三
西日が王宮を照らし始めた頃、訓練終わりのアルバートが室内庭園にやって来た。額の汗を拭いながらこちらに走ってくる姿は、まるで太陽を背にしているようで、一段と輝いて見えた。
部屋まで送ると言われ、室内庭園を出る。
クラウトとのこの間の出来事を話すと、アルバートは腕を前で組み、怒ったように頬を膨らませた。
「やっぱりか。クーのことだから、何かしそうだなとは思ったんだよね。大丈夫? 何か他に嫌なこと言われてない?」
「嫌なことだなんて、大丈夫ですよ。心配してくださって、ありがとうございます」
アルバートには珍しい、ツンとした表情を見せられ、エルダは新たな一面を知れたことを嬉しく思った。
(クラウトさんのような人に対して強気に出るのは、臆する気持ちが少しもなかったとは言えないけど。でも、私も譲れなかったから。アルくんが、私を必要としてくれた、その本当の意味が今は分からなくとも、私はここに居続けたい)
「まあ、仮にエルダが契約書にサインしちゃったとしても、僕はエルダに会いに行ったけどね」
「絶対にしませんから、安心して下さい」
クラウトの言う通り、自分は頑固者なのかもしれないと思う。
「そういえば、アルくんは、クラウトさんのことを、クーとお呼びになっているのですね」
「うん。僕がつけたあだ名。クーは嫌がるけど、僕がそう呼びたいから」
「とても仲がよろしいのですね」
あだ名をつけて呼び合う仲だなんて、本当の兄弟のようだ。
「クーは、僕が生まれた時から、この王宮のにいたからね。だからもう長いんだ」
アルバートが言うに、クラウトは元はエルダと同じ、町に住んでいる少年だった。視察で町に訪れていた国王に、大人顔負けの知識を披露したことで、国王に気に入られ、この王宮に来ることになったという。
「クラウトさんは、王宮秘書官と仰っていましたが、国王様にお仕えしているのですか?」
「まあ、そうなんだけど、僕のパパ。国王陛下は、事実上、王位を退いているようなものなんだ。最終的な決定権はパパにあるけど、それ以外は、僕に任せてくれている。だから、僕の秘書かな」
「そうでしたか」
それであの気にかけよう。厳しい人みたいだが、それは誰よりもアルバートのことを思っているのかもしれない。
「もう子供じゃないんだから、少しは自由にさせてほしいよ」
不満そうに口を尖らせ、肩をすくめるアルバート。
アルバートも十六才。この国では、立派な大人だ。歴代の王には、十五才で王になった者もいる。幼少期から一緒となれば、クラウトの過保護っぷりもすごいのかもしれない。
「でも……気にかけてくれる方がいるということは、とても幸せなことです」
(私は、それを知っている)
エルダが少し気を落としたような顔をしていると、ツンツンと、頬を突かれた。顔を上げると、アルバートが「フッ」と笑い。横を指差す。
「わあ……」
指先を追うと、窓越しに夕日が輝いていた。
「綺麗だね」
「はいっ……! とっても!」
どこまでも高く登っていってしまいそうな太陽は、二人を飲み込んでしまいそうなくらいに大きかった。一日の終わりを示すかのように沈む太陽は、未来を照らしてくれると疑わなかった。
綺麗な夕陽を見つめ、二人で何気ない会話をして歩いていると、広い王宮の中でも、あっという間に自分の部屋に着いてしまった。
アルバートはこれから会食があるらしい。公務を終えて、さっきは訓練もして、夜は会食だなんて、本当に忙しい日々いを送っているのだと感じる。きちんと眠れているのだろうか。
「じゃあ」といい背を向けて歩き出すアルバートに手を振り見送っていると、「そうだ」っと、何かを思い出したかのように、すぐに足を止めた。
こちらに振り向き、嬉しそうに笑う。
「あの花、すごく素敵だった。早く見てほしいな」
明日は、どんな日になるだろうか。どんな人や物と出逢って、どんなことを感じるのだろう。自分のこの胸はどんな風に高鳴るのだろう。その時、見ている景色は人は、変わるのだろうか。真っ白な天井を見つめて、月光がカーテンの隙間に入り込んでくる中、エルダは深い眠りに落ちたのだった。
__同時刻。
王座の間にて。
「__報告は以上になります」
