第12話 セシャリクの興味 ※セシャリク視点
彼女がセシャリクの診療所に華奢な少年の手によって運ばれて来た時、彼は一目見て正直手遅れだと思った。
彼女の片手は肘から先が綺麗になくなっていて、一体どこから運んできたのかは分からないが少年の薄い体にも少女の体にも多量の血液がべったりとこびりつき、そしてそれはすでに乾いて赤黒く沈んでいた。
聞けば、移動中のトロールに踏み潰されたのだという。
その話を聞きその状態で右手だけで済み、その上まだ生きているのが奇跡だとセシャリクが思ったくらいだった。
トロールの群れに遭遇して今まで上手く逃げおおせた人間はあまり多くない。そのほとんどが、あの巨大な魔物に蹂躙され、踏み潰されて原型を残さず息絶えるのが常だ。
だが、この少女は生き延びた。
――しかし、手術用のベッドに寝かされたその少女は言葉ひとつ発する事もなく、ただトロールに踏み潰され消失してしまった右腕の肘から先を無表情に近い顔で見つめていた。そのなんの感情も写さない彼女の瞳は出血多量に寄るショック状態のように彼の目には見え、手遅れだと感じたのだ。
とはいえ、喪った右腕に止血の為かきつく結ばれている少年が着ていただろう粗末な上衣にはそこまでの出血は見られず、その事を不思議に思いながらもセシャリクは助手をしている女性に必要な薬や道具などを持ってくるように指示を出した後、少女ではなく、少年の方へと視線を向ける。
「……申し訳ないけど、その手を離してくれるかな。腕の状態を診て治療をさせて?」
華奢な少年が心配そうに自身よりも体格のいい妹に寄り添い、その喪失した腕にずっと手を当てているのを見ながらそう優しく声をかける。
すると、少しだけ少年は戸惑う様な素振りを見せた後、口の中でなにかを呟き、ゆっくりと妹の腕から手を離した。
途端に、じわっと腕に巻いている上衣に血が滲み始め、あっという間にそれは布を真っ赤に染めると手術台の上に血溜まりを作り始める。
その事にセシャリクは少しばかり驚き、様々な道具が置いてある台の上から止血ベルトを急いで取ると筋肉がしっかりとついた太い腕へ巻き、かなりきつめにそのベルトを嵌めて止血をした。
てっきりきつく結ばれた上衣で止血が出来ているのだとばかり思っていたが、どうやらそうではなく他のなんらかの方法で出血を抑えていたらしい。
一体どういう方法を使ったのか。その事が酷くセシャリクの興味をそそる。
あまり学がありそうにはないが、この少年はどこかで回復魔法などを習ってそれを彼女に施したのだろうかとも思う。
しかしそれならば、彼が手を離した瞬間に止まっていた出血がまた流れ始めたのはおかしな話だった。
「……シス、えっと、妹は大丈夫?」
ぼたぼたと零れ落ちる血の量に、本人よりも兄である少年の方が顔を青くしてそう聞いてくる。
それにセシャリクは安心させる様に小さく頷きながらも思った以上に重傷であると感じ、早急な手当てが必要だと感じる。そして、この大怪我を負って、今の今まで少年に支えられる形ではあったが、しっかりと立って歩いていた目の前の少女の強さと気丈さに舌を巻く。
しかも今こうしてかなり強く止血ベルトを巻いても、その顔は眉ひとつ動かないのだ。
その事に内心でセシャリクは強いショック症状でもうなにも感じていないのだろうかと思いながら、助手が急いで用意してきた手術道具などをざっと確認した後、少年に部屋の外に出るように促し、清潔な手術着へと着替える。
そして体格などから推測した体重に合わせた量の麻酔薬を注射器に吸い上げると、少女の止血している腕へと打つ。
「これで痛みは感じなくなって眠くなると思うから、ゆっくりと休んで」
言葉ひとつ発さない少女に向けてセシャリクが優しくそう声をかけると、ようやく視線が自身の右腕からセシャリクへと向き、その鋭い双眸がじっとセシャリクを見つめた後ゆっくりと口を開いた。
「……戻らない、のか?」
少女の声にしては低く掠れた声が諦めを含んでセシャリクにそう尋ね、彼はそっと瞳を伏せる。
「申し訳ないけど……元の腕が無い状態では……」
少しばかり言葉を濁してもう元には戻らないと伝えると、少女はくるりと瞳を回した後小さく「そうか、わかった」とだけ言ってその瞳を閉じた。
あまりにも冷静そのものな少女の態度、そして明瞭に話す言葉に、先程の少年が彼女を連れて来た時に受付へ伝えた少女の年齢を思い出して、セシャリクは患者としてではなく彼女そのものに興味を持つ。
自分の腕の事だというのにこの診療所に来てから一度も彼女は泣いたり、痛みに顔を歪めたりはしていなかった。
最初はショック症状のせいで表情が抜け落ちているのかと思ったが、どうやら違うらしい。
彼女はもうすでに腕が元に戻らないとしっかりと理解し、そして恐らくかなり痛んでいるその痛みさえも耐え抜くことが出来る強い精神力と耐久力を持っているのだと理解する。
そして、この少女を連れてきた少年へも、セシャリクは強い興味を惹かれた。
彼が彼女の腕を触っている間、不思議なくらい出血は抑えられていたが、彼が手を離した瞬間にまるで圧迫止血が外れたかのように流血し始めた。
