第11話 アニーシャにとっての『特別』
アニーシャにとって、いつからか自分に関わってくる人間は、性別や年齢など関係なく基本扱いやすい人間ばかりになっていた。
アニーシャが微笑めば大抵の人間はその笑みに見惚れ、どうにか取り入ろうと躍起になる。
――つまりは、アニーシャにとって大抵の人間は手玉に取りやすく、自ら
しかもセシャリクと知り合った事で、彼のして来てた事はただの快感を得る為の殺人ではなく、臓器移植の為、という大義名分も出来た。
現在の言葉でいえば、アニーシャは間違いなくシリアルキラー、快楽殺人鬼と呼ばれる存在だっただろう。
それでもセシャリクと知り合い、彼の為に人を殺し、その器の中にある使えそうな部位を腑分けして彼の元へと運ぶのはただ人を殺していくよりも意義がある事のように思えていた。
それに、アニーシャからすれば人を殺して金子が貰えるという趣味と実益を兼ねる事になったのは彼の中で大きな意味となっている。
人を殺す事に対してアニーシャはなんら心が動かない。
彼にとって、殺人は必要に迫られて家畜などを殺すのと同じ感覚だった。
己の中に湧き上がるどうしようもない血と肉への渇望を、潤し、満たすのは結局のところ
自分が何故こうも人を物の様に扱えるのかについて彼は孤児院に入り、自身の言葉で思考をするようになってからずっと考えている。
だが、いくら考えたところで、彼にとって多くの人間はそこら辺にある石や草花のようなどうでもいい存在でしかなく、孤児院で神の教えとやらを嫌という程シスターや神父に説かれたものの、理屈としてその教義や人の道とは……という物を理解はできても心でそれを理解する事は出来なかった。
だが、そんなアニーシャにも例外があった。
それは妹のリュシスだ。
難産の末、こと切れた母親の膨れ上がった腹をアニーシャは自身の能力を使い裂き自分の手で取り出したその妹は、アニーシャにとって何にも代えがたい宝物のような存在だ。
自分よりも遥かに体格も大きく、今では筋肉もしっかりと発達し、その身体能力と炎を操る力で誰にも守られる必要などない程に強く逞しくなっている妹を、それでもアニーシャはずっと守り続けたいと思っている。
彼女がいたからこそ、多少はその身の中に人としての感情をアニーシャは持ち続ける事が出来ていた。
――もちろん、やっている事は当の昔に人の道を外れてはいるのだが。
だが、それでもリュシスに対する感情だけは、人としての物だった。
そして、もう一人はセシャリク。
彼もまた、リュシスに対する特別とは全く意味合いは違うがアニーシャにとっては特別な存在だった。
彼とは体の関係も持ち、体の相性もいい。だがそれは決して恋愛感情の様な甘く人間らしい感情に基づくものではない。
しかしアニーシャの人生の中で唯一自分の微笑みを見ても、甘えた態度を見せても決してその心を自分に向ける事などないのが初めて会った時から分かっていた。
彼は自分と
そして、恐らくセシャリクも同じことをアニーシャに感じ取った筈だ。
彼もアニーシャと同様、人間に対して基本なんの感情も持たない。
上手く誤魔化してはいるが彼も人間としての情がすっぽりと抜け落ちている。
それなのに彼は人間社会の中に上手く溶け込み、いつ身に着けたのかは知らないが人を労わるという行動にとても長けていた。
そして異常なほどの知識欲、探求心。それらが向かうのは人間の感情ではなく、その中身と生命活動がどう密接に繋がり合っているのか、だった。
お互い人間に対して何も感じない者同士、有る意味で惹かれ合い、互いにとっての『特別』になるのにそう時間はかからなかった。
***
セシャリクの診療所と棟続きにある彼の自宅にある浴室でアニーシャは広々とした湯舟に浸かりながら目の前で体を清めているセシャリクを眺める。
医者や学者という肩書を持つにしてはしっかりと鍛え上げられた体に、あちらこちらについた傷。とりわけ左足の膝下からくるぶしの所まで一直線に入っている傷を見て、人為的につけられたであろうそれについて聞いたことが無かったことをアニーシャは思い出す。
「せんせ」
