20.本当のこと

 朝陽に照らされたモンス・マレは、夜の内に起きた様々なことが明瞭になった。

耳の早い記者が朝刊に載せた話は、理事長宅を何者かが襲撃した件に始まり、それが『果樹園フルーツ・パーク』という麻薬組織だったこと、犯人は既に逮捕されていること、理事長は銃撃を受けるも命は無事で、今は病院から指揮を執っている事云々――事実のみが記されていた。緘口令かんこうれいでもいたのか、ブレンド社の介入や、居合わせたソレルやベックのことは書かれることなく、屋敷から病院に向かう路上のあちこちで鉢植えが落下し、割られた街灯のガラス片を住民らが片付ける写真だけが掲載された。警察があちらこちらで巡回しているのが見られたが、犯人はもう捕まっていると公表されているだけに、住民は割合、いつも通りの生活を営んでいるようだった。

強いて言えば、昨夜の爆発音で多くの家が地震のように揺れたが、街中にはひどい有様の家など無く、地震や雷が落ちた痕跡も見当たらずに、誰もが首を捻っていた。

その犯人とも言える男は、どう見ても怪しい黒服姿でおっとりと後ろを付いて来る。

ニムが存在の消失を不安視する美貌に向けて、あちこちから視線を感じたが、みな羨み溜息を吐くそれで、不審そうなものは一つもない。

「どいつもこいつも、呑気なもんだな……全く」

美男にうつつを抜かせる一番街の港は、昨日の騒ぎなど知ったことではないといった風に平和な印象だった。

ニムが最初に訪れた時と同様、金のプレートと銀のプレートをした『子供』と『大人』が楽しそうに行き交い、ひどい目に遭ったろうレストランも元の通りに営業している。日常を鬱陶しげに眺める美青年を、まだ存在は消えていないニムがこらこらと窘めた。

「そんな顔をするもんじゃない。平和な方がいいじゃないか」

何やら紙袋を大事そうに抱えた作家に、青年はフンと鼻を鳴らして両手を挙げた。

「ハイハイ、全く以て先生の言う通り」

日差しに気怠そうに答えるソレルの後ろで、ブラックが微かに笑い声を立てた。

「おい、笑うなって」

「すまない。ソレルは先生と相性が良いと思った」

「やめてくれ。あんたら程じゃない」

「それは当然だ。俺と先生は親友だからな」

「……ハイハイ、あんたらは良い仲だよ、全く……」

付き合っていられんと片手を振るが、皮肉を物ともしない男は高い位置からその顔を覗き込んだ。真っ暗な影が差したような下で、闇そのものの眼が笑う。

「ソレルは、今後はどうするんだ?」

素朴な質問にちらりと先頭を行くニムが振り向くが、何も言わなかった。

「俺が今後どうするか……?」

「ああ。理事会に戻るのか?」

「そっちの話か……決めてないし、そんなに簡単には戻れない」

昨日も啖呵を切って来たばかりだと言うと、彼はおっとり首を捻った。

「そうなのか。あんたは腕が立つから、弊社でも歓迎されると思うが」

「は……はあ? 俺に、あんたらの仲間になれって?」

意外なことを言い出した男は、薄笑いのままあっさり首を振った。

「俺に権限は無い。社長かレディに聞く必要があるが、レディは運転技術は悪くないと言っていた」

いつの間にそんな評価をしていたのかと顔をしかめる手前、ニムが微笑みながら振り返った。

「ブラックがそんなこと言うの、珍しいね」

「先生と気が合うのは大体良い人間だ。レディの見解通り、此処の制度が変化するのなら、あの店に用心棒は要らなくなる」

「だからって、あんたらの仕事はヤバそうだ……ブラック、あんたもそうだが、俺は別嬪さんにケツを叩かれる趣味はないぜ?」

「安心したまえ、ソレル。レディはやるならケツじゃあなく、頬をぶっ叩く」

「……知ってる。この辺とすねはもうどつかれた」

指さすこめかみを突かれた痛みも、向う脛を蹴られた痛みもまだ新しい。ブラックが低い笑い声を立てた。

「既にレディの攻撃を食らったのか。見込みがあると思わないか、先生?」

「大いにあるね。平手打ちか、蹴りを食らって一人前だから」

恐ろしい話を平然とし始めた二人に青年が嫌そうな顔をする頃、菓子店『プレゼント・アマレッロ』の前へと差し掛かった。今日も客で賑わう黄色い庇の店舗に、ステラの姿は無かった。まだ学校に行っている時間だろう――ぼんやりと店先を眺めたソレルだが、森と闇の視線を感じてハッとした。

