第9話 別れ
ガヴィエインが家に戻った時には、日は大分高くなっていた。
玄関の扉をくぐると診療所の先生はもう居なくなっていた。息を切らしたまま、母の寝ている寝室に行くとガヴィエインの姿を見て父がぎょっとする。なにせガヴィエインは全身ずぶ濡れで所々泥で汚れており、ポタポタと手足から水が滴っていたからだ。
手には、蓮の花に似た薄ピンク色の
「かあちゃん」
ふらふらとした足取りで母の側による。全身薄汚れている格好で病人の側に寄るなど言語道断であったが、父は何故かこの時は何も言わずに部屋を出ていった。
「……かあちゃん。約束通り
ほら、綺麗でしょう?
そう言って母の枕元に花を置く。
実も採ってきたから食べてね、これを飲んだら熱も下がるよ、と母の口に実を押し付けてみたが母の口はもう開かなかった。代わりに薄っすらと目を開けて、花とガヴィエインを見て微かに笑い、「……花、きれいね」と口を動かしたような気がした。
その後、再び部屋に来た父に無理矢理風呂に入れられた。風呂から上がると、揺り籠のキーナが激しく泣いている。妹を持ち上げるとおしめが冷たく濡れていた。父も一人でてんやわんやだったのだろう。どうやら妹は、朝からおしめもお乳もろくに与えられていないようだった。
けれど、……母がこんな状態でも時は当たり前のように過ぎていく。
いつも通りの日常をこなさなければ、妹の命も危うかった。ガヴィエインは妹をあやしながら、いつものようにおしめを替えて妹に乳をやった。
夜には母の熱は再び上がり、もう布からも水分を取れなくなっていた。
父は一睡もせずに母についている。ガヴィエインもとても寝られずに、妹が泣くと父の代わりに世話をした。
外は、ガヴィエインの心の中のように雨が降りはじめて。この世の終わりを嘆くように空から涙を流していた。
真っ暗な中、厠へ行くために外に出る。用を足し、すぐに部屋に戻らずにガヴィエインは軒下に座り込んだ。
……前はこんな暗闇は怖くて仕方がなかった。
けれど今日は、ザアザアと降る雨の音と夜の暗闇が、ガヴィエインの気配を消してくれるのは正直有り難かった。
自分で自分の肩をぎゅっと抱きながら、ガヴィエインは天に祈る。
かみさま。
――お願いします、神様。
「……いい子にするから、お願い。――かあちゃんをつれていかないで――」
もう、泣かないから。
キーナの世話も、全部オレがする。早く大人になって、全部ぜんぶオレがやるから。
「――死なないで、かあちゃん」
一人で、仕事と家族を必死に支えている父には言えなかった。
日に日に弱っていく母に、不安な顔は見せられなかった。
大丈夫、大丈夫。笑顔でそう自分にも言い聞かせた。
ガヴィエインは、大声で叫びたくなる気持ちを無理矢理押し込めて、父に聞かれないよう軒下で小さくなり、一人嗚咽を飲み込んだ。
――明くる日の朝、ガヴィエインの祈りは届かず、母は皆に見守られて旅立った。
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