四
夜会に向けての勉強は、基本的に仕事を終えた夕方から寝るまで時間にかけて行われた。午前中は室内庭園の仕事。午後からは外の庭園でセインと仕事をする。と、アンジェリーナはエルダの仕事に支障が出ないように、自分のスケジュールを合わせてくれているのだ。おかげで体にも無理がかかることなく、続けられていた。
アンジェリーナはエルダの得意科目はよく褒め、逆い苦手科目は出来るまで根気強く指導し、メリハリを持たせた。
王女であるアンジェリーナ直々に教えれら、教養を身に付けられることなど、他の令嬢達でさえも成し得られないこと。自分がどれだけ恵まれているのか、エルダは与えられた環境に感謝する毎日だった。
夜会までの時間が近づくにつれ、アレンとの二人の時間は過ごせていなかった。だが、アンジェリーナの護衛を担当していたため、勉強の時だけは、同じ空間にはいられた。最初は緊張して、見られていないことが分かっていても、視線を気にしてしまい集中出来なかったが、次第に見守ってもらえているような気がして安心した。
「お疲れ様、エルダ。予習なんて偉いわね」
教材から顔を上げると、アンジェリーナがいた。後ろには、キースも一緒だった。
(今日は、アレン様じゃないんだな)
「あ、今、なんだ俺かって顔した!」
「え、や、決してそのようなことは……!」
必死に首をブンブンと振るも、キースは「ほんとかなー?」と顔を覗き込まれる。戸惑っていると、アンジェリーナが間に割って入る。
「はいはい、いいから、あなたは外に行って警備して」
アンジェリーナ諭され、渋々、出口に歩いて行くキース。
キースには悪いと思ったが、エルダがアレンに会いたがっていたのは事実だ。
(この時間以外、アレン様に会うすべは今はないから。楽しみになちゃってたな)
「さて、じゃあ、今日はこれまで身につけたことを実践するために、ドレスを着てダンスホールへ行ってみましょう」
「ですが、私、ドレスなんて高価な物は持っていませんし」
「大丈夫よ、このアンジェリーナ様が貸して上げる」
「流石にそれはダメですよ!」
「いいから!」
そう言われ、腕を引っ張られ、図書館を出る。後ろからはキースが慌てた様子で追ってくる。抵抗も虚しく、エルダはアンジェリーナの部屋まで連れて行かれることとなった。
「エミリーいる?」
アンジェリーナが部屋のドアを開けてそう叫ぶと、中年の女性が出て来た。
「はい、アンジェリーナ様」
「この子に似合いそうなドレス貸してあげて」
「かしこまりました」
「や、ほんとうに」
「はい行って!」
背中を押され、エルダは強引にドレスルームへと押し込まれる。
エミリーと呼ばれた侍女は、エルダのことを一瞥するとドレスを手に取り始めた。
ドレスルームの中は、アンジェリーナが夜会のために持ってきたとされドレスがぎっしりと詰まっていて、色とりどりのドレスは、アンジェリーナただ一人のためだけに作られた一点ものだ。触ることすらも恐れ多い。
中にはきっと嫁入り道具っていうのもあるはずだ。
アンジェリーナは、レディート国を後にするとベーベル国へ行くと聞いている。そのために持ってきているドレスもあるだろし、選びきれなくて持ってきた物もあるかもしれない。どちらにせよ、こんな量を持ってくるのに、一体どれだけの馬車を用いたのか、それは聞かないことにした。
「好きなお色はありますか」
「そ、そうですね……」
(結構、なんでも好きなんだけどな。強いていうなら……)
ドレスルームを見回すと、一つのドレスが目に入った。
(このドレス……)
「そちらは、藤の花をイメージして作られたドレスです」
「藤の花……」
(すごく綺麗……)
「これにします」
ドレスを着ると、ドレスと同じ色合いのヒールを選んだ。普段履かないヒールを夜会で履くのは苦戦を強いた。それでも、今日まで練習を積み重ねてきた成果を出し切りたい。
最初は履いて立っているだけで足が痛くなり、歩くどころではなかったが、だんだんと足に馴染み、今は歩くことが出来るようになったのだ。
髪のセットはアンジェリーナがしてくれた。これも、本当に贅沢なことだと思った。
ゆっくりと、丁寧に髪を櫛でとかしていく。
「綺麗な髪ね。縛っているのが勿体無いくらいよ」
「ありがとうございます」
「エルダはどっちに似ているの? お母様? お父様?」
