第2話 生い立ち

 アニーシャとリュシスは血の繋がった兄妹だ。

 しかしその容姿も体格も血が繋がっているとは思えない程かけ離れていた。

 兄のアニーシャは子供の頃から小柄で美しい面差しの少年だった。一見すれば少女と見まごうばかりの容貌とそのしなやかな肢体、柔和な表情で物心がついた頃には大人の邪な欲望をぶつけられていた。

 その妹であるリュシスは普通の赤子よりも数倍大きい体格を持ち、生まれ落ちた瞬間に母親の命を奪ってしまった。だからリュシスは母親の顔も温もりも、声さえも知らない。

 そして2人の母親は体を売ることで生計を立てていた為、アニーシャとリュシスは父親という存在も全く知らず、父親が同じなのか違うのかさえも知らなかった。

 さらに言えば、父親が人間であるにかどうかさえも分からなかった。

 そもそもアニーシャの記憶にある母親は子供に語り掛けるような情緒を持ち合わせていなかった。一応アニーシャの世話は最低限していたが、それでも日々を生きる事に精いっぱいだった母親はアニーシャと過ごすよりも知らない男達と過ごしている事の方が多く、せいぜいアニーシャにかけた言葉は「いい子でいてね」といったものだけだった。

 食事にしても乳粥などを鍋いっぱいに作っておいてそれをアニーシャは食べて過ごしていた為、普通の幼児に比べ発育も遅れていて母親がリュシスを身籠った頃もまだまともに発話も出来ない程だった。

 そして古ぼけあちらこちらに隙間のあるいわゆるあばら家の一室で生まれ落ちた2人は近所の人から発見されるまで事切れた母親の傍で血に塗れて遊んでいたという。

 腹を空かせたリュシスにアニーシャは自身が食べていた乳粥を与えていたが、その内その乳粥も腐り食べるもののなくなった部屋で果たして2人が何を口にして発見されるまで生き永らえていたのかは定かではなかった。

 ただ2人は腐敗した肉と血にまみれ、それでも笑っていたそうだ。

 そんな2人は程なく孤児院へと預けられたが、どこか常人とは違う異質さと異常さを持つ2人に周りの子供たちも、庇護するべきシスターたちも扱いを決めかねていた。

 そしてこの孤児院に入れられたことで初めて2人には名が与えられ、アニーシャもようやく順調に言葉を理解し話せるようになり、更にリュシスが言葉を話せるようになってからは互いを「アニー」「シス」と呼ぶようになった。

 そんな2人が人ならざる力を有していることが発覚するのもそう時間はかからなかった。アニーシャがリュシスをあやすのに、孤児院の裏庭にある噴水の水を凍らせたり、その塊で物を破壊したりする姿をシスターや他の孤児たちが目撃している。

 またリュシスも成長するにつれその体は他の誰よりも大きく育ち、5歳になる頃には十代の少年と大差ない体つきになっていた。その後も順調に体につく筋肉量も増えた為、常に力の加減をしなければ物を持つ事さえも難しかった。なにせほんの少しの力で陶器は粉々になり、軽く掴んだだけで人の骨が折れかけてしまう。

 それだけではなく、兄の水を操る能力と相反するかのように妹のリュシスは炎を自在に操ることが出来た。

 そして問題はそれだけではなかった。

 アニーシャはまるで天使のような美しさを兼ね備えた少年ではあったがその内にある残忍さはどれ程シスターたちが窘めても神に祈りを捧げても変わることはなかった。

 アニーシャと諍いを起こした孤児たちは軒並み半死の状態で孤児院を囲む森の中で発見されることが多発した。同じく、その容貌の美しさに惹かれ近づいてきた欲深い大人たちも惨殺死体となって森の奥深くで発見され、多くの人はアニーシャの仕業か、あの怪物の妹が兄の仇を討っているのだと噂が広まっていた。

