君が食べている物は、どこからやって来るのかね?

 もちろん、逆パターンもある。


 自分が何かしらの災害を食らう場合だ。


 大フィーバーの翌年、今度はこちらを大雨が襲った。


 短期間集中豪雨で、自分の住む境港は、1時間に83ミリという猛烈な雨。


 作業場の近所の川が氾濫し、危うく作業場自体が水没しかけた。


 ご年配の方からも「この川が氾濫したことなんて記憶にないわよ」との事。


 それくらい強烈な雨だった。


 結果は見るも無残な姿を晒す事になった。


 畑は水没し、白ねぎは痛んでまともに出荷できない。


 苗を育てていたビニールハウスも冠水し、苗にもかなりの被害が出た。


 痛んだ白ねぎ、苗の作り直し、収入は無くなり、出費はかさむ。


 まともな収穫をできるようになったのは、11月も終わりの頃だった。


 梅雨も終わろうという7月半ばから、実に4ヶ月以上も回復に時間がかかった。


 災害とはそれほどまでに恐ろしい。


 災害一発で収入が断たれるのが、農家という職業だ。


 台風、大雪、大雨、地震、いつ襲ってくるか分からない最も理不尽で強大な力を持つ“自然”と戦う者ならではの苦労だ。


 だからこそ、喜んでしまうのだ。“自分には関係ない災害”については。


 不謹慎、ろくでなし、そう思う方もいるかもしれないし、実際その通りだ。


 だが、それに構っていられないのも、農家の苦しい実状でもあるのだ。


 災害復旧のために、現地へ行くか?


 それはない。断じてない。


 農家は“土地”に縛られた職業であり、他所へ行くなど有り得ないからだ。


 特に夏場は、一瞬でも気を抜いたら、すぐに畑がダメになる。


 水はもちろんのこと、無制限に生えてくる雑草、それに病害虫。


 作物がやられる原因なんぞ、いくらでもある。


 ただひたすらに作物の奴隷になるのが、農家という職業だ。


 その過酷な労働の対価として、収入を得るのだが、であるからこそ自分とは関係のない場所で起きた災害を喜んでしまうというろくでもない状況になる。


 その責めは甘んじて受けよう。


 であるからこそ、私はこう返す。



「君が食べている物は、どこからやって来るのかね?」



 都会に住んでいると、店先にズラッと並ぶ食料品にうっかり忘れてしまうかもしれないが、食べ物は都会では作られていない。


 郊外や、あるいは僻地で生産されている。


 コメは水田から、野菜は畑から、乳製品は牧場から、魚介類は海から。


 農家、畜産家、漁師、これらがいなくては食べ物など作られない。


 これを忘れている、あるいは想像できない人間が、都会には多すぎるのだ。


 一度でもいいから、繁盛期の農家を1ヶ月ほど経験してみると良い。


 食べ物を見る目が確実に変わるぞ。


 かく言う自分も、農家での実地研修前と後では、食べ物に関する考え方が大きく変化したという自覚がある。


 儲けなくてはならない。何が何でも。


 そんなろくでもない状況なのが、現在の日本の農業でもあるのだ。

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