「髪は母譲りです。同じ髪色を持つ娘が嬉しかったのか、よく同じ髪型をしたりしていました。外見は、母曰く、よく父に似ていると。特にこの目元などが」
エルダがそう言うと、髪をとかしていたアンジェリーナの手が止まった。
「もしかして、ご両親って……」
「……母は、三年前に病気で。父は、私が生まれる前に亡くなっています」
「そう……お父様には、一度も会えていないの?」
「……はい」
鏡越しに見ると、アンジェリーナは何やら切なく目を伏せていた。
「あ、でも! 全然寂しくなんてありませんよ! 母と過ごしてきた日々は消えませんし、ここで、アルバート様やアレン様、セインさん、それにアンジェリーナ様にまでこんなに良くしていただけて、私は本当に幸せものなのです」
記憶にない父親は、面影すらも追うことも出来ない。そんなふわふわと夢心地のような存在だった。だが、不思議と悲しくはなかった。それは母であるエミリアが、父親の分も愛情を持って、自分を育ててくれたからだろう。
「アンジェリーナ様。ありがとうございます。でも、私は大丈夫ですよ」
笑顔を浮かべるエルダに、アンジェリーナは優しく肩を撫でてくれた。
髪のセットが終わると、いよいよダンスホールへ。
月光の明るさのみで照らされたダンスホールは、そこだけ異空間のように思えた。
窓ガラスに映った自分も、普段の姿が目に焼きついてしまっている分、不思議だった。
空には星々が輝いている。
夢中になって空を見上げていると、パッチっと手が鳴る音がした。
「躍る前に、習ったことをおさらいしてみましょう。じゃあ、まずお辞儀からね」
ダンスは知識とは異なり、未経験すぎて基本中の基本を、体に覚え込ませるので精一杯だった。教えられたばかりの時は、やればやった分だけ出来るようになると思い、仕事に支障が出ない程度に、残って練習をしていたが、アンジェリーナに練習しすぎて足が使いものにならなくなったら困るからと、居残り練習は控えるように言われた。
確かに、無理をして足を怪我したりしてはそれこそ元も子もない。アルバートも王子。ダンスは心得ている。だから、急なことを頼み込んできた分、パートナーであるアルバートを存分に頼ればいいと言われた。
「うん、大丈夫そうね」
動きを確認し終えたアンジェリーナは言う。
「あの……今更なのですが、本当に大丈夫でしょうか。もしバレるなんてことがあったら……」
「__それは困りますね」
凛とした声が聞こえ、まさかと思い首を横に向けると、そこにはクラウトがいた。
「あら、もう来たの」
どうやらアンジェリーナは、この状況を理解しているらしい。
「どうして、クラウトさんがこちらに??」
「私が呼んだのよ。あなたのダンスの練習相手になってもらおうと思って」
「え……!」
(私のダンスのなに……!?」
「早かったのね」
「そうするようにおっしゃたのは、あなたでしょう」
ため息をつき、呆れたように言うクラウト。その横、アンジェリーナは楽しそうにしていた。そんなアンジェリーナを見て、クラウトは「まったく」と言いながらも、柔かな笑みを浮かべ、なんだか嬉しそうにしていた。
(……クラウトさんって、こんな表情出来たんだ)
あの時、馬車の中で笑みを浮かべたクラウトは、不自然な気もしたが、アンジェリーナを前にしたクラウトの笑みは、そんな気は全くしなかった。
「って、私、本当にクラウトさんと踊るのですか?」
「ええ、アルバート様のパートナーとして相応しいのか、テストさせていただきますので」
(嘘でしょ……)
アンジェリーナの方を見るも、彼女は涼しげな顔をしていた。
逃げることは出来ない。これはもう、腹を決めるしかないと思った。
「あなたは私に身を預けて、余計な動きはしないで下さいね」
お辞儀をしクラウトの手を取ると、早速、言われる。
「はい……」
体を密着させ、アンジェリーナが叩く手拍子に合わせて動く。
クラウトのダンスは完璧だった。まるで操り人形にでもなったかのように体はすいすいと滑らかに動いていく。
(何も心配はないのかも。足を踏まないようにだけはしないとね)
音楽はない。無音だった。だが、少しずつ、刻まれていくステップに、心と体が一致して、波に乗るかのように体が動いた。
(楽しい。今、すっごく楽しい……!)