先程も思ったが、なんらかの魔術を使ったにしては術者が離れた事でその効能が消えてしまうのは解せない。
しかも、その止血の為に巻かれていた彼の上衣を切り裂き、その傷口を見てセシャリクは本心から驚く。その傷口がトロールに踏みつけられたとは思えない程、恐ろしく綺麗な平らに切られていたからだ。
その傷口は人為的に切り落とされた物で、恐ろしく切れ味の鋭い刃物でないとこうは切れないだろう。――例えば、今自分が握ろうとしていた手術用のメスのような。
そして、それをしたのは確実にあの少年であろうことが推測できた。
だが、どうやってここまで綺麗な切り口にしたのかが分からない。
彼らの荷物は診療所に駆け込んできたときに、受付が預かり、そこで一通り中身の確認をしている。しかし、あまり上等ではないナイフなどはあったが、彼女の腕をここまで綺麗に切り落とせるような刃物は発見されていなかった。
更にはセシャリクだからこそ気が付いた事だが、患部を長時間――恐らくトロールに踏み潰され、傷口を平らに切り落とした後からここに運ばれるまでの間――どうやら軽く凍らされていたような痕跡が残っていた。
壊死をしないようにと、かなり精密に温度調節しながらずっとそこへ氷を当て続けて圧迫止血と共に、細胞の活動を抑えていたと分かるその腕の状態に内心セシャリクは舌を巻いた。
どこからどう見ても医療知識などなさそうな先程の少年がずっと、彼女を失血死させないようにと、どういう手段を使ったのかは分からないが恐らく氷ではなく、この腕そのものを半ばまで凍らせていたのだろう。
――もし、彼女の腕がトロールに踏み潰されたのではなく、なんらかの器具などで切り離された形であったのなら、ひょっとしたら彼しか知り得ないその方法を使ってその腕さえも凍らせて持ってこられたのではないか。
そんな推測を頭の中で組み立てながら、セシャリクは彼女を助ける為に改めて必要な道具を傍に置く。
「……これは興味深いな」
麻酔薬が効き、寝息を立て始めている少女の寝顔を眺めた後、セシャリクは緩く微笑むとその腕の治療――正確には傷口の縫合を始めた。
その断面は驚く程綺麗に切り取られているお陰で、最初に想定していた手術よりもかなり短時間でその処置は終わり、改めてセシャリクはこの少女を連れてきた少年に強い興味を持った。
また本来ならば、トロールに腕を踏み潰された時点でショック死していてもおかしくない上に、この乾季中の移動で気が立っているだろうトロールと鉢合わせて腕だけの損傷で終わっているこの少女にも――。
一体どうやってこんな大怪我を負った状態で、トロールの群れから逃げ出したのか。
「――ゆっくり聞き出すのもおもしろそうだね」
丁寧に傷口を縫合し終え、セシャリクはそう口の中で小さく呟いた。
少年の名はアニーシャと言った。そして、連れて来られた妹はリュシス。
リュシスは腕が回復するまで診療所に併設されている病棟に入院する事となり、そのついでという形でアニーシャは宿に泊まる程の金子を持っていなかったという事もあり、暫くセシャリクの自宅の方へ泊るように、と半ばセシャリクの独断で決まり、数か月間診療の仕事の後は彼と過ごす時間が出来た。
この兄妹が一体どういう経緯でこんな辺境の村にまで旅をしてきたのかは、興味もなく特に聞くことはなかったが、それでもなにか訳がある事はすぐにわかった。
ぼろぼろの服、汚れた体、ほとんど手持ちの金子はなく、妹の方はしっかりと筋肉が成長しているが、兄の方は年齢の割にまるで少女の様な細さでたいして食事も摂れていなかったのだろう。
また、その持ち物の多くは魔獣や獣、そして――人間の血で汚れていた。
セシャリクが診療所を構えているこのカシューの村に来るまでは、魔獣が跋扈する山をひとつ超えないといけない。それをこの年端もいかない兄妹がどうやって超えてきたのかは分からなかったし、あえて聞き出す気もなかったが、そこになんらかの秘密があるのではないか、とセシャリクは考える。
そして、リュシスは入院中、ほとんど看護人の問い掛けに簡潔に答えるだけだったし、アニーシャは人懐っこく良く話もするが、その瞳の奥に自分と同じ色を滲ませて人間を見ている事にセシャリクは気が付いていた。
――そう、人間を
人懐こい笑みを浮かべながら、その内面を値踏みし、どう利用しようかと計算をしている瞳。またリュシスも似た様な瞳を持っていた。
その瞳を見るにつれ、この兄妹にはなにか恐ろしい秘密がある。
そうセシャリクは確信する。
そして、恐らくきっと自分と同じく教会の教えから遠く離れた≪
人間に対してセシャリクが興味を持つというのは珍しい。彼にとって『人間』とは、脆弱で、怠惰で、自分勝手な生き物だ。それ故に自身の知的好奇心を満たす為に存在しているような使い捨ての道具でしかなかった。
それでもこの兄妹に対しては、生まれて初めてと言っていい程、道具としてではなくその存在自体に強い興味と共に、なにか懐かしいようなそんな心を惹かれる魅力があり、セシャリクはそんな自分にひっそりと笑う。
この広い世界で、
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