16.騒々しい余所者

 オフィスに通るや否や、女社長の顔には面倒臭そうな色がありありと浮かんだ。

「ごきげんよう、ミスター・ハーバー」

二言目には退出を求めそうな顔付きの女に、ニムは丁寧に頭を下げた。

「お時間を取って頂き、ありがとうございます、マダム・クラヴィス」

「いいえ……先日は贈り物をありがとうございました」

スイーツのお礼を真四角の定型文で喋った女社長に、作家はとんでもないと腰を低く保ちながら愛想笑いを浮かべた。

「休まれていたと伺いましたが、お体の調子は如何ですか?」

以前の奇天烈な様子は何処へやら、紳士的に訊ねた作家に、女社長は気だるそうに頷いた。

「……お気になさらず。“騒々しい余所者”のトラブルで疲れていますの」

「それはお気の毒に。余所者というのは悪気が無くてもルールに疎いですからねえ」

気遣う調子で眉を寄せた余所者に対し、女も眉を寄せたが、悪罵の代わりに溜息を吐いた。

「私に何の用ですか? 言っておきますけれど、他国の司法には従いませんよ……ミスター・ハーバー」

「はて、僕は役人でも裁判官でもありませんよ。只の作家です。そう仰るからには、ペトラは先にこちらに来たんですね」

「……あなた方がしていることは国家転覆と言っても過言ではありません。勝手に人の別荘に侵入して盗みを働いて、警察まで買収するなんて……お国は恐ろしい教育をなさっているご様子ですけれど、その程度でこの国が揺らぐとでも?」

「『果樹園』との繋がりを、知らぬ存ぜぬで貫くおつもりですか」

「何のお話かわかりかねます」

つんとそっぽを向く女に、作家はいっそ穏やかなぐらいに言った。

「まあ、僕は今、ブレンド社として来ているわけではありませんから、その辺りは追及致しません。マダムもリラックスなさって下さい」

「では、何のご用なの?」

「エルバ・クランツについて教えて頂きたいのです」

女の顔色が変わった。明快に蒼白になるそれを、双眸に宿る森が見つめる。

「彼女の死因は精神障害者による殺害でしたね。僕はつい最近知りましたが、この事件は世界的にも有名だそうで……この自治区では、現行システムに移行するきっかけとなった出来事です。夫のダグラス・クランツが、妻のような犠牲者を二度と出さないよう、システムを整え、実施した――美談に聞こえなくもない。いわば、エルバ・クランツ嬢は悲劇のヒロインだ」

「……ミスター・ハーバー、それは只それだけの事件です。私は昔話をするほど暇では――……」

「ええ、マダムは若い頃からお忙しい方だ。女性実業家として三十代辺りで成功するのはかなりの才と人望が有るのだとお見受けします。それに引き換え、生前のエルバ・クランツ嬢は殆ど外出もしていない様なんです。彼女が亡くなっていたのも屋敷の中。はて……どこの誰とも知れぬ精神障害者が、どうやって大きな屋敷の奥に住む彼女を襲うんでしょうねえ?」

「そんなに気になられるなら、警察へ行って調書でもお読みになられては?」

「先に、ある方の日記を読みました。“エルバ・クランツの親の代”から屋敷に勤めていた方です」

「……なんですって?」

「僕は当初、肩書きに惑わされて、勘違いをしていました。もともとクランツ家はエルバ嬢のもので、ミスター・ダグラスは入婿だったんですね」

「それがどうしたと言うの?」

「日記によれば、エルバ嬢は知的障害者……それも、かなりの頻度で暴れていた様です。障害が有っても、落ち着いて暮らせる人々が多い中、何故、彼女は頻繁に感情的になったのか。それは恐らく、当時のモンス・マレの実情が影響していると僕は思います」

「……それは――……そうでしょう。ならず者が跋扈し、好き放題していたんですから、正確に理解していなかった彼女だって、ストレスに……」

「それです」

「?」

「好き放題にしていた”ならず者”とは、一体誰なのでしょう?」

女が息を呑んだ。

「マダムは御存じですよね。この頃はまだ、『果樹園フルーツ・パーク』は”植え付けブランディング”していない筈だ」

「し、知るもんですか……そんな悪党のことなんて……」

「この町を中心に考えると、悪党は何処とも知れぬ外からやって来て、何処の者ともわからない連中に思える。……でも、それって妙じゃありませんか? 此処で好き放題にやっていた連中が一人残らず出ていく筈はないし、此処の人々が蜂起して戦った記録も無く、後釜である『果樹園』と争った話も無い……一体彼らは何処に消えたのか? 僕はそれがとても気になっていました」