自分でも思いもしなかった。ダンスがこんなに楽しいなんて。
すこし前まで、ただ憧れていた。遠く離れたところに聳え立つ、大きなお城の中で開かれる煌びやかな世界に。その世界に、今歩みを進めているのだ。
お辞儀をして顔を上げる。側で見ていたアンジェリーナが拍手をする。
「すごいわ! 私が教えていないことまで、出来てた! 急にどうしちゃったの?」
「本当ですよ、私が聞いていた話と違う」
クラウトも驚いた様子でエルダを見ていた。
「なんか、体が勝手に」
ただ、この瞬間を楽しもうと思ったら自然とその動きになっていた。という感じだ。
ドレスルームでドレスを脱いでいるとき、部屋着に着替えていたアンジェリーナが聞いてきた。
「どうしてそのドレスを選んだの?」
「それは__」
(このドレスを見た時、まるでアレン様の瞳のようだと思った。美しさの中に強さがあって、強さの中には、悲しいくらいの優しさがあった)
「私の、好きな……色だったからです」
♧♧♧
勉強会が始まる前、クラウトに言われた。アルバートはただ単に、婚姻を逃れたいがために、婚約者のふりをするようにお願いしてきたが、仮であったとしても、周りの人達にとって、エルダは次期、王となるアルバートが選んだ人物に変わりはないと。だから、教養の行き届いていない、けしからぬ行いをされては困ると。
要するに、アルバートの顔に泥を塗るようなことはするなってことだと受け取った。だが、あのダンスで少しは自分を評価してくれているようだった。
(でも、クラウトさんって、やっぱり、イマイチよく分からないんだよな……)
ここに来てそれなりに経つが、今だにクラウトは掴みどころがなかった。
元々、よくは思われていないと思い、必要以上に近づくこともなかったせいか、何を考えているのか分からない。
(でも……アンジェリーナ様の前では、あんな表情をしていたし……昔からの知り合いだから、あんな風な表情を見せるのかな? クラウトさんも長いことこの王宮にいるって前にアルくんが言っていたし)
「__と、このように、国によってマナーの違いがあるから、その都度、失礼のないよう__エルダ、聞いてる?」
「はっ……! すいません……! 他のことを考えてしまっていました……!」
(いけない、せっかくアンジェリーナ様が教えてくださっているのに私という者は……)
「まったく、正直すぎて怒る気にもなれないわ」
「すいませんすいません……!」
(しっかりしないと。夜会まで、もう時間がないんだから)
夜会まであと二日。今日は、座学の最後の追い込みをしているのだ。
気を引き締めたように、クッと眉間を寄せるエルダを前に、アンジェリーナは苦笑すると、持っていた本をパタリと閉じる。
「そこまで固くなる必要はないわ。夜会共通言語、それさえ出来ていればね」
「夜会共通言語ですか?」
(何かの才みたいな感じなのかな)
アンジェリーナは妖麗な笑みを見せると、エルダの頬を親指と人差し指で摘み、くいっと上に持ち上げた。
「え・が・お!」
「へがほぉ?」
「そう! それさえ出来ていれば、最悪なんとかなるわ」
つまり、危ない場面があったとしても、笑顔で乗り切れということだろうか。そんな誤魔化しで、貴族達を出し抜くことができるのか。
(でも、王女であるアンジェリーナ様は、数々の難しい局面を切り抜けて来たお方なはず。そんな人からの助言……! なんとかなる……!)
