第五話 若草茂る山の頂
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前後左右、上下に斜め。どこを向いても闇の続いている空間。
落下しているわけでもなく、地に足をついているわけでもなく、いずれかの方面へ向けて推進しているわけでもない、奇妙な感覚とともに、僕はこの場に存在している。
下をみれば、自分の姿が明らかになる。腕が二本に、足が二本。胴と脚部には紺色のリクルートスーツ。袖から覗くのは非常に薄く、明度の高い色をした肌。ピンク色と黄色の中間、オレンジでもない、所謂「肌」色の手先。指先。爪先。
自分の身体が、限りなく地球人に近しい見た目に変容している。そのことを実感した途端、なんとも抑えがたい高揚感が湧き上がってくる。僕もようやく、ここまで来たのだ。
「……ところで、あなたはどうしてエージェントに志願したんです?」
脳裏に直接響いた声に、少しだけ驚いてしまうけど、先ほどまで言葉を交わしていた試験担当官の声だと認識したらすぐに落ち着いた。
「昔から、憧れていたんですよ。特に、地球にはいつか来たいと思ってたんです」
取ってつけたような回答をしてから思う。果たしてこれは雑談なのだろうか。それとも、実技試験前の面談というやつなのだろうか。
「それは、どうして?」
いつもの質問。いつも通りに当たり障りのない答えを返せばいい。そう思ってはいるのに、言葉が出てこない。
毎回毎回、はぐらかすようにしてきたせいだろうか。これも結果に影響するかもしれないと思うと、人聞きの良い回答は思いつかなくなってしまった。
「憧れの人が、良い星だと言っていたので」
出て来たのは結局、曖昧でどうしようもなく正直な答えだった。
声に出してから、地球の緑に憧れただとか、現地の人々とふれあいたかっただとか、いろんな出まかせを思いつきはしたけれど、どれもここから繋げてやるには苦しそうだ。
「だったら、いい加減合格しないといけませんね」
いや、いい。どうせ試験はもうすぐ始まるのだ。
「試験開始、お願いします」
ひとまず納得してくれているのなら、それでいい。
「では……この市街地の中から、敵性外星人を見つけ出し、捕縛してください」
彼女の声で、闇の中に光が宿っていく。極彩色の粒子が散布されるように張り付いて、人型と車両の行き交う晴天のビル群を形作っていく。
そうだ、今はただ、全周を覆うかりそめの視界と、艦隊選りすぐりのサイキッカーが生み出す、限りなく精度の高い仮想現実に集中していればいい。そうして、少しでも良い結果を目指して、ダメだったならもう一度挑戦すればいい。
何度繰り返しても、僕の心が折れることはない。
「シミュレーション、開始」
大切だったはずの人を、見つけるまで。
SYSTEM:再生終了。
◇◆◇◆◇
雨に濡れたベンチ、日光を反射する何らかの記念碑、先ほどまでに比べれば、まだ人工物の多い山の頂上。神社仏閣が建ち並ぶ観光地を見下ろしながら、スーツへの汚れも気にせずに、僕は緩やかな斜面にへたり込んでいる。
「死ぬかと思いました……」
実際、それくらいの過酷さではあった。いくら研修とはいえ、まだ慣れない擬態状態で約一時間も走り回らせるなんてやりすぎじゃないだろうか。
一応、持久力の面で見れば地球人の身体は運動に適していると言えなくはないんだけど、中身がメカニカの僕からすれば、不慮の負傷の方が怖いんだよな……
「へえ、まさか十か所全部無事だなんて、やるじゃない」
僕の独り言に答えるような声に顔を上げたら、ネネ先輩が黒い手袋をはめた手で、鹿にせんべいをあげていた。
今の彼女は、猫の姿でもなければ、擬態を解除したモフモフの姿でもない。白いもふもふのジャケットを羽織った灰髪ショートウェーブの女性の姿を取っている。
どうやら彼女は、擬態装置のバリエーションを複数もっているらしい。耳はもちろん人のそれなのだけれど、どことなく猫の姿の面影が残っているのは、彼女なりのこだわりなのだろうか。
まあなんにせよ、僕が守り切ったせんべいたちもあの大群にかかれば一瞬だったようで、彼女は二束目を鹿たちに配っている。
まるで握手会のように鹿たちが順番にせんべいをくわえていく様子は、彼女の現地エージェントとしての熟練度を表している……のだろうか。
正直よくはわからない。
「いくら研修とはいえ、なんでわざわざこんなことを?」
「なんでってそりゃあ……根性試し?」
「もうちょっとマシな方法があったでしょう……」
気になって聞いてみてもこの反応だ。案外、本当にからかわれているだけなのかもしれないな。
「っていうのは半分嘘。新人なんて久しぶりだから、ちょっと遊んじゃった」
「ははは……」
運動能力を見る目的もあったのだろうけど、やっぱりからかわれてはいたらしい。正直こっちからすればたまったものではないけれど、いい運動になったと言えば納得もできる。大きな怪我もなかったわけだし、ここはただ好意的にお茶目な人だと思うのがいいかな。
「それで? あなたはどうしてここに?」
「え?」
「どうして、エージェントになろうと思ったの?」
いつか聞いたような質問。素直に答えようとして、気付いた。自分が試験中と違うことを言おうとしていることに。
「え、えーと……具体的にどうと言われると難しいんですが……まあ、人探しですかね」
「人探し? 珍しい理由ね」
さっきまで会話していたわけだし、この会話はクリスタさんにも聞こえているだろう。もし、前のときはごまかしていたことがバレたら、印象が悪いんじゃないだろうか?
