ネガティブ悪魔退治!

久里

その1 疫病神のわたしと推しの瀬川くん

「なに? あたしのことをジロジロ見るの、やめてくれない?」

 氷柱のように冷たく尖った視線が、わたしを貫いた。

 強い憎悪のこもった瞳に、恐怖でからだが震えてくる。

「キモいんだよ、この疫病神!」

 加藤かとう梨花りかちゃんの、火花の散るような激しい拒絶に、心がズキッと痛んだ。

 あぁ……。

 やっぱり、梨花ちゃんはまだ、わたしのことをゆるせていないよね。

 当然だ。

 悪気がなかったとはいえ、わたしのした行動は、彼女の心を脅かすものだったから。

「本当に、ごめん。……ごめんなさい」

 謝っても時間が戻るわけじゃないけど、頭を下げずにはいられない。

 春だというのに、真冬かと思うほど凍りついた空気の、放課後の教室。

 梨花ちゃんは、手にしていたゴミ袋をイラついたように投げ出した。

 その隣に立っていた白根しらねさんが、慌てたようにそんな彼女の制服のスソをつかんだ。

「ね、ねえっ。黒野さんにそんなにつっかかったら、マズいんじゃないの? その子は疫病神なんでしょ?」

 そう。

 わたし――黒野くろの真白ましろは、みんなから疫病神と呼ばれてる。

「ちっ……。あとのゴミ出しは、全部やっといてよね」

 梨花ちゃんは、こちらの心臓がちぢみあがりそうなほど大きな舌打ちをして、背中を向けた。イカクするような大きい足音を出しながら、白根さんと共に去っていく。

 後に残されたのは、呆然としているわたしと、大きなゴミ袋が二つだけ。

「はあ……。面と向かって言われるのは、結構キツいなぁ」

 誰もいなくなった教室に、しんみりとため息が落ちる。

 福宮ふくみや中学に入学して、一か月と少し。

 中学に入学したらなにか変わるかも、というあいまいな希望は簡単に打ちくだかれ、小学時代から変わり映えのしない、一人ぼっちの学生生活を送ってる。

 言葉の刃で斬りつけられた心はヒリヒリと痛むけど、なんにも言い返せなかった。

 疫病神かどうかはさておき、わたしが普通の女の子じゃないことは事実なのだ。

 わたしには、他のひとには見えていないものが見える。

 さっき、梨花ちゃんのことをつい見つめてしまったのも、そのせいだ。

 正確には、梨花ちゃん自身じゃなくて、彼女が背負っているオーラの方。

 梨花ちゃんがまとう黒い霧が、日に日に濃くなっている。

 ひとがまとう黒い霧。

 不気味で、見ているだけで背筋に汗がつたるような、まがまがしい気配がするんだ。

 ものごころついたばかりのころは、当然、他のみんなにも見えているものだと思っていたけど。どうやら、他のひとには見えていないみたい。

 どういう条件で、ひとが黒い霧を発するようになるのかも不明。

 とても良くない感じがするから気になるけど、かといって、どうすることもできないのが心苦しいんだ。

 小学時代に、梨花ちゃんの助けになろうとしたとき、わたしは無力だった。

「黒野さん。顔色悪いけど大丈夫?」

 それどころか、彼女を傷つけることになっちゃって……って、えっ?

「この大きいゴミ袋二つ、どっちもきみが持っていくの? 僕が持つよ」

 えええっ⁉

 もの思いにふけっていたら、クラスメイトの瀬川せがわ理人りひとくんに、まじまじと顔をのぞきこまれていた。

 さらさらとしたチョコレートブラウン色の髪に、宝石のような紅茶色の瞳。

 抜けるように白いすべすべの肌。さくらんぼ色の唇。すらりとしていて、長い手足。

 福宮中学指定の深緑色のブレザーとグレーのズボンを、これほど完ぺきに着こなしている生徒は他にいないだろうってくらいきらきらとしたこの男の子は、なにを隠そう――わたしが心の底から推してる素敵なひとなんです!

「だ、だだだ、大丈夫! 自分で持っていけますからっ!」

「かなり重たそうだし、一階のゴミ置き場まで一人で運ぶの大変でしょ。遠慮しないで」

 突然の推しの登場、国宝級イケメンの顔面ドアップに、ものすごい勢いで心拍数をヒートアップさせていたら、いつの間にかゴミ袋を二つとも手に持たれてしまった。

 そ、そんな!

 瀬川くんにゴミ袋を運ばせるなんて、しのびなさすぎますっ!

 すでに廊下に出てしまった瀬川くんを、あわあわと追いかける。

「ま、待って! せめて一つでも持たせてくださいっ」

「んー。よくカン違いされるけど、僕、そんなにやわじゃないよ? こう見えて、きたえてるんだ。だから、このぐらいは余裕」

 ふわりとやさしい笑みに、またドキドキしちゃう。っていうか、汗という概念とはほど遠いエレガント生活を送っていそうなのに実は筋トレもしてるなんて意外だなぁかっこいい! 心の中の推しマル秘情報ノートに記しておかなきゃっ。瀬川くんはなにかと謎めいているので新たな情報が手に入るとそれだけでニマニマしそうになっちゃうの、表情筋を引きしめなきゃね。

 というか、あれ? そうだ、うまく言いくるめられそうになってる場合じゃなーい!

