その2 はじまりは修学旅行の夜

 わたしに、その最悪なあだ名がついたのは、小学六年生の修学学校でのことだった。

 その頃のわたしは、普通の女の子としてクラスの女の子たちの輪に溶けこんでいたんだ。

 今では信じられないけど、加藤梨花ちゃんともすごく仲良くしていたんだよ。

 梨花ちゃんは、同じ少年マンガのファン仲間だったの。

 マンガの最新刊が出るたびに、『あのキャラがすっごくかっこよかったねぇ!』とか、『これからどうなっちゃうんだろう~!』って感想を語りあった時間は、こうなった今でもわたしの宝物。

 好きなものについて深く話すと、どうしてあんなに胸が熱くなるんだろうね。

 とまぁ、わたしはマンガ好きで大人しい感じの、一見普通の女子だった。

 たまに黒い霧を発しているひとを目にすることはあっても、みんなには見えていないものだとわかっていたから、あえて口に出さなかった。

 気にかかるほど強い漆黒のオーラを放っているひともそばにいなかったから、それまでは問題じゃなかったんだ。

 でも、あの修学旅行の夜、わたしは見過ごせないほどの黒い霧を目の当たりにした。


『ねえねえ。修学旅行の夜といえばー、やっぱりあれじゃない?』

『お泊りですること? 枕投げとか?』

『あ~、真白ちゃんの案もいいねぇ! けーどー、せっかく男子がいないことだし、ここはガールズトークっしょ! さゆ、みんなの恋バナ聞きたいなぁ』

 さゆちゃんのいたずらっ子のような笑みに、部屋の空気が一気に色めきだった。

『だーよねぇ。さっすが、さゆちゃん!』

『ふふっ。じーつーはー、私も期待してた♪』

『戸締りよーし! いつ先生が就寝の見まわりにきてもいいように、布団に入っておこー。明かりは豆電球モードにしとくから、もし見まわりがきたら、すぐ寝たフリしてねっ』

『『はーい!』』

 恋バナ、かぁ。

 正直、わたしには特別に仲の良い男の子もいないし、全然ピンとこないな。

 当時のわたしの頭の中身は、女の子の友だちと、大好きなマンガのことばかりだったから。

 でも、ここはみんなの空気ってやつに合わせた方が良さそう。話を聞くだけになるのはちょっと申し訳ないけど、みんなの話には興味があるし。

 そんな風に考えながら、和室いっぱいに敷かれた五人分の布団のうちの一つに寝ころんだ。

 そのとき初めて、わたしの対面に寝そべった梨花ちゃんをまとう黒い気配に気がついた。

 そういえば、梨花ちゃんだけは、さっきからずっと無言だ……。

 梨花ちゃん……? 大丈夫、かな。

『……さゆ。あたし、すでに眠いから、話の途中で寝ちゃうかも』

『えーーっ、梨花なに言ってんの! 修学旅行の夜をいつもどおりに寝てすませちゃうなんてもったいないよ~! ガールズトークのない修学旅行の夜なんて、苺の載ってないショートケーキぐらいつまんない!』

『知らないし。そんなの、さゆの勝手な言い分でしょ』

『じゃあ、もう、おねむな梨花ちゃんから発表してみて?』

『はあ? こーゆうのは、言い出しっぺからするのが筋でしょ』

『ふむ、まあそれもそうだね。じゃあ、言い出しっぺのあたしから話しまーす!』

 みんながかたずを呑んで、潔いさゆちゃんを見つめる中。

 わたしが一番気にかかったのは、梨花ちゃんのこわばったような顔だった。

『実はね、さゆ、二組の塩入しおいりくんのことが気になってるの!』

『へぇ~~! 意外っ、別クラスの男子なんだぁ』

『あーっ! もしかしてバドミントンクラブが一緒だったっけ?』

『そうそう、そうなの~! たまに男女合同で一緒に試合してるんだよ。最初は、ぶっきらぼうなひとだなぁとしか思ってなかったんだけど、たまに、すごくやさしかったりして……。えへへぇ』

『きゃーーっ! なにそれなにそれ! ゼッタイ両想いじゃん!』

 みんなが桃色に盛りあがる中、わたしは一人コメントするどころじゃなく怯えていた。

 無言を貫く梨花ちゃんのまとっていた黒い気配が、一気に膨張したから。

 ふくれあがった黒い霧は、ついに、布団から飛びでていたわたしの手にまで触れた。

(……聞きたくない、聞きたくない、聞きたくない。さゆの好きなひとの話なんて、あたしは聞きたくないのにっ!!!)

 その瞬間、身を引きさかれそうなほどの悲しげな声が、心になだれこんできた。

 これは……、梨花ちゃんの心の叫び声?