冷静に、淡々とした口調で、青年は話し終える。跪き、顔を俯かせ、王への忠誠を示しながら。
王から、浅いため息が零れる。
「なるほど……で? お前のことだ、すでに策はあるのだろう?」
肘掛けに頬杖をつき、苦痛そうに窓辺に視線を向けながら、王は問う。
顔を上げず、青年は話を続ける。
「スワン国とベーベル国が、婚姻を結ぶべきかと」
「スワンとベーベルだと……?」
眉間に皺を寄せた王の視線が、少しだけ青年の方向く。
「……それが、一番得策だと?」
月が雲に隠れ、屈託のない王の顔に影が落ちる。
「はい」
「お前が言うのなら、間違いはないのだろう。いいだろう。この件はお前に任せる」
「はっ」
「要件は済んだな。もう下がれ」
缶発入れない王の命に、青年は黙って一礼し、一切無駄のない動きで、颯爽と王座の間を後にする。
王宮の中は、夜の闇に飲まれたかのように静まっていた。空気は冷たく、朝がくることを拒んでいるかのようだった。
コツン、コツンと、自分の足音だけが鳴り響く。
螺旋階段を上がり廊下を進み、角を曲がると、足を止めた。目の前に広がる光景が、心にのしかかる重りを、少しだけ軽減させてくれる。
いつもながら、一時的なものだろうが。
甘い香りが漂う部屋の中で、ほのかに洗礼された香りがした。不思議に思いながらも足を進めていると、足を止めさせられた。開けっぱなしになっている窓の風が、薔薇の香りを鼻の奥まで届けさせた。
生けられてある花に手を伸ばすと、指先にちくりと、小さな棘が刺さった。
差し込む光に天井を見上げると、自分とは不釣り合いに輝くステンドグラスがあった。
♧♧♧
明朝。エルダは大急ぎで螺旋階段を駆け上がっていた。
まだひと気がない時間に目を覚ましてよかった。でなければ、こんな姿で階段を上がれない。
(私としたことが、窓を閉め忘れるなんて。王宮とはいえ、いつ刺客がくるか分からないから、窓は閉めるようにと、アルくんから言われていたのに)
穏やかな目覚めは一転。窓のことを思い出し、寝巻き姿のまま、髪も縛らず、部屋を飛び出してきたのだ。
広い王宮を走って移動するのは体力を使う。肩で息をしながら室内庭園に到着する。
朝早い室内庭園は、昼間に見る神々しさとは違い、心の中にスウーと入り込む、透明な声のような神秘さがあった。
小さな水色の花々が自分に微笑みかけているようで、思わず頬を緩ませる。
しゃがみ込み、「おはよう」と、微笑み返す。
深呼吸をすると花の香り胸の中に広がる。
花たちに癒され、ここまで走った疲れも一気に吹き飛んだ。
今日も良い一日になりそうだと、気持ちのいい朝に満足している時だった。
「__そこで何をしている」
低く、鋭い声が頭上に降ってきた。驚いて見上げると、ステンドグラスの光が、声の主の顔に反射して、顔がうまく見えなかった。立ち上がり、声の主の顔がハッキリと見える。しっかりと目にしたその姿は、男性とは思えぬほどの妖麗さがあった。
(綺麗な、人……)
陶器のような真っ白な肌に、黄金色の髪。藤の花を連想させるような瞳。美術品のように端正で美しい顔立ちをしているのに、その瞳は、氷のように冷め、こちらを見下ろしていた。
「何をしているのかと聞いている」
「えっと……」
高圧的な物言いをする青年。その姿に見惚れ、言葉を詰まらせているとと、青年がエルダから視線を外した。
「あの花は、お前が生けたのか」
「えっ?」
青年の視線の先を追うと、昨日、自分が生けた花があった。
「あっ、はい……私が、生けました」
エルダがそう答えても、青年は何を言うでもなかった。
虫も殺せぬような顔をしているというのに、その傍には、人の命を簡単に奪えるような鋭く重い剣があった。
(あれって、確か……)
青年が持つその剣は、王宮の騎士が使っている剣だ。服装も他の騎士たちとは少し違うが、胸元には、レディート国の紋章である、白鳥の絵柄が入ったピンバッチがある。おそらく、この青年は騎士なのだろう。
「お前、新しく来たという、フローリストか」
「え、あ、はい……! エルダと申します……!」
自分の存在を知っていたことに驚きながらも、名前を名乗っておく。少しでも無礼な態度は許されないような気がしたのだ。
