第4話 アニーシャ

 アニーシャがリュシスと共に孤児院に送られた後、数年はまだ二人共幼子だったからか他の子どもたちと同じように扱われ、ある程度平穏な日々を送れていた。

 生い立ちのこともあり『可哀想な子供たち』と預けられた孤児院のシスターたちは同情的であり、先に居た孤児院の子供たちも、言葉もおぼつかない2歳児とただ乳を飲むだけの赤子相手には、また一緒に暮らす相手が増えた程度の認識でそれなりに可愛がられたり、構われたりしていた。

 そのお陰か2歳になるまであまり発話が出来なかったアニーシャも順調に言葉を覚え、自身の感情や考えを人に伝えることが出来るようになっていき、幼児特有の多少の軋轢はあったものの、概ね平穏な日々ではあった。

 それが変化していったのはアニーシャが5つの歳を数えてからだった。

 養子を迎えたい、とやってくる大人たちの目にアニーシャはとても魅力的に映ったらしい。――良くも悪くも……。

 最初は誰しも美しい少女だと思い、アニーシャと良好な関係を築こうと近寄ってくる。だが、その美少女が少年であったことにまず驚く。更にはリュシスという妹がいて、さてこの美しい少年の妹ならばさぞやまた愛らしく可愛らしい幼児であろう、と、二人共を引き取るつもりでシスターに頼み込みリュシスにも目通りする人間は後を絶たなかった。

 シスターたちからすれば、その申し出は嬉しい反面、リュシスの存在を知られてしまうのは引き取り先が消える事を意味していた為、どうにかアニーシャだけで、とも思ってはいたが尋ねた人間達にその複雑な思いは伝わらない。

 だが幼児たちが集まる部屋へと案内されると、皆一様に驚き、そしてシスターたちが想像した通り落胆を隠すことが出来なかった。

 2歳違いの妹であるリュシスはどう見ても愛らしいとは言えない幼児だった。いや、幼児、という枠に入れるには大きすぎた。

 5歳のアニーシャと同等の身長、だがアニーシャよりも余程男性的な体つきを持った妹に、だがその行動は他の3歳児と全く同じで多くの大人は困惑を隠しきれずにいた。

 兄妹と言われてもにわかには信じられない容姿や体格の違いに、訪れた希望者の大人たちもさすがに難色を示し、引き取りを諦めるか、引き取るなら「アニーシャのみで」と要望する事が多かった。

 だが当のアニーシャはシスターたちがどれほど説得をしてもリュシスと一緒でなければ誰の養子にもならないと言い張り、シスターや見学に来ていた大人たちを酷く困らせた。

 更には引く手あまたなアニーシャの状況に「お前の親となりたい」「一緒に暮らそう」と名乗り出てくる大人がいない年長の子供たちの嫉妬も買い、この頃からアニーシャたちへの当たりもキツくなっていく。つまりは、シスターたちの目の届かないところで兄妹に対しての陰湿ないじめや嫌がられが頻発した。

 またそれだけではなく、アニーシャのその容貌の美しさ、立ち居振る舞いは一部の大人たちにどうやら酷く性的な魅力を湛え蠱惑的に見えるらしく、そういう目的で近づく者も増えていった。

 父親になりたい、もしくは母親になりたい、と見学にやってきた大人から親睦を深める為にと森へと散歩に誘われ、その時に人がいない場所で体のあちこちを触られるということはアニーシャにとっていつしか日常となっていった。

 実の母親との触れ合いもほとんどなく、シスターたちも可愛がってはくれたが、彼女たちとの触り方とは違う、明らかに別の意図がある触れ方はそれまでされた事が無かったため5歳という年齢もあり最初は何をされているのか理解が出来ず、アニーシャはただ変な場所を触られたり舐められたりすることを不快に思っていた。

 その行為が、アニーシャの中で意味を持ったのはシスターたちの話をたまたま盗み聞きした時だった。

 彼女たちもまた、その身の内に人間としての欲を抱え、神に使える花嫁として厳格で質素堅実のお手本のように振舞ってはいるがそんなものはただの見せかけでしか無かった。

 アニーシャに対して訪れる人間がどんな事をしているかを彼女たちは充分に理解していた。その上でもし自分たちならばどんな事をしたいか、という神に使える者としてあるまじきおぞましい内容をこそこそと話し合っていて、それを盗み聞きした時アニーシャは親睦、散歩と称して行われている行為の数々への意味を理解し、その行為への嫌悪感が明確なものとなった。

 そしてある日。

 いつものように父親となるべく親睦を深めようと森への散歩を提案してきた常連の男をアニーシャは自ら森の奥深く、誰かがいなくなったとしてもなかなか人の捜索が行われず、人の目が届かない場所に誘い、自分に覆いかぶさってきたその醜い男を自分の意志で指先から出現させた氷の刃で貫き、その腹を割いた。

