18.制圧
挨拶代わりに飛んできたのは轟音と弾丸だった。
院長の青年が居ることなどお構いなしの攻撃に、
呆気にとられる院長の頭を押し潰すように床に押し付け、踏みつけていくように麗人は走り出す。
入れ替わって机の裏に飛び込んできたのは金髪の青年だ。
「オギー……大丈夫か!」
声を掛けられた院長が顔を上げ、意外な人物を見た様に息を呑んだ。
「ソレル……どうして……!」
「どうして? お前がこんな所にいつまでも居るからだろ!」
銃声に琥珀の双眸をしかめながら言うと、片手に持っていた拳銃を緊張気味に握りしめる。
「そ……そんなもの使えるのか?」
「使えると思うのかよ? 万一にって渡されただけだ……」
文句を言うように答えたソレルが大きな机の裏から様子を窺うと、てっきりこちらを逃がすまいとするかと思ったが、こちらに構うヒマがある者は居ないらしい。
「一体どうなってんだ、あの女……」
二人の青年が並んで見たペトラ・ショーレという麗人の動きは、人間技では無かった。最初の攻撃で拳銃を弾き飛ばされた男たちは殆ど役に立たなかったが、一人がよろめきつつも女に体当たりをかまそうとした。「あっ」と青年らが声を上げた中、女は見向きもせずに男の脚を撃ち抜いた。男は弾き飛ばされるように床に倒れ、片手を押さえて呻く男らの列に連なる。見た目だけなら重傷と思しきマスカットは、銃を手に応戦しているが、喪服の麗人は一歩も引く気配がない。ほっそりした体の何処にそんな力が備わっているのか、プログラムされた機械であるような射撃も、帽子さえ射貫かせない躱し方も全てが規格外だった。
「この魔女が……!」
マスカットの拳銃が火を吹くが、身を低くしながら走り抜ける女を捉えきれない。反対にその銃口が向けられ、間一髪でかわした金髪を銃弾が薙いでいく。
「調子に乗るなッ!」
次弾が襲い掛かる前に、間合いを詰めたマスカットのハイヒールが女の拳銃を蹴り落とした。女は飛んでいった得物も痛めただろう手も見ずに、殺戮ロボットのような目と動作で、反対の手で素早く取り出したもう一丁を至近距離で構えた。これには武闘派の悪党も泡を食って身を翻すと、窓際に寄り、女の弾丸がガラスを穿ったそこに体当たりした。ガシャン!!と凄まじい破砕音が響き渡り、窓の外へ身を踊らせた女に続き、身動き取れる男たちも飛び出していった。
それを自動追尾機能でも付いているような喪服の女が追いかけ、暗闇に向かって更に銃弾を撃ち込む。
何か蹴躓くような音が聴こえたが、後はドタバタと立ち去る音が遠ざかった。
轟音におかしくなりそうな耳を押さえたソレルが辺りを見渡すと、喪服の麗人は銃を手にしたまま室内を振り返った。
「ソレル、そいつらの銃を取り上げて」
取り上げろとはいっても、銃は男たちの手から弾かれて部屋の隅に転がっていた。
自分が持っていたそれの安全装置をそわそわと掛け直した青年が、鬱陶しそうに顔をしかめた。
「あのなあ、俺はあんたの部下じゃ――……」
「それも返すように」
「……」
指さされた拳銃を無言で返却すると、女は返事を待たずに男たちの手足を何処からか取り出した輪のような器具で縛り始める。顔を見合わせた青年二人は、仕方なく床に落ちた拳銃を拾い、女の所に持って行くと、その足元で髭面の男が舌打ちした。
「クソ……! ブレンド社め……! 正義
二人の青年は彼を見下ろしたが、女は清々しい程に無視して作業を続行した。
「野郎の
悔しさのあまり吐いたろう悪罵に、女が振り返った。帽子の下の目を見た刹那、男の顔は断頭台に立たされたように血の気が引いた。
「”彼”を知ってるの?」
「……し、知るか! あんたが男の復讐してんのは有名で――」
次の瞬間、男の頭は床にめり込まんばかりに踏みつけられていた。