見つめてくる森のような双眸から、女は目を逸らした。

なんだろう、この目。ずっと見ていたら、何もかも喋ってしまいそうな目だ。

作家は迷いのない言葉を続けた。

「真実は、何でもないことでした。彼らは最初から今日まで、ずっと此処に居たんですから」

「……何のことか、わかりかねますわ」

「そうでしょうか。クラヴィス家とクランツ家、とてもよく似た名前ですね。偶然にしては、他の番地に同じ名前や似た名前の家は見ませんでした。そして、両家はシステムが敷かれる前から豊かの様だ。僕はマダムが一代で財を成された辣腕家だと思っていましたが……確かに辣腕家でも、僕が思っていたのとは違うようですね。世間一般ではこういうのは、『代替え』や『刷新』、『方針転換』――或いは『乗っ取り』とか言うんじゃないかと思いますが、如何でしょう?」

まるで、カードの裏表を返すように。

「両家が、モンス・マレを支配していた悪党。違いますか?」

女が片手の拳を机に叩きつけた。

「馬鹿言わないで! 何処にそんな証拠が有るというの……⁉」

「調べて宜しければ、答えが有るのは教会だと思います」

女の顔が、気の毒なほど青ざめた。

「マダム、僕はソレルと一緒にこの町を巡って、様々なものを見てきました。彼と一緒に行った教会で、かつてのモンス・マレで犠牲になった身寄りの無い子供たちの墓というものも拝見しました。その時は聞いた通りに受け入れましたが、よく考えたら、あの墓もおかしい。この狭い土地で、埋葬するだけの慈悲があるのなら、亡くなる以前から対応しても良さそうなのに」

「慈悲の在り方など……教会に聞いてくれませんか?」

「埋葬方法でしたら、既に聞いてきました」

急に横道に逸れたような作家のお喋りを、女は胡乱げな目で見た。

「だったら何……?」

「此処は土地が狭い。昔は山側の山腹に墓を作っていた時代もあったそうですが、今は火葬後、一部を遺族が受け取り、一部を海に散骨するのが主流だそうですね。そうした中で、身寄りの無い子供たちには墓を設ける……少々、違和感があります」

「……むに已まれぬ対応ということもあるのではないかしら」

「確かにそうですね。でも、この国が荒れていた頃の『大人』のやり方からすると……慈悲を以て何人も埋葬した話より、何かを隠す為に埋めた方がしっくり来るんです」

「それは、エンターテインメント性を重視した作家の発想では?」

幾らか蔑む視線を受けたが、作家はへらっと笑った。

「耳が痛いです。仰る通り、僕もそれを狙って作中で人殺しを企てたことがあります。殺人を面白おかしく書くのはあんまり良くない事ですよねえ……現実にやった方には及びませんが」

――まあ、現実にやった経験がある親友が訂正を指示した為にリアルになり過ぎて書き直したのは懐かしい思い出だ。彼や警察、医師が持つリアリティに教わった点では、遺体には死に至った理由がきちんと残るものだという。嫌な話、バラバラになっても、焼失しても、残るものは残る。

「薬物による死斑は、特徴が有ります。あまり長く使用していた場合、骨にも異常がみられるし、未知の薬物では外部にも影響が出そうで怖いでしょうねえ……例えば、青い色になった骨なんて、綺麗な海に散骨したくはありませんよね」

「……青い骨なんか、見たこともありませんわ」

「では、調べてみませんか、マダム? 例の子供の墓に何者かの骨があるのなら――少なくとも、遺骨が子供か大人かはわかりますよ? 骨というものは、五十から百年、状態によっては千年近く土に残っているものです」

唇をわななかせた女が腕を振った。

「もう沢山! 出て行って!」

その様子を静かにニムは見つめた。

「マダム、『果樹園』は貴方の親世代よりも危険な悪党です。連中は扱うものの恐ろしさを理解しているが故に麻薬中毒者ジャンキーではない。ROMOロモはもちろん、FIBOフィボを盛っての始末は不可能です」