 塩入くんの話題で盛りあがる三人をよそに、わたしはひそかに黒い霧へ手を伸ばした。

(さゆに好きな男子ができたことは、なんとなく気がついてた。幼なじみとして、どんなに一緒にそばにいても、いつかこんな日がくるってわかってたよ。さゆは、なんにも悪くない。おかしいのは、親友の初恋を祝ってあげられないあたしの方だ……)

 黒い霧からわたしの心になだれこんでくるのは、梨花ちゃんの心の声だと確信した。

 聴いているこっちが泣いてしまいそうな切実な声に、わたしは、場の空気を無視して立ち上がった。

『も、盛り上がってるところごめんね! わたし、ちょっとお手洗いにいってくる!』

『ほーい。真白ちゃん行ってらっしゃーい』

『り、梨花ちゃんも一緒について来てくれるかな⁉ ほら、一人だとお化けとか出そうで怖いし』

 ちょっと無理やりな言い訳かとも思ったけど、とにかく梨花ちゃんをあの場から連れ出したくて必死だった。

『んえ? 梨花は眠いって言ってたし、さゆがついていこうか?』

『大丈夫! 梨花ちゃん、ついてきてくれるらしいからっ! いこっ』

 さゆちゃんの提案を振りきって、強引に梨花ちゃんの手を握った。

 半ば無理やり立たせて、黒い霧をゆらめかせる彼女と部屋を出る。そのまま二人で話せそうな場所を無我夢中で探して……。

(……真白? なんで、わざわざあたしを巻きこんだの。まるで……、あたしの心を読んだみたいなタイミングで)

 つないだ手から流れこんできた疑念にドキッとした。

 こんなおせっかいをしたんだ。それに、わたしだけが、彼女の心の内を知っているのもフェアじゃない。

 落ちつけそうな場所に行ったら、わたしのひみつのことも全て話そうと決めた。

 でたらめに走った廊下のつきあたりに、自動販売機とベンチがあった。死角になっていて、人の気配もなかったのでそこに座った。

 本物のお化けみたいに顔を白くしながら、黒い霧を発しつづけている梨花ちゃんの姿を灯の下でハッキリと見たとき、余計に心が痛んだ。

『えと……、梨花ちゃん。急に、無理やり連れ出したりしてごめんね』

『……やっぱり、そうなんだ。お手洗いに行きたいって言ったのはウソで、あたしを連れ出すため?』

『う、うん』

『なんで?』

 間髪いれずに聞いてくる彼女が怖くて、じとりと嫌な汗がつたった。

 でも……、包み隠さず話すって決めたから。

『それは……、梨花ちゃんが、とても苦しそうにしていたからで』

(苦しそう? そんなに顔に出ていたってこと……? でも、おかしい。あの暗がりで、真白に表情までハッキリ見えていたとは思えない。さっきから勘が鋭すぎるというか……まるで、本当に心を読まれているかのような)

 強い悲しみに、得体のしれないものへの恐怖らしき感情が混ざって、梨花ちゃんの霧がさらに濃くなったような気がした。

 わたし、今、梨花ちゃんから怖がられてる……?

 暗い霧の中から連れ出してあげたいのに、彼女の表情は、絶望に染まっていた。

『……っ。梨花ちゃん、その通りかもしれない』

『は……?』

『自分でもなんでかわからないんだけど、梨花ちゃんが苦しそうだってわかった。……梨花ちゃんは、さゆちゃんのことで悩んでいるの?』

『っっ!! 近寄らないで、気持ち悪いっ』

 あの瞬間、わたしの心はガラスとなり、地面に叩きつけられて粉々になった。

 あぁ、そっか。

 わたしは、間違っちゃったんだ。

 梨花ちゃんを楽にしてあげたくて必死だったけど、わたしは、ただ彼女の心に土足で踏みいっただけだった。

 梨花ちゃんにとって、さゆちゃんを好きだという気持ちは、うかつに触れられたくない大切なひみつだということにすら思い至らずに。

 わたしは、普通のひとは持ってないおかしな力を使って、勝手に知ってしまったんだ。

 梨花ちゃんの怯えきったような目を見たとき、自分が『化け物』だということを初めて痛感した。

『そっか……! そうだったんだっ。あんたが、おかしな力を使ってあたしが不幸になるように呪ったのね!』

 言葉の刃が何度も振るわれて、心はほとんど崩壊寸前で。

 違う。違うんだよ、梨花ちゃん! わたしは、そんなつもりじゃなかった!

 弁解したかったけど、彼女の呪詛を受けとめることがひみつを知ってしまったせめてもの償いだと思って、どうにか耐えた。

 それに……、自分ではそんなつもりはなくても、梨花ちゃんの言葉を否定しきれる材料もなかったんだ。

 わたしは、わたしが疫病神ではないということを、梨花ちゃんに証明してあげられない。

『真白のせいで、さゆはガールズトークをしようなんて言い始めたんだ。あたしは……っ、あんな形でさゆの想いを知りたくはなかった……っ。この疫病神!』

 梨花ちゃんは瞳いっぱいに涙をためて、黒い霧を引きつれながら、わたしの前を立ち去った。

 一人残されたあと、部屋に戻ることもできなくなり、滝のような涙を流しつづけた。

 その事件のあとの残りの修学旅行からは、地獄の幕開けだ。

 不幸なことに、あの日、梨花ちゃんがわたしに向かって投げつけた『疫病神』という言葉を聞いていた子は他にもいて、あっという間にその呼び名が定着した。

 修学旅行から教室に帰ってきた後も、火の粉が燃え広がるように噂が小学校中に蔓延した。

 黒野真白は、おかしな力を使ってひとに呪いをかける、疫病神なのだという噂だ。

 知らないはずのことを知っている。近寄らない方が良い、と。

 信じるひともいれば、面白半分にからかってくるひともいた。

 みんながわたしのことを恐れて、友だちと呼べるひとはいなくなった。

 当然、梨花ちゃんと、マンガの最新刊の話をすることも叶わなくなった。

 きっともう……永遠に。

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