 ……昔、息絶えた母親の膨れた腹からリュシスを取り出した時のように。

 この時自身の体に浴びた赤を通して見る天上高く登った太陽を酷く美しいとアニーシャは感じ、赤く染った世界に堪らない興奮と恍惚とした感情を得た。



 ――そしてこれが全ての始まりだった。




 知らず知らずのうちに笑みが溢れ落ちる。

 スッと指先をその白い肌に這わせるとそこがパクリと開いて普段は肉に覆われ秘されている中身がアニーシャの目に美しさを伴って輝いているように見えた。

 グロテスクであるはずのそれらは、アニーシャからすれば宝石と変わらぬほど美しいモノだ。

「アニー、遊んでないで早くしろ」

 脱ぎ捨てられたその犠牲者の衣服を集め、その金子を入れている袋からいくばくか必要な紙幣やコインをちょろまかしながら、すでに事切れているそれを弄んでいる兄にリュシスは呆れたように声をかける。

「ごめん。でも久々にこんな綺麗な色見たから……もう終わるよ」

 リュシスの言葉にくすくすと笑い、肩から落ちている薄い羽織を着直すと、アニーシャは目の前のすでに物言わぬ物体となったものから体を離す。

「……全く悪趣味も程々にな」

「ふふ。分かってるよ」

 リュシスの苦言に今一度楽しそうに笑い、アニーシャはベッドに染み込んだ血液を自身の能力によって空中へと集めていく。

 そして集めたものを凍らせると湯浴み場へと運んび、そこの排水溝へと投げ入れていった。

「じゃあ、後はシスお願い。」

「……何度も言うがお前だけでも出来るだろ」

「いいじゃん。ね? お兄ちゃんのお願い」

 語尾にハートマークを付けているような甘えた声でそうリュシスにお願いのポーズを取り、それに対して妹はいつも同様諦めの溜息を吐く。

 兄の頼みを断れた試しはないのだ。

 そして実際力のある自分がそれらをバラした方が早いのもよく分かっていた。

「あとでなにか美味いもん寄越せ」

 そう言うとリュシスはベッドの上にあるそれをいつものように形だけの追悼を行い、シーツに筒んで湯浴み場へと抱えあげ作業に入った。

 孤児院を追い出されてから、生きていく為に始め、自然と役割分担として決められ、身についてしまった仕事をこなす為に。



 どうして兄が自身の見た目を使い、人を誘き寄せこのような形で餌食にしているのかについて、リュシスには良く分からなかったが、リュシスに取ってどうしてか、などさして重要ではなかった。

 だからこそただこれが今の自分たちにとって生きるための最善だと、そう理解し、兄の血や肉への渇望を問い質すことは今まで一度もない。

 形は違えど、その渇望は常に自分の中にもあるもので、兄がするこれはまだ自分のもつ渇望より余程人間らしいのかも知れない、そんな事をリュシスは時折考える。

 しかも自分では決して出来ない方法で、だけども確実に生きる糧となることを兄はしている。

 その是非はともかくとして。

 また一体どこでどうしてコネを作ってこの中身を流しているのかはリュシスには知らされていないし、分かりはしないけれども……。

 それでもアニーシャが10という年齢で孤児院を追い出され、当時8つでしかなかった自分を連れてどういう手段を使っていたのかは知らないがその日暮らしとはいえ寝る場所と、金子と食べ物を得て妹を養ってくれていた。

 今でも疑問に思うのは、兄ひとりならば養子縁組や里親などで、何不自由なく暮らせていただろうに、何故そうしなかったのだろうかという事だ。

 孤児院の管理を任されている教会の神父やシスターたちは、当時村や教会を震撼させた連続殺人事件の犯人は被害者と最後にいたアニーシャだろうとは思っていたが、実際の所それを示す証拠はなにひとつなかった。

 それゆえに孤児院としてはアニーシャを犯人だと決めつけてしまう事は難しく、そうでないことを神に祈り続けていた。それはひとえにその見た目の美しさ故に養子縁組を求める人間からの寄付が減ってしまうから、という打算もあったが、そんな事はリュシスには知る由もなかった。

 しかし、リュシスから見て兄がどれほどの人達から養子縁組を求められていたのかはよく知っている。

 だから、アニーシャだけならば貰い手は引く手あまただったはずなのだ。

 それでも被害者は増え続け、流石に教会も庇い建てする事が難しくなりアニーシャは孤児院から追い出されることとなった。そして人間ではありえないスピードで成長する為、扱いに困っていたリュシスともども10という年齢でアニーシャはリュシスを引き取らざるを得ず、そのままアニーシャがずっとリュシスを養っている。

 そんな経緯もあり、アニーシャがどうやって生活する金や食料を孤児院から出たあとに調達しているのかは暫くは知らされることがなかったが、成長するにつれその手段の内容をリュシスが理解した後、そのおぞましい行為に対してリュシスはきっと普通の人間であれば嫌悪や恐れを抱くだろうそれをただ手伝おうとしか思わなかった。

 そうすることで兄がしてきた事の重荷を半分背負う事が、自分にとっての最善であり、それだけがリュシスにとっては全てだった。

 ――リュシスにとっても、アニーシャは唯一無二の存在だったから。


 そして二人は、これからも生きていく。

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