第二十五話 ウイルス打倒のキーアイテム
爽やかなオリーブの香りが漂うファミリーレストランの中。
ドリンクバーの足元は、ものすっごいビショビショだがべたついてはいない。
とは言え流石に見過ごせる状態ではないので大人しく店員さんを呼ぶ。
次からは、まず氷を入れてから水を注ごうと思った。
木製のフェンスで仕切られた順路を進み、四人席に腰掛けている人達の元へ向かう。
両手には水。右手に持った氷入りの方をネネ先輩の席に置いた。
途端に染み出す冷水。
まるで金環日食のように水の輪がテーブル上に形作られ、ネネ先輩の「ありがとう」がどんどんと先細りしていくのがわかる。
「お前……」
「何も言わないでください」
わかっています。自分がドジなことくらい。
ネネ先輩がものすごい困惑の目を向けてきていることくらい。
でも今日の本題はそれじゃないんです。
目をつむって先に進まないといけないんです。
「まあそうだな。本題に入ろう」
「そうね。正直説明してほしいわ」
反応が薄いところを見るに、ネネ先輩は随分疲れていそうだな。
仕方が無いか。あの状態から無理やり連れ出したようなものだから。
いい加減、僕らの意図を説明しないとな。
「えーと……ネネットだったか。まあ、なんだ、最近、元気がないそうだな」
「え、ええ……まあ」
……なんだろうな。
突然醸し出された殆どコミュニケーションのない親子みたいな雰囲気は。
久しぶりに話した父と娘みたいな気まずさはなんなのだろう。
「原因は、ヴィオラインのことか?」
「……知ってるのね」
「ああ、クラリから大体のことは聞いている」
だけど、その気まずさもここまでだ。
「先に言っておこう」
あの日、ネネ先輩のプロフィールを見せてもらった時、僕は気づいてしまった。K鉄奈良駅前交差点に現れた巨木も、比叡山山中に取り残された果実も。それらはどちらも、「紫色の植物」だったことに。
そして、バイン先輩は比叡山山中の果実について――刺激すれば爆発し、あたり一面の植物を枯れ果てさせてしまうソレについて、知っていた。艦隊本部から、なんの情報も知らされていなかったにも関わらず。
「俺はヤツの正体を知っている」
「っ……!」
そこから導き出せる可能性は、そう多岐にわたるものではないはずだ。
そう考えて、僕が連絡をとってみたところ、彼は見事に情報を握っていた。無論、彼とは、バイン先輩のことである。
「ヤツの本当の名は、ドクター・ヴァイリー。ナチュラ・ルーツの科学者にして、俺の兄だ」
テーブル上のワイングラスを呷りながら、バイン先輩が宣言する。
ネネ先輩は……目を見開いているが、いつかのように、取り乱してはいないように見える。
最悪、暴れるネネ先輩を取り押さえることも考えていたけれど、そうはならなかったようで何よりだ。
「それで? 大層なカミングアウトだけど、わざわざ呼び出した理由はそれだけ?」
「……いや」
確かに、彼の素性を明かしたいだけなら、わざわざネネ先輩が京都を訪れる必要はない。別に留守にしているわけではないのだから、通信かなにかで伝えればいいだけだ。
だけど、それだけじゃいけない理由がある。
「俺はヤツの扱うウイルスへの対処法を知っている」
「本当!?」
ネネ先輩が身を乗り出すと、バイン先輩もグラスを置いた。彼はネネ先輩を気の毒そうな顔で眺めた後、一呼吸置いて口を開く。
「……期待させて悪いが、症状の進行を抑える手段を知っているだけだ。対症療法ってやつだな」
「あ……そうなのね」
「だがしかし、それも今日までのことかもしれない」
「どういうこと?」
そう、今日の本題はそのことだ。
ダメ元で僕が当たってみた先輩は、ヴィオラインのことを知っていた。それだけでなく、ウイルスの侵食を遅延させる方法も。
「クラリ、約束の物はここにあるんだったな?」
「ええ、中のケースに入っています」
先輩曰く、とあるモノさえ用意できれば、バイン先輩は薬を作れるということらしい。
先輩は紙袋の中に手を突っ込み、先述のケースを手に取る。透明度の低いプラスチックで作られた、濃い黒色の小さなケース。
「中を検めるぞ」
「丁重に扱ってくださいね」
「……何? 中身はなんなの?」
そうだな、そろそろ説明しないといけないか。
僕が昨日、クリスタさんと話してから、一体何を用意したのか。
なぜネネ先輩の自宅に突撃する必要があったのか。
「……ふむ、これが」
その答えが、この中に詰まっている。
今朝方採れたばかりの新鮮な素材が、中にみっちりと詰まっている。ケースのフチから少しだけ、ふさりと顔を覗かせている。
「……これは?」
そう、ヴィオラインのウイルスを打倒する、キーアイテムとなるのは。
僕が今朝方、ネネ先輩の自宅で、大掃除のフリをして集めていたのは……
「約束通りのブツ。ネネ先輩の抜け毛です!」
瞬間、隣の席から風を切るような音が聞こえた。
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