「まあ、気持ちは分かるわよ? 私も初めてのデビュタントの時は緊張したわ」
「えっ、アンジェリーナ様でも、緊張なさることがあるのですか?」
「あるわよ~」
(意外……アンジェリーナ様のような方でも、緊張とかするんだ。根気強いお方だから、何事も動じないと思っていたけど……あれ、じゃあ、もしかして……)
「アンジェリーナ様、婚姻について、不安はありませんか?」
エルダがそう問いかけると、本棚に手を伸ばしていたアンジェリーナの手が止まった。
視線が下を向く。
「……あなたを前に、嘘は通用しなそうね」
そう言うと、観念したように隣の椅子に腰を下ろすアンジェリーナ。
「不安はあるわ。マーク王子には会ったこともないし、夫婦として上手くやっていけるのか分からない」
顔無き王子。アンジェリーナの婚姻相手であるベーベル国の第一王子、マーク・ベーベルは、そう呼ばれている。王同様、民の前だけではなく貴族達の前にも姿を現すことがない。そんな秘密事が多いベーベルとの婚姻。不安にならないわけがなかった。
伏せられるアンジェリーナの瞳。
「アンジェリーナ様……」
「大丈夫よ、私は柔な女じゃないの。マーク王子がどんな人でも、狼狽えたりしないんだから」
アンジェリーナは笑ってそう言ったが、エルダは心配だった。
せっかくレディート国に来たのだから、町を探索したいと言うアンジェリーナ。王女が町に来たとなれば、民達は大騒ぎ。布で顔を覆い、バレないようにすることを条件として、クラウト同伴の元、三人で夜の町へ来ていた。
「やっぱり、レディート国は自然が美しいわね」
夜空を見上げ、両手を伸ばすアンジェリーナ。輝く星々を瞳の中に刻み込んでいるようだった。
スワン国は太陽の沈まない国。一日中、明るい世界では星を見る事もない。
小さい頃に訪れていたと言っても、今のアンジェリーナが感じるのはまた別物。今その目に見えているもの、全てが新鮮だろう。
アンジェリーナの訪問で、いつも以上に賑わいを見せる町。
エルダも夜の町に来るのは久々だった。
花屋に居た頃は、この時間はいつもお店を閉めて、部屋でゆっくりと過ごしていることが多かったのだ。
「あ、もしかして、あそこって酒場?」
アンジェリーナが指差した先には、店前に大きな樽を置いた小さな酒場があった。店の中には、恰幅の良い男達が大きな笑い声を上げて、酒を飲み交わしているようだった。
レディートには、スワンほど酒場はない。大体はカフェなどのお茶ができるお店ばかりだ。
(さすがアンジェリーナ様。小さなお店でも、酒場となれば見つけるのがお上手だ。レイチェルの言う通り、本当に酒豪なんだ)
「行こう」っと、ワクワクした様子で、エルダの腕を引っ張るアンジェリーナ。だが、その前にすかさずクラウトが立ちはだかる。
「……ちょっと退いてよ」
「ダメですよ。あなた飲んだら、とことん陽気になられるのですから」
「別にダル絡みしてないんだし、楽しくやってるだけなんだから良いじゃないの?」
(確かに、アンジェリーナ様はお酒に強いから、酔っ払うってことがなさそう)
引かないアンジェリーナ。しかし、クラウトも譲る気がないようで。
「ダメです」
頑なにクラウトがそう言うと、アンジェリーナは顔を顰め、フイッとクラウトから顔を背けた。
「……堅物め」
「何か言いましたか?」
「べっつにー」
不満気に大きなため息をつくと、くるりと体の向きを回転させ、エルダの腕を引っ張って歩き出す。その後ろをクラウトは、何も言わず、付いてくる。
(こんな光景、アルくんといる時もよく見たな)
少しくらい、いいのではないかと言いたいが、そんなことを言っても、あなたは甘いだとか、本当に何も分かっていないと言われてしまいそうなので、何も言わないことに。
すると、アンジェリーナが立ち止まり、揃うようにエルダも足を止めた。
「どうかされましたか?」
「今、猫の鳴き声がした気がした」
「猫、ですか……」
(そんな声、したかな?)