 彼の微笑みのまぶしさに危うく溶けそうになりながら、必死に言いつのる。

「瀬川くんが良くても、わたし的に申し訳なくてダメなんですっ!」

「そこまで言うなら、一緒に運ぼうか。一つだけお願いするね」

 手渡されたゴミ袋を手に持ちながら、一緒に階段をくだっていく。

「瀬川くんは、どうして教室に戻ってきたんですか?」

「折りたたみ傘を取りに戻ってきたんだよ。通り雨みたいなんだけど、結構、降ってきちゃって」

「うそ! そんなに降ってるんですか⁉ えぇ……傘、持ってきてないなぁ」

「そうなんだ。じゃあ、帰り道も僕の傘に入っていく?」

「へっ⁉ え、ええええと、そ、それは……」

 それって、もしかしなくても相合傘ってこと⁉

「黒野さん? 顔赤いけど、どうかした?」

 きれいな顔を無防備に近づけられると、ドキッとしちゃう。

 ちょ、ちょっと待って、なにこの状況?

 わかってますよ? ごらんの通り、瀬川くんは、疫病神のわたしなんかにも気にせず話しかけてくる、とっても希少な良いひとだ! だからこそ推しになったんだもの!!

 この申し出だって、彼の純然たるやさしさであって、まっしろな親切心だとわかってる。

「な、なんでもないですっ! あと、図書室に寄ってから帰ろうと思っていたから、傘のことも大丈夫! その……、ありがとうございます」

「そう? それなら良いんだけど」

 首をかしげて不思議そうにしている瀬川くんに、ちょびっとだけ罪悪感。

 図書室に寄る予定だったというのはウソだから……。

 光栄すぎる申し出だったけど、これ以上、彼のやさしさに甘えていられない。

 それに、相合傘なんてしたら、推しの過剰摂取で死んじゃいそうだからね! あっ、こっちの方が本音に近いかも。

 ゴミ置き場に向かうのに、校舎の外に出ると、たしかに土砂降りの雨だった。

 幸い、ゴミ置き場は校舎の裏口を出てすぐの場所。

 雨よけがついているので、濡れずにゴミ出しを完了することができてホッとした。

「本当に助かりました! 瀬川くん、ありがとう」

「ううん、大したことしてないから。……あのさ、黒野さん」

「はい?」

 瀬川くんは、迷うように視線を落とした。

 ざああっと、ゴミバケツをひっくり返したような雨音だけが耳に届く。

 居心地の悪い沈黙に、さっきまでとは違う意味でドキドキとしていたら。

 紅茶色の瞳が、覚悟を決めたように、わたしを見据えた。

「僕の聞き間違いじゃなかったら、さっき加藤さんたちから疫病神って呼ばれていたよね? ううん、さっきだけじゃない。様子を見ている限り、小学時代からずっと?」

 っ。

 顔がこわばった。

 まさか、瀬川くんにその話題を振られるなんて思いもしなくて。

 彼だけは、疫病神というあだ名のことを知っても態度を変えずに接してくれていたから。

 てっきり、噂とかには興味がないのかと思っていたけど……。

「……そうですけど。それが、どうかしましたか?」

 無理やり笑おうとしたけど、うまくできている気はしなかった。

「僕はなにがあったのか知らないけど、疫病神だなんて、ずいぶんとひどい言われようだよね。それなのに、黒野さんはどうしてなにも言い返そうとしないの?」

 まっすぐな視線。キリキリとしめつけられているように、心が痛い。

「その話は、瀬川くんに関係ないですよね?」

 他でもない彼に、こんな嫌な言い方はしたくなかったな。

 でも、瀬川くん相手だとしてもその話題には踏みこまれたくない。

「ねえ、瀬川くん。もしも、わたしが本当に疫病神だったらどうしますか?」

「……どういうこと?」

「ごめん、なんでもない。それに、心配してくださったなら、ありがとうございます。……でもね、わたしはそのことを納得してるんです。お願いだから、ほうっておいて」

 瀬川くんは、大きな瞳をまたたきながら、呆けていた。

「ゴミ出しを手伝ってくれて、ほんとにありがとう! じゃあ……、また明日」

 これ以上なんでも見透かしてしまいそうな彼の瞳に映っているのが怖くなって、逃げるように校舎の中へ引きかえした。

 あーあ。よりにもよって、彼のやさしさを無下にするなんて最悪も最悪だ。

 廊下の窓ガラスを叩きつける雨粒は、どんどん激しくなる。

 疫病神というあだ名は、彼が言ったとおり、小学時代についたものだ。

 わたしと梨花ちゃんを含む福宮第一ふくみやだいいち小出身の子たちが、別の小学校出身の子にも広めたんだろう。

 ひとの口に戸は立てられないというのは真実で、知らないひとからもそう呼ばれるようになるまではあっという間だった。

 もちろん、そんな不名誉なあだ名を、心の底から受けいれたわけじゃない。

 耳にするたびに傷つくし、弱っているときは泣きそうにもなる。

「でも……、わたしは梨花ちゃんを傷つけた」

 嫌われ者として過ごすのは、彼女の心を傷つけたわたしへの罰なんだよ。

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