その攻撃の重さと速さに、院長さえ倫理を唱える隙も無い。どちらが悪党なのかわからない表情で気絶した男を見下ろし、喪服の女は電話をかけた。
「そっちに行ったわ。後は宜しく」
わずか一言の通話を終えると、拳銃を手に途方に暮れた顔つきの青年らを振り返った。
「ごくろうさま。あんた達は家に帰りなさい」
拳銃を受け取り、何処にそんなに収まるのか、ポケットやら上着の下に差し込みながらのセリフに、ポカンとした青年たちの内、先に首を振ったのはオーガスト院長だ。
「あの……申し訳ありませんが、僕にはまだ仕事が……」
傍らの青年がやや咎める視線でちらと見る。女は斜にかぶった帽子の下で首を捻り、院長に向けて、ひょいと銃を掲げた。
「な……何を……⁉」
「此処で怪我をして長期間休むのと、今すぐ一晩休むのと、どちらがいいの?」
聞くまでもない問いだったが、何と強引な注文だろう。
「あ……あなた方は……こんな事もなさるんですか……?」
幾らか呆れたような響きで問いかけた青年に、女はにこりともせずに頷いた。
「仕事熱心な貴方ならわかるのでは? 私たちも、これは奉仕活動でも聖業でもない、”仕事”なの。仕事というのは労働法に定められた通りに適度に行うべき。ここの法律がキチガイ沙汰に働くのを良しとしても、私は国民ではないので従うつもりは無いし、それに付き合わされるのは頭に来る。イカれた相手に説明する手間も惜しい――だから、こうしている。理解できたなら今すぐ切り上げて」
「……そんな……」
「諦めろよ、オギー。この別嬪さんは多分、本気で撃つぜ。それに、こんな状態で仕事になるのか?」
ソレルが気の毒そうに振り返るのは、院長のデスクだ。
銃撃戦で吹っ飛んだ書類は無論の事、マスカットに打ち付けられたパソコン、床に散乱した用紙に冊子、穴だらけの窓ガラスに壁――……
溜息を吐いた青年の肩をぽんと叩くと、ソレルは喪服の麗人を見た。
「帰るのはいいけどさ……マスカットは逃げちまったぞ。放っておいたらまた来るんじゃないか?」
「少なくとも、今夜は無理でしょう」
「じゃあ、帰る前に親父たちの様子を見ていいか? ベックも心配だ」
「構わないわ。私も理事長に用がある」
女はマガジンを交換しながら、コツコツと部屋を抜けて無造作に扉を開けた。
そこには当然のように、銃声に怯えつつも立ち去れなかったらしいスタッフたちが詰めかけていた。前に居た連中が何か言おうとしたらしいが、女の威圧感に負けて口ごもった。代わりに、女の方が言った。
「あなた達、そんなに仕事をしたいの?」
顔を見合わせた連中が、遠慮がちに意志のある目を持ち上げると、女は当然のように室内を指差した。
「では、この部屋を片付けなさい」
病院の地下通路は入り口が封鎖されていた。
仕方なく、九番街へと下り、元院長の屋敷から隠し通路を通っていた『
「畜生……あの女ぁぁぁ…………‼」
ほつれた包帯も髪もそのままに、マスカットは唸った。
戻って身を引き裂いてやりたい衝動に駆られながらも、屋敷へと戻ったのは、マスカットにしては冷静な判断だった。
途中、理事長邸に火でも放ってやりたいぐらいだったが、警察がぐるりと屋敷を取り囲み、周囲も哨戒に歩き回っていた為、諦めざるを得なかった。
こうなれば、この町もろとも――いや、その前に小賢しい作家は捻り潰して連れていくか? ボスが気にしているあの両眼を持ち帰れば、惨敗の傷も少しは癒えるというものだ。ついでにマダム・クラヴィスから大金を脅し取れば、そこまでの失態では……沸騰しそうな血液と共にぐるぐると脳内で悪事を巡らせ、辿り着いた扉を開けた。
そこは既に、山肌に在る屋敷の玄関内だったが、見張りの姿は見えなかった。
後を任せて来たフィデルに従い、総出で撤退準備でもしているのだろうか?