「出て行けと言っているでしょう! 警備を呼ぶわよ!」

「僕の仲間に協力してやって下さい。今のままだと、”御子息”に危険が迫る」

ルージュがぐっと噛み締められた。

「私に……私に子供は居ないわ……! 変な事を言わないで……!」

「……”彼”は、もう知っていますよ、マダム。『子供』というのは、勘が鋭い。反対に親というものは、子供の前では迂闊だそうです。冷たいように見えても、つい、可愛がってしまうんでしょうね。誕生日やクリスマスなんかは特に」

「……」

「僕は親が居ません。顔も知らない。手掛かりもなく、何の便りもありません。親としては異常極まりない連中です。でも、貴女は傍で見守り続け、成長を祝い続けた。愛情が有った証拠でしょう。だからこそ、なぜ秘密にする必要が有ったのか、僕は不思議で仕方がない。理由が有るとすれば、エルバ嬢ではないかと思う」

何が去来しているのか……女は黙って机を見つめていた。

「マダム、当社は力になれると思います」

「……」

しばらくその姿を見つめていた作家が、出ていこうかと立ち上がりかけた時だった。

「私たちは……この地の呪いを払拭した……それだけよ」

机に向かって言い落とし、女は厳しい目を持ち上げた。

「あの墓の下に青い骨など有りません……ミスター・ハーバー。有るのは醜い斑点が浮かんだ、不気味で罪深い、ならず者どもの骨です」

散々聞いておいて、作家は森のような両眼を瞬かせてきょとんとした。

「と、仰るからには……協力して頂けるのですか?」

女は片手で顔を覆い、バカな選択をしたとでもいうように首を振った。

「まったく、の悪い御方ね……話を聞く気があるなら座りなさい!」




 「俺がおぶっていこうか」

大きなバッグ片手に黒服の美男子が言った提案に、真っ先に首を振ったのは喪服の麗人だった。

「あんたはやることがある筈よ、ブラック」

回収してきた荷物に顎をしゃくる女に、男は小首を傾げた。

これを取って来るまでのわずかな間に、女はてきぱきと指示を出し、綺麗なタオルに石鹸、綺麗な水などを用意させ、すっかり応急処置を済ませてから襲撃犯の尋問まで行っていた。完全に生きる気力を失ったような犯人を振り返り、ブラックは微笑んだ。

「じゃあ、怪我人はどうするんだ?」

「あんな大きな病院を抱えているのに、搬送方法が人力のわけがないでしょう」

子供に言い聞かせるような口調で告げると、女は腕を吊った家令を振り返った。

彼は猛獣に出くわしたような冷や汗を浮かせたが、幸い、意を汲んで頷いた。

「大丈夫です、このような地形ですがお車は出せます――此処は九番街ですから、救急車を呼ぶより早いので」

「何人乗れる?」

「は……ええと、四人でしょうか……」

「そこの坊やを五人目に加えられるかしら?」

指さされたベックがぴっと背筋を伸ばす。家令はその小柄な姿を見て頷いた。

「だ、大丈夫だと思います」

「では、行きましょう。これから向かうと連絡して。後部座席に理事長と貴方、それとベックを乗せる。ソレル、運転はできるわね?」

できないなどと言ったら殺されそうな目に、ひねくれる隙も無くソレルは引き気味に頷いた。女は軽く頷くと、もう注意を払わずに家令と共に理事長に手を貸した。

まだ、言葉を交わしていない父親の顔に血飛沫はひとつも見当たらなかったが、顔色は蒼白だった。……普通なら、真っ先に息子である自身が手を貸すべきだが、足が床に打ち付けられたように動かない。

不意に、ぼんやりと見ていたソレルの肩が、トントンと叩かれた。

振り返った先で薄笑いを浮かべていたのはブラックだ。

「ソレル、俺は野暮用を片付けてくる」

わざわざ断って来た男を、胡乱げな琥珀色が仰いだ。

「……どーぞ、お好きに」

「先生に頼まれたから忠告しておこう。レディには逆らうな。危険な時は特に」

「逆らうわけないだろ……さっきの男の取り乱し方を見ちゃ……誰だってそう思う」

ジョン・ノックスと名乗る襲撃犯は、ホテルの受付でジェニーが会った『果樹園フルーツ・パーク』の仲間で間違いないだろう。ブラックがあらかじめ入れ替わり、マダム・クラヴィスとの接触に利用された男は、病院に運ばれた筈だった。ほんの数分、喪服の麗人が目前で話し掛けた際、男は「いっそ殺してくれ」と叫びつつ、縛り倒された状態で警察を待つ運命だ。

