第10話 きっかけ R15/R15G程度の残酷・暴力あり

 リュシスが始めて人を殺した日。

 上半身裸で血の海の中にいた所を発見したのはアニーシャだった。

 養子縁組を求める男性と共にリュシスの面会をしようと幼児がいる部屋へと向かったもののそこにリュシスの姿はなかった。その事に嫌な予感を覚えたアニーシャはいつも自分達に陰湿ないじめをしてくる子供たちを問い詰め、リュシスのお気に入りのおもちゃを隠した事、それを探して彼女が森の中に入っていくのを見たという情報を手に入れると、シスターの制止を無視してアニーシャは急ぎ森の中へと入っていった。

 そしてリュシスが歩いたと思わしき痕跡を辿り、森の奥深くにある小屋へと辿り着いた頃にはすっかり日が暮れていた。

 それでも森を切り開いてできている小屋の周りの広場には満月であることが幸いし、煌々と月の灯りが降り注ぎ、朧気ながらもその場所で起きたことを照らしていた。

「リュシス!」

 広場の片隅、月明かりに浮かび上がっている人影が最愛の妹だとすぐに気が付き、アニーシャは駆け寄る。

 そして月明かりの下でもはっきりと全身を朱に染め上げていると分かるリュシスの姿に一瞬息を飲んだ。

 それはその姿に恐れをなしたからではない。

 まだ子供体型のリュシスのその上半身は孤児院を出た時には着ていた筈の着衣を纏っておらず、その浅黒い肌が露わになっておりそこにべったりと血肉が付着していた。その姿を見て、アニーシャはリュシスが生まれた日のことを思い出したからだ。

 あの日、出産の途中で事切れてしまった母の腹を割いてリュシスを取り出したのはアニーシャだった。その時アニーシャはまだ2歳。本来ならばそんな事を意図的に出来るはずがない年齢ではあったが、アニーシャはその時のことを鮮明に覚えているし、自身の意思でもって母の腹を割いたこともよく覚えている。

 そして取り出したまだ小さな赤子だったリュシスが母親の血に塗れたままアニーシャの腕の中で大きな泣き声を立てその命の力強さを見せつけ、赤に染まっているそのしわくちゃな顔を酷く愛おしく思った事が記憶にしっかりと刻まれていた。

 その命の脈動の美しさと、母親の血に塗れた死の美しさがきっかけとなりアニーシャの中にひとつの強い渇望と欲望を生み出した。

「……どう、したの? シス」

 真っ赤に染っている妹に喘ぐような声で尋ねる。

 するとリュシスはゆっくりとアニーシャを見たあと、ひとつ瞬きをした。

 それはまるで今アニーシャの存在に気がついたかのように。

「アニー」

「シス、その血はなんの血?」

 まだ舌っ足らずな声でリュシスが兄を呼ぶと、その肩をアニーシャが掴み月明かりを反射してキラキラと輝く瞳でリュシスの顔を覗き込む。

 それにまたリュシスは目を瞬いた。

 そして自身の体を見下ろして、確かに馬乗りになって殴っていたはずの男の頭が跡形もなく消えているのに気が付き眉根を寄せる。

「壊した」

 アニーシャの問い掛けに言葉少なくそう答え、改めて視線で自分の体の下にある男の体へアニーシャの視線を誘導させる。

「服、壊された。だから壊した」

 頭のなくなっているにされた事を思い出しながら自分がしたことをそうアニーシャに説明すると、彼は少し険しい顔になる。

 リュシスが着衣を纏っていない理由を理解したのだ。

 年端もいかない最愛の妹にこの物を言わなくなってしまった男がどんなことをしたのかを考えるだけでもアニーシャの中で怒りが湧き上がる。

「……そいつだけ?」

「たくさんいた」

 リュシスはまだ数をきちんと数える事が出来ないため5以上の数は「たくさん」と答える。その答えを聞き、兄はまた眉根を強く寄せると辺りをぐるりと見渡し、今リュシスが跨っている男以外にもう1人の亡骸を認めると暗い森の中へと視線を走らせる。

 ここにある死体以外にも最低でもあと3人はこの場に居た、と考え、後でシスターたちにこの場所を根城にしている人間たちの事を聞こうと考える。

 どこまで彼女たちがここにいた男達の事を知っているかは分からないが、それでもなんらかの手掛かりは得られるだろう。

 シスターたちが知らないのならば近隣にある村で訪ねて回ればいい。

「……」

「服、壊した。怒られる」

 リュシスに何かをしようとした男達をどう探すかと、考えに耽っている兄にリュシスが少しばかり唇を尖らせていう声が聞こえ、意識をまた最愛の妹へと向け直す。

「大丈夫。シスターたちには私が上手く説明するから。それよりもシス、体を綺麗にしようか」

 にこりと微笑み、リュシスの体にこびり付いている男の血肉を落とそうとその手を引いて立たせる。

 そして小屋の傍にある井戸へと手を引いて連れていきそこから木桶に水を汲むと、アニーシャは手を木桶にかざし意識を集中させる。するとゆらりと木桶の中の水が揺れ、ゆっくりと持ち上がっていく。