でも結局のところ僕の目的は、誰にも打ち明け無いまま達成できるようなものではないわけで。だったらいつまでも隠し通すよりここで打ち明けてしまった方がいいような気もする。
「……実は僕、記憶がないんです」
「そうなの?」
「はい、もっと限定するなら、幼少期の記憶……みたいな言い方になるでしょうか」
僕はメカニカだから、自然発達による成長なんてしないわけだけど、とにかく僕には一定期間より前の記憶が残っていない。
「地球にならって、年齢に換算するなら……僕は大体、二十歳ぐらいだと聞きました。ですが、僕には十年より前の記憶がない」
「約半分……それで? 十年分の記憶を取り戻すことと、エージェントになることが、どう関係しているの?」
そりゃそうだ。今の僕はまだ、質問に答えられていない。事情はいくらでも話せるけれど、ここはもう端的に言ってしまおうか。
「僕の記憶を、復元できる方を探しているんです」
「そんな方法があるの?」
「はい。どうやら僕は十年前に一度、元あった別の機体から人格を移し替えているらしいんですが、元の機体の記憶へのアクセス権限が無いんですよね」
「ああ……なかなか難儀ね」
ほとんどのメカニカは有機生命体と違って、身体の機能が完全に解明されてしまっている。だからこそ、メカニカ個人の人格を保護するために、多数の制限を抱えながら生きているのだ。
その一つが、人格
「記憶の復元には、引き継ぎの保証人になった人物だけが知る、解放コードが必要らしくて」
「だから人探し、ってことなのね」
「まあ、客観的に説明するなら、そうなりますね」
「……というと?」
ここまでネネ先輩は、親身になってお話を聞いてくれている。それはきっと、僕なりに最大限伝わりやすい言葉を選んでいるからなのだろう。だけど本当のところ、僕の行動原理はもっと抽象的なのだ。
「本当は昔よくしてくれた、憧れの人の跡を追って、ここまで来たんです。本当に、おぼろげにしか覚えていないけれど、確かにそこにいた恩人は、保護艦隊のエージェントでした」
多分その人は、記憶領域の解放コードを知っている人と同一の存在なのだと思う。そして、記憶の中の顔も背格好も、声も性格もおぼろげだけど、本人を見れば思い出せるという、薄っすらとした自信がある。
だけど、人に説明できるほどはまとまっていなくて、これ以上言葉を続けられる気はしない。そう言ってしまうと、なぜ言葉にしたのかという話なのだけれど、これだけは言っておかないと、なんだか不誠実な気がしてしまったのだ。
「それ……私と同じだ」
「え?」
ネネ先輩と同じ? 驚きにつられて目を向けたら、彼女の方も目を丸くしてこちらを見ていた。自然に目が合ってしまって、彼女の瞳孔が、猫のように縦に割れていることに気が付く。
続く彼女の言葉を待ちながら、僕はいつか自分の中に芽生えた、奇妙な感覚の正体を突き止めようと試みていた。今なら、彼女の身の上だって、聞き出すことができるだろうか? 今なら、どうしようもなく曖昧で、好奇心とも違ったこの感覚に説明をつけられる気がする。
「私にも、憧れの人がいた……私はね、憧れの人に、この場所を託されたのよ」
だけど、そんな風に思考を巡らせて黙っていたら、最後のせんべいを手放した彼女がそんなことをつぶやいて、僕はポカンとしてしまった。
「この場所って……この山をですか?」
自分で言ってしまってから、そんなわけないだろうと冷静になった。下手を打ったかと思って先輩の方を見ると、彼女は立ち去ろうとする鹿たちへ、慈しむような表情を向けている。
「ううん、もっと広い。この星全体って言いたいところだけど……まあ、奈良県全域くらいかな」
奈良県全域。宇宙から見ればちっぽけでも、この山から眺めるだけじゃ見通せないくらいの範囲。同じ朝焼けを背中に浴びて、同じ景色を眺めているはずなのに、顔を上げた彼女の眼は、やけに遠くを見ている気がする。
「だから、私は奈良県のエージェントで居続けないといけない。ここが、初めてできた私の居場所だったから」
「だった?」
先ほどまでの考えに引っ張られて、つい突っ込んで聞いてしまった。「どういうこと?」なんて聞かれるかもしれないと考えたけれど、ネネ先輩は身じろぎ一つしていない。
特に反応する必要は無いと思われたのか、あるいは、反応しないという反応を返されたのか。
「言葉のあやよ」
どちらにせよ、そう言われてしまえば、彼女の真意を確かめる方法はない。呟きを漏らした口元に浮かぶ微笑の意味は、僕にはわからない。踏み込んで聞いてみたいとも思ったけれど、それをするだけの理由がない。
「さて、今日のところはここまで。本当の研修は明日やるから、今日はもう帰って休みなさいな」
「あ、やっぱりこれだけじゃないんですね……」
そりゃあ、鹿に追いかけまわされるだけで終わりなわけないか。今日は本当に、顔合わせみたいなものだったのかな。
にしても、随分インパクトのあるやり方だったけど、案外、長くやっていくなら第一印象はこれくらいの方がいいのかもしれないね。
まあ、だとして不安はあるんだけどさ。明日からついていけるだろうか……
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