第十三話 くるみ割り

 外星人の痕跡を迅速に抹消するのは簡単ではない。監視カメラやSNS等の情報記録はもちろんのこと、特に戦闘が発生した場合、事態を目撃した民間人の記憶や、大気中に飛び散った外星人の細胞の処理まで、行わなければならないからだ。


 特に今回は人通りの多い道路やその地下にまで被害が及んでしまったため、全てを元に戻し、辻褄を合わせるまでに、一時間はかかるらしい。


 そう、一時間なのだ。保護艦隊が持つ技術や、人的資源をフル活用すれば、一時間で済んでしまうのだ。

 特に人的資源の方はすさまじく、現在現場となったK鉄奈良駅前交差点には、数百人の事後処理担当官が集合している。


 A班は道路修復、B班は残骸の処理、C班以降は周辺ビルに突入して民間人の記憶処理って感じで……時々、ビルの中から悲鳴が聞こえてくるのは気のせいだと思っておこう。


 ちなみに、処理班は全員見た目は普通の地球人なのだけれど……真っ黒なスーツ姿である。正直あやしくってしょうがないけど、まあ、大丈夫だろう。誰かに見られても、どうせ全部忘れるんだし。


「何ボーっとしてるの?」


 僕がそんなことを考えていると、そんな感じでネネ先輩に肩を叩かれてしまった。彼女の擬態装置は一時的に機能停止してしまっているので、替えが来るまでは本来のデッカイねこ姿のままである。


 僕の方はと言えば、相変わらずのリクルートスーツ姿。目まぐるしく働く処理班を眺めていたわけだし、ボーっとしていると言って差し支えないだろう。


 まあ、僕がそんな状態なのには、もっと別の理由があるのだけれど。


「いやあ、僕、なにもできなかったなぁって……」


 冗談めかして言ってみるけど、考えているのは本当のことだ。せっかくの実質的な初任務だっていうのに、ネネ先輩やリーゼルさんに任せてしまって、僕は何もできなかった。


「それでいいじゃない。ある手札を全部使わないでやれるなら、絶対そっちのほうがいいわ」

「まあ、そうですね」


 確かに、ネネ先輩やリーゼルさんだけでは何とかならない事態が起きるなんて、想像したくもないけれど。でも、そうなったとき、僕は何かできるのかと考えると、答えはわからなくなってしまう。


「なにより、あなたは大事な同僚だもの。危険な目に合われてもらっちゃ困るわよ」

「ははは……そうですね」


 危険な目に合わなかったかといえば微妙なところだけど、ケガはしていないから大丈夫。リーゼルさんのボディーガードの賜物だね。


「そう言えば、リーゼルさんも同僚なんですよね? あの人は、どんな人なんです?」


 これから一緒に働くことになる人だ。ネネ先輩だけでなく彼のことも知っておいた方がいいだろう。何やら愉快な話し方をする人だし、仲良くなったら、楽しいこともあるかもしれない。


「え……ごめん、知らないわ」

「へ?」

「あの人、本当に誰なのかしら?」

「え、ええ……」


 ネネ先輩が知らないってどういうことだ? まさか、リーゼルさんも僕と同時期に入った新人ってわけはないだろうし。でも、だとしたらどんな可能性があり得るんだ……?


「彼はヘルプです。今月いっぱいだけ、他の地域から来てくれているんですよ」

「あーなるほどそういうこと……」


 間に挟まった、クリスタさんの声で納得がいった。道理で喋り方が合衆国なわけだ。いや、アロメダ合星国の方も広いからああいう喋り方をしている人もいるかもしれないけど、言語は地球の公用語だったし。


 それもこれも、彼が一時的な援軍だと考えれば説明がつく。


「しかし、わざわざ他の地域から来てくれるなんて、親切な人ですね」

「まあ、そうね……」


 おや、なんだろう。なにか含みがありそうな相槌が返ってきたな。ネネ先輩は気まずそうに目をそらしてしまった。なにか、まずいことを言ってしまっただろうか。


「そうですね……この辺りで一つ、説明しておきましょうか」


 クリスタさんは改まったような声で、僕の頭の中に語りかけてくる。たしかに僕は、職場というか、担当地域のことについて何も知らないから、ありがたくはあるのだけど……そうも真剣になられてしまうと、少し緊張してしまうな。


「まず、私たちの担当地域である奈良県の現状ですが……」

「HEY GUYS! なにナイショ話してんだ?」

「うおっ!」


 突然、背後に引き寄せられて、咄嗟に振り向いてみると、ブラウンでメタリックな甲殻が見えた。リーゼルさんが二本の腕を使って、僕の肩を抱き寄せたらしい。


 二本の腕と言っても、左右の二本ではなく、右側だけの二本なのだけれど。ネネ先輩も同じことをされたらしく、小さな「むぎゅう」という音ともに、厚すぎる胸板の陰からグレーの体毛が覗いている。


「リーゼル。うちの子たちに気安く触らないでください」

「なんだい、ちょっとくらいいいじゃないか」

「あなたのために言っているんですよ」


 うん、流石に僕も気付いている。気付いているから、物凄く嫌な予感がしている。僕が抱えられている脇の反対側から、物凄い気配が漂っている。

 ずももと音が聞こえてきそうなオーラが……もとい、逆立ったアッシュグレーの毛が見えている。


「わ、た、し、に……」

「え」


 ドスの効いたカウントダウン。リーゼルさんが間抜けな声を漏らした瞬間、脇のロックが甘くなったので、僕は必死の思いでその場に伏せる。


「触るなァ!」


 直後、上の方から、凄まじい打撃音。勘違いでなければ、何かが砕ける音も聞こえた気がする。


 身体を横に倒しながら上方を覗いてみると、案の定。ネネ先輩がリーゼルさんへ向け、見事なアッパーカットを見舞っていた。


 放物線を描きながらぶっとばされる巨体。流石に爪は立てていないようだけれど、その威力に手加減が加わっていわわけではないことは、飛び散るブラウンの破片を見やれば理解できる。あんなに堅そうだった甲殻も、ネネ先輩のこぶしの前には無力であったらしい。


「ぐはぁ」


 どしゃりという音を立て、頭から地面に墜落するカブト虫から目線をずらすと、見事な昇拳ポーズで真っ青な顔をしているネネ先輩が見えた。


「ご、ごめんなさい! 大丈夫!?」


 身体の一部が砕け散って、大丈夫なわけが無いと思う。そうは思うけれど、すぐ謝れるのはいいことだな。うん。


「これさえなければいい子なんですけどねぇ」

「ははは」


 クリスタさんのぼやきを聞き流しながら、僕はとりあえず今後ネネ先輩は絶対に怒らせないようにしようと心に決めた。


 というか、指一本触れないようにしよう。

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