第十七話 クアドラブルラリアット
「先輩っ!!」
とんでもなく、嫌な予感がした僕は大きく踏み込んで飛び出し、ネネ先輩の背中へ抱きついた。そのまま入口の方へ引っ張っている最中、暴れた肘が脳天に当たって、一瞬意識が持っていかれそうになるけれど、なんとか耐える。
「どうして止めるの! 放しなさい!」
どうして、と言われれば具体的に言語化出来ているわけではない。ただ一つ、抽象的でも、的確にその状態を言い表す語句を思いついて、僕は口を開く。
「人質は何かに感染しています! あなたもゾンビになっちゃいますよ!」
ゾンビ。地球についての勉強中に、根深い流行りものとして仕入れていた知識。何らかの超常的なウイルスによって、肉体が腐り落ち、無差別に人を襲う化け物になってしまうという概念。
ネネ先輩が知っているかどうかはわからないけれど、人質の状態と危険性を言い表すには、丁度良い言葉。
「だとしても、コイツを今取り逃すわけには!」
意味は伝わったようだけれど、やっぱりダメだ。僕一人ではどうしようもない……!
「取り逃さなきゃ、いいんだな?」
あと一人いれば、そんな思考に至る前に、一人どころか十万馬力はありそうな声が聞こえてきた。どうやら、扉とテーブルの撤去は、終わったらしい。
「CHAAARGE!!」
ジジジという羽ばたきにつづいて、空気を爆発させるような発進音。まるで、艦橋のカタパルトから戦闘機が射出される時のような勢いで、僕のすぐ脇を巨大なカブト虫が通過する。
ゾンビ化した人質はその勢いに負け、突進方向に吹き飛ばされる。
「ぬうん!」
そうして全ての人質を吹き飛ばし終えたところで、リーゼルさんは両の両腕を大きく開いた。X字に広げられた筋骨隆々の腕たちは、全てが同時にラリアットを繰り出し、回避不能の壁となって謎の男を襲撃する。
「めちゃくちゃをする!」
男の方も、流石に抗議の声を上げずにはいられなかったようだが、それもむなしくリーゼルさんの質量を前に、彼は思い切り跳ね飛ばされてしまった。しかしながら、我らが大カブトムシは男を跳ね飛ばすだけでは終わらない。
「
何故ならそれは、取り逃さないと約束したから。そう言わんばかりの勢いで、全ての腕が閉じられ、宙に浮いた長髪の男をガッシリとホールドしてしまう。
そしてドカァン! あるいはCRASH!
窓ガラスはおろか、ビルの壁にまで大穴を開けて。落下していく人質たちを横目に、リーゼルさんは長髪男をしっかりととらえ、空の彼方へと飛び去っていった。
「……彼になら、任せてみてもいいでしょう」
「ええ、アレに勝てるとは思えません」
ひどい体格差の暴力を見た気がする。あの状況からどうにかすることができたのなら、僕はあの男のことをちょっと尊敬してしまうかもしれない。
「ともあれ、ネネットは無事ですか?」
冗談はさておき、その通りだ。随分暴れていたけれど、我らがネネット先輩の方は安否を確認しなければ。
「……うん。大丈夫」
耳をされ下げて、しょぼくれ顔。いかにローテンションな様子だが、落ち着いたのならそれでいい。
もしかしたら、大きく開いた外壁から、冷たい風が吹き込んだおかげで、頭が冷えたのかもしれない。まあ、そんなわけがないのはわかりきっているけれど。
「さて、ネネット。いい加減、CRRくらいには説明しないといけませんね?」
「……そうね」
ああ、そう言えば僕はネネ先輩の境遇も、N県の現状も、全部全部ハプニングに阻まれて、聞き逃してしまっていたな。今なら丁度一段落といった感じだし、移動しながら聞いてしまうのがいいかもしれない。
なにより、あの長髪の男に話しかけられた途端、人が変わったように暴れ出したのが気になる。
一旦ヤツとネネ先輩との間に、何があったんだろうか?
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