四
王宮の東棟に位置するレディート国の騎士団は、近隣国の中でも、一目置かれる存在だった。武器の軍事力こそ他の国に劣る部分があるものの、有能な騎士ばかりが揃っている。故に、戦いで、苦戦を強いられたことはない。と言うのも、入団する騎士達は、騎士団長であるアレン自ら選別を行い、部隊を構成しているのだ。
騎士になる者は、ルーズベルト家のように、代々、王宮に仕える貴族がほとんど。だが、稀に収入や肩書の部分で騎士という職を選ぶ者もいる。無論、甘ったれた生半可な気持ちで覚悟など持ち合わせていない人間に、騎士が務まるはずもなく、技能試験で尻尾を巻いで逃げるのがオチだった。もちろん、相手の身分だけで騎士を選別するようなこともない。貴族であろうが、育成する価値がないと思ったものは選別しない。逆に庶民であったとしても、育成する価値があると思ったものを選別する。自分なりに平等な仕事の仕方をしているとは思うが、隊員達をまとめ上げるにもそれなりの苦労がある。何せ、アレンの役職は騎士団トップの団長なのだから。
アレンは騎士団長としては珍しく、戦場では先頭に立ち、剣を抜く。その勇ましさに着いてきているのが、今のレディート国の騎士団だ。
だが、アレンが表立つのも、戦場くらいのもの。あとは緊急を要する時のみ。普段は、部下の剣術の訓練に、外交の準備、書類の処理と、王宮で過ごすことが多い。
やることは山のようにある。
それなのに、頭をよぎるのは彼女のことだった。
何の前触れもなく突然、自分の前に現れた町の花屋の女。名はエルダと言っていた。聞くに、アルバートが自ら引き抜いた人材だと。彼女はフローリストとしてこの王宮にやって来て、室内庭園の管理も任されている。
確かに、セイン一人であの庭園の管理は大変なことだ。庭師をもう一人増やしたというのなら理解出来るが、なぜ、あの部屋の管理までさせなければならないのか。
息抜きに外の空気を吸おうと、窓を開けようとすると、ホースで水撒きをする彼女の姿があった。
今かと思う。
ホースの水が顔にかかり、セインが慌てて、タオルを渡していた。
(ドジな女そうだなとは、初めて会った時から思っていたが、注意力もかけていそうだな)
エルダはタオルで顔を拭きながら楽しそうに笑っていた。
(……変な女)
そこでドアがノックする音が聞こえた。
「入れ」
ドアが開き、入ってきたのはアレンの右腕で、副団長のキース・マクレイガーだった。
「失礼します。団長。こちらの書類の確認をお願いします」
「ああ」
再び椅子に腰掛け、書類に目を通していると、キースが何やら嬉しそうに後ろの窓を見ていた。
「どうかしたか」
視線は書類に向けたまま、アレンが問うと、キースは照れくさそうに頬を染め、窓の外を指差した。
「新しくきた、フローリストの女の子がそこに」
「エルダのことか」
「え……! 団長、もうお知り合いで!?」
パッチリとした二重の瞳が、大きく見開かれる。
(そんなに驚くことか)
「たまたま顔を合わせて、挨拶程度の会話をしたまでだ」
「会話って、具体的にどんな感じに!?」
ぐいっと、顔を近づけられ、じーっとアレンを見るキース。
キースはまだ二十そこそこの男。この手の話題に興味は尽きない。その上、好奇心旺盛だ。
浅くため息を吐くと、片手で額あたりを押し返す。
「近いぞ」
「すいません」
咳払いをし、腕を後ろで組み直し、背筋を伸ばしてアレンのチェックが終わるのを待つキース。
勤務態度は至って真面目。その若さで副団長にまで上り詰めた男だ。並大抵の努力ではなかったはず。いずれこの騎士団を率いる存在となる。誰を想おうと勝手だが、たるむようなことは許すつもりはない。
「問題ないな」
資料に判を押し、差し出す。
「そういえば……あの件、本当ですか?」
柔らかな表情が一転。キースは神妙な面持ちだった。
