第十一話 筋肉モリモリマッチョマンのカブト虫

「保護艦隊のセンサー網は、地中にまで及んでいるわけではありません。あなたまで擬態を解除してしまえば、別の個体が現れた際に、奇襲を防ぐ手立てがなくなってしまいます」

「それでも……」

「何より、ネネットの近くに行くと、危ないですよ」

「え?」


 付け加えられた理由で、僕が間抜けな声を上げた時、ネネ先輩はその大きな両手を組んで、頭上に掲げていた。

 何をするつもりだろうとも思わない。彼女は明らかに、地面に向けてその両手を振り下ろそうとしている。


「おりゃー!」


 翻訳機に響いた意味の方はまだ可愛げがあるけど、明らかに「おりゃー!」で済まない勢いで、ネネ先輩の両手がアスファルトを殴り砕く。ヒビと共に衝撃が広がり、地響きが横断歩道の前にまで伝わってくる。


 踏ん張らないと、転んでしまいそうだ。


「……そこのバス待合の影がいいでしょう」

「はい……理解しました」


 どうやらこれが、ネネ先輩の戦闘スタイルというわけらしい。なるほど、こりゃ危なくなるまでは、観戦に徹していた方がよさそうだ。僕は大人しくバス停の方へ歩いて、事が始まるのを待つことにしよう。


「センサーに反応アリ、来ますよ!」


 クリスタさんの声と共に、交差点が揺れ始める。ネネ先輩の引き起こした地響きではない。彼女はすでに、足を肩幅に開いて、前傾姿勢で迫る敵に備えている。


 しかし、敵は地中から来るわけなのに、あのまま交差点の中にいて大丈夫なのだろうか?


 そんなことを考えたのも束の間、彼女は唐突に両手を地について、四肢すべてを使いながら、前方斜め上方向へと跳んだ。


 直後、マグマが吹き上がるようにアスファルトが砕けて、地中から何かが飛び出してくる。それは紫色で、ごつごつとした樹木のような質感の、しなる巨木のような何か。


 枝や根を暴れさせながら土煙をたて、地面から這い出ようとしているその場所に……ネネ先輩はすでに飛び込んでいた。


「くらいなさい!」


 唸り声と共に、ネネ先輩が腕を振りかぶる。猛る獅子のように毛の逆立った獣の腕から、鋭い爪が姿を見せる。


 貴金属のように眩く光を反射する獣爪は、その軌道に残像を残しそうなほどの勢いで巨木へ向けて振りかざされる。


「――――!」


 破砕とも断裂とも言い難い、折れるような音を立てて巨木の枝が落ちる。爪を幹に受ける寸前、枝の一つが幹をかばったのだ。

 ただし、あくまで一つだけ。残りの枝は、ネネ先輩に反撃するべく、回り込んだ側面から攻撃を仕掛けようとしている!


「鬱陶しい!」


 威圧するような咆哮と共にネネ先輩が回転する。体の捻りよりも素早く両腕を振り回し、四方から迫る枝を薙ぐ。


 流石に今度は根本からとはいかなかったものの、その鋭利な爪の切断力は変わらない。結果的に、彼女を狙っていた枝たちはすべて、先端を選定されることとなってしまった。


「すごいフィジカルだ……」


 ネネ先輩が巨木の横を通り過ぎ、着地したところで、僕は思わずつぶやいてしまう。


 跳躍自体が異常な高さだったせいで、随分長く感じたが、戦闘が始まってから、まだ十秒も経っていない。だというのに、すでに巨木の化け物は枝の一本を切り落とされ、残る枝もダメージを受けている。


「この分だと、本当に余裕そうですね」

「いいえ、そうでもありませんよ」


 能天気な僕のつぶやきを、即座にクリスタさんが否定する。なぜだろう、僕には、ネネ先輩がヤツを圧倒しているようにしか思えないけれど……


「それは、ヤツの目的が、ネネットの排除であった場合の話です」

「っ……なるほど」


 言われて気付いた。僕らが戦っている相手は、別に制御不能な殺戮兵器でもなんでもないのだ。ましてや、わざわざこんな人口密集地に現れたヤツが、突然現れたエージェントを狙ってくれる可能性など、あり得るのだろうか。


「……もうすぐですね」

「もうすぐって、何が?」


 クリスタさんのつぶやきの意味はわからない。作戦があるのなら教えてほしいが……


「危ない!」


 僕が通信を気にして目をそらしていたところで、翻訳機にそんな言葉が届いた。ネネ先輩の叫び声。この場に僕以外の生命体は存在しないから、恐らくは僕に向けられたもの。


「あ……」


 先ほど交差点で乗り捨てられた自動車が、僕のいるバス待合に向けて、飛んできていた。ヤツが、枝の一つを使って、投げつけてきたのだ。


「レボリュ……」

 僕は擬態解除の合言葉をつぶやこうとするが、間に合わない。確実に、人間の身体でこの攻撃を受けることになる。

 そう考える僕の脳裏には、聞き覚えの無い言葉が響いていた。


CHAAARGEチャージ!」


 確実にネネ先輩のものではない、野太い声と共に、茶色い影が僕と自動車の間に割り込む。

 否、それだけではない。茶色いなにかは、自家用車へ向けて思い切りその身を当て込んでいる。具体的には、地球の格闘技でいうラリアットのようなポーズでそのたくましすぎる上腕を自動車に向けぶつけている。

 結論として、飛来していた自動車は凄まじい破砕音を立てながら、二車線道路の中央分離帯の上へとぶっとんでいってしまった。


「HEY BOY! 大丈夫だったか?」


 流暢な日本語に、混ぜ込まれたイングリッシュ。筋骨隆々な、大男のシルエット。

 茶色いと思っていた全身はどちらかと言えば黒光りという言葉がふさわしいほど、メタリックな光沢を放っている。

 しかして、親近感を覚えるようなメカっぽさがあるかと言われれば、別にそういうわけではない。もっとふさわしい言葉を探すならそれは……


「カブト虫?」


 キチン質に似た甲殻を、プレートアーマーのように全身にまとった人型。その額には雄々しく沿った一本のツノがあり、岩肌の山脈のように巨大な肩からは、ジジジと音を立てながら高速で振動する羽が覗いている。


 それだけではない。この人、腕が四本ある。ただでさえ樹齢百年の丸太のように太すぎる腕をもっているのにも関わらず、その数が通常の二倍に増えている。上腕の付け根で別れるように独立して動いているし、その全てがサムズアップのジェスチャーをとっている。


「一般人がこんなところにいちゃ危ないゼ!」


 一見、面頬めんぽのように見えていた場所が横に割れて、白い歯と赤い歯茎が見える。目の方も、覆われていてよく見えないけれど、こんな感じでどこかにはついているのかもしれない。

 いや、そんなことはどうでもいい。この人はいったい誰なんだ。

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