第10話 礒沼

          △10 礒沼


     ・天保の飢饉が深刻な状況になっている。

     ・天保の飢饉;1833-37年に起こった大飢饉。西国を除く各地に冷害。

      東北/北関東地方で極端な不作。米価は高騰、貧農貧民の生活を圧迫。

      幕府や諸藩は御救い小屋を設けるなどしたが膨大な餓死者や病人を出

      した。商人の米価つりあげに対して一揆や打ちこわしが続発。武士の

      中からも諸藩の政策を批判する者も出る。ことに1837年天保8年の

      大塩平八郎(1793-1837)の乱は幕藩権力を動揺させた。(日本大百

      科全書から要約)

     ・国定村の隣り田部井(ためがい)村の磯沼(いそぬま)が泥でうまって水涸 

      れになっている。磯沼は国定村の田畑もうるおす溜池である。

     ・不安そうに磯沼をながめる村人たち。

村人「弱ったなあ。名主のいうとおりだったなあ」

村人「名主の成エ門(せいえもん)どんがあれほどいっただに、おれたちゃ目先のこと

   しかかんげーなかった」

村人「蚕(かいこ)やってれば銭がが入る。田畑なんぞ年貢で持って行かれるべえでバ

   カバカしいって威張っていたけーど、モちっと成(せい)どんのいうことを聞い

   て沼の泥をさらっておけばよかった」

村人「それにしてもこんなに沼が埋まっていちゃー、ちょっくらちょいとはさらえ

   ねえし、早く手を打たねば駄目だし」

村人「このままじゃ今年は田んぼの水が足りなくなる。遠くのくにのほうじゃ子ど

   もの間引きがはじまったちゅう話だ」

村人「おれもそんな話を聞いた。国定一家の衆があちこち旅しているから、川に子

   どもの死体が流れているのを見たらしいや」

村人「いまさらだが名主の成どんに頼んでみるかヨ」

     ・そこに名主の成エ門が来る。

成エ門「村の衆、思いは分かっております。だがこの沼の泥をさらうには、人夫賃

    (にんぷちん)払って大勢あつめなければ、夏までにゃとても」

村人「どのくれえかかるべ」

成エ門「村じゅうの家から分担金を出してもらっても足りめえ。飢饉は去年おとと

   しからつづいて、今年がいちばんひでえ。うちの村からは飢え死には出した

   くねえがノ-」

村人「子どもはどうしても守ってやりてえ。おれが身投げでもして口減らしになる   

   か」

成エ門「莫迦なことをいうんでねえ。おめえが居なくなったら残されたもんはどう

   する。それこそ飢え死にだ。冗談にもつまらねえことはいうもんじゃねえ」

村人「へー、面目ねえ」

     ・村人たち、うなだれる。

     ・赤城山の遠景が見える。

     ・成エ門、忠治のもとに相談にゆく。

成エ門「磯沼はうちの田部井の村だけじゃなくて、国定の田畑もうるおします。で

   すから一つ親分の力が借りてえんでがんす」

忠治「成どん、話は分かりやした。おらー無宿になったとはいえ国定村むろん、こ

   のあたりは育ててもらったとこ、大事なとこだ。しかしナ話は分かったけれ

   ども、大丈夫ですかい。沼を浚(さら)うには上つ方の役人の許しが要る」

成エ門「役人には相談したんだが、こんな飢饉で年貢もあつめめられず、そのうえ

   沼をさらう人夫賃を補うなどできるわけがないと叱られちまって」

忠治「それならハッキリした。成エ門どん、やるべえ、悪党が悪党の方法でやって

   やるべえ。なーに心配無用。方法はいくらだってあらーサ」

     ・子分らの目が忠治にあつまる。

     ・忠治も一人ひとりの子分の目を見て。

忠治「神崎(こうざき)ノ友五郎、板割(いたわり)ノ浅次郎、山王ノ民五郎(たみごろ

   う)、八寸(はちす)ノ才市(さいち)、おめえら、おれがでっけえ賭博を開くか

   らと、そこいらじゅうに触れまわせ。場所は磯沼の人足寄場だ。こまけえこた

   ァ軍師の円蔵に相談しろ。文蔵、サイコロに磨きをかけておけ。ただし素人で

   入れるのは食うに困らねえ大尽連中だけだ。でっかくやってやろうじゃねえ

   か。

     ・子分ら、口々に。

子分「任しておくんなせえ。たんまり儲けますぜ」

子分「これは面白くなったぞィ」

子分「おいおめえ博奕ンなると目が光るな」

子分「そうともヨ。仕様があんめえ。放蕩者(もん)はこれが仕事だ」

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