「……ああ、本当だ。国王陛下は俺に一任してくださるそうだ」
「大丈夫でしょうか。何せ、ベーベルは秘め事が多いと言いますか……」
「さあな。だが、あのような事態は生み出さないことが、我々騎士の務めだ」
「……はい」
目を閉じれば、まるで瞼の裏に焼き付いたかのように、あの光景が見える。
__数日前。
アレンに一つの報告が入った。それは、エーデル国とレディート国の国境辺りの警備をしている、騎士団の警備部隊からだった。
村の住人が消えている__と。
すぐに、アレンはエーデル国との国境に位置する、レディート国のとある村を訪れた。
何かの神隠しにでもあっているのか。国の方針に疑問を抱く、反対派も少なくはない。そうであったらよかったものの。そこでアレンが見たのは、自然豊かなレディート国とは思えない、目を疑う光景だった。
「これは……」
村の土地は荒れ果て、民たちは痩せ細っていた。何より、疑問だったのは、村に子供を含めた男が一人もいなかったこと。
「男どもはどうした?」
老婆は虚な瞳で、馬に乗るアレンを見上げた。
「男たちはみんな戦争に駆り出されちまったよ」
「何……?」
戦争に駆り出されたとは、どういうことだ。レディートは休戦中。近隣国でも、戦いを強いているところなどない。
詳しく話を聞くと、どうやらエーデル国が無許可でこの村に足を踏み入れ、戦力となりそうな住人を強引に連れ去ったという。
なぜ、エーデルがこんなことしたのか、それは問わなくとも分かること。
レディートには食物を豊富に栽培することが出来る豊かな土地と環境ががある。対して、エーデルは金を軍事費用に費やし、食糧難に陥っているという。エーデルはレディート軍を潰し、国ごと土地を奪う気なのだろう。
「あいつらは、あたしら家族を人質にして、息子たちを連れて行ったのさ。おまけに、村にあったありったけの食糧まで……っ」
老婆は握った拳を震わせ、怒りを露わにしていた。
エーデルを潰せば、これ以上、自国の民が犠牲になることはないだろう。しかし、最近のエーデルは軍事力の伸びが凄まじい。その理由が単に、この村の住人を拉致し、軍人にしているというわけでもなさそうだ。疑問点が残ったままで戦いを仕掛けては危険だ。だからと言って、何もしないわけにはいかない。これは、レディートに対する宣戦布告とも言える。
まずはエーデル国の情報を集めながら、この村の再生を図る。念の為、こちらも守りを固めておいた方がいい。そのためには、少々、本音をというものを無視する必要がある。
キースが執務室を後にし、余計な感情を振り払うように、アレンは目の前の書類に目を通し続けていた。
日も暮れてきたが、今日中に書かなくてならない書状がある。
(同じ場所にいるのも息が詰まるな)
気分転換にと、執務室を出て室内庭園へ行くことに。
室内庭園の一番良いところは、人がいないところだ。ヒーデル王は王宮内をふらふらとするような人ではない。王は王らしくと、王座の間にいる。アルバートは公務で執務室に籠ることが多い。使用人達は付き添いでなければまず来ない。だから、ここはアレン専用の場所だった。周りの人間も、ここにアレンがよくいると分かっている。自ら冷酷無慈悲な人間がいるところに行くなんて、死に行くような行為をする者はいない。だから、ここに人が立ち入ることなど、今までなかったのだ。
辺りを見渡すも、そこに彼女の姿はなかった。
(……いないか)
肩をすくめるアレン。
(俺は……何を期待して……いや、期待などしていない。むしろその逆だ。いなくていい)
東屋のテーブルには、まだあの生花が置かれている。香りは少しばかり擦れたが、毎日水換えをし、室内の温度を花に対して適温にしているおかげか、腐敗は見られない。
(なぜこのような花を……)
生花から目を逸らし、椅子に座り書状を書き始める。