その男を入れ替わる際に病院送りにした男は、虫も殺さぬ顔で笑んだ。

「少し、レディの予測がズレた。マスカットを捕獲、或いは撤退させるまでは油断しないでくれ」

「おいおい、色男サンよ……俺はあんたらの仲間じゃないぜ?」

「そうだが、今は先生の助手だ」

さらりと指差し確認された一言に、ソレルが胸を突かれたような顔になる。

釣られた挙句……嵌められたと言われているようなものだ。

「いや、あのな……雇われたのはそういうんじゃなく『その他』について聞きたいって言うから……大体、先生はあんたらの作戦から外されたんだろ? もう取材なんて名目も要らないじゃないか」

「その様だが、先生はあんたを助けるまで此処に居ると思う」


――友情は相手を知った時から始まるんだよ。


病室で聞いたニムの言葉が反芻し、ソレルは慌てて首を振った。

「俺を助けるって……何の事だ?」

「さあ、俺にはわからない。だが、あんたの心に先生の言葉が残っているのなら、彼はあんたの助けになる」

見下ろして来る黒い両眼は、それこそ心を読むようだ。そこに書いてあるじゃないかと言わんばかりの顔を睨むが、浮かんだ薄笑いに効果は無かった。


――君は君が逃げているものと向き合わないと、また同じ日々を過ごすことになる。悶々と『その他』の人々を眺めるのと、勇気を出して戦うのと、どちらを取るかだ。


「……俺は、助けなんか要らない……」

「そうか。では、先生が帰る前に報酬を貰った方がいいぞ」

「は?」

「助手の報酬だ。先生の事だから、先払いじゃないだろう? 報酬を払うまでは、あんたを雇っているつもりだと思う。忘れている可能性もあるが、請求しておかないと、此処を出た後もその気かもしれない」

今度は喉に何か詰まった顔になった青年を面白そうな笑みで見下ろすと、ブラックは軽く片手を上げて妙な荷物と共に出て行った。

呆けた顔で見送ってしまった青年に、氷柱が突き刺さる様な声が響いた。

「何をしているの? 行くわよ」

「あ、ああ……」

久しぶりに運転する自家用車に乗り込むのは変な感じだった。

「坊ちゃん、大丈夫ですか?」

心配そうな家令に頷いて、ふと目が合った父親から慌てて逸らしてエンジンをかけた。――どうしてだ、家に居た時よりもずっと気まずい。

死ぬかもしれなかったのに。幾らいがみ合った仲とはいえ、普通は心配する。死ぬかもしれなかった父親を――どうして無視しているのだろう。

……そういえば、ブラックは父の命を助けてくれたのに、自分は礼も言わなかった。どうしてしまったんだ? 幾らなんでも非常識が過ぎないか?

それとも、自分はそういう人間だったろうか? 父に反発して、その意志を皆まで聞かずに飛び出して……その方が良い筈だと自分を言いくるめて。

今、気まずいのは……最近知り合った”誰かさん”のお人好しでも移ったか……?

「ソレル」

走り出して幾らもしない内に話し掛けて来た助手席の麗人に、ソレルは心臓を吐き出すかと思った。

「な……なんだよ?」

「私が止めろと指示するまで、病院に向けて走り続けなさい」

そう言った麗人は前を向いたまま、ソレルが聞き返すより早く懐から黒い拳銃・グロック17を取り出していた。ぎょっとしたソレルを余所に、女はロックを外す。

「お、おい、何を――……」

「後部の三人は、頭を下げる。いいわね?」

否を許さぬ問い掛けが響いた直後、正面のガラスに何かがぶち当たった。その前に響いた音と、ぐしゃっとひび割れたガラス――言うまでもない、弾丸だ……!

