第8話 リュシスとセシャリク

 リュシスはセシャリクが少しばかり苦手だった。

 基本雇われ傭兵として各地の領主や貴族に雇われ、戦場に駆り出されることが多いリュシスの周りはおのずと学のない荒くれ男ばかりになる。その言動に辟易する事も多い粗野で粗暴な男達ではあるが、腕っぷしがモノを言う世界に身を置いているだけあって話は早く何を考えているのかも分かり易かった。

 だが、セシャリクは品が良く、穏やかで、思慮深く、教養がある。またその顔立ちも戦場ではほとんど見ない程整っている。

 そんな自分が身を置いている場所にいる男達とは全く正反対と言ってもいいセシャリクのような男はリュシスからすれば何を考えているのかが分からず、そしてなにより自分を『女』として扱ってくるのが苦手だった。

 基本多くの人間はリュシスを『女』として扱いはしない。そこら辺の男よりも余程体格が良く、筋肉がついた肢体を持つリュシスは一見『女』には見えず、その身体能力の高さや、戦場で喜悦を含んだ笑みを口元に浮かべ数多の人間を殺戮していく姿は『女』どころか人間離れしているせいだ。

 それにも関わらず、セシャリクはアニーシャ以外で唯一リュシスを『女』……つまりは『女性』として紳士的な対応をする為、どう反応していいのか分からないのだ。


 そしてもうひとつ。

 彼を苦手だとする理由がリュシスにはあった。



 先日までいた戦場で負った背中の傷を、アニーシャからセシャリクに診て貰えと何度もうるさく言われ、渋々セシャリクの診療所を訪れ、今リュシスは診察室の椅子に大人しく腰かけている。

 衣服を脱ぎ、その背中にできている弓矢の傷を診せると、セシャリクが小さく「あぁ……、これは酷いね……」と痛ましさを滲ませて呟くように言い、そっと指先で傷口の周りに触れる。

 肌の色が変色し膿んでいるその傷口は、明らかに毒物となんらかの魔術による傷で、セシャリクは内心小さく溜息を吐いた。

 普通の人間であればきっとこの傷を受けて数刻もすればその命は潰え、物言わぬただの肉塊と化していただろう。

 致死性の毒と、人の命を刈り取る魔術での傷。恐らく、これは対魔族用の武器でつけられた傷だろうとセシャリクは推測する。そして、対魔族用、という事はリュシスを殺す為に作られたものだと考えた方が早い。

 リュシスが戦場へ出る様になって三年程度だが、彼女は『赤い悪魔』として巷では噂となっており、この大陸の領主や各国の国王に不死身の傭兵化け物として有名だ。どんなに傷を負ってもそれを苦にする事無く戦場を駆け巡り、雇い主の敵である領地の兵士を無残に、無慈悲に葬っていく。

 そして傭兵として働き始めた頃、リュシスはその身に宿る人ならざる力を使ってあっという間に敵国の兵士を跡形もなく灰にした事があった。

 そのせいでリュシスは一度、人間ではなく魔族、魔女だとしてあわや処刑されそうになった事があった。その時はその国の有力者や関係者などが軒並み謎の失踪を遂げ、彼女は結果として投獄も、極刑も免れている。

 それ以降リュシスは、人と戦う時は基本自身の能力を封印してその身体能力のみで戦っている。

 だが尋常ではない身体能力の持ち主でもあった為、彼女が人間ではなく魔族の類だろうというのはずっと囁かれていた。

 だからリュシスを殺す為に致死性の毒と、命を刈り取る魔術をかけられた弓矢で彼女は狙われてしまったのだろう、とセシャリクは考える。

 いつかこんな日が来るとセシャリクは予測をしていたが、思ったよりも早くその日が到来した事にもう一度心の中で小さく溜息を吐く。

「……早く診せに来てくれて良かったよ。もう少し遅れていたら命に係わるところだった」

「そうなのか?」

「あぁ、これは毒と魔術によって出来た傷だ。同じ矢で射抜かれた他の兵はどうなった?」

 リュシスの背中の傷を丁寧にアルコールで消毒しながらセシャリクは尋ねる。

 その質問にリュシスは瞳を一度くるりと回し記憶を辿るような表情をした後ゆっくりと口を開く。

「かすった奴でも数刻持たず、死んだ」

 特段なんの感情もなくただ淡々と事実だけを述べたリュシスに、セシャリクは小さく笑うと薬草をすり潰して作った特製の傷薬をその傷口に塗り込んでいく。びりびりとした痛みがその傷口からリュシスの体に走るが、彼女の表情にはなんら変化はない。

