とある兄妹の物語【R15G】

鬼塚れいじ

第1話 たった二人の兄妹

 ざわざわと漣のように人々が様々な言語で話をする声が、耳に辿り着いては弾けて消える。

 あまりにも雑多なその言葉の渦に辟易しながらも、人々でごった返している市場を人並みを掻き分けながら先へと進む。

 兄から数刻前に連絡があり【処理】が必要ならしい。

 また兄の尻拭いをしなければならないことをひっそりと溜息を吐きながらも、リュシスはその巨体を猫のように静かに人と人の隙間に滑り込ませ歩く。

 不思議なことに目立つはずのその巨躯はどうした訳か人々の目には映っていないらしく避けようともせず直進してくるそれらを慣れた足取りでひょいひょいと避けながらある一軒の連れ込み宿へと辿り着いた。

 いつもの事ながらこんないかがわしい場所に人を呼びつけるんじゃねぇ……と眉間に深く皺を刻みながらこれから自分がしなければならない【処理】を思いその右手をそろりと撫でる。

 右手の肘から先は金属の義手が嵌められていたが、それは手の形をしていなかった。触れればすぐにでも皮膚が切れそうなほど美しく磨きあげられた刃が取り付けられ、それは申し訳程度の鞘に収められている。

 これから兄がいう【処理】に必要と判断してこのアタッチメントを選んでつけてきたが、お気に入りのこの武具をただ【処理】に使うのはなんだか勿体ない気持ちになる。

 だが大きな戦争も終わり小競り合いはあるもののある程度の平和を取り戻したこの時代に武器を使うような場面はそつそう来るはずもなくこうして兄の不祥事の後始末に奔走することで武具を活かしている。

 再度溜息を吐き、連れ込み宿のなんとも言えない人間の放つ発情した臭気に顔を顰めながらも兄が待つ部屋へと向かう。古びた木造の階段はリュシスの巨体を受け止める度にギイギイも不快な悲鳴を上げた。

 目的の部屋の前に立つとドアを開けずともツンとした鉄の匂いが鼻をかすめ、またリュシスの眉間に皺が寄った。

 音を立てずにゆっくりと扉を開けると廊下にいた時とは比べ物にならない程の臭気がムワッと部屋中に充満していて更に顔を顰める。

 ただの血の匂いだけならばここまでの臭気にならないはずだ。

 一体どんな【遊び】をしたのやら……と思っていれば湯浴み場から薄い羽織を纏った人間が出てきて声を上げた。

「ちょっとーーー来るの遅すぎー! いつまで人を待たせの?」

「……うるさい。お前の遊びに付き合う程暇じゃないんだ」

 声をかけてきた人間に視線を向けじろりと睨みつける。

 普通の人間であればリュシスのこのひと睨みで萎縮するが、残念なことに兄には通用しなかった。

「あんまりにも遅いから全部引っ張り出してベッドぐちゃぐちゃになっちゃったじゃん」

「知らん。お前が勝手にしたことだろ。……で、私にどうしろと?」

 古びたベッドの上の惨状にチラリと目をやり、呆れを通り越して虚無感に襲われる。血液と諸々の体液とありとあらゆるものでぐじゅぐじゅになっているシーツとその下の敷布団の事を考えれば気が遠くなる。

「やだなー! 分かってるんでしょ? とっとと片付けてよ」

「……たまには自分がしたらどうだ? 私より余程転移させるのは得意だろ。後始末も」

「だって私もうへとへとでぇ〜」

 しれっと嘘を吐く兄を今一度睨みつけた後、仕方なしにベッドへと近づく。

 辛うじて原型を留めている『それ』に形ばかりの追悼の意を示した後、シーツで手早くその物体を包むと個室に設えてある湯浴み場へと運ぶ。

 恐らく生前はでっぷりと肥えていて恰幅が良かったのだろうと思える重量が肩に伸し掛るが、【中身】を抜き取られている今そこまで運ぶのには苦労しない。

「おい。中身はちゃんと保存してるんだろうな?」

「当たり前でしょ。鮮度が命なんだから取り出してすぐちゃんと凍らせてる」

 にしても不健康な人間だから使える部位が少なくて苦労したよー、と部屋の方から文句を言う声が聞こえてくるがそれは無視してタイルの上に残骸を広げると始末しやすい大きさに右手の刃で刻んでいく。

 子供の頃から続けてきただけあって程なく元がなんであったのかも分からないほどの肉片へと変貌した。

 そして改めてシーツを適当な大きさに切り裂き、小分けにしてそれらを包み込む。

「こっちは終わった。そっちはどうだ?」

「痕跡は全部消したよ」

 部屋へと戻れば兄が言う通り全てがまるで何も無かったかのように綺麗に整えられていてその真ん中で彼は花が咲くように美しく笑っていた。

 この目の前にいる美少女と言っても違和感のない兄の容姿に騙されその餌食となった人間への哀れさと、欲深さに小さく笑い、自分とはあまりにも対象的な兄の姿に複雑な感情もリュシスは覚える。

 2m近い身長に黒目が極端に小さく鋭さしかない目と、男よりも更に屈強な体躯を持つ自分は戦場を駆け巡り敵を殲滅させその死骸を燃やし尽くすしか能がない。

 男と肩を並べ、戦場を走り回り、戦うことが自身の存在価値だとしか思えない事も多く、時々自身が女であることをリュシスは忘れそうになる。

 さらにこの身には生まれながら人ならざる力が備わっていた。

 リュシスはこの世に存在するほとんどの者を自身の身の内から発する炎で焼き尽くすことが出来る。

 今湯浴み場に放置しているあの【荷物】もこの後骨も残さず持て余している火力でこの世から消滅させる。

 人ならざる力を持って生まれ、右手はトロールに押しつぶされて以降義手とはなったがかえって戦闘能力が上がったために戦場では性別の壁を越えて重宝された。

 だが大きな戦争が終わった今は兄と2人、犯罪行為や人身売買や違法摘出した臓器をもぐりの医者に売り飛ばす事で糧を得、待ちを転々としながら生き長らえている。

「――アニー、ここではもう仕事は無理だろう。次の街へ移ろう」

「そうだね。そろそろ怪しまれる頃合だし。シスは行きたいところある?」

「……どこでもいい。人が多く私が紛れる場所なら」

 誰も来ない森の奥で静かに燃える炎を見つめながら鞄から取り出した失踪者の貼り紙を何枚か兄――アニーシャへと渡す。

 それを兄は一瞥したあと、穢らわしいもののように燃えている【残骸】の中へとその張り紙も放り込んで一緒に燃やした。

 張り紙に載っている失踪した多くの人間はアニーシャの花の様に美しい容姿にその欲望を滾らせ、近づいてきた人間ばかりだった。

「たまには北の方にでも行ってみようか。欲が深い人間の匂いするし」

「……あぁ、そうだな」

 肉も骨も、そして失踪者が身に着けていた衣類も持ち物さえも、欠片も残らぬほど燃え尽きるまでその炎を見つめ兄の言葉に静かに頷く。

 そして炎が消え、当たりが漆黒の闇に覆われたあと革製の鞄の中に入っている兄の能力で凍らせてあるそれを抱えるとリュシスたちはその場を後にした。

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