「なんだよ……?」

「何でもないさ。こっちだよ、ソレル」

穏やかな波が打ち寄せる方へと作家は歩いて行った。何処へ行くのかと聞く必要はもう無かった。その先には、モンス・マレの玄関口とも言える海側の入口――桟橋にぽつんと佇む石の箱のような建物しか無い。

そこへ向かう短い桟橋の傍に、一人の老紳士が杖をついて立っていた。

帽子をとって頭を下げた男に作家は小走りに駆け寄った。

「ミスター・ブエノ、来て下さってありがとうございます」

「先生や坊ちゃんのお役に立てるのでしたら喜んで」

優し気な皺を刻んだ紳士は、ソレルに会釈し、ブラックにも「いつぞやは」と頭を下げた。

「先日も、大切な奥様の日記を貸して下さって、ありがとうございました」

「お気になさらず。あれも理解ある御方の眼に触れて喜んでいるでしょう」

「とても助かりました。文面から奥様の優しさと献身的な御姿が偲ばれます」

ニムは丁寧に会釈し、持って来ていた紙袋を紳士に渡した。

「では、参りましょう。役人にはもう伝えてあります」

「役人……? どういうことだ、セオドア? 船で何処かに行くつもりか……?」

目的のものが海に沈んでいるのか、と怪訝な顔をしたソレルに、紳士は首を振った。

「坊ちゃん、私も伺った時は耳を疑いましたが……先生を信じて、拝見してみようと思います」

「……?」

訝しい顔で石の箱に入ると、役人は会釈したのみで素通りだった。

再び海を拝んだ桟橋の先に、海に浮かぶような石の波止場がある。そこには一艘の小型船が停泊していた。

「どうも、こんにちは」

ニムが声を掛けると、ひょいと顔を覗かせたのは行きにも船を出してくれた青年だ。

「ああ、船酔いのお兄さん。どうも」

覚えていてくれたらしい青年に、ニムはにこりと笑った。

「あの時はお世話になったね」

青年は微笑しつつも、首を傾げた。ニムが手ぶらというのもあったが、何せ同行者が多い。金髪に琥珀色の目をした美青年、いつか乗せてきた黒服に身を包んだ美男、帽子と杖を持った優し気な老紳士。

「船酔いを心配しようかと思ったけど、帰る雰囲気じゃなさそうだね」

「そうなんだ。申し訳ないんだけど……この船について聞きたくて」

「あ、停泊を依頼したのはお兄さんだったのかい? 船長、役人が言ってたお客さんだよ」

青年の呼び声に、船長はきょとんとした顔で降りてきた。如何にも海で働く男といった風の日焼けしてがっしりした船長だったが、帽子を脱いで、窺うような視線でかしこまった。

「こりゃどうも。なんぞ、お咎めを受けることはしておりませんが……」

「いや、大丈夫です。僕は役人じゃないですし、警察云々でもない。お待ち頂いたのは、この船の出所をお伺いしたかったんです」

「出所? こいつは、業者から買いましたが……」

やや言い淀む様子に、ソレルは違和感を感じた。何とはなしに、作家が気にする船を眺めた。妙な所は無い、普通の小型船に思われる。強いて言えば漁をする船よりは、金持ちが遊ぶクルーズ船のような造りだ。マダム・クラヴィスの所有船にも、こういうタイプの船が有った筈――そう思っていたとき、ブラックが例の良い声で言った。

