第二章 愛らしく舞う花と涙 一

 レディート国から北に位置する国、スワン国。国王であるアスラン王の朝は早い。誰よりも早く起き、朝日を浴びる。太陽の沈まない国であるスワン国でも、朝の日光は特別なのだ。

 王たるもの、常に強者であれ。

それが、アスラン王の座右の銘だった。

 アスランの才は強靭な肉体。しかし、その肉体を使いこなし支えるのも、安易なことではない。それゆえ体が耐え切れず、若くして亡くなる者も少なくはない。

 そうならないためにも、心身ともに健康でいることが前提だとアスラン王は考えていた。故に、こうして朝日を浴び一日を始めようとしている。

 自らが栄えさせている国はまだ夢の中にいる。民たちは、今日も良い目覚めを迎えられるだろうか。

 誰よりも民を想い、民から頼られ、国を一番に考える。その姿は正しく、王の中の王であり、強靭な肉体の才を持って生まれたというのに、その才ばかりに頼らず、自らの心身を鍛える。才能の上に努力を重ねる姿は、民からだけではなく、王宮に支える兵士たちからも、尊敬の眼差しを受けていた。

 そんなアスラン王にも、一つだけ気がかりなことがあった。それは、一人娘であるアンジェリーナのことだ。今年で二十四になる娘は、婚約者はおろか恋人すらもいない。いずれ自分は老い、この命は尽きる。その前に、娘を大切に想ってくれる男と結婚させたい。

 母親に似て美人な娘だが、少々、気難しい性格をしているせいか、誰も結婚したがらないのだ。今まで持ってきた婚姻話の中には、王子や貴族、アスランの飲み仲間を含め、中々、筋の良い男たちがいたはず、だが、どこの息子からも全て断られている。

 相手の男どもに理由を聞くと、彼女の破天荒さにはついていけないと、口裏合わせでもしたかのように口を揃えて言う。自分に似て酒豪ではあるが、酒癖はそこまで悪くない。もしや、自分が知らないだけで、潜めている横暴さがあるのだろうか。

(あのアンジーが?)

「うーん……」

 分からん、分からんと、頭を捻る。

 だが、そんなことを言われる娘でも、かつて許嫁というものは存在していたのだ。

 机の引き出しに入れていた書状を手に取る。差出人は、アレン・フランシス・ルーズベルト。あの、いけすかなくなった父親に、よく似た瞳を持っている男だ。

 小さくため息をつき、書状を開く。

(……相変わらず、流れるように美しい字をしている。それも、あのいけすかない父親にそっくりだ)

 この書状がきた時は驚いたものだ。差出人に驚き、内容にまた目を見開かされた。一体、何を考えているのかと思っていたが、やって来たいけすかない奴の息子は、どこか以前よりも、穏やかな顔をしていた。

 ここだけの話、少し気味が悪かった。他国でも冷酷無慈悲と噂高い孤高の天才が、穏やかなど。それに、あの王子も、いつもの幼なげな笑顔とは違い、どこか安堵したような笑みを浮かべていた。婚姻を承諾したわけでもないというのにそんな状態で何か裏があるのかと思ったが、レディートはそんな騙し討ちをするような国ではない。それは長年築く上げた信頼関係で分かっている。

 ベーベル国のマークとアンジーの結婚。どんな提案をされるのかと思ったが、国同士の国益も十分にあり、悪い話ではない。しかし、大切なのはアンジーの気持ちだ。娘に結婚の意思がなければ、この話は断ろうと思っていた。だが、アンジーはこの婚姻を受けた。驚きのあまり聞き返したが、アンジーは二言で承諾したのだ。何度も聞いた。本当に大丈夫のかと。後悔はしないのかと。だが、アンジーは笑顔で大丈夫だと言うだけだった。

 そうして、あれまあれまと、婚姻の話は進み、今日、アンジーは親交の証として、レディートを訪れ、その足で、ベーベルへ向かう。

 しつこいようだが、本当に本当に大丈夫か、っと、アスランは娘の気持ちが心配だった。

「父さん、私、入ってもいい?」

 ノックもせずに扉の向こうに聞こえた娘の声。きっと、扉の前で、決意を固めていたのだろう。普段は意地っ張りで、強情なところもあるが、こういうところもアンジーの可愛いところの一つだ。

 返事を返し、入ってきたアンジーはすでに正装姿だった。

「早いな」

「今日はね、色々と準備があるから」

 ぎこちなく微笑むアンジー。

 一段と華やかな娘を前に、頬が緩くなる。最愛の王妃との間に授かった娘。可愛くて仕方がない。真っ赤なドレスはアンジーの瞳の色によく似合っている。

(あれだけ結婚を望んでいたはずだというのに、いざその時がくると、寂しいものだな……)

