第六話 県境に跨るショッピングモール
研修二日目。今日になってみれば、抱えていた不安はどこへやら。
昨日と比べて、随分とまともな研修が繰り広げられることとなった。
それは例えば、市内の地理や人通りを理解するためのフィールドワーク。何かあったとき、どこが人目に付きにくいか、どこを巻き込まないよう立ち回るべきか。
そう言った情報を、実際に歩き回りながら、ネネ先輩は教えてくれた。
途中、ネネ先輩が現地の人々とコミュニケーションをとる場面もあった。
商店街に入った時はたこ焼きを一船注文していたし、時には向こうから声をかけられるなんてことも。
「早めに上手く馴染めると、過ごしやすくて気が楽よ」
とは、通りがかった肉屋の店主に、牛肉コロッケを一つサービスしてもらった際の言葉である。先輩は直後に、コロッケを平らげてこれ見よがしにうっとり顔をしながら、肉屋の店主を笑顔にしていた。
ついでにささみを百グラムだけ買っていたのも、こういった繋がりを大事にするためだろう。やり方がスマートで、素直に関心してしまったのを覚えている。
まあ、そのささみを腐らせないために、一度ネネ先輩の自宅に戻ることになったりはしたんだけどさ。
ともあれ研修はこれだけで終わりではない。こまごまとしたことはいろいろと教えられたし、しっかりメモもとっていたのだけれど、一番重要なのは、これから向かう場所についてのことなのだとか。
なんでも、僕も知っている、とある人を待たせているそうだ。僕には知人が少ないけれど、一体誰の事だろう……なんて移動しながら考えてみる。
そんな感じで、時刻は昼前。僕らはこの国における都会と田舎の狭間、新興住宅地を進んでいく。一軒一軒に想像を絶する建築費用が費やされている(であろう)邸宅群を抜けると、駅の前にたどり着いた。
曰く、この辺りの地価がとんでもないことになっている要因の半分を占めるのがあの駅なら、もう半分がここなのだとか。地域の絶対的な中心地点にして地域創生の破壊者、大型ショッピングモールである。
中でもここは、京都府と奈良県の県境にまたがっている、珍しい構造をしているんだそうだけどまあ、それはさておき。
「えっと……ネネ先輩?」
「何かしら? 倉橋君」
地上階からモール二階入口へと続くエスカレーターの右側に詰めながら、一段上を行くネネ先輩に疑問の意を示してみると、張り付いたような笑顔を向けられてしまった。
サングラスの中の目が笑っていない。これはおそらく「余計な事喋るんじゃないわよ」って意味だろう。
ちなみに、倉橋とは僕の戸籍上の名字である。まだちょっと馴染みないけどね。
「まあ黙ってついてきなさいな。はぐれないよう気を付けてね」
「あっはい、わかりました……うおっと!」
ネネ先輩の言葉通りに彼女を注視していたら、足元のエレベーター終了地点に躓いてしまった。体勢を崩しているうちに、ネネ先輩は入口付近を行きかう人混みの間をスルスルと抜けて行ってしまう。
「あちょっと、待って下さい!」
今日は世間も休日な上、お昼時であるせいか、異様に人が多い。気を抜いたら、出入りする人の流れの出る側に飲み込まれてしまいそうだ。ここは多少、自分を強く持ちつつ、勇気を出して進むべきかもしれない。
一歩一歩着実に歩を進めつつ、ネネ先輩の背中を追う。先輩が残した僅かな隙間が閉じる前に、身を縦にして滑り込ませるように進む。
入口を抜ければ人混みは抜けられたようで、ネネ先輩に追いつくことができた。先輩は僕の姿を横目で見ると「やるじゃない」って感じでウィンクしてくる。お茶目な人だ。
「それで、どこに行くんです? ご飯とかですか?」
「まあフードコートにもいくけれど……ここのヤツではないわね」
そう言いつつ、きびきびと歩を進める先輩の後を追って、気が付いた。どうやら先輩は、モールの壁側から続く横道へと逸れようとしているみたいだ。お手洗いとか、従業員入口とかがある、あそこである。
「ここで待ってた方がいいですか?」
「なわけないでしょ。ついてきなさい」
まあ、流石にモールに入ってすぐお手洗いってことはないか。となると用は……従業員用入口の方かな?
なんとなく予想を立ててみたら当たっていたようで、ネネ先輩はごく自然な動作で従業員入口へと立ち入り、中の闇へと消えていった。扉が閉じそうになったので、僕もあわてて中へ続く。
「いいんですか? 勝手に入って」
「むしろ、勝手に入らないように、ここに作ってあるのよ」
山積み段ボールや清掃器具等々、バックヤードにありそうなもののごった煮みたいな空間を抜ける。薄暗い上に狭苦しく、通行の邪魔になる棚も多いけれど、ネネ先輩は相変わらず迷わず進んでいく。
「シッ、静かに。守衛室の前を通るわ」
「あ、はい……」
バレないように、ここまでコソコソしていると、なんだかステルスミッションって感じになってきたな。いや、僕はまだ一つも任務を受けたことなんてないんだけれど。
「ここね。えーっと今日の入店コードは……」
やがて先輩は、この空間には珍しく何も置かれていない壁際に立って立ち止まると、ポケットから携帯端末を取り出し、何かを確認し始めた。なんだろうこういうの、本当に秘密基地みたいでワクワクしてしまうな。
「ちょっと離れてて」
「はい!」
「もう……声が大きい」
おっと、ワクワクが表面に出てしまったか、失礼失礼。いやしかし、そうしている間にも先輩は携帯端末を掲げつつ、壁際に指を滑らせている。指の動きからして……見えないキーパットか何かがあるんだろうか。
「よし、オッケー……ほら、こっちに来て」
どうやら何かしらの入力が終わったらしく、先輩がこちらへ手招きしてくる。
「あっはい……って先輩!?」
言葉通りに近づいたら、いきなりネネ先輩に抱き寄せられた。胴と左腕で全面にガッチリホールドされてしまう。
「声」
「は、はいぃ……?」
そうは言っても、この状況で声を上げるなって方が無理だと思う。モフモフのジャケットにホールドされているせいでモフモフが伝わってくるし、何なら心音が直接伝わってくるし、顔近いし、ちょっと香ばしい匂い……
「じゃ、歯ぁ食いしばって」
「え?」
歯ぁ食いしばる? 何を――ってうおあああああああああ!?
視界が! 視界が回る!
グルグル回って気持ち悪い! なんだこれ!?
床も壁も回ってるのか!? なんだか光が集まって……
うわああああああああ!?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます