第九話 研修終了
結局、研修は保護艦隊直営モールを訪れた日で最後だったようで、僕は今日から、正式な現地の任務に当たらせてもらえるようになった。
とは言っても、現地住民同士のトラブルは現地の自治組織に任せるのが道理、ということで、ほとんどトラブルを引き起こした外星人の相手をしているだけなのだけれど、その量がおかしいのだ。
例えば今朝は、観光名所のとある大社にて通報があり、現地に駆け付けたところ、奈良市の天然記念物である鹿に熱烈な接吻を繰り返す大型不定形外星人に出くわした。
てっきり戦闘による強行制圧を行うことになるのかと思っていたのだけれど、話を聞いてみれば、彼は鹿の体毛に巣食う虫たちを食べていただけなのだという。
その証拠に、彼に身体の隅々を接吻された鹿は随分気持ちよさそうにしていたし、接吻を終えた後には彼に擦り寄る素振りを見せていた。
結局、その件はクリスタさんに判断を仰いだところ、擬態の解除さえしなければ無害ということで、通報者の記憶処理とその周辺の軽い痕跡の隠滅だけで済んだんだけど……そんなちょっとした事件を今日だけで三件は解決することになっている。
「ひいいい……悪かったって! 謝るから、命だけは!」
「もう二度と、問題を起こさないと誓いますか?」
その点、こんな風に擬態を解除して、相手を制圧するだけでいい案件は気が楽だ。自慢のガントレットで数発打撃を入れてやるだけで、事件を解決できるのだから。
◆◆◆
等間隔で配置された丸窓から覗くのは、果てしなく続く暗闇と、その中を照らす無数の星。地球人に観測されないよう、月の裏側を飛ぶ観察艦の、重力のあるカフェスペースで。
僕はとある人に呼び出されて、彼女の姿を待っていた。
「おはよう、CRR。調子はどう?」
「どうもこうもないですよ。仮眠をとる暇さえないです」
「メカニカにも、睡眠が必要なの?」
「必須ではないですが、情報処理の時間を取らないと、頭の中がごちゃごちゃするんですよ」
そんな、すっかりラフなやり取りを重ねられているのは、もう慣れてきた証なのだろうけど。
ともあれ、本日僕を呼び出してくれたのは、ほかでもないネネ先輩だった。
今日は灰髪に白モフモフジャケットの地球人形態だ。ネコの姿でいるのは単独行動をするときだけで、人と関わるときは基本的にこっちの姿らしい。
「まあともあれ、本当にお疲れ様」
「ありがとうございます。それで、要件って?」
「いや、ただあなたが潰れそうになってないか、確認したかっただけよ」
「ははぁ……」
それはもう、ご覧の通りというか、処理はできているものの、忙殺間近といって差し支えない状態ですが。ネネ先輩はあまり疲れていないように見える。
これがベテランの余裕というやつなのだろうか。
「ひょっとしてあなた、任せられた任務、全部こなそうとしてるんじゃない?」
「え、それはそうですけど、普通は違うんですか?」
「確かにできることをできるだけやるのは悪いことじゃないけれど……一つには、そういう任務って、エージェントにしかできない仕事ってわけじゃないのよね」
「つまり、他の人に任せてもいいと?」
「そういうこと。エージェントは基本、荒事担当だもの」
ははぁ……なるほど。そういうことなら納得だ。
実際、今回受け持った任務の中に、あからさまな荒事はなかったように思える。外星人との戦闘に敵性のある、エージェントが出向くまでもないことであれば、ほかの人たちに任せていいというわけなのだろう。
「そういうことは、先に言ってほしかったです……」
「あら、だから今こうして言ってるじゃない」
「まあ、たしかに」
研修中にあれこれ言われても覚えられないかもしれないし、かといって初日の任務直前に伝えられても、やる気が落ちてしまうだろうし。言われてみれば、初回任務翌日ってタイミングはほとんど最速ともいえるのか。
「とはいえ、この件はあくまでオマケ。本題は……」
そう言って、ネネ先輩は手に持っていた手提げ鞄を丸テーブルの上に置き、何やらファイルを取り出して手に持った。何のファイルだろうか。こんなところで広げていいってことは、そこまで機密情報ってわけじゃなさそうだけど。
