第3話 リュシスの水浴び

 木桶に湧き水を汲み取り、傍らに置くとリュシスは持ってきていた布にその水を含ませ右手の義手と生身の左手で器用にその布を固く絞る。

 その布で体にこびり付いている血痕や張り付いている肉片を拭き取り、布をゆすぎまた拭き取るのを繰り返す。

 顔や首筋、髪の毛まで飛び散ったそれらは乾いてこびり付き数回擦ったくらいでは拭い取れなかった。鉄の匂いと諸々の人の汚い部分から発せられる臭気が体にこびりついているような気持ちになりリュシスは顔をしかめ、小さく口の中で舌打ちをする。

「……全く、炎を使えば汚れずに済むのに」

 戦場で自身の持つ能力を使えば確かに楽ではあるが、その代わりに一時的な味方とは言え共に戦う仲間や雇い主に恐怖心を与え、化け物として賃金を支払われる事無く追放されることを危惧して一応傭兵として雇われている間、力は意図的に封印している。

 その為義手に取り付けた刃などの武具で敵陣の兵士を切り裂き、拳で殴り倒してはいるがそのせいで体中に返り血やその肉片が飛び散り毎度その処理にこうして時間を割かなければならなくなるのがリュシスにとっては不合理に感じイラつき不機嫌の元となっている。

 結局ちまちまと拭い取るのが面倒くさくなったのか、リュシスは布を木桶に投げ入れたあと、着ている衣類を脱ぎ捨てる。

 どちらにしろ返り血で真っ赤に染まっている服も洗わなければならない。人目を盗んで隊列から離脱し、離れた場所まで体を清めにきているのだ。ちまちまと時間をかけて汚れを落とす時間もそれほどない。

 昼の陽光の中で一糸纏わぬ姿となると、その鍛え上げられた肉体がおびただしい朱に染まっているのが分かった。一体何人の血をその身に浴びればそこまで体が朱に染まるのか……。少なくとも10人やそこらでない事は確かだった。

 そのまま冬という事もあり冷たい湧き水をリュシスは躊躇することなく頭から被る。水の冷たさに一度ぶるりと体を震わせ、それでもすぐにまた湧き水を汲むと頭から被った。

 リュシスの体から体温によって気化した水分がフワリと湯気となって立ち上がりその水の冷たさが分かる。

 それでもリュシスは躊躇なく冷水を体に浴びせ、数回繰り返し十分に体が濡れた後、布でゴシゴシと体を擦りこびり付いている血痕を落として行った。

 義手である右手は特に入念に血と肉片を水で流し、布で拭き取り、溶接された隙間や、関節部分に入り込んでいる物も綺麗に取り除きピカピカに磨く。

「シス」

 とそんなリュシスの背中に声がかかり、そちらに視線を向けるとアニーシャが横倒しになっている木に腰掛け少しばかり呆れた面持ちでリュシスを見ていた。

「いつからいた」

「少し前からだけど。それはともかく、少しは自分が女の子だって意識したらどう?」

 産まれたままの姿で水浴びに興じている妹に一応口先だけで言ってはみるが、リュシスは薄く眉を持ち上げただけで改めて湧き水を汲み取りその体にかけて身を清めることに集中する。

 そんなリュシスに軽く肩を竦めるとアニーシャは視線を辺りに巡らせ、他の傭兵や兵士が近づいてきていないかを探る。

 もし妹の水浴びを覗こうとする不届き者がいた場合は、自身の氷の刃の餌食にするつもりだった。

「……どうせ私を見ても誰も女とは思わん。見張りなど無用だ」

 明らかに警戒心を帯びた兄の姿を横目で見て、小さく笑いながらそう無用の心配だと伝えるとリュシスは固く搾った布で体を拭いて水気を取り、今度は血で汚れた衣類をじゃぶじゃぶと木桶に張った水へ浸けて洗い付着した血痕などを落としていく。粗方落ちるとそれをまた固く絞ったあと傍に生えている木の枝に引っ掛け、水浴び前に集めていた枯草や薪に能力を使い火をつけてその熱で服を乾かし始めた。