善は急げと言う。書き終わり次第、スワン国に書状を送り、面倒だが会議を行わなければならい。これは策の立案者であり、現状を目にしたアレンが行うから意味があるもの。
(どうなるかは分からないが、これに賭けるのが最善の策。それは間違いない)
「あっ……」
まだあどけなさが残る声がして、一度手を止めて顔を上げる。
(来たのか……)
そこにはエルダの姿があった。懐には、積み上げられた黒いケースを抱えていた。
中にはピンク色の花を咲かす苗が入っている。
エルダは少し戸惑っているようにも見えたが、そうでもないらしかった。
「アレン様、いらしていたのですね」
作っていない、自然な笑顔を浮かべるエルダ。大抵、自分を見る時の人の表情は険しかったり、怯えたりしているもの。大体の人間は、後者の方が多いが。
平然とした態度で自分に話しかけてくるエルダに、アレンは一瞥するだけで、返事もせず構わず手を動かした。
エルダは糸崩している紺色のエプロンをつけ、軍手を着けると、苗を植え始めた。
とろけるような高純な香りがする。
(これは……アザレアか)
アザレアは、春に咲く花でツツジ科の一種。入浴剤にも使用される、香りが残りやすい花だ。
(女が好みそうな香りだな)
きっと無意識だろう。エルダは楽しそうに鼻歌を歌いながら、苗植えをしていた。
(何がそんなに楽しいのだ。俺がいると言うのに)
彼女は花屋の娘で、王宮専属のフローリスト。花好きだから単に仕事が楽しいだけなのかもしれないが、こうも楽しそうにされると調子が狂う。
書状を書き終えると、重い頭を抱えて、エルダの元へ行く。アレンに気づいたエルダが腰を上げた。
あの日のように目の前に立ち、鋭い瞳で見下ろす。しかし、エルダはアレンから目を逸らすことなく。
「お戻りに?」
土をいじった軍手で触ったのか、頬には土がついていた。間抜けな姿だと思うはずだった。だが、そうは思えなかった。
「……いや」
同じように隣にしゃがみ込むと、黒いケースに入った苗を一つ手に取る。
我ながら、らしくないと思った。
(今日は一日中、書類の処理に追われたから頭が疲れたのだろう。きっとそうだ。出なければ、こんなのは俺ではない)
突然のアレンの行動に困惑した様子のエルダ。慌てながら、手が汚れるだの、私がしますだのと、苗を植えるアレンを止めようとする。
他の者であったら、嫌気がさしただろう。しかし、アレンは悪い気がしなかった。
ついさっき届いたばかりのアザレアの花を植えようと、室内庭園に行くと、そこにはアレンの姿があった。
東屋に座り、何やら真剣な顔をして、ペンを動かしていた。
こんなにも早く、また会うことになるとは。
思わず零れた言葉に、アレンはこちらを一瞥いたが、すぐに視線を手元に戻してしまった。
(いきなり仲良くはなれないよね」
まあ、こんなものかと思い、ケースを地面に置き、トントンと、拳で背中を叩く。一つ二十個入るケースが三つ。重かったがなんとか運び終えた。日が落ちる前に苗を植えて、肥料を与えたい。急がなければ。
夢中になりながら苗を植えていると、東屋にいたはずのアレンが、いつの間にか隣に立っていた。
「……」
何も言わず、じっと自分を見つめるアレン。てっきり執務室にでも戻るのかと思ったが、アレンは隣にしゃがみ込むと、苗を手に取りだしたのだ。
「アレン様??」
着けていた手袋を取ったかと思うと、汚れることを気にもせず、素手で土を掘リ、花が傷まぬよう柔らかな手つきで苗を植えていく。軍手を差し出そうにも、自分の分しかない。だからと言って、使い古しのものをアレンに貸すことも出来なかった。
「よろしいのですか? まだあるのでは、その……お仕事など」
驚きと焦りから、しどろもどろになる。
「ああ」
(仕事があるのに、苗を植えるの手伝ってくれるの? これはアレン様にとって、害ではないってこと……?)
