城の山へ行かざァなるめえと思っておりやす。成エ門どんも気をつけておくなせえ。緒方先生はどうか国の病いを診てやっておくんなさいまし」
・そこへ浅次郎が飛び込んでくる。
浅次郎「親分、てえへんです。役人が来やす、すぐに逃げておくんなさい」
忠治「さっそくお出でなすったかい。あいさつもなく逃げられもしねえ。ちょいとばっかし」
洪庵「ヨォー親分、見させていただきますよ」
忠治「上方のお客人、あっしが殺されたら腑分けして覗くといいや。腹ん中はきれいですぜ。上州人は口はわりいが腹はわるくねえんです」
・と、忠治、軽く笑み。
洪庵「親分さんとはまだ話したりない。もう少し生きて下さいまし」
忠治「お華ちゃん、佳い歌ァ教えてもらったよ。赤城の山にまんまる月がかかった夜にゃ、この歌を、オオカミの喉笛(のどぶえ)に合わせて詠んでみる、覚えといてくんな。――成エ門の旦那、お嬢さんとすぐに逃げてくだせえ。浅! 子分どもに赤城の山で会おうといえ」
浅次郎「親分、あっしも一緒に暴れてゆきまさ-」
・役人、踏み込んで来る。
・烈しいチャンチャンバラバラ。
・忠治と浅次郎、役人から逃れて赤城の山へ向かう。
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