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今から、二十六年前。レディート国の王、ヒーデルとその妻ダニエラの元に、一人の子供が生まれた。
名はアレンといい、二人は待ちわびた我が子の誕生をそれはそれは喜んだ。特に、母親のダニエラはとても愛情深く、アレンを可愛がっていた。
黄金色の髪、藤色の瞳。自分によく似た息子を溺愛せずにはいられなかったのだろう。
ダニエラは、元はエーデル国の王女であり、国の親交の証として、レディート国に嫁いだ。契りのような婚姻ではあったが。ダニエラはヒーデルを愛し、ヒーデルもダニエラを深く愛していた。
王族の人間は、異才という特殊能力を持って生まれる。ヒーデルは記憶の才。ダニエラは透視の才といい、人の心を読むことが出来る才を持っていた。当然、アレンも才を持って生まれた。
アレンは、幼い頃から物覚えがよく、一度目にしたものは忘れない。その並外れた記憶力から、ヒーデルと同じ記憶の才を持ったと思われた。
容姿端麗。頭脳明晰。加えて、良心的な人柄。アレンは王になるべき器だった。みんながアレンに期待した。
だが、アレンが六つになった時だった。
「……今、なんて言ったの?」
「だから、俺が心の中で思ったことが現実になったんだ。まるで、俺に操られているかのように……お母様? どうしたの?」
体が固まったように動かなくなった母を不思議に思ったアレンは、その小さな手で母へ手を伸ばした。
「触らないで……!」
伸ばされた手を払いのけるダニエラ。アレンは驚きのあまり、声も出せずにいた。
「あっ……」
顔を歪め、悲しむアレン。
__お母様は、俺が嫌いなんだ。
伝わってきた我が子の悲痛な声に、ダニエラはアレンを引き寄せ抱きしめた。
「ごめんなさいアレン……」
「俺、何か悪い事した?」
「違うわ。お母様が悪いの……」
間違いであってほしい。この腕の中にいる愛おしい我が子は、呪われた子などではない。ダニエラは身を削る思いでそう願った。
「__人操の才かと」
中有力貴族が集まった円卓の間で、ケルベルトは言った。
「まさか……アレンが……」
ヒーデルは頭を抱えた。
人操の才。千年に一度生まれるか生まれないかと言われる、非常にまれな才。人の心を意のままに操ることができ、全ての才の中で頂点に立つと言われているが、独善的なその才は、人々から忌み嫌われ、恐れられてきた。
別名、呪いの才。
そして、その才を持って生まれたものは、天寿を全うすることができないと言われている。
「失礼ながら国王陛下。アレン様はいずれ各国の脅威となります。それは我が国にとっても例外ではない。その前に、手を打たなくてはなりません。陛下にとって、お苦しい決断になることは重々承知です。ですが、国の未来のために、賢明なご判断を」
深々と頭を下げるケルベルト。他の者も、複雑な気持ちを抱えながらも、それが最善策と考えている。
自分の息子が才を持って生まれてきたことを喜ぶべきなのに、喜べない。いつか王となるその背中を見届けたい。それは、叶わないことなのだろうか。
だが、それよりも、もっと深刻な問題があった。
「ダニエラ、どうしたのだ」
ソファーに座り込み、両手で顔を覆う愛する妻。
隣に座り、震える肩を抱き寄せる。
「分からないのです……私はあの子を愛しているはずなのに、あの子を恐ろしいと、拒んでいる自分がいる。あの子が私を呼ぶ度に、姿を見る度に、愛おしくて仕方がなかっただけ気持ちに、悪が混ざってしまっている。私は、どうすれば良いのでしょうか……」
愛しているはずなのに、愛したいのに、その強力な才を前にすると、愛せなくなってしまう。
胸に縋りつくダニエラに、ヒーデルはどうすればいいのか分からなかった。
そんな事とは知らず、残酷にもアレンは成長していく。
そうして、九才になった頃には、アレンは才の能力の使い方を完全にマスターしていた。
「ねえ、お父様。お母様は、今日もお身体の具合が良くないの?」
一日中、部屋に閉じ篭もるようになったダニエラに対し、アレンがそう言ったのは、これで何度目だっただろうか。
「すまないな、アレン。お母様は、少し疲れているんだ」
「……もうずっとそうじゃん」
最後に会ったのは、いつだっただろうか。母親が自分に笑いかけてくれたのは、絵本を読んで聞かせてくれたのは、おやすみのキスをしてくれたのは。もうずっと、昔のようだった。
「ダニエラ、アレンが会いたがっているんだ。会ってあげてくれないか。少しでいいんだ」
カーテンが閉められた、暗がりの部屋の中に彼女はいた。髪の手入れもせず、唇もカサカで、そこに王妃の慎ましさや品格などなかった。
ダニエラはベッドの上に座り、カーテンからの隙間から見える空を眺めていた。
「……どうして?」
消え入りそうな声で、静かに問うダニエラ。
「どうしてって……君はあの子の母親だろ?」
「母親、ね……今の私は、とてもそんな資格ないわ。王妃の務めすらも果たせていない。あなたに、相応しくない」
「そんなこと……」
唇を噛み締めて泣くダニエラの姿は、見ていて痛々しかった。脆くて、脆くて、少しでも突き放して仕舞えば、もう彼女は存在しなくなってしまいそうだった。
隣に腰を下ろし、同じように、カーテンの隙間から空を見る。空は、アレンが生まれた日のように青かった。
「私の記憶を改竄しますか?」
「……ダニエラ」
「良い判断だと思いますけど、それだけではあの子は救われませんん。母に愛されない。呪われた力を持った、哀れな子のままです」
苦笑するダニエラ。
「ダニエラ……私は……」
王として国と民のためにすることは分かっている。だが、夫として、父としてのこの選択をするのは、間違っているはずだ。
苦悶するヒーデルの頬に、ダニエラの細くなった手が添えられる。
「ヒーデル」
ダニエラが自分をそう呼んだのは、一体、いつぶりだっただろうか。
『ヒーデルと呼んでもいい?』
出逢った頃、彼女はヒーデルにそう問いかけてきた。ただそれだけのことが、ヒーデルにとって、嬉しかった。愛するものが響き渡らせる、自分の名。いくらでも、どれだけでも、そう呼び続けてほしい。
ヒーデルは、頬に添えられたダニエラの手を掴んだ。
「っ……くっ……!」
もう、これ以上、苦しむダニエラの姿を見ることは、ヒーデルには耐えられなかった。
華奢な体に抱き寄せられ、その胸元に顔を埋める。
「ほんっと、泣き虫なんだから……」
歯を食いしばって耐えようとも、頬を伝う涙は止まらなかった。
「私の愛おしいヒーデル」
涙で濡れた顔を包み込まれる。
「いいのよ。私の記憶を消して」
「ダニエラ」
「その代わり、どうかあの子を守り抜いて。どんなことをしようとも、あの子だけはお願いね……?」
「……分かった……」
ダニエラは笑っていた。全て承知の上。彼女は覚悟を決めている。
「ヒーデル。ずっと、愛しているわ」
「っ……私もだ……」
ヒーデルは苦渋の決断の末、自らダニエラの中から、自分とアレンの記憶を消した。
そして、アレンにこう告げた。
「お前は私の息子ではない。王子ではなく、騎士として生きるのだ。国と民を守れる剣を磨き続けるのだ」
その先に、どんな未来が待ち受けようとも、自らに、罪と罰が与えられようとも、ヒーデルはこの選択を覆すことはしなかった。
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