三
「僕の婚約者になってくれない?」
「……はい?」
話があると言われ、クラウトに付いてアルバートの元を訪れると、いきなりそう言われた。訳が分からず困っていると、後ろに立っていたクラウトがため息をついた。
「アルバート様、主語がなさすぎです。これでは話の筋が見えません」
「ああ、そうだよね。ごめんごめん」
気を取り直すように机の上で手を組み直すアルバート。
「今、スワン国から王女のアンジェリーナが来ているのは知っているよね?」
「はい、存じております」
「アンジェリーナは社交の場が好きでね。だから、おもてなしの意味も込めて、一週間後、夜会を開こうと思って」
夜会。文字通り、夜に行われる社交の会で、多くの貴族を招いて行われ、ダンスや音楽を楽しむ場だ。当然、レディート国でもこのような夜会は定期的に行われている。
「僕も王子として参加するんだけど、色々と面倒な人も多くてさ。恋人はいないのかとか、結婚はいつするのかとか、うるさいほどに言われるんだ」
飽き飽きした顔でそう言うアルバート。未来の王様でアルバートを、周りの貴族たちが放っておくわけがなく、ここぞとばかりに、自分の娘を嫁がせようと推す。そう言うのに、うんざりしているのだろう。
「そこでだよ!」
ビシッと、久し指を向けられる。
「エルダに、僕の婚約者のふりをしてほしいんだ」
「えっ……えええ! む、無理ですよ……!!」
(私がアルくんの婚約者なんて、そんなの出来るわけがない!)
「でも、他に頼める人がいないの! それに、エルダはフローリストで、あまり人前に出ないから、他の使用人達のように、貴族達に顔も知られてない! イコール、バレない!」
「いやいや、そうは言ってもですよ! 私のような身分のものがアルバート様の隣に立つことなんて出来ませんよ」
「同感ですね」
間髪入れず、クラウトの容赦ない同意が聞こえる。
(やっぱり、クラウトさんも反対みたい)
「でも、本当にエルダしか頼める人いないし……」
瞳をうるわせるアルバート。まさかの泣き落としか。
「それに、私は貴族の方達のような振る舞いは出来ません!」
庶民であるエルダには、令嬢たちがにあるような気品や教養は一切無い。そんな自分が社交の場に出るなんてことはで出来ない。
「それなら問題ないよ」
「へ?」
目伏せされたクラウトが、机の上に大量の資料と教本を置く。量が凄すぎて、机が揺れる。
「こ、これは……?」
恐る恐る聞き返すエルダ。
「社交界でのマナーや教養が書いてある教本。それと、僕との馴れ初めが書かれた書類。婚約者として、いつどこで出会ったのか。口裏を合わせないとすぐに嘘だってバレるでしょ? だからそこに書いてあることを全部覚えてほしいんだ」
(全部って……ざっと見ただけでもすごい量。とてもじゃないけど、一週間で出来るようになるものには思えない……クラウトさんだって、きっとそう思っているはず)
後ろを向くとクラウト目が合った。眉を下げ、呆れたようにすると目を逸らされる。
どうやら、従うしかないようだった。
「アルくん……!」
最後の願いをかけるように、クラウト前であろうが、親しみを込めた名前で呼ぶ。
「これはアレンの案なんだよ」
「えっ? それって……」
「『エルダは勉強家で覚えも良い。国に関する応用的な知識も既に得ている。それに加え、生まれ持った才もある。だからエルダが適任だ』ってね」
(アレン様が、そんなことを……)
アレンが、自分をそんな風に評価してくれているとは思いもせず嬉しかった。
「あの、生まれ持った才って……?」
当たり前だが、王族でもないエルダには才なんてものはない。アレンは何のことを言っているのか。
「それは、直接本人に聞くといいよ」
そう言い、アルバートは優しく微笑むだけで、教えてくれなかった。
社交界デビュー向けて、優秀な家庭教師をつけるからと言われたものの、不安しかなかった。
この王宮に来て始まって以来、一番の不安事だ。
そんなエルダの気も配慮されることなく、次の日から、夜会に備えて勉強が始まった。家庭教師は貴族の夫人だろうか。そんな風に考えていたのに。
それのに、まさか、あの方が先生だったなんて。
「__初めまして、アンジェリーナ・スワンです。今日からよろしくお願いしますね。エルダ姫」
妖麗な笑みを向けられ、心臓がドキッとする。
(ア、アンジェリーナ様……!?)