さすがは理事長の自家用車、防弾ガラスは装備しているが、そう何発も防げるものではない。

「ど……どういうことか説明しろよ!」

大人しく頭を下げる他ない後部をよそに、屈みがちにハンドルを握った運転手が吠えるが、女は帽子の下のすました顔を振り向かせもしなかった。

「黙って走らせて」

ミスを指摘する教師のように言うと、女はおもむろに窓から銃を伸ばして発砲した。

淡くも明るい街灯に照らされる建物の陰で何か動いた気がしたが、確とはわからぬまま行き過ぎる。女はその後も時に身を乗り出し、時に引っ込めて発砲を続けた。

変な射撃だった。建物の陰に居る相手には当たり様もないのに、女は何かを狙って撃ち、更にどうしたわけか、当たった気配がしないのに徐々に襲い掛かる発砲音は減っていく。視界の端で、バルコニーから何かが落下するのが見えたが、人間ほど大きくはない……生き物でもないようだった。発砲音に何かが割れる音がして、悲鳴のようなものを聞いた気がしたところで――車は十番街に滑り込んだ。

辺りには静けさが満ちている。追って来る者も車も居なければ、背後で何か有った様にも見えない。

「……どんな手で切り抜けたんだ?」

女は流れるようにマガジンを交換しながら見向きもせずに言った。

「人は大抵、上には注意を払えないというだけよ」

「……はあ?」

「ぼ、僕、ちらっと見たよ……! 凄かった……!」

頭を下げろと言ったのに、と不服そうな女に対し、少し興奮気味のベックによると、ペトラが撃ち落としたのはバルコニーに備え付けられた鉢植えやハンギングされたプランター、街灯のガラス等々だったそうだ。それらは皆、直下に居た者の頭上に直撃したという。中には軽いものも有ったろうが、高さが加われば十分な凶器になり得るし、直接狙うよりも確実だというが――あくまで当たればの話だ。

走行中の車内からの狙い撃ちに、そんな精度が有るとは思えない。先程のブラックの『予測』という発言に秘密が有るのか?

「……あんたらと居ると、頭が変になりそうだ……」

背後を気にして呻いたソレルのこめかみを、強かに女が指先でどついた。唐突な痛みに怒るより先に歯を食いしばった青年に、女は冷たい目で顎をしゃくる。

「前を見なさい。救急搬送の場に付けて」

「クソ……乱暴な女だな……!」

「もう一度言ったら顔面を潰すわ」

悪党でさえ気を遣ったハンサムを物ともせん女にソレルは押し黙り、言われた通りに病院の救急搬送口に付けた。聞き及んでいる為か、すぐに中からスタッフが続々と現れた。皆、慌てた様子で、やけに人数も多い。

「……さっすが理事長……お出迎えが多いことで――」

皮肉を呟いたソレルだが、すぐに眉を寄せた。幾らなんでも、出てくるスタッフが多すぎる。おまけに、スクラブを着た看護師や医師以外に、事務職と思しき連中までお出ましだった。あくまで患者を待っていたらしいスタッフより先に、大急ぎで車に近付いて来る。