「船長殿、この船を売った業者に関しては弊社で調べが付いている。”様々な理由”で廃棄になる船を補修し、幅広く取り扱っているそうだな」

差し出されたブレンド社の名刺を見て、知っているのかいないのか、船長は慌てた様子で首を振った。

「へ……変な会社ではない筈ですよ? 廃船や壊れた船などを仕入れて、きちんと直してから売ると言っていました。こいつは新しくもないですし、良い船ですが高価過ぎるわけでもないので、決して盗品などでは……」

「焦らなくていいんです、船長さん。僕らは貴方がこれを手にした経緯を咎めるつもりは毛頭ないんです。ただ、失礼ですが、この船……”いわく付き”ではありませんでしたか?」

「それは……ええ、まあ……」

「僕の想像ですが、漂着していた船なんじゃないでしょうか。しかも、男性のご遺体付きの」

「えっ! ど、どうしてそれが?」

真正直な船長に大いに感謝しながら、ニムはちょっぴり身震いしてから、船を見た。

「もうひとつ……僕が乗船したとき、金髪の女性が同乗していませんでしたか?」

「あの時は……貴方と、若い男女が乗っていましたが、はて、金髪の女性?」

船長の答えに、ニムはすうっと息を吸い、幾らか苦しそうに吐き出して船を眺め――首を捻り、厳かに言った。

「ブラック、手伝ってくれるかい? 多分、船艙せんそうだ」




 病院のロビーは異様な空気に包まれていた。

町の方は至って普通、いきなり悪党を大人数受け入れた警察の施設さえ静かだというのに、此処は妙にざわついていた。

喪服の麗人は黒いブリーフケースを提げ、さざめき合う患者やスタッフを悠然と眺めながら、その騒ぎの中心であると思われる人物に目を留めた。

若い女だった。検査着らしき薄水色の上下を纏い、何故かロビーの中央に据えられた巨大な樹のオブジェの上で大声で叫んでいた。

「私は理解した! みんな理解したわ! みんな知ってるのよ!」

常軌を逸した声は怒っているようにも聴こえたが、高らかなスピーチにも聞こえた。

「私を叩いたくせに私からやったって嘘をついた女も! 私のカバンに泥を入れたガキ共も! 金を盗んだのを私の所為にしたババアも! 私のスカートの中を覗いた隣のジジイも! みーんな知ってるんだから! 私が知らないと思ってるバカな奴ら! あんた達もそうなんでしょう!」

女の叫びを無表情に一瞥した麗人が受付に立ち寄ると、病院の事務員は浮いた腰のまま困り顔を浮かべた。

「あ、あの……申し訳ありません、只今、受付は急患の方のみで……」

「入院中の理事長に用が有ります。あれは何の騒ぎ?」

威圧的で簡素な問いに、事務員は更に困った様子になった。

「私共も出社したらこの有様で、何が何だか……昨夜からだそうですが……」

「警察には?」

「も、もちろん届けました。でも、昨夜、犯罪者が大勢捕まったから人手が足らないとかで……警備で何とかするようにと……」

女は一体どうやってよじ登ったのか、警備員や医療スタッフらは滑りやすいオブジェを上がるのは難しいらしく、根本で梯子や脚立、果ては布団の山を置き、大人しく降りるようにと説得を続けていた。

それを見下ろす女は、彼らに向けて更に赤裸々な言葉を浴びせる。

麗人は興味が無さそうな顔でそちらを見、受付のテーブルに黒手袋に覆われた繊手で名刺を滑らせた。

「何か問題があれば連絡を」

「えっ……」

事務員がどぎまぎとそれを見た時、麗人はさっさと病院の奥に身を翻していた。

「あ、あの! 困ります!」

カウンターに身を乗り出して声を上げた事務員に、麗人は肩越しに冷たく言った。

「貴方が困っているのは大いに理解できる。でも、私も仕事があるの。この国では、仕事は重要なことでしょう?」

「そ、その通りですが――」

「では、失礼」

すげなく言い捨てた麗人は靴音も無機質な調子で病院の奥へと向かった。

背後で女が叫び続けているが、どうやら騒ぎはロビーだけではない。奥からも同じような声が響いて来た。スタッフらしき者が宥める声とは別に、明らかに誰かが――数名が大声で叫んでいる。内容は様々だったが、いずれも先程の女と同様、これまで自分を軽んじた者への怒り、騙した者への憤り、嘘吐きへの恨み言だった。