慣れたリビングに入った瞬間、マスカットは片眼を見開いた。
床の上、ソファーの上、戸棚に立てかけられ、それも家具の一部のように物言わず倒れ伏し、気を失っていたのは残してきた連中だった。
何が有ったか――それは確かめるまでもなかった。
火のない暖炉の傍の椅子に只一人、目を開けた男が本を開いて座っていた。
全身黒装束、温暖なリゾート地にはそぐわない黒コートまで羽織ったそいつは、無造作な黒髪の下――この世の全ての闇を閉じ込めたような目を持ち上げた。
異様に美しい容貌の唇には、薄い笑み。
「ブラック……! なんでお前が此処に……――」
狼狽えた様子で銃を構える悪党に、男は小首を傾げ、本を閉じて立ち上がった。
「それは、俺が説明した方がいいか?」
「喪服女か……クソがッ!」
吼えるなり引き金を引こうとしたが、黒い巨躯の方が早かった。
LAR グリズリーの怪物じみた弾丸が元の主に襲い掛かり、拳銃をあっさり弾いた。
「投降しろ、マスカット」
心の臓を撫でるバリトンに、それが効かない”女”は地獄から這い上がったような目で男を睨んでいたが、懐から何かを取り出した。
手のひらに収まる程のそれは、ケースに入ったリモコンのようなものだった。
透明な蓋を開き、複数のスイッチの一つに萌黄色の爪先が宛がわれる。
「投降すんのはお前よ……! でないと、病院を爆破してやる!」
金切り声の脅迫に、男は薄笑いのまま首を振った。
「俺は投降しない。やるなら勝手にやればいい」
「あっそ。そんなら喪服女が居る所からやってやるわよ!」
躊躇わずに押した瞬間、轟音と共に部屋が揺れた。
「な……何……⁉」
轟音はすぐ傍だ。恐らく、ひとつ隣の部屋……何故? 病院の主要ケ所に仕込んでいた筈なのに!
「ど……どういうことだ……⁉ お前……まさか……」
「爆弾は回収させてもらった」
口説いているかのような良い声で答えた男は、大型拳銃を構えたまま肩をすくめた。
「武装の無い施設に奮発し過ぎだ。多くて拾うのが大変だった……今は六個ずつセットになって、この屋敷内に置いてある」
恐ろしい回答をした男は、その屋敷に居ることがわかっているのだろうか?
一つ一つは手榴弾程度の威力だが、それでも殺傷能力・破壊力は人を死に至らしめることも、建物を破壊することも可能だ。それを複数集めて置いただと?
「お前の執務室にも置いたが、そこが吹き飛ぶとレディに叱られるかもしれない。次はこの部屋か、別の場所を引いてくれ」
男らの数名が生唾呑んで辺りを見渡した。この部屋? 一体何処に置いた? 自分も居る部屋の発破を薄笑いで希望するとは、この男……どんな精神状態している――!
要らん指摘をする男を、マスカットは睨み付けた。この男が、かつて居た民間軍事会社で生き延びる為に、犬並みの嗅覚を獲得したのは知っているが……
「……ハッタリじゃないか? マスカット……たまたま、一発当たっただけか……今の爆破はブラフか……」
後ろの男が進言すると、女は答えずに黒い男を見つめたまま、もう一つ押した。
今度は上で花火が行われたような音がした。ズズズ……と屋敷が振動し、埃か、何かの破片がパラパラと落ちた。焦りに青くなる男たちをよそに、黒服の大熊めいた男はずっと微笑んでいる。穴の底よりも尚深い双眸が、たとえ天井が落ちてきても、慌てることなど何一つ無いと言うように。
「逃げるのはやめた方がいい」
ブラックは、いっそ親切に感じるような口調で言った。
「外の
ポケットから出したそれをじゃらじゃらとぶら下げるのを、悪党たちは黙って見つめた。閉鎖自治区に長年居座って初めて感じる――逃げ場のない状況。
「この……この死神どもがあああ‼」
恐怖か怒りに耐えかねたか、男の一人が猛然と殴り掛かった。一人が動くと、つられたように二人続いた。ブラックは、素手で向かってくるそれらに発砲しなかった。あろうことか、落ち着いた仕草で大型拳銃を椅子に置くと、最初の一人に黒手袋に覆われた拳を見舞った。鉄棒で殴られたように男が吹き飛び、後の二人もハンマーのような拳とキックに沈められる。
「チェリーの部下より勇敢だ。これ以上、痛い思いをさせない方がいい」
バリトンが呟いたのは、過大な評価だったに違いない。だが、ぴくりとも動かなくなる部下たちを眺め、黙っていた女は黒い両眼を睨みつけた。
「……バカにしやがってェ……ブレンド社の犬がァァァ……!」
滴る様な憎悪を込めて言うと、スイッチを前に掲げ、残った男たちを振り返った。