「ちょっと、シス。服乾くまでその姿でいるつもり?」

「お前しかいないんだ構わないだろ」

 味方の野営地からも、敵陣からも程よく離れた場所にあるここには確かにあまり人が訪れることは少ないと思われる。

 だがそうは言っても、年頃の妹が一糸纏わぬ姿で焚き火に当たっているというのは兄からすると放ってはおけない状態だ。

 確かにリュシスは一見すれば女性には見えない。隆起した筋肉で形作られた体つきは女性の丸みを帯びた体つきとは全く違う形を作っている。そしてまだ15という年齢故かその体格の割に未成熟である乳房は胸筋に覆われ男性の大胸筋のようにも見える。

 しかしどれ程体格がよくそこら辺の男性よりも余程筋肉が発達し、持て余すほどの力を有していてもリュシスは確かに女性であった。

 それにまだ雪こそ降ってはいないが、気温はかなり低い。いくら炎を操る事が出来、通常の人間よりも寒さへの耐久が強いとは言ってもこの冷え込みの中、全裸で水に濡れたままでいるのは体調を崩さないかと兄としては心配になる。

 アニーシャは小さく溜息を吐くと自身の防寒のために羽織っていたコートを脱ぎリュシスに近づいてその肩にかける。

「せめて前くらいは隠しな」

 他の人間には決してすることの無い気遣いの言葉を血を分けた妹にだけはアニーシャはかける。

 孤児院を追い出されたあと、人ならざる力を持ち、人にも神にも異端であり、異質であることで忌み嫌われ見捨てられた2人は寄り添うように助け合いながら生きてきた。

 それにアニーシャにはリュシスが生まれた時のあの朱に染まった美しさがどうしても忘れられず、人間らしい感情を彼女がいる事で辛うじて少しだけ自身の身のうちに留めて居られる。

 だからアニーシャにとってリュシスは大切な妹でもありそれを超えた存在でもあった。

「……お前くらいだな」

 リュシスを女として人間として認識し、こうして心配したり前を隠せと言うのはアニーシャくらいでその事がおかしくてリュシスは小さく笑う。

 あまりにも体格差がある為アニーシャのコートでは大してリュシスの体は覆えないし防寒の役目も担えない。それでも兄のその気遣いは嬉しかった。

 パチパチと薪の爆ぜる音を聞きながら形ばかりアニーシャのコートで前を隠す。

「……ところでシス」

「ん?」

「今日は何人?」

 主語がなく聞かれた言葉にまたリュシスは笑う。但しその笑いは先程とは違い獰猛な獣のそれだった。

「さぁな。50より先は数えるのを止めた」

「そっか。だからあちらさんあちらこちらに逃げ惑ってたんだ」

「全く人間は弱くて敵わん。魔獣の方がよほど手応えのある狩りを楽しめる」

 ハッと馬鹿にしたような笑い声を出した後、リュシスはコートをアニーシャに投げて返し木の枝にかけていた服を取ると身につける。

「明日にはこの戦終わらせる。敵も味方も弱すぎてつまらん」

「そうだね。思ったよりも稼ぎにならないし適当に切り上げちゃおうか」

 髪の毛を布を切り裂いた紐で結い直しながら物騒なことを言う妹にアニーシャは頷き、コートを羽織る。

「お前はどうなんだ? 使えるブツはあったのか?」

「……あー、うん。そこそこね。隠してるから明日終わらせたらいつものところへ売りに行こう」

 ふふっとアニーシャは笑い、ひらりとその長い髪をなびかせてトンッと地面を蹴るとそのまま木の上へと飛び乗る。

「じゃ、また明日ね。シス」

「あぁ。またな」

 2人はそう短く言葉をかわすとそれぞれの持ち場へと戻って行った。



 それぞれの持ち場を麗しい悲鳴と、美しい赤へと染めるために。

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