どう言うことなのだろうか。目の前いる女性は正真正銘、あの、アンジェリーナ・スワンだ。
「さあ、座って」
椅子に腰掛けるよう促されるが、失礼しますだなんて言えない。
「あ、あの……!」
「なにかしら?」
「どうして、アンジェリーナ様がここに」
(何がなんだが、もうさっぱり)
「アルバートから聞いてないの?」
首を横に振るエルダを見て、肩を下げるアンジェリーナ。
「それだもの、そんなに驚いた顔をするわけね」
とりあえず座ってと言われ、今度は「失礼します」と向かい合うように腰を下ろす。
見据えたアンジェリーナは、くるりとカールのついた長いまつ毛に、ふっくらとした血色の良い唇。まるで人形のように美しい顔立ちをしながらも、ただならぬ色気というものを感じた。
(レイチェルが言っていた通り、アメジストのように綺麗な瞳……アレン様の瞳の色と少し似ているけれど、全然違う)
「あら、そんなに見つめて、私の顔に何かついている?」
ニヤリと笑っているアンジェリーナの瞳の奥、心を弄ばれてしまいそうな謎めいた光がきらりと輝く。
「い、いえ……!」
(綺麗すぎて見惚れていました。なんて、恥ずかしくて言えない。アンジェリーナ様のような方なら尚更)
この王宮に来てからと言うもの、端正な顔立ちをしている人達ばかり見ているものだと思う。
(アルくんもアンジェリーナ様もそうだけど、王族の方って、みなさん綺麗な顔をされているんだな。あ、でも、アレン様も負けずにとってもお綺麗……)
「楽しいことを考えているところ悪いけれど、時間もないし、授業を始めていきたいの。と、その前に、どうして私が、あなたの先生になったのかだったわね」
「はい」
「私とアルバート……それにアレンは幼馴染みたいなものなの。アルバートに、あなたを立派なレディーにしてくれって、頼まれたってわけ」
スワン国とレディート国は古くから親交のある国。国王同士の仲も良いとなれば、その子供同士も親交を持つのも自然なこと。
アレン様は侯爵家の家の生まれで、この国に忠誠を誓っている騎士の一族。昔からアンジェリーナ様とも関わり合いを持っていてもおかしくはない。
「なるほど」
(あれ、ということは、アンジェリーナ様は、私が偽の婚約者だということをご存知、なんだよね?)
「安心して、私は全て知っているわ」
エルダの考えを察してアンジェリーナが言う。
「そ、そうでしたか」
ほっと胸を撫で下ろす。
(良かった。知らない方だったら、色々とやりづらいと思っていたから……特に、あの設定だと)
アルバートの考案で、夜会でのエルダは、ルーズベルト家が迎え入れた養子で、アレンの妹と言う設定。これが聞いてびっくり、ルーズベルト家もアレンも了承済みとのこと。
『もし、何かあったときに、アレンが君ばかりを優先しても、他は何も思わないだろう?』そう言ったアルバートはなんだか楽しそうだった。
(アルくんったら、私の気持ちを知ってってそういうことをするんだから)
夜会には、アレン祖父であり、剣の申し子であると謳われた、ルーズベルト侯爵家当主である、フランシスも来る。
(アレン様のお祖父様。一体、どんな方なんだろう)
「大丈夫? アルバートから聞いたけど、こう言った場には慣れていないんでしょう?」
心配そうに自分を見るアンジェリーナ。
上手く丸め込まれた感もあるが、引き受けた以上、やり遂げたい。
「大丈夫です! 私、一生懸命さが取り柄なので、頑張ります!」
(せっかくアルくんが、私を頼ってくれたんだし)
「それに、アンジェリーナ様のようなお方が、私のような者のためにお時間を割いてくださっているのですから、立派に成し遂げてみせます」
怖さだって、不安と同じくらいある。それでも、誰かのために何かが出来ることは、エルダにとって、喜ばしいことだ。
「ふふっ」
笑みを漏らすアンジェリーナ。蝶のように滑らかな指先が口元に添えられる。
「どうかなさいましたか?」
「いいえ、ただ、あの人が選ぶだけはあるなと思って」
「……?」
「こっちの話。気にしないで。さあ、授業を始めましょう。一週間後、あなたは会場中を魅了する、一人前のレディーになるのだから」
「よ、よろしく、お願いします……!」
かくして、アンジェリーナとの秘密の勉強会が幕を上げたのだった。
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