気になった事はとりあえず聞いてみようとそう甘えた声でセシャリクに声をかけると、桶に入った湯をその体にかけながらセシャリクが視線だけでアニーシャの言葉の先を促した。
「その左足。自分でやったの?」
湯の中から手を出してセシャリクの左足についている傷を指さす。
すると一度視線をその足へと向けた後、セシャリクは微笑んだ。
「……一度傷ついた神経をどう繋げられるか、試してみたかったんだ。自分の体で」
何事もないようにそんな常人では思いつかないような事を口にし、アニーシャは目を瞬く。
セシャリクの事を理解はしているが、それでも自分で自分の足を切り開き、その中にある細かい神経を繋げるという作業を一人でしたのかと思うと、その集中力や精神力が桁外れに人間離れしている事にさすがに驚きを禁じ得ない。
恐らく相当な痛みを伴い、出血もし、数刻にも及ぶその自身の足への手術を一体どうやってこなしたのか。
その事に驚きつつも、一方で酷く関心してしまう。
……やっぱりせんせは私達と
そんな事を思っているアニーシャにセシャリクは言葉を続ける。
「でも、当時はまだ技術が未熟でね。上手く神経を繋げられなくて今でも少し動かし難い。……その事は君も良く知っているよね」
懐かしむ様に笑いながら自身の左足の傷をその指先でなぞった後、なんらかの意味を含めた視線をアニーシャへと送る。
その視線の意味に瞳をくるりと回した後、アニーシャはふふっと艶のある笑みを漏らす。
普段は左足が不自由なようには見えないが、行為の最中に彼が少しばかり左足を庇う様に動くのをよく知っているのだ。
「私はせんせのそのぎこちない動き、一生懸命、って感じで好き」
「君にそう言ってもらえると助かるよ」
くすくすとセシャリクは笑い、そしてアニーシャの隣へと身を寄せるようにして湯舟に入ってきた。
男二人で浸かっても余裕があるように設えられている浴槽に、体を寄せ合う様にして二人は並び、まるで恋人同士の様にセシャリクの肩にアニーシャが頭を持たれかける。
「……いつか私達もせんせの実験に使うの?」
甘える様な仕草とは裏腹に、アニーシャが口にしたのはそんな言葉で。それにセシャリクは優しく微笑むとアニーシャの形の良い頭を抱き寄せその額にキスをする。
「まさか。君達は特別だからね。――確かに色々と普通の人間と違う君達だから、興味深い部分はあるけど、大切な人を
濡れているアニーシャの長い髪を湯舟の中からひと房掬い取り、まるで約束をするようにその髪にセシャリクは口づける。
その姿をアニーシャは見ながら、心の中でそっと嘘吐き、と呟く。
確かにセシャリクにとって自分達は『特別』なのだろう。だけど、自分と同じように他人に対して決して本心から心を許す事のない目の前の男が、自分達をどんな風に見ているかなんてわかりきっていた。
それでも今はお互いに利用価値があり、利害関係も一致しているから何もする気はないだけだ。そうアニーシャは知っている。
「――でも、もし」
アニーシャの髪の毛や額、頬にキスを降らせながらセシャリクがゆっくりと口を開く。
その言葉にアニーシャは視線を上げ目の前にある優し気な瞳を見返した。
「もし、君達がなんらかの災厄で亡くなるような事があれば、その時はその体を解体し隅々まで調べさせて欲しい」
まるで愛の言葉を囁くようにセシャリクはアニーシャの耳に唇を這わせながらそんな物騒な言葉を囁く。
耳に這う舌の感触にアニーシャが瞳を細めた後、ふふっと笑い、セシャリクの首に腕を回すと頷いた。
「いいよ。せんせの好きにして。私のナカをその手で暴いて、蹂躙して」
くすくすと笑い、アニーシャは恐ろしく妖艶な笑みを浮かべた後、自身からセシャリクに顔を寄せてその唇に甘く自分の唇を重ねる。
その言葉はアニーシャにとって、珍しく見せた本心だった。
――そう、自分が死んだ後になら、この男にこの体をどう使われても構わない。
それくらいには、アニーシャに取って彼は『特別』だった。
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