 それほどまでにその大人たちの死に様は壮絶なもので、発見した人間は暫く食事がとれず吐き続けたそうだ。

 かくして2人は齢十になる頃にはその扱いを持て余していた孤児院から追い出される羽目となった。



「お前のせいだ」

 思い出したようにリュシスはアニーシャにそう恨み言をぶつける。

 それを聴きながら悪びれた風もなくアニーシャは笑う。

「あんな窮屈な場所で化け物扱いされた生活がそんなに恋しいわけ? シス」

「……少なくとも飯は出たし、屋根はあった」

 あの腫れ物を扱うかのようなシスターや化け物を見るような怯えた視線を向ける同じ孤児の子供たちの視線を思い出しながらも、リュシスは焚き火を棒でつついてその中からバナナの葉で包んだ獣の肉を取り出す。

「湯浴みも毎日出来た」

 黒く焦げた葉を開き、中から程よく蒸し焼きになった獣の肉を右手の義手に取り付けてある刃で切り取りながら口へと運ぶ。

 全身を清潔な湯で洗ったのはいつの事だったろうかとリュシスは硬い肉を噛み締めながら思う。

「お前は男なり女を引っ掛ければ連れ込み宿で湯浴みが出来る。私にはそれは無理だ」

 ぶつくさと兄に対する文句を口にしながら肉を食み、飲み下す。

 そんな妹を横目に見ながらアニーシャは摘んできた果物を口に放り入れ咀嚼をすると飲み込んでから口を開いた。

「シスも客を取ればいいじゃん。簡単だよ」

「冗談は顔だけにしろ」

 食べ終わった獣の骨を兄の額に投げつけ、リュシスは溜息を吐いた。兄と違い男よりもよほど体格がよく男らしい自身の体と右手の義手を見下ろし、どこに需要があると言うんだ、と内心で悪態をつく。

「お前ならともかく、私には男にも女にも媚びを売るのは無理だ。――あぁ、そうだ。隣国で傭兵を募集していると聞いた。お前はどうする?」

 狩ってきた大型獣の全てを食べ終え、今一度残りの骨を焚き火に投げ入れると自身の操る炎を足し、全てを灰に帰しながらリュシスはアニーシャにそう尋ねる。

「可愛い妹だけを戦場に送り出すわけないでしょ。私も行くよ」

 美味しそうな欲望持ちも多そうだし、とアニーシャはその美しい顔にゾッとするような笑みを浮かべて微笑む。

 そんな兄に小さく肩を竦めて見せ、リュシスはその場で丸太を枕にして横になる。

「……お前の悪趣味は今更だが、売れる臓器は残しておけよ。病気持ちの金持ちがこぞって金を出すんだ」

 後、狙うなら健康な男を狙え、そう付け足すとリュシスは目を閉じる。

 そんな妹の忠告に苦笑を零すとアニーシャはリュシスの隣に自身も体を横たえた。

「……シス、生きるんだよ。何をしてでも。いいね」

 寝付きのいい妹の寝息を聞きながら、自分の体より数倍大きいその背にそっと手を当てアニーシャは囁く。

 それはまるで祈りのように聞こえた。



 リュシスが生まれ落ちた時、アニーシャは2歳だった。

 母親の大きくなっていく腹の不気味さに、そしてあの腹が破裂したらどうなるのだろうかという好奇心で過ごしていたことを頭の片隅で覚えている。

 そして母親が破水をし、リュシスを産もうとして、だがその赤子の大きさ故に産道をその頭が通らず苦しみ悶えて息絶えた。その後、アニーシャがその腹を指先から出現させた研ぎ澄ませた氷の刃で割いてリュシスを取り出したのだ。

 その時のアニーシャの心にあったのは子供ながらの単純かつ残忍な好奇心だった。

 膨れ上がっているこの母親の腹を切り裂けば、一体何がでてくるのだろうか、という純粋な好奇心。

 かくしてその好奇心のまま切り裂いた腹から出てきたのは、自身とそう大きさの変わらない真っ赤な赤子だった。

 そして母の血で赤く染っているリュシスを見た時、初めてアニーシャは美しいという感情をその身に抱えた。

 その後近所の人に自分たちの存在が発見されるまでアニーシャは腐敗していく血の海の中その赤の美しさに浸り、自身と変わらぬ大きさの赤子を生かす為に何でもしようと自身の中に芽生えた感情の発露の心地良さにたゆたっていた。

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