騒がしい町の中、エルダとクラウトも耳をすませてみる。
「こっち」
そう言われ、アンジェリーナは一人で駆け出す。その後ろをクラウトと追う。
行き着いたのは、人気のない薄暗い路地の裏だった。
「確かにこの辺から……あっ」
しゃがみ込んだアンジェリーナ。その視線の先には子猫がいた。子猫は苦しそうに呼吸をして、助けを乞うように必死に泣いていた。
虚な瞳でアンジェリーナをを見る子猫。
アンジェリーナは猫を抱き上げると、囲うように胸に抱きしめた。
「怪我でしょうか?」
子猫の体をくまなく見たが、外傷は見られない。
(動物を見られる人なんて、この町にはいないし、だからと言って、王宮に戻る暇もない)
猫は苦しそうに泣いていた。
このままでは猫が死んでしまう。一体、どうすればいいのだろうと、頭を悩ませていると。
「エルダ、この子を抱いて」
「え?」
「いいから」
そう言うと、アンジェリーナはエルダに子猫を渡す。そして、猫の体の上に自分の両手を置いた。すると、宝箱を開けたように、アンジェリーナの手から、まばゆいエメラルド色の光が放たれた。
猫は、お腹を引っ込めたっり、出したりしながら、見る見る呼吸を落ち着かせ、やがて目を閉じると、小さな寝息を立て眠りについた。
「今のって……」
「アンジェリーナ様は、治癒の才をお持ちなのです」
後ろで見ていたクラウトが言う。
「治癒……?」
「人を含めた、生き物を治療することが出来るのです」
「えっ、すごいですアンジェリーナ様! 私、こんなことが出来るなんて、知らなかったです!」
(これも、才の一種なんだ)
「大袈裟よ。私の才は、ちょっとした治療しか出来ないし」
「でも、命を救うことにだって繋がります!」
アンジェリーナも王族の人間。何かしらの才を持っていると思っていたが、傷を癒すことができるとは。
(こんな素敵な才があったなんて)
アルバートは、才に苦労しているところがあった。その姿を見たが故、エルダは才というものに良い印象ばかりを持てないでいた。
王宮に来る前、町での生活しか知らなかった時も、町の人達のように才を危険視しているところはあった。王族しか持つことが出来ない才は、庶民である町の民には目に見えない銃弾のようなもの。みんな、才に守られていると分かっていても、同時に不安も抱えているはずだ。
「この子、何か良くない物を食べて、腹痛がしていたみたい」
「そうでしたか……」
(でも、本当に良かった。一瞬、病気にでもなっちゃったのかと思った)
回復するまで、子猫は王宮で面倒を見ることなった。
帰り際、町の広場の噴水の前に人だかりが出来ていて、そこは一段と賑やかだった。気になって、人だかりの中を覗くと、太鼓と笛が奏でる、テンポの良いリズミカルな音楽に合わせて、華やかな衣装に身を包んだ女性たちが踊っていた。
あれは各地を回っている踊り子一座だ。
豪快なスワン国の王女であるアンジェリーナが、楽し気な一座に惹かれないわけがない。
アンジェリーナは輝かしいその中心の輪に加わろうとする。クラウトがアンジェリーナの腕を掴もうとするも、簡単にすり抜けられる。
アンジェリーナは楽しそうに笑いながら、輪の中心に入り踊り出した。
顔は覆ってるが、何かの拍子でバレてしまいそうで、エルダはヒヤヒヤしていた。そんなエルダの心配をよそに、アンジェリーナは町の人達の手を取り踊り続ける。
そんなアンジェリーナの姿を見て、ふとまた思う。