まっすぐに理事長が居る病室に入ると、軽傷だった家令は帰宅させられたようで、そのベッドは空だった。代わりに、理事長の傍らに居合わせた女がサッと顔を上げ、緊張していた肩を落とした。

「ペトラ・ショーレ……貴女、よく入って来られたわね……」

「マダム・クラヴィスもご一緒でしたか」

スーツをきちんと纏ったマルガリータ・クラヴィスは、完璧なヘアセットや化粧のわりに疲れた様子で頷いた。

「ええ……その節はどうも――いえ、もういいわ。ダグラスがお世話になりました」

「私は私の仕事をしただけです」

仕草だけは優雅に会釈すると、麗人は刃物のような目で二人を見た。

「それより、外の騒ぎは何ですか」

「ミズ・ショーレ、貴女なら予想が付いておられるのでは?」

ベッドの上で半身を起こした男の問い掛けに、麗人は素っ気なく首を振った。

「理事長――限りなく正確な予想でも、予想は予想に過ぎません」

「……ご尤も。あれは……オーガストの、FIBOフィボによる研究成果です」

ペトラは目を細め、ちょうど背後をドタバタと走っていった者たちが去る頃に口を開いた。

「昨夜、休むように忠告したのに仕事を続けたのですね。最悪の結果を招いた様に見受けられますが」

「お恥ずかしながら。今、オーガストも鎮静剤を打って回っていますが、明け方にも処置した為、間隔に慎重な様です」

「騒いでいるのは何人ですか」

「五人と報告を受けましたが、一部、別の患者にも波及している様です」

「怪我人は」

「今のところは、逃げようと暴れる者を押さえた際、軽傷を負った者が出ている程度です」

「そうですか。――では、こちらにサインを」

ブリーフケースから当然のように取り出した書類に、理事長は眉ひとつ動かさなかったが、マルガリータは唖然とした。

FIBOとROMOロモの完全廃棄と、違法薬物と指定することを約束する誓約書だ。結ぶ相手は、BLEND社を介し、国連薬物犯罪事務所とある。

国連が母体である国際的な不正薬物の指導機関――突如、正規の手続きを飛び越えて即断を迫る女に、マルガリータは喘いだ。

「あ……貴女、正気なの? 一夜明けたばかり、しかもこの状況で――今の騒ぎはお宅の介入も関与のあることでしょ……!」

「この騒ぎは弊社とは関係有りませんし、英断は早い方が効果的です」

しれっと言い放つ女に、こちらの女も負けてはいない。

「無いとは言わせないわ! あなた方がオーガストを焦らせたから、こんなことに――」

「マダム、恐れながら私は理事長のサインを求めています」

「呆れた……!」

ヒールで床をぎゅっと押さえつけた女の声が大きくなる前に、男はそっと片手を上げた。

「マルガ、控えていてくれ」

「……ダグラス……!」

「大丈夫だ。彼女はこの国を潰そうと言っているのではない」

片手を伸べて、麗人が差し出す書類を男は仔細に見つめた。

「統治に関わる内容は皆無ですね。国家としての罪を問われると思っていましたが」

「これはあくまで、国際法上の薬物に対する措置です。弊社は不正薬物横行の調査結果を然るべき機関に報告した上で書類を得たに過ぎず、独裁政治を非難するつもりも、非人道性を取り締まる権限も有りません」

面と向かって出る皮肉は、爽快なほど白々しい。たった一晩で国際機関の書類が出てくる筈がなく、何かと動きの遅い公的機関から許可を得てくるにはそれこそ何日――半年でも早いぐらいだというのに。