「そうだろうね。普通の人間は持って半時だと思う。恐らくだけど、この弓矢はリュシスくんを殺す為に作られたものの可能性が高い」

「そうか」

 自分を殺す為の武器で狙われていた、という話を聞いてもリュシスの表情は変わらず、ただ小さく頷いただけだった。

 その情報はリュシスにとっては特に真新しいものではないからだ。金さえ積まれれば、昨日までは敵だった領主の元で働くことも厭わない為、重宝もされはするが同時に恨まれ、疎まれ続けている。

「……傭兵はまだ続けるのかい?」

「実入りがいいからな。どこの領主も領地を拡げる為に、こぞって悪魔に金を出す。それに戦場で人をぶった斬るのが性にあってる」

 リュシスの身を案じる様に訪ねてくるセシャリクに、そう答えると義手となっている右手を見下ろし口の端を吊り上げて獰猛な笑みを浮かべる。この手で人を切り裂き、その血潮を体に浴びるのがリュシスはこの上なく好きだった。

 ――最も、その瞬間は好きなのだが、その後、自身の体や義手に飛び散った肉片と血飛沫の処理に手間がかかり、それについては面倒臭いとは思ってはいるが……。

 それでも戦場で大勢の男達を相手に自分の力でその命を刈り取っていく事は、リュシスにとって快感だった。

「――そうか。それならせめてアニーシャくんにあまり心配はかけないようにね」

 リュシスの答えに何かを言いたげな表情はするもののセシャリクはそれを強く否定する事はない。ただ、小さく溜息を吐き、リュシスの大きな背中につけられた傷や無数の傷跡を見てひっそりと眉を寄せるだけだ。

 セシャリクも長い付き合いの中、医者としてリュシスの性分やその身の内に飼っている暴力への飢えを良く知っている。

 だからこそその欲望や欲求を抑える事は出来ないとも理解していた。

 それでも、と思う。

 こうしてリュシスを殺す為の武器でついた傷を診てしまうと、口には出来ないがセシャリクとしては心配にもなってしまう。

「……魔術での傷でもあるから、回復術もかけておくよ」

「回復術……」

 そしてセシャリクが続けて言った言葉にリュシスは少し嫌そうな顔をして顔だけをセシャリクに向ける。それに微笑んで見せ、痛々しくえぐられ内側から腐敗し膿が滲む傷口にそっと手を添えると、小さく口の中で回復を促す呪文を唱え始める。

「命を司る女神よ、命を育み助ける大地の神よ我の願いに応え、生命の力を満たし給え――」

「おい、セシャリク」

 そして唱えられた呪文に更にリュシスが嫌そうな顔をしてその詠唱を止めようとするも、セシャリクの手が仄白く輝くとリュシスの傷口にその光が注がれる。

 途端にリュシスの体にはぞわっと怖気が走り、体中の細胞が沸くような、ばらばらになるような不快感が襲った。

「……っ、ぐ」

 痛みでは一切その表情に変化が訪れないリュシスの顔が歪み、小さく喉の奥で呻く。そして吐き気を抑えるように左手で口を覆い、ぶるぶるとその巨体を震わせた。

 その姿を見ながらセシャリクは、可哀想に、と思う。

 どういう訳かリュシスは聖なる力や、白魔術といった類のものは苦痛らしい。それはアニーシャも同じで、この二人の出自に対してセシャリクは強い興味を覚えていた。

 それでも聖なる力や白魔術が効かない、という訳ではないのがまた不思議だった。

 苦痛や強い不快感を覚えてはいても、その術は確かに効き、状態は良くなるのだ。

 回復術をかけ終わるころにはリュシスの顔は色を無くし、脂汗がその額に浮かんでいる。肩で荒く息をし、色のなくなった唇を噛んでいた。

 そんな彼女の頭をセシャリクは慈しむように抱き締め、幼子にする様に優しく髪を撫でて慰める。

「嫌な時間だったね。だけどもう終わったから大丈夫だからね」

 労わるような言葉をもセシャリクがリュシスの耳元に囁き、その手の温かさと、込められた感情にリュシスはますます顔を歪め、改めて彼に対して苦手だと感じるのだった。

 恐らくセシャリクは本心から心配してくれているのだろう。そして下心などなくこうして抱きしめてくれている。

 だが、自分やアニーシャと同じく他人に対して心を動かされることなどない冷血な男だとリュシスは良く知っているだけに、セシャリクが自分の事を本心から心配をしている、というのがどうにも薄気味悪いと感じるのだ。

 しかもその手は温かく、かける声はどこまでも穏やかで優しく慈愛に満ちていて、その手が、声が、腕の中が心地よいものだと錯覚してしまいそうになる。

(とんだペテン師だ)

 セシャリクの腕と体を押し返しながらリュシスはそう思う。


 リュシスにとってその錯覚は酷く居心地が悪く苦手で、そしてその感情のままセシャリクを殺すわけにもいかないのがまた腹立たしいのだ。

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