「アンジェリーナ様は、本当に婚姻を望まれているのでしょうか」
「……なぜ、そう思いに?」
「あんなに自由な方なのに、顔も知らない方との結婚を承諾されるなんて、少し違和感を感じてしまって」
(アンジェリーナ様は、婚姻に対して不安だと言っていたし、本当はしたくないのかもしれない)
「あなたも、エーデルとレディートの関係は知っていますね」
「はい」
こないだの村の一件のこともあり、両国の関係は良くなるどころか、悪化している一方だった。状況を見るに、アンジェリーナの婚姻には、国同士の争いごとが関係しているのだろう。
「これは、レディート国の未来を守るためです。アンジェリーナ様も、ご自分の国と平和を守るために、ご理解して下さっています」
「そのために、アンジェリーナ様の意思が尊重されなくてもですか?」
「ええ」
「そんな……そんなの、酷いです……」
「では、どうしろと? あなたに何か出来るのですか?」
珍しく、クラウトが少し取り乱したようにそう問う。
「それは……」
そう言ったきり、エルダも何も言えなかった。
そのうち、そこにいた民達が、アンジェリーナの楽し気な姿につられて、思い思いに体を動き始めた。
それを見たアンジェリーナも、また楽しそうに踊る。
彼女がそこにいることで、すべての空間を自分に色に染めてしまう。少し傲慢で、自由で、わがままで、振り回されるのに付いて行きたくなってしまう。無茶苦茶なのに、その姿にどうしよもなく惹きつけられる。
「……本当に、勝手なお方です」
賑わう町の中、クラウトは独り言のように、ポツリとエルダの隣言った。
その深海の瞳は、まるで夜明けの太陽を浴びたかのよう熱を帯び、光を宿らせていた。
真っ直ぐに、アンジェリーナを見つめながら。
「クラウトさんって……ひょっとして、アンジェリーナ様のこと……」
その時、空に花火が打ち挙げられ、エルダの声はかき消された。どうやら、踊りがフィナーレを迎えたらしい。黄色い声援と、拍手喝采の広場。踊っていたアンジェリーナ自らも、民達に拍手を送る。
アンジェリーナは人混みの中からこちらに気づくと、頬を桜色の染め、ある一点を見つめ、微笑んだ。その視線は、エルダの隣に注がれ続けたのだった。
♧♧♧
夜会を明日に控えた夕方。アレンが王宮内を歩いていると、西陽が差し込むダンスホールで、花を生けるエルダの姿があった。
明日、夜会が行われるダンスホールに置く花を、アルバートに頼まれたのであろう。
オレンジ色の光に包まれた純真なエルダは、アレンの瞳に、花の妖精のように映った。
腕を組み、顎に片手を乗せるエルダ。視線の先のテーブルには、胡蝶蘭の花が置かれていた。
どこに生けようか、頭の中で構造を練っているのだろう。
(眉間に皺が寄っている、真剣に考えている証拠だ)
声をかけず、柱に寄りかかり、エルダを見続けるアレン。
ここ最近は、毎日レッスン漬けだったエルダ。自分が推薦したものの、流石に疲れが溜まっているだろうと心配していたが、聞くに、座学もダンスも、誰もの予想を超え成長しているとのこと。
どうやら、自分が思っていた以上に、彼女には度胸と根性があるようだった。
今、見る彼女も、花に対しての真摯な気持ちと態度が崩れない。それはまさしくプロの姿だ。
すると、急に何かを思い立ったかのように、エルダは胡蝶蘭を手に持つ。
ついに生ける場所を見つけたのかと思ったが。
「フッ……」