一つ目のケースが空になっているのを見てハッとした。遅れをとってしまっていることに気づき、素早く隣にしゃがみ込むと、間に置かれた二つ目のケースから苗を取り出し植えていく。
ちらちらとアレンを見て、それにしてもと思う。
「庭仕事のご経験がおありで?」
その慣れた手つきで手際よく苗を植えてく姿に、素人には見えなかったのだ。
「お前が来る前までは、俺がここを管理していた」
「えっ、アレン様がですか……?」
騎士であるアレンが、花たちのお世話をしていたとは初耳だ。騎士団長という多忙を極めるアレンに、そんな暇はないはず。ということは、自ら好んでしていたのか。
「アレン様は、お花がお好きですか?」
「なんだ、いきなり」
不審そうに眉を寄せるアレン。
普通の質問をしただけだと思ったが、アレンにとっては違ったらしい。
(否定しないと言うことは、きっとそうなんだ)
「いえ。私はただ……あなたを知りたくて」
(まさか、庭仕事の慣れているとは思わなかったけど。意外なところを知れたのは嬉しいことだな)
この王宮に来た日に、セインが言っていたことを思い出す。
花好きの人嫌いなお方がいるもので。あれは、アレンのことだったのだろう。
「……アレン様?」
気づくと、苗を植えていたアレンの手がぴたりと止まっていた。
(どうしたんだろう……)
「……なぜ俺を知りたい?」
「なぜって……知りたいと、思うからです」
相手を納得させられるような深い理由は分からなかったが、エルダの心には、アレンを知りたいという、そんな切実な気持ちがあった。だから、気分を害するようなことはするなと言われても、どんなに鋭い瞳を向けられても臆さなかった。
「俺は、冷酷無慈悲らしいが?」
自嘲するようにそう言ったアレンに、エルダはきょとんとした顔をしていた。
「冷酷無慈悲……? アレン様がですか??」
そう言い、少し間を開けると、エルダは小さく笑みを漏らした。
「冷酷無慈悲な人はこんな風に、植物を慈しんだりしないと思いますよ」
冷酷無慈悲。思いやりがなく、むごい人のこと。だがエルダは、アレンに思いやりがないだなんて思えなかった。
そんなエルダの姿に、アレンは次の言葉が見つからなかった。
「今日はありがとうございました。アレン様のおかげで、アザレアのお花たちが嬉しそうです」
苗を植えるだけではなく、肥料を撒き、水を与えるまで、アレンは手伝っってくれ、室内庭園にまた一つ、新たな彩りと命が芽生えた。
「いや、息抜きにちょうどよかった」
少しだけ、弾んだような声色だった。
ホースの水で手を洗うアレンに、エルダはハンカチを差し出した。蛇口を捻ったアレンはエルダを一瞥すると、浅く息をついた。
「これが必要なのはお前の方だ」
「私は軍手を履いていましたので」
「そうではない」
アレンはハンカチを掴むと、エルダの頬に添えた。
「土がついている」
擦らないように、頬を撫でるように土を拭うアレン。その手つきは、ぎこちなくもありつつ、優しかった。
「……お前は、いつも自分より、他人を優先しそうだな」
まるで、自分のことを見抜いたような発言だった。
人が幸せならそれでいい。人の幸せが自分の幸せ。それがエルだった。
小さい頃から母を喜ばせたくて、何かとしていた記憶がある。誕生日にはサプライズケーキを作る。母の日には、町の花をありったけ摘んで花束にして贈る。
人が幸せそうな顔を見るのが好きだった。そんなエルダだからこそ、必然的にも、祝い、寄り添い、送り出すことが出来る、フローリストの道を選んだのかも知れない。
ハンカチをエルダ渡すと、アレンは室内庭園を出て行こうとする。
「あの……!」
エルダの呼びかけに、アレンが足を止める。
「その……よろしければ、明日も来ませんか?」
顔だけこちらに向けるアレン。その瞳は、またも理由を問うているようだった。
「アレン様は、お花がお好きで、ここにいらしてお世話をされていたと思います。だけど、それを私が邪魔してしまっているのではないかと思いまして……」
(こんな言い方じゃ、まるでここが私の場所だとでも言っているみたい)
「えっと……」
このまま、アレンに行ってほしくなくて、懸命に言葉を紡ぐエルダ。
「や、その……そうではなくて……! もちろん、ここは変わらずアレン様の場所なので、私などがどうこう言う権利ないですよね……すいません……」
自分よりも身分が上な人に何を言い出すのかと、自分で言って反省をする。
(アレン様が、私の誘いを受けるはずがないよ)
考えなくとも分かること。安易的なことに思わず苦笑した。
「お引き止めしてしまいましたね。どうぞおゆきになって__」
「お前はここにいるのか?」
「えっ?……は、はい?」
どうしてそのような確認をするにかと、目を丸くする。
「では……来るとする」
エルダが唖然としているうちに、アレンの姿は見えなくなった。
(聞き間違いじゃないよね? 来るって、言ったよね?)
