第十五話 怒号
「誰もいないみたいだぞ」
ともあれ、八階に付いた僕らは、意外にも安全に中華料亭のエントランスに立つことができた。
リーゼルさんの報告に続いて、慎重に八階に足を踏み入れるが、人の姿は見当たらない。まだ朝早い時間だから、営業時間外だったのだろうか。
電気もついていないが、壁が全面のガラス張りなので、陽の光は入っている。
しかしながら、それで暗くはないかと言えば、そういうわけでもなく。
外だけが光源な状況であるせいか、部屋の全てが逆光のようになっていて、シルエットくらいしか見分けることができない。
これじゃ、凝った内装をしていてもわからないだろう。
「参ったな……これじゃ光が強すぎて、ナイトビジョンも使えません」
「そんなものがあるの?」
「擬態を解除すればね、でもこの分だと……」
そうやって、言葉をつづけながら、僕はワイシャツの胸ポケットをまさぐる。確かこの辺りに入れておいたはずだよな……あった。
「こっちの方が使いやすいかと」
僕が取り出したのは手のひらサイズの銀の棒。ボールペンより一回り大きい、それなりの太さがあって、握りやすい形状をしているヤツだ。
「なにそれ?」
「これはですね……このスイッチを押すと!」
僕が言葉を引っ張りながら、金属棒を強く握ると、頂点の部分が伸びていき、内部から3つのランプのようなものが姿を覗かせる。
すかさず僕は、ジャケットの胸ポケットに入ったサングラスを取り出し、片手だけで身につける。
直後、パシャリと音を立てながら、強力な光が、エントランスの中に広がった。
「この通り、光ります」
「随分大層なペンライトね……」
「こないだモールに行ったときに買ったんですよ」
なにやらネネ先輩が引いているような気がするけど、これはこれで便利なのだ。この棒一本で部屋中を照らすことができるし、目がつぶれないくらいの程よい光量に自動で調整してくれる機能もついている。
起動時だけは、ちょっとまぶしいんだけどね。それでも、直視して問題ないくらいの強さだ。
じゃあなんでサングラスをかけたんだって言われたら……こだわりだって答えるかな。
「よし、随分見やすくなったし、行こうか」
ペンライトが放つ光を、甲殻で反射しながら、リーゼルさんはのっしのっしと、料理店の店内を進んでいく。
このお店の内装は、思っていたよりもハデではなかった。オリエンタルっていうんだろうか。オレンジと白を基調としている、落ち着いた雰囲気で二階のファミリーレストランに比べると飾っていないのに、オシャレな雰囲気が漂っている。
地形というか、この階の間取りとしては個室が多く、開けているのはエントランスだけ。あとはそれなりの広さの廊下の左右に、個室がいくつも並んでいるだけ。廊下を進んだ突き当りは窓ガラスである。
「この部屋のどこかに、人質がいるってわけか」
「あるいは、全部かもしれないわ」
こうなると参ったな。手前の部屋から総当たりで行こうにも、向こう側に動きがばれて、奇襲を受けることになりそうだ。いっそのこと、全部の部屋の扉を開け放ってしまおうか?
そんな、突飛なことを考えてしまうくらいには、面倒な地形だな。
「でもやっぱり、一つずつ行くしか……」
「いえ、敵も、人質も、一番右奥の部屋のようです。CRRに埋め込んでおいたセンサーがそう言っています」
「えっ」
人の身体に何をしてくれているんだこの人は。というかいつの間に、そんなハイテクセンサーを僕にぶち込んだんだ。
「説明してください」
「説明もなにも、今までだって散々使っていたじゃないですか。あなたの視界と、あなたの半径十メートル以内に存在するものは全て、こちらのモニターに映っていますよ」
「ええ……」
確かに言われてみれば、夜の住宅地で主婦に手を振った時も、鹿の大群と追いかけっこしていたときも、交差点周辺でバス待合に隠れた時だって、クリスタさんは的確な指示を飛ばしていた気がする。
よくよく考えれば気が付けたはずなのに、今更指摘するのはおかしいと言われれば、それはそう……なのか?
「なんにせよ、エクセレントだ新人!」
「え、エクセレント」
「お手柄って意味だよ! こうなってしまえば話は早い!」
「そうね、さっさと行きましょう」
「え、ちょっと!?」
見れば、リーゼルさんとネネ先輩は揃ってすでに歩き出している。広い廊下で横に並んで、ずしんずしんと歩を進めている。待ってくださいと声をかけたくなる気持ちを抑えて、僕も彼らの後に続く。
最初の情報に加えて、センサーで得た結果から見ても、事が一刻を争うことには間違いない。
現場に慣れていない僕が何か言ったところで、彼らの邪魔をしてしまうだけだろう。だったら僕は、黙ってあとに続いた方が良い。
ともあれ、そんなことを考えていたら、奥の部屋にたどり着くのは一瞬だった。
「景気よく行くぜ!」
隠密行動もあったもんじゃなく、リーゼルさんはそう叫ぶと、ドアノブと残りの三点を腕で抑え、思い切り押したようだった。
バコッ! という音が響き、部屋の中から光が差し込む。どうやら、この部屋は随分日当たりがいいらしい。大方、エントランスのように、窓が大きいのだろう。
「ゴーゴーゴー!」
リーゼルさんの声がかかった瞬間、すでにネネ先輩は部屋の中へと突入していた。
扉を除けているリーゼルさんに変わり、僕も続いて、中へと踏み込んでいく。
部屋の中に入ると、異常に強い逆光に襲われた。そう言えば、エントランスが北向きなら、この部屋は南東の方角だったか。
最初に食らったあの光は、まだ生ぬるいものだったらしい。ペンライトで照らしても、部屋の中のシルエットが、少し薄くなるくらいの効果しかない。それでも、目をそらさずにじっと見てみれば、中の様子くらいはわかった。
中華料亭特有のいかにも回転しそうな丸テーブルを中心に、六人ほどの人型が跪いている。
「久しぶりだな、キティ」
そして、そのテーブルの奥。大きな窓にシルエットをかぶせて、長髪の人型が、直立してこちらを向いている。逆光で顔はよく見えないが、今、男性的な声で喋ったのはこいつだろう。
しかし、久しぶりってどういうことだ? それにキティって……。
判断を仰ぐため、僕は横のネネ先輩を見ようとして、気付いた。
彼女の姿が消えている。
「おまええええッ!!」
「っ!?」
直後、翻訳機に響いたのは憤怒に燃えるようなネネ先輩の咆哮。
交差点の中央で民間人を退避させたときと変わらないくらい大きな声で、ネネ先輩が叫んでいた。
それも、僕の横ではなく。先ほどまで声を発していた男の正面で。
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