「アルバート様から話は聞いている。ここの花の世話を頼まれたらしいが、あいにく、ここは俺の所有場所だ。部外者は入れたくない。よって、ここの仕事はしてもらわなくて構わない。アルバート様からは俺から話をしておく」
「えっ、そんな、いきなり言われても……!」
必要最低限なことだけを、淡々と話す口ぶりにたぢろくエルダをよそに、青年はエルダの話を無視し、真っ白なマントをひるがえしながら、風のようにあっという間に部屋を出ていこうとした。
「あの……!」
叫ぶエルダに、青年は立ち止まった。振り向き、話を聞いてくれるのかと思いきや。
「それから、ここは王宮だ。お前が育ったところとは違う」
「……?」
何を言われているのか分からず返答せずにいると。青年はエルダを上から下まで見た。その瞬間、一気に顔が熱くなった。
パタリと閉められた部屋の中、エルダは赤面した。
最悪だ。と、その場に膝を抱えるようにしゃがみ込む。
まさか、こんな早くにここを訪れる人がいるとは思いもしなかった。考えてみれば、何も自分だけの場所ではないのだから、他の人がいるのは当たり前だ。
(でも、彼のような騎士がここにくるなんて、よっぽどの花好きなのかな。それにしても……あの方は一体、誰だったんだろう)
「……あっ! 窓!!」
だが、すでに窓は閉められていた。
突然の出会いの驚きと恥ずかしさに、動揺を隠すことができず、意味もなくその場を右往左往してしまった。
穏やかな午後のある日。アルバートの提案で、仕事の休憩中に、セイン自慢のガーデンテラスで、お茶をすることに。
目の前には、王宮専属のパティシエが作った甘いお菓子が、目移りするほど置かれていて、見たことのないお菓子たちに、エルダの心は踊っていた。
「このチョコチップスコーン、とっても美味しいです!」
「よかった! まだまだいっぱいあるから食べて!」
午前中は知識を増やすため図書館にこもりひたすら勉強。午後からはセインと共に外の庭園の草むしり。頭も身体も使うハードな一日に加え、慣れない環境での生活で、それなりに疲れを感じていたため、甘い物を摂取できるのは嬉しい。
それに、目の前には癒しもある。
正面を見ると、目が合ったアルバートがニコッと微笑んでくれた。
エルダはすっかり、アルバートの虜になっている。
「セインから聞いたよ。エルダ、すごい働き者で助かってるって」
「いえ、セインさんの的確な指示とアドバイスのおかげです」
(新しい師匠ができて嬉しいし)
「僕もエルダと一緒に庭園の仕事がしたいけど、クーが、そんなことをしている暇はないでしょって、鬼のように睨むんだ」
「ふふっ、想像が出来ます」
クラウトの言う通り、アルバートは次代の王として、忙しい日々を送っているようで、ここ数日は外交のため、王宮を離れていた。
王子自ら行う外交は、とても重要なことらしい。従者などではないが、王宮に務める者として、この国のことを何もしらないのも気が引け、最近勉強をし始めたエルダ。
基本中の基本だと、レディート国の周辺は三つの国で形成されている。
まず、一つ目は、同盟国であるスワン国。
強靭な肉体の才を持つと言われているアスラン王率いるスワン国は、広大な領土を持ち、豪快で自由奔放な民が多く、街のほとんどに酒場があり、朝昼関係なく、民達は酒を交わす。太陽の沈まない国と言われており、この国は夜中でもずっと明るい。
二つ目は、レディート国とは中立関係を築くベーベル国。
人口と領土はレディート国よりも少なく、軍事力も劣っているが、王族は、代々受け継がれてる予知の才を持っており、陰ながら他の国々に恐れられており、レディートも敵には回したくない存在。国王を含めた王族達が人前に出ることは滅多になく、その存在においても、全てが謎めいている。
三つ目は対立国であるエーデル国。
エーデルはレディート国、国王のヒーデルの前妻である、ダニエラ前王妃の母国。同盟こそ結んでいなかったものの、良好な関係を築いていたのも関わらず、ダニエラが王宮を出て以降、それは一転。今ではレディート国を目の敵にするほど関係は悪化傾向にある。近隣国一の領土と人口を持っており、侵略家。最近、軍事力の伸びが凄まじい。
