11.子供
「もう散々よ!」
オフィスに入ってきた女は開口一番そう言うと、断りもなくソファーに腰掛け、ハイヒールの踵を神経質に鳴らした。後を追って来たスタッフがおろおろと視線を泳がせるのを、部屋の主は頷いて退室を促した。
扉が閉じられると、ジェファーソン医師は萌黄色の爪をいじる女に目を向けた。
「どうかなさいましたか。ミズ・マスカット」
物静かに尋ねた医師を女は蛇のような横目で捉え、つんと顎を反らした。
「“どうかなさってる”のはこの町よ。たかがガキ一人、なんで見つからないわけ? 警察の連中に一軒