「お前ら――知ってるだろう……年がら年中、コツコツ真面目にやっていた頃を。待ち望んでくれる『誰か』の為に、暑かろうが寒かろうが、休まず働いていた頃を。ハリケーン、干ばつ、業者の不正、増税、土地開発、収穫前の盗難なんてものが続々にやって来て、あっという間に終わっちまった『果樹園』を覚えているな?」
雄々しき声で言い放つのに、男たちの顔色が変わった。苦痛に苛まれた記憶に呼び起されるのは、怯えに勝る使命感だ。それを見た女は、薄ら笑う男に向かい合う。
「『誰か』の為に頑張っていた連中の半数が首を吊り、屋上から飛び降りた。それでも『誰か』は誰も助けてくれない。莫大な負債を前に、残った我々は考えた。食べる側に返してもらうべきだとね……!」
マスカットは片眼を狂気に見開かせ、吠えた。
「我らは誇り高き『果樹園』。犬如きに降伏はしない!」
叫びと共に、萌黄色の爪先がスイッチを握り潰した。地を揺るがすような爆発音が響き渡り、根を張っていた牙城を爆風と煙が包み込む――――
微かな地響きに振り返ると、傍らの友人も同じような顔をしていた。
「何だろう、今の音……」
「土砂崩れなんかじゃないよな……こんな時間に解体工事でもやってるのか?」
「あんた達、早く来なさい」
院内の廊下を行く喪服の麗人の厳しい声に、若者二人はすっかり手下状態で従った。
その病室の前で出迎えてくれたのは、小柄な茶髪に褐色肌の少年だった。
周囲には理事長への謁見を申し出る連中が
「ベック、ごくろうだったわね」
腕組みして見下ろす麗人に、少年は頷いた。
「はい、ミズ・ショーレ。……僕は見ていただけですが」
「連中はマトモに仕事をしたの?」
「その筈です。手術の様子も見学室から見せて頂きました」
「そう。それなら貴方の働きは充分」
冷たくも労をねぎらう女の言葉に、少年ははにかんでぺこりと頭を下げると、二人の青年に振り返った。
「ソレル……凄い音がしていたけど……大丈夫?」
青年が釈然としない顔つきで頷くと、少年は少しほっとしたようだった。
「お二人とも、治療は上手くいったそうです。ロルフさんは軽傷で麻酔は使っていないので起きていますけど、理事長はまだ眠っていらっしゃるかも」
そう言いながらそっと部屋をノックし、少年は大人びた仕草で扉を開けた。
「なんかお前……ちょっとの間に落ち着いたな、おちびちゃん」
父親に会うのが緊張するのか、どちらかといえば子供っぽい調子のソレルに、少年は小柄ながらも大人びた顔つきで微笑んだ。
「うん……僕も不思議な感じだよ、ソレル」
息子よりも先に行く女と少年、友人を院長はぼんやりと眺めながら、中へと従った。
カーテンの仕切りを挟んで並べられたベッドに、クランツ家の主人とその家令は横になっていた。二人とも目は開いていた。当然だ。離れた部屋とはいえ、同じ建物の中で銃撃戦なぞやれば、嫌でも音は響いて来る。
「これは……」
身を起こそうとしたダグラス・クランツと家令に、縁起でもない格好の麗人は軽く繊手をかざした。
「そのままで」
「申し訳ない――」
「こちらこそ悪いけれど、休む前に二つ、確認しておきたいの」
男が手術後とは思えぬほどしっかりした顔で頷くと、女は触れれば切れそうな目で言った。
「では、単刀直入に申し上げます。理事長、駐留していた『
「……私が断っても、あなた方は彼らを追い出すのでしょう?」
女は一も二もなく頷いた。
「アジトは破壊しましたが、一時撤退では意味が無い。二度と入り込めぬ様、この国の意識を変える必要があります。弊社は資金を絶たれたあなた方の統治のやり方まで指南する気はありませんが、可能な限り、ご協力致しましょう」
「ミズ・ショーレ、私は受け入れる他ない。マルガ……マルガリータ・クラヴィスが難色を示すかもしれませんが……」
「ご心配なく。マダム・クラヴィスの元にはうちの部下が説得に向かい、既に説き伏せました。後ほど、ご本人の口からご確認下さい」
ソレルが意外そうに眉を跳ねさせ、オーガストも思案顔を浮かべたが、ダグラスは眉ひとつ動かさずに頷いた。
「ならば、申し上げることは何も無い。元々、我々は彼らの勝手を封じる為に現在のシステムを敷き、やがてそれに依存したようなものです」
「弊社の代表は、当時、生き延びるためには賢明な手段であると評価しています。私には、だいぶイカレた選択肢に感じますが」
はっきり言い放つ女に、ダグラスは微苦笑を浮かべた。
「二つ目は?」
「