「なんです? それ」
「これはね、地球支部のエージェント一覧よ」
「めちゃくちゃ機密情報じゃないですか」
そんなものをカフェで広げて大丈夫なんですか先輩。一応保護艦隊の人しかいない現場ではあるんだろうけど、紛失でもしたら一大事じゃないんですか。
「まあ、エージェントなら誰でも閲覧可能だから」
「大丈夫ならいいんですけど……」
まあ、保護艦隊には記憶処理技術もあるわけだし、そのあたりはある程度緩くやっているのかもしれないな。
「ところで、どうしてエージェントの名簿を?」
「簡単よ。あなた、探している人が居るんでしょう?」
ああ、そういうことか。自分で言ったことなのに頭から抜けてしまっていた。もちろん、エージェントの業務を疎かにするわけじゃないけど、僕が保護艦隊に来た理由はそれなのだから、疎かにしていては本末転倒じゃないか。
「名前を言ってみて。私が探してあげられるから」
「そういうことなら、お言葉に甘えて」
純粋にありがたい申し出だ。断る理由もないだろう。
「フルネームかどうかは分かりませんが、彼は確か、クネイ博士と呼ばれていました」
僕がその名前を出した途端、ネネ先輩の顔から笑顔が消えた。エージェントの顔写真を見る動きも止まって、全身が固まっている。
どうかしたんだろうか。
「クネイ博士って……ノーマ・ルーツの?」
「あ、はい」
ノーマ・ルーツはたしか、丁度、地球人に極めて近しい見た目をしている種別だったか。宇宙的に見れば珍しいけれど、手先が器用で、技術者や研究職に就くことの多い種別だった気がする。
ほかの人から聞いた限りだと、彼はノーマ・ルーツで間違いなかったはずだ。
「僕も直接お会いしたことはないんですけど、なんでも元々はメカニカ研究の第一人者だったらしくて、幼いころの……人格を移し替える前の僕を、救ってくれたとか」
「…………」
そこまで話したところで、気が付いた。ネネ先輩が、なにかをこらえるように俯いている。
初めて見る表情だ。なにか、まずいことでも言ってしまったのだろうか。
「ネネ先輩?」
「CRR……クネイ博士は」
そうして先輩が、僕に何かを伝えようとした、その時だった。
「エージェント。緊急の案件です」
脳裏に直接響いた、そんな声。言わずもがな、うちのオペレーターさんの声だ。
「聞こえているわ。報告を」
クリスタさんの通信は、ネネ先輩にも届いていたらしい。彼女は右耳に揃えた手を当てて、管制室に応答を返してくれている。
先ほどまでと打って変わって、冷静ではきはきとした声色。混線を避けるためにも、僕は黙っていた方がよさそうだ。
「K鉄奈良駅前交差点にて、外星人反応アリ」
「っ……」
口調からして、なんとなくそんな気はしていたけれど、やっぱりか。
端的にまとめられた報告を頭の中で反復しつつ、幾度もの試験を通して頭へ叩きこんだ、保護艦隊エージェントとしての動き方をいくらか想定してみる。もちろん、続く報告を聞き逃さないように。
「反応は一瞬、被害は現状ナシ。不正な擬態型の可能性があります。可及的速やかに現場へ向かって下さい」
驚いた。初動の時点でそこまで言ってくれるのか。
事実を報告するだけならともかく、想定しうる事象まで伝えてくれるとは。流石試験担当官をやっているだけあって慣れているんだな。
「意味はわかるわね?」
「ええ」
一瞬の反応、不正な擬態型、交差点という地点、実際のところ、報告の意味やニュアンスを正しく認識できているかどうかはわからない。
だけど、その辺りは移動しながら考えればいいと理解している。ならば、僕らがやるべきことは一つだろう。
「研修終わりの初仕事よ、新人」
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第1章 イントロダクション - 終 -
次章
第2章 指定敵性外星人
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