 それは娘も同じなようで、アンジーは大柄な父親に抱きつき、その厚いまな板に、自分の顔を埋める。

 アスランは、自分と同じ栗色の髪を優しく撫でる。あんなに小さかったのに、もうこんなに大きくなったのかと、娘を抱きしめながら、月日の流れの早さを感じる。

 抱きしめる腕に力が入る。

「父さん、苦しいよ……」

「……すまんな、つい」

 体を離すと、アンジーは嬉しそうに頬を赤く染め笑っていた。

 本当に、愛らしい娘だ。親バカと言われても、愛おしくて仕方がない。

「そんなに寂しがらなくても、私が父さんの娘であることには変わらないわ」

「そうだな。でも、他の男のものなることは変わりない」

「大丈夫よ。どんな男も、父さんには敵わない。私の世界一は父さんよ」

「ははっ、嬉しいが、そんなこと言ったら、母さんが嫉妬してしまうぞ」

「いいのっ! 母さんは私より兄さんが好きなんだしおあいこでしょ!」

 そう言い、再び、腕の中に収まる娘を今度は優しく抱きしめる。

 静かに目を閉じると、アンジーの鼓動が、自分の鼓動と共鳴しているのを感じた。

(……この子を信じよう。なんってたって、この子は俺の子だ)

「さあ、支度の続きをしろ、おおかた、終わっているのだろうが、エミリーは気が気ではないだろう」

「そうね、侍女の中で、一番の心配性よ」 

 アンジーを部屋の外まで送ると、アスランは早くも賑わいだした国に、再び目を向けた。

 次は、王としての務めを果たす時がきたようだ。


♧♧♧


 スワン国から王女がやって来ると聞き、レディートの街は朝から賑わっていた。民は自分が考える最大のおもてなしをしようと大忙しなのだ。

 店を休みにしている人もいるせいか、町に出ている人の数もいつもより多い。

 王宮の騎士達も、朝から緊迫した面持ちで町へ赴いて行った。

 ついさっきからは、アンジェリーナを乗せた馬車が通る、王宮へと続く道の警備を始められ、民達は今か今かとその時を待っていた。

 そんな中、エルダも久しぶりに町を訪れていた。

 王宮で働くことになってから、一度も町を訪れることがなかったエルダ。王宮で仕事や勉強ばかりの毎日は嫌ではなかったが、そんなエルダを、雇い主であるアルバートは気にしたのか、暇をくれたのだ。

 町中には、レディート国の白鳥の紋章と、スワン国の象の紋章のフラッグが並び、レディートの青と、スワンの赤で埋め尽くされ、入り口には、横断幕が貼られてある。スワン国の言葉で『アンジェリーナ様、ようこそ、お越しくださいました』と書かれている。

 店や住宅の壁には、折り紙などで作られた飾り付けがされている。中には子供が描いたのであろう、アンジェリーナをイメージした似顔絵もあった。

 エルダも、アンジェリーナがどんな姿をしているのか想像しながら、今日この日を迎えた。

(酒豪で、アメジストのように光り輝く瞳をお持ちの方。強くて、かっこいいお姫様かも……!)

 そんなことを考えながら歩いていると店に到着。

 店の前に置かれている植物たちに「久しぶり」っと挨拶をする。小窓から中を覗くと、エルダが会いたかった人物は、いつもの定位置にいた。

 何やら、真剣に花を生けているみたいだった。

 ドアを開けると、久しぶりにそのベルの音を聞いた。


ーーカランカランッ!


「おはようございます!」

 カウンターにいる店長は、ゆっくりとこちらに振り向くと、目をぱちぱちとさせた。

「エルダ……どうしたんだ、急に……」

「アルバート様がお暇をくださったのです。それで、店長に会いに来ちゃいました」

 突然現れたエルダに驚いたものの、店長はすぐにいつもの柔らかな笑みで、エルダを迎え入れた。

 店のドアノブにかけられていた看板をcloseに変える。店は昼休みにしてくれ、カウンターの椅子に座るように促される。

 奥にあるキッチンでケトルにお湯を沸かし、戸棚から紅茶のパックを取り出す店長。ここにいた頃は、よく見いていた光景だ。それが今また目の前にあり、安堵する気持ちが心に広がった。

 紅茶が出来上がるのを待つ間に、店長が取り掛かっていたアレンジメントを眺める。

 お祝い用らしく、中心には薄ピンク色の薔薇、周りには、紫色のデンファレや青色のデルフィニュウムが生けられ、器用に使い分けされている葉物の間には、かすみ草も生けられていた。