っと、まだまだ勉強不足な点も多いが、難しい問題があることは十分に分かった。どの国も一筋縄ではいかない。その理由として、やはり才が関係しているのだろう。
スワンは、国としての歴史も長く、レディートとも良好な関係を築き上げているため、情報は多かったが、他の二つ。特にベーベル。予知の才、それは、これから起きることが予測出来る、先を見通す力があると言うことだろう。
(でも、一番は……エーデル国。レディートとエーデル、この二国に、一体何があったんだろう)
「エルダ、これも食べな!」
エルダの目の前にあるお皿に、カラフルなマカロンを置くアルバート。
(そういえば、アルくんの才って聞いたことなかったな)
「王族の皆様は才を持っていますが、アルくんの才は、どういったものなのですか?」
才は多数存在し、その数は未知数。必ずしも、親と同じ才を受け継ぐとは限らない。父親であるヒーデルは記憶才だが、息子であるアルバートはどうなのだろうか。
「あー、僕はね、人よりここが秀でているんだ」
そう言ってアルバートが指差したのは、自分の耳だった。
「耳がいいのですか?」
「うん、そう。すごくいい。だから、離れている場所でも、僕の耳には届くんだ」
王宮図書館にある異才書には、聴覚の才とは単純に耳がいいというわけではなく、人の感情が音になって聞こえてくるという才と書かれていた。
きっと今も、自分の感情は、アルバートには、音になって聞こえているのだろう。
「あの、届くって、具体的にはどのくらいの距離まで」
「うーん、僕も分からないけど……」
「あっ」っと、急に立ち上がりテラスから身を乗り出すアルバート。エルダも立ち上がり、アルバートの隣に立つ。
その視線の先には、これから訓練場に行くのであろう騎士達の姿があった。
「あの人たちの足音、聞こえるよ」
「えっ、すごい……」
二人がいるガーデンテラスから騎士達のところまでその距離、およそ二百メートル。普通の人間の聴覚では足音など聞き取ることは不可能だ。
「何を話しているかも、お分かりになるのですか?」
「まーね。でも、頑張って聞かないようにはしてる」
席に戻ると、アルバートはカップの紅茶を一口飲み、静かにソーサーの上に置いた。
「意識を向けないようにしてるってところかな」
「それは、才とは関係なく、自発的に行っていると言うことですか?」
「うん。そうしないと、なんでも聞こえちゃうから。僕も嫌だし、相手も嫌だろうし。王子であっても、プライバシーってやつは守らないとね」
アルバートは笑っていたが、その笑顔の裏には、どれだけの苦悩があるのだろうかと、エルダは思った。
(耳が聞こえない人を可哀想だとか、大変だとか言う人はよくいるけど、聞こえすぎる人の大変さや辛さを考えたこともなかった。アルくんは、その才を生まれ持ったことで、今まで辛い思いをしてきたのかもしれない)
アルバートは優しい人だ。時間がある時は顔を見せてくれたり、こうしてお茶に誘ってくれる。きっと自分を気遣ってくれているのだ。若干十六歳という年齢も、数字なだけであって、幼い見た目とは裏腹に、内面は大人びているのだろう。
(今、アルくんの心に広がる音楽は、アルくんを苦しめてはいないのかな)
「あっ……アレンの足音だ」
呟かれるように発せられたその言葉に、なぜか惹かれ、導かれるようにテラスから身を乗り出すと、あの青年が歩いていた。
黄金色に輝く髪を風に揺らしながら歩く姿は、威厳を感じさせられた。
「……あの方は?」
気づいたら、エルダはアルバートにそう問いかけていた。
「彼はアレン。アレン・フランシス・ルーズベルト。騎士団長をしている人物だよ」
アルバートはアレンを見ずにそう答えた。
「アレン様……」
遠くにいるアレンが足を止め、ゆっくりとこちらを見た。自分の視線を感じたのだろうか。目が合ったように思えたが、おそらく自分が誰かまでは分からないだろう。
アレンは再び歩き始めると、訓練場の方へ消えていった。
エルダはしばらく、その場から動けなかった。
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