「少し冷たいかもしれないけど、我慢してね」

 リュシスにそう伝え、頷いたのを確認するとアニーシャが持ち上げた水をゆっくりとリュシスの体を覆う様に移動させていく。木桶の中の水はそのアニーシャの意識の望むままにまるで生物の様にゆっくりと動き、リュシスの体に絡みついて行った。

「……んっ」

 触れた水の冷たい感触にリュシスが小さく喉を鳴らす。

 その声にアニーシャは視線を少しリュシスから離すと、それでも集中を途切れさせる事無く自身の持つ力で血塗れの妹の体を清めていく。手で優しく彼女の肌を撫でる様に水を動かし、すでに乾きこびり付いている血と肉をふやかして浮かし水の中に取り込んでいった。

 リュシスの顔や髪の毛も、そしてズボンも操る水が凶器にならないようにと細心の注意を払いながら洗い、綺麗になったところでリュシスの体から水を離していき、少し離れた場所へとその汚れの混ざった水を捨てる。

 人を殺すのは簡単でも、こうして殺さないように、その肌を一ミリも傷つけないように細心の注意を払って力を加減をするのは初めてでリュシスの体がすっかり綺麗になるまでそれを続けた後のアニーシャの額には玉の様な汗が浮かんでいた。

 もっと力の使い方を練習しなきゃ、とそんな事を思う。

 軽く肩で息をしながらリュシスの体が綺麗になったのを認め、大きくアニーシャは息を吐く。

「はい。綺麗になったよ。着られるもの探してくるからちょっと待ってて」

 額に浮かんだ汗を手の甲で拭いながらリュシスに微笑み、アニーシャは休憩することなくそう言い残すと小屋に向かって走っていく。

 その途中に酷く着衣が乱れ、下着もずり下された状態ですでにこと切れている少女の遺体を見つけ、アニーシャの眉が強く寄った。下手をしたらリュシスの遺体もこの少女の横へ並べられる事になっていたかもしれないのだ。

 その事にまたふつふつと怒りの感情が湧き上がるが、アニーシャは一度大きく深呼吸をすると気持ちを切り替える。

 そして鍵のかかっていない山小屋の扉を開き、勝手知ったるといった手合いで小屋の中に入ると、比較的綺麗そうな男達の衣類を漁り、リュシスの体格に合いそうな物を選ぶとそれを手にリュシスの元へと急いで戻る。

 いつまでも妹の裸を夜気に晒していたくなかった。

「さ、これを着て、私と一緒に帰ろう?」

「ん」

 渡された服に少し顔を顰めたもののリュシスは小さく頷くとそれをもそもそと着る。体格の良い大人の男の服はリュシスにはまだ少し大きかった。

 彼女が着替え終わるのを待って、アニーシャはリュシスの手を引いて辿って来た道をまた戻っていく。

 ――また明日、リュシスと共にこの場に戻って後始末をしなければ、と思いながら。


 翌朝。

 孤児院での朝食の後、アニーシャはリュシスを連れて昨夜の山小屋に戻って来た。

 そこは昨夜と変わりなくただの物言わぬ肉塊となった男と、首があらぬ方向に向いたままの男が無残にも放置されていた。

 あの後この山小屋を根城にしていた人間が誰一人となく戻ってきていないことにアニーシャは呆れた顔をした後、リュシスに残っている死体を自分の能力を使って焼くように伝える。

 それに頷いた後、リュシスは頭がなくなっている肉塊の所までもう一人の亡骸の足首を掴んで運び、普段は自分の中に封じている炎でその二体の遺体を覆い尽くす。ほどなくその形は全てが灰となり、吹き抜ける風に乗って森の中へと霧散していった。

 また山小屋の傍で放置されていた少女の遺体は、シスターたちから教わった神に捧げる聖書の言葉を手向けにして、深く掘った穴へと埋め手厚く葬る。

 人を救う神など信じてはいない二人だったが、それでもこの少女にはそういう儀式が必要だろうと思ったのだった。


 その後、シスターや近隣の村人から情報を得たアニーシャは度々一人で出かけ、そして戻ってくるとリュシスを連れて出掛ける事が増えた。

 いつしかその森の中で狼藉を働いていた男達は誰一人姿を見せなくなり、その森の中や近隣の村々にも平穏が訪れる。

 突然消息を絶った山賊まがいな事をしていた男達に対して、近隣の村人たちの間では他の地域へと移動したのだろうと、ただそんな噂が少しだけ立っただけでその真相は誰一人として知る事はなかった。


 リュシスとアニーシャを除いて。


 ――そしてこの事がきっかけとなり後々二人が人を殺めた後の処理方法が決まった。

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