 作業台の上には、ラッピングに使う赤い和紙が置かれていた。

 アンジェリーナがレディートを訪れることになってからというもの、店長の元へ花の依頼は後を絶たなかったらしい。エルダが王宮に行き、他の従業員を雇うことも考えたが、中々、見つからず、一人でなんとか店を切り盛りしていたと言う。

 ここに来るまで、玄関先や家の窓辺へ、見たことのある生け方をしたアレンジメントや花束が置いてあった。どれも店長が生けたものだとすぐ分かった。

(本当に素敵……私も、こんな風に人の心を動かす花を生けられているかな)

「そんなにじっとみいられると、恥ずかしいな」

 奥のキッチンにいた店長が、いつの間にかカウンターに戻ってきていた。

 手には、芳しい香りがする紅茶が淹れたカップを二つ持っていた。

 ソーサーの上に置かれたカップを受け取ると、窓辺の方へ体を向け、隣に並んで座る。

 いつもの穏やかさとは打って変わった町を前に、王宮での出来事を話す。店長は終始にこやかに頷き、エルダの話に耳を傾けていた。途中、おかしそうに笑ったり、ハラハラした表情を見せたりもしてくれ、エルダは、自分が当たり前のように過ごしてきた日々の大きな価値を知った。

「楽しそうでなによりだよ」

「はい。毎日、覚えることが多いですが、たくさんの方に支えていただけているおかげで、とても充実しています」

(庶民の自分が王宮の世界に入る。そんな、どこかの国の絵本にでもありそうな現実に、戸惑ったりもした。だけど、アルくんやクラウトさん、セインさん、レイチェル。それに……)

「その、アレン様っていう方? エルダのことをとても大切に想ってくれているんだね」

「えっ……そう、でしょうか……」

「うん、僕はそんな気がするな~」

(仮に、アレン様が、私などを大切に思ってくれていたとして、それは、特別な気持ちなどではない。私がアレン様に抱いている、この、特別な気持ちとは……)

__アレンと随分、仲がいいんだね。

 そうアルバートに言われて、後の告白がなくとも、もたついてしまった自分がいたことが、全てだと思う。

「仲が良いなんて、言ってもいいのでしょうか」

「なんで? あんなに一緒にいるのに」

「いえ……ただ、一方的に、私がアレン様をお慕いしていて……」

 あの時は、アルバートから何も返ってこないことで、我に返った。急いで口を塞ぐも、すでに遅かった。螺旋階段を先に降りていたアルバートは立ち止まり、ものすごく驚いたような顔をしてこちらを向いた。

「あっ……っと……」

 どうしようかと思った。こんなことを口に出すつもりはなかった。でも、言ってしまった。

「そっか……うん……そっかそっか!」

 すごくとんでもないことを言ってしまったはずなのに、なぜだが、アルバートは嬉しそうに笑っていた。

「エルダがアレンを好き、か……僕、応援するよ」

「よ、よろしいのですか?? そのーあのー、色々と……!」

「どうして? いいに決まっているでしょ?」

 いい気に決まっているなど、アルバートは自分の身分を承知の上でそのようなことを口にしているのだろうか。

「それに……」

 そう、アルバートは何かを言いかけたが「なんでもない!」と言い、それっきり、その件については触れてこなかった。

(アルくん。一体、何を考えているんだろう。アルくんも優しい方だから、私の気持ちを無碍にするようなことをしないようにしてくれているのだろうけど)

 考え込んでいると、頬にふわりとしたもの触れた。

「紫陽花。よかったら王宮に持って帰って」

 水色、ピンク、黄色、紫。土壌から吸い上げた成分によってその色は変化し、七変化を見せる、雨が似合う花。色が変わることから、花言葉は愛を離すような言葉に例えられているが、一つの色に固執しないその生き方は、華やかで、何にも縛られない自由な気持ちを表しているようだ。

 香りという香りがしない紫陽花。だが今のエルダには、甘さと愛しさ、切なさが合わさった香りがした。

 店長が、紫陽花の茎に水を含ませたペーパータオルを巻きつける。その上から銀色のホイルを巻き、水が漏れないように蓋をしてくれた。

 手渡された紫陽花の花束を胸に抱く。

「大変なことも多いだろうけど、またいつでも帰ってきてね」

「……はい」

 店を後にしたエルダは、寄り道をせずに真っ直ぐに王宮に帰ることにした。アルバートが用意してくれた馬車に乗り込み、御者に急いで王宮に戻ってもらえるようにお願いする。

 外には人ごみが出来ていた。もうすぐ、アンジェリーナが来るのかもしれない。

 本当は、アンジェリーナの姿を人一目、見ようと思っていたが、やめた。なんだか、アレンにい会いたくて仕方がなくなったのだ。王宮までの道のりが、あの時とは比べものにならないくらい長く感じた。

 

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