「ダグラス様……! た、大変です……!」

「……どうした?」

此処に来て、ようやく口を開いた男が車内からよろめき出ると、怪我など知ったことではない調子で事務員は詰め寄った。

「院長の所に『果樹園フルーツ・パーク』が来て……もう三十分は経つんです! これでは仕事になりません!」

ペトラの刃物のような目が細められ、ソレルも顔をしかめた。

「あいつら、オギーに何の用だ……?」

「行けばわかる。理事長たちは早く治療を――」

言い掛けたペトラが眉を寄せた。

駆け寄って来た事務員たちの目が普通ではない。最初に喋った男もそうだが、皆が血走った目で、「理事長」、「理事長」と近付いて来る。まるでゾンビか何かだ。

掴み掛かられて苦悶にか顔を歪めたダグラスが何か言う前に、最初の男を何者かが押し退けた。

苛立たしげな顔で立ち塞がったのはソレルだ。

「ソ……ソレル坊ちゃん……!」

押し戻された男は気圧されたようだったが、怯まなかった。

「ど、退いて下さい! 我々はやることが山ほどあるんです! 理事長に奴らを追っ払ってもらわなくては!」

「お前ら……ROMOを飲んでるな? ジャンキーみてえな目しやがって……あんなもの飲まなくても仕事はできるだろうが!」

その今にも気の違いそうな目を琥珀色が睨みつけると、男はぶるぶると唇を震わせた。

「ROMOは合法です……! 私は『その他』になど成りたくないのです……!」

ベックがハッとし、ソレルは目を剥いた。

「おい……どういう意味だ……⁉」

やめろと手負いの父親が息子の肩を掴むが、細いそれは見た目以上に頑として動かず、薬物に促されるように男の舌も止まらなかった。

「め、名家に生まれて、賢い上にお美しいソレル様にはわかりませんよ! 私たちは日々、楽しい仕事と、正常な脳が狂う恐怖と戦っているんです!」

「そ、そうだそうだ! ソレル様にはわからない! 仕事が遅れたら大変だ! 誰も手伝っちゃくれない!」

別の男がヒステリックな声を上げると、群衆は更にざわめいた。老いも若きも、男も女も、口々に要望を喋り始める。

「坊ちゃん、わかってください! 仕事が充実してこそなのです……! 動けるうちにやらなくては! ああ、早く戻らなくては……やがて仕事から外される恐怖が追い掛けてくる……!」

「そ、そうよ、役立たずになってゆくのは絶望なんです……! 働けなくなったらどうすればいいのでしょう……!」

「『子供』や『その他』にこんな気持ちがわかります? わかる筈がない!」

「いい加減にしろ! 同じ人間を貶める発言をするな!」

ソレルが怒鳴りつけるが、火に油といった様子だ。

「そんなことを仰るのはおかしいわ! 役に立たない『その他』の為にも私たちは頑張っているんです!」

「そうだ、不当だ! 我々は知ってるんだぞ! り、理事会が、本当は――我々をこきつかって社会のお荷物共を生かしてやってるってことは!」

「『その他』には成りたくない……だから働かなくては……!」

「お前ら……!」

「やめろ、ソレル!」

男の胸倉を掴もうとした息子を父が止めようとした時だった。

辺りを揺るがす銃声が鳴り響いた。

誰もが驚いて目を見開く中、天に銃口を向けていた女が辺りをねめつけた。

「此処は、病院だと聞いていたのだけど?」

一瞬で氷海に突き落とされたように押し黙る群衆を前に、喪服の麗人は医療関係者を見た。

「どうなの?」

「そ……その通り……です……」

一人、二人が頷くと、女は呆れ顔で顎をしゃくった。

「では、さっさと怪我人を治療なさい」

スタッフらは怯えをあらわにしつつも、そろそろと動き出した。

「……どうして、そんなこと……」

掻き消されそうな震え声で呟いたのはベックだった。

「僕は……今は『子供』だけど、いつ『その他』になるかもしれない友達が大好きなのに。彼女の笑った顔も、時々話すことも、他の人よりずっと素敵なのに。『その他』になったからって、彼女の何かが変わるわけじゃない……」

悲しそうに呟いた少年を女はちらと見た。

物言いたげな理事長と彼を気遣う家令を受け渡し、現場監督のように彼らが院内に去るのを見届けてから、青い顔をしている少年に振り向いた。

「ベック、付き添いとして一緒に行きなさい」

「えっ……でも、……」

「あいつらがサボったら『子供』の権限でケツを叩いて」

横暴な注文に、少年は目を瞬きながら拳を握り締めているソレルを見てから頷いた。

「わかりました、ミズ・ショーレ」

「貴方の返事が一番、出来が良いわね」

本気かジョークかわからない素っ気ない賛辞に少年はちょっぴり微笑むと、理事長らの方へ駆け出して行った。

女がくるりと振り向くと、他の大人たちは揃って怯んだ。女はそちらには全く気を配らずに、彼らを見つめていきり立つ青年の向こう脛を唐突に蹴飛ばした。

「な……何すんだ……!」

「動かない奴はこうするに限るの。あんたはニムよりノロマだわ」

聞き捨てならないセリフに反論しようとしたが、刃物のような目が先に閃いた。

「院長の所に行くわよ。エスコートして」

「……クソ、わかったよ……!」

ソレルは何処かの作家のようにぶつぶつ言いながら、さも当然といった顔の女の先に立った。

「わ、我々はどうすれば……」

途方に暮れた声に、女は冷たい目で群衆を振り返った。

「貴方達は『大人』と聞いたけれど?」

聞くまでもない質問に、彼らは頷いた。

「も、もちろんです……」

「じゃあ、自分たちで考えなさい」

ぴしゃりと言い放つと、喪服の麗人は振り返ることなく病院へ入って行った。

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