とっくの昔に仕上がっていた多くを理解した顔が頷いた。

「わかりました。サインには物証が居るのでしょう? 物を提出するには、オーガストに頼む必要が有ります。私や彼女の手元には置いていない物なので」

フッと小さく麗人が笑った。二人の男女に微かな緊張が走るが、麗人はすぐさま、笑みも書類も引っ込めて刃のような目をした。

「国を治めるのにしたたかさは必要ですね」

ブリーフケースに収めると、麗人はそれを置いて両の手を組んだ。

「今回のような件は初めてですか?」

尋問の如き問い掛けに、理事長は短い逡巡の後に首を振った。

「今……騒動を起こしている者たちはFIBO投薬レベル10を超えた被験者です。オーガストによる10を超えた実験例は過去・五人。内一人は周囲の心無い言動に気付いて号泣し、一人は自身のこれまでの行動について苦悩してふさぎ込み、三人は激怒した。いずれもFIBOの効果が切れると、元の温厚な――或いは静かな状態に戻っています」

「亡き奥様は、いずれの症状が?」

マルガリータがハッとして何か反論し掛けたが、理事長はいち早く答えた。

「エルバも激怒した可能性が極めて高いですが、真相は不明です」

「不明?」

黒帽子の下の眼がすがめられた。

「『精神障害者による殺害』と偽装したからには、隠したい事情が有ったのでは?」

「……貴女は、実に明瞭に話されますね」

さすがに憂鬱そうに眉間に皺を寄せたが、理事長の答えも冷静だった。

「それは、エルバが死亡した際、十歳のソレルが一緒に居た為です」

父親として、その発言は重かった。隣に立つ本当の母親も、唇を噛む。

「血の付いたナイフでも持っていましたか」

遠慮など知らないらしい問い掛けに、両者は曖昧に首を振った。

「エルバの死因はFIBOを一度に大量に摂取したショック死です。それは確かな筈ですが、誰がそれを彼女に摂取させたのかは定かではない」

「ご子息を殺人犯とお疑いなら、可能性は可能性に過ぎません」

先程と同じようなことを言った麗人の言葉に、本当の母が憂いに染まった目をもたげ、父は厳しい目を伏せた。

「此処で起きた全てをややこしくしているのは、その件ですね」

ふ、と息を吐いた麗人が斜にかぶった黒帽子をそっと直すと、その傍で低い唸りのような音がした。黒手袋をした手が電話を取り出す。麗人は「失礼」と断ったが、そのまま通話に応じて二、三言い交わしてすぐに切った。