息を呑んで顔を上げたのはオーガストだ。それを視界に納めながら、ダグラスは女を見つめて言った。
「どちらも、危険薬物ほどの健康被害は無い筈ですが」
女が初めて鼻で笑った。
「やはり、あなた方の優先順位はシステム続行よりも、この薬物ね。より惜しいのはFIBOかしら?」
「……どういう意味です?」
「あなた方が分かっていることを、私に説明させるつもりですか?」
咎める調子で言い放つと、女は喉首を絞められているような青年――オーガストを振り返った。
「我々が把握している『その他』の行方不明者は72名。『果樹園』の下働きでもなければ、今は不稼働の鉱山で働かされているわけでもない。彼らの居所はこの病院のバックヤード。精神障害を治す為に、動物実験をすっ飛ばしてFIBOの臨床実験をさせられている」
居合わせた一同がそれぞれの感情に息を呑む中、院長であるオーガストだけが唇を
「彼らの為と言えば聞こえはいいですが、この国の制度上、『その他』の同意は不要、権限を強いたか、生活に関する優遇を説いたか――ともかく、ある目的達成の為に、そこの院長が彼らを利用しているのは否めない」
「目的って……院長先生が、その人たちを治そうとしてくれてるんじゃ……?」
ベックの純粋な瞳を、女の冷たい刃の如き目が見下ろした。
「ベック、貴方はさっき言っていたわね。『その他』になるかもしれない友達が大好きだと。『その他』になったからといって、彼女の何かが変わるわけじゃないと」
「は、はい……」
「その友達の名は?」
何故、この麗人はそのようなことを聞くのか?
先生を含めて、もう知っているのに。不思議そうにしながら、少年は答えた。
「ステラ・ターナーです……」
オーガストが弾かれたように顔を上げた。薄いブルーの目が潤み、全身から気が抜けてしまいそうな様子で、両の手で目元を押さえた。
その様子を、痛みに耐えるような琥珀が見つめ、女の冷貌に振り返った。
「……なあ、別嬪さんよ……一応、この町は君主制じゃないんだ。その話はこの場で決着が付くことじゃない。怪我人も居る手前、今夜は引き揚げたらどうだ?」
「ようやく、理事長の跡継ぎらしいセリフを吐いたわね」
嘲るというよりは事実を述べたような言葉にソレルは顔をしかめたが、先に麗人は帽子に手をやって頷いた。
「いいでしょう。でも、ROMOとFIBOは必ず捨てて頂く。覚えておいて」
宣言した女は踵を返し、肩越しに振り向いた。
「ベック、家まで送るわ。一緒に来なさい」
「あ、はい……! そ、それじゃ、失礼します」
周囲に頭を下げた少年が麗人を追いかけて扉を閉じる。
居合わせた男四人は、それぞれに沈黙した。
「……オーガスト、ソレルもよく聞きなさい」
最初に厳かな声で呟いたのは、ダグラスだった。
「『果樹園』は、いずれ追い出すつもりだった。それが早まっただけだ。彼らは離島も取り戻してくれた。結果だけ見れば
静かに言う男をじろりと見たのは息子だ。
「ROMOとFIBOはどうする気だ?」
「捨てる他あるまい」
オーガストが歯でも痛むような顔でダグラスを仰ぐ。理事長はそちらを見てから、息子の厳しい視線を前に言葉を続けた。
「ブレンド社に関しては調べた。目を付けられた組織の九割は壊滅や解散、または離散している。主に麻薬組織だが、悪徳企業や新興宗教なども例がある。一度、此処に入った彼らはこの国をノーマークにはしない。『果樹園』は彼らの追随を逃れてきた数少ない組織だが、それが敗れた今、この場に薬物を残すのは無理だろう」
「”この場に”……」
繰り返した院長を理事長はじっと見つめた。
「そうだ。オーガスト、先日も聞いたばかりだが、研究はどの程度進んでいる?」
「まだ……実用には程遠いです。エルバ・クランツの投薬量のラインを超えると、急に変化に個人差が出るので――」
黙っていたソレルが苛立たし気に唇を噛むと、何も言わずに出口へ向かった。
行きがてら、不安げな面持ちの家令の方だけ振り返る。
「ロルフ、巻き込んで悪かった……大事にしろよ」
「ぼ、坊ちゃん……私のことより、旦那様の為にもどうかお屋敷に……」
すがるように言う男を哀れむように見つめ、首を振った。
「俺は戻らない」
ふいと言い放つと、きつい視線で父親と友人を見た。
「二人目のエルバ・クランツを生む手伝いなんかしない……!」
怒りを露わに、ソレルは病室を後にした。
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