「明日も会えるんだ……」
一人になって、自分の胸が高鳴っていることに気づいた。ドクッンドクッンと、波打つように高鳴る鼓動は、しばらく止むことはなかった。
♧♧♧
次の日、約束通り、アレンは室内庭園へやって来た。
葉取りの作業をすると知ると、アレンは手袋を脱ぎ始める。麗しい手の平にサッと、隠し持っていたものを置く。
「……これは?」
手の上に置かれた布を、不思議そうに見るアレン。
「アレン様の軍手です」
こう言うこともあろうかと、アレン用の軍手をセインからもらっていたのだ。もちろん新品のを。
アレンが庭仕事を手伝ってくれる。そうセインに言うと、セインはとても嬉しそうにして、この軍手を渡してきた。
アレンの長くしなやかな手に、軍手がはめられてていく。
(前も思ったけど、綺麗な手。女の私より、全然綺麗)
自分の手を見てアレンの手を見比べると、ため息が出てしまいそうだった。
「どうした?」
「あっ……」
アレンの声にハッとし、慌てて軍手を履く。
「いえ! では、早速やっていきましょうか」
そうして、次の日も、また次の日も、アレンは室内庭園にやって来た。時刻は決まって、太陽が水平線に沈もうとしている時。
午後は大体と言っていいほど、書類の整理に追われていると言うアレン。座りっぱなしの体を動かすに、庭仕事はちょうどいいみたいだった。
アレンは手先も器用で、化粧室などに置く、ちょっとした生花を一緒に生けると、ものの数分でコツを掴み、生けられていた。
容姿端麗、頭脳明晰。高貴な家柄。モデルのようなスタイルに加え、騎士としての剣の腕前と賢明さ。それだけではなく、芸術的センスも持ち合わせているとは、彼は一体、何を持ち合わせていないのだろうか。
「前から思っていたが、そのエプロン、だいぶ古いようだな。」
正面に立ち、チューリップの花粉取りをしていたアレンが、エルダの着けていた、エプロンを見ながら言った。
長年愛用しているせいか、裾の部分はほつれ、色褪せていた。
「新しいのを買った方がいいのではないか? ……なんなら、俺が買ってもいい」
「えっ、アレン様がですか?」
「ああ……嫌でなければ、だが……」
アレンの申し出は嬉しかった。だが。
「いやなんかじゃないです……嬉しいです。でも、これがいいのです」
「何か思い入れが?」
「……このエプロンは、亡くなった母が、誕生日にプレゼンとしてくれた物なんです」
仕事で忙しかった母に代わって、エルダは毎日家事をしていた。そんなエルダに、母はエプロンをプレゼントした。
いつもありがとう。っと、自分と同じチェリー色の髪を持つ娘に良く似合う、紺色のエプロンを。以来、エルダは、このエプロンを着け続けていた。
「幼い頃に貰ったものなので、サイズは少し小さいですが、私にとっては、これが世界一可愛いエプロンなのです」
どんなに色褪せても、古びても、エルダにとっては、母がくれた大切な贈り物なのだ。
「でも、本当に、お気持ちは嬉しいです。ありがとうございます。アレン様」
アレンが自分などに何かを与えてくれようとしてくれた。その事実だけで、心は満たされるようだった。
ジョーロを持ち腰を上げる。開けていた窓から入ってきた風が、ゆらゆらと花たちを揺らす。
「お前は、母を愛しているのだな」
「もちろんです! 大好きです!」
「……そうか」
伏せられた瞳の奥、アレンが何を見ていたのかは、エルダには分からなかった。ただ、チューリップの香りに鼻を埋める姿は、なんだが寂しく見えた。
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