「先程、エルバ・クランツの遺骨が見つかりました」

ひどく簡単に出た言葉に、マルガリータは胸を突かれたような顔になった。

「……なんですって……一体何処に……!?」

「定期船の船艙です。船は以前の持ち主の状態から外装を変えていましたし、床板の下に隠してあった様ですから、見つからなかったのは無理もないことです」

「船艙……ああ、何故そんなところに……――遺骨なのは間違いないの……?」

「弊社のスタッフ以外に、こちらの病院の元医師であられるブエノ氏にご同行願いました。本物の人骨かどうか、大人か子供か程度はその場で把握して頂けるでしょう」

「セオドアを……」

抜かりない麗人は二人の驚きなど、どうということはない顔でダグラスを見据えた。

「間もなく、遺骨はスタッフと一緒に此処に来ます。お二人も、立ち会われますね?」

不気味なほど、遺骨の話がぴったりな麗人の言葉に、二人の男女は頷くしかない。

「結構。御子息もご一緒です。では準備が出来次第。私は外の騒ぎを見て参ります」

「あ、あなた……昨日のような銃撃戦を起こすつもりじゃ――」

さすがに耳に入っているのだろう昨夜の暴動に、麗人は人形よりも無表情な顔つきで言った。

「マダム、弊社は戦争屋ではありません。調査会社です」

そう言って会釈した麗人があっさり立ち去ったドアを見つめ、マルガリータは肩を落とした。

「ダグラス……本当にエルバだと思う?」

「恐らく。ジェファーソンが海から逃れたのはわかっている。遺骨を船艙に隠すとは……呆れた男だ」

「これで……全てに決着が着くのかしら……」

「……いや、オーガストを説得しなければならない。ソレルが適役だが、私の言うことは聞かないだろう」

「それなら私だって同じよ……」

溜息を吐いて目元を押さえる女に、男は静かな目を向けた。

「マルガ、君が話した例の作家はどうだった? 私はまだ会っていないのだが」

「……変な男だわ」

嫌そうに呟いたものの、女の緊張感はどこか和らいだように見えた。

「賢いのか、阿呆なのか……よくわからない。でも、マスカットが望遠鏡と言ったあの目……視力は確かめようがないけれど、あの緑色の目を見てると……なんだか気を許してしまうのよ。こっちから馬鹿みたいに喋ってしまったわ」

「……長い事、この件について話さなかったのもあるのだろう。君には苦労をかけた。ソレルを手放して、寂しい思いもさせた……すまない」

「やめてよ、今さら……最初から、二人で決めたことでしょ。貴方の教育方針には、しょっちゅうイライラしたけど……それも――普通の家庭にだってあることよ……」

女が居心地悪そうに首を振ると、やや自嘲気味に苦笑した。見る者が見たらわかったかもしれない。そういう表情をすると、彼女はソレルに実によく似ていた。

「……ダグラス、さっき話した通り――ステラ・ターナーの件は不問にしてくれるわね? 彼女の両親が望む通り、そっとしておくって……」

「わかっている。だが、年齢を考慮すると、生まれたのはエルバが亡くなった年だ。何故気付かなかったのだろう?」

「あの男が隠したからじゃないの……?」

「ああ、しかし……出産はそれほど容易くはない。……誰かが、取り上げられたステラを連れて行った。もしかしたら……ジェファーソンの手からも逃れて……」

不意に、虚空を見つめていた目が厳しくしかめられた。

「マルガ、その作家はステラの件を『子供』たちが知っていると言っていたか?」

「え……明言はしていなかったけれど、オーガストは知っていたでしょう? だって……だからあの子はFIBOの研究を急いてこうなったんでしょうから」

「もし、ソレルも知っていたのなら――それはいつだ?」

「いつって……生まれるより前なのは決まって――」

女が口元に手をやった。行きついた嫌な予感に、ルージュを引いた唇が震えた。

ダグラスは重たげに口を開いた。

「エルバが死んだ件は、まさか……」

「あの子たちが――待って、モリーも、他の使用人だって居たでしょう? いくら安産だったとしても、出産を隠し通すなんて不可能よ!」

「出産は難しいが、妊娠は隠せる。エルバは先の出産時も殆ど体形に変化が出ない体質だったし、あの当時のモリーはエルバよりもソレルやオーガストに気を配っていた。病院での検査も有ったのだからそこで産まれて隠されてもおかしくはない」

「ジェファーソンが隠したのは、そうでしょうよ……じゃあ、あの子たちは病院でステラを見たと……? それなら、それだけの話――……」

言い掛けて、男の言わんとすることを察した女が息を呑んだ。

「……冗談じゃないわ、ダグラス……! 十歳の子たちよ? そんな、そんな恐ろしいこと――」

「それを言うなら私たちも同じだ、マルガ。わずか十代で、私たちは『大人』の殺戮を企て、実行した」

「状況が違う! 私たちは……やらなければならない時勢だった……!」

「そうだ、『子供』だったんだ、私たちも……あの子たちも」

表情をかつてないほど苦悶に歪め、男は首を振った。

「ジェファーソンが、エルバに執着していたのは君も知っての通りだ。それを純愛と呼ぶならそうかもしれないが、奴は彼女の為なら何かを犠牲にするのを厭わない性質の人間だった。……君ならどうする? 自分の姉妹かもしれない赤ん坊が、何かの研究材料にされるとしたら? 」

「止めなくてはいけない……いいえ、でも――……」

艶やかなルージュさえくすんで見えるほど蒼白な面持ちで、女は言った。

「それは、子供にやらせてはいけないことよ……!」

外でまた、大勢が走り回る音がした。

誰かが叫んだ。

「みんな知ってるんだからな‼」

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