思わず、アレンに笑みがこぼれる。
(何をするのかと思いきや)
エルダは手に持った胡蝶蘭をガラスの窓にかざした。
レディート国の太陽の光が一身に注がれた胡蝶蘭は、小さな光を体内の灯し、発光して鉱石のように光り輝いていた。
「ふふっ、綺麗ね……」
胡蝶蘭を見上げ微笑むエルダの横顔を、アレンは見つめた。
(……エルダ、お前のあの言葉が本当なら、俺はどうするべきだ。この胸の中にある愛おしいほどの苦しみが、お前を想う事であり続けるなら、俺は……俺は……)
こちらの気配に気がついたエルダが振り向く。
「アレン様……!」
自分を見ると、はじけそうなほどに眩しい笑顔を浮かべるエルダ。
寄りかかっていた体を起こしエルダの元へ行く。
「上手く出来そうか」
「はい、もう少しで、良い案がひらめきそうなのですが……」
「うーん」っと、唸りながら首を左右に傾げるエルダ。
オアシスには、すでに何本かの葉物が挿されていた。胡蝶蘭を軸にし、葉物で周りを埋める形にしても良いと思った。
(彼女の腕は確かだ。それは認めざる得ない。だが、それだけではないのだ。本人は気づいていないようだが)
「あの花も、綺麗だった」
「あの花?」
「室内庭園に飾られている薔薇の」
「えっ」
瞬きもせずに、自分を見るエルダ。
「……なぜ、そんな驚いたようにする」
「いえ……アレン様に気に入っていただけたのが、嬉しくて……」
頬を染め、俯くエルダ。もう何度、こんな彼女を見ただろうか。そして、もう何度、この感情が自分の心を埋め尽くしただろうか。
「……」
「アレン様」
名前を呼ばれハッとし、ぎこちなくも微笑む。
「どうした?」
「聞きたいことが、あるのですが……」
「なんでも言ってみろ」
エルダは「では、お言葉に甘えて」っと、小さく頷く。
「アルバート様から、アレン様が、私には生まれ持った才があるとおっしゃっていたとお聞きしました。それがなんなのか知りたくて」
そのことかと思う。自覚がないのがいいことだと思っていたが、ここで教えないと気になって考え続けてしまいそうだと思った。
アレンは、一息置くと、話だした。
「これは、俺が勝手に感じていることだが、お前には、人を癒す才能があると思う」
(出会った時からそうだった。彼女がそこにいるだけで、時間は穏やかに流れ、全てのものが包み込まれる。そんな、目には見えない、不思議な力のようものがあった)
「そんな素敵な才があるなんて、私は幸せ者ですね」
(こういう、素直なところも……)
「あっ……アレン様は、どんな才をお持ちなんでしょうね」
楽しそうに笑うエルダ。その質問に、普通だったらどうってことなく答えられただろう。
(俺がもし、本当に、ただのアレン・フランシス・ルーズベルトだったなら……)
__彼女のこと、愛しているの?
アンジェリーナの言葉が頭をよぎる。
(……そんなこと、彼女に迷惑だ。第一、俺が誰かを愛することなんて出来やしない……)
「……」
「アレン様? どうかされましたか?」
不思議そうに、アレンの顔を覗き込むエルダの頭の上、片手を置く。
「いいや。明日、しっかりな。見守ってる」
なるべく優しく。そう思いながら、ゆっくりと手を左右に動かし頭を撫でると、エルダは嬉しそうに「はいっ!」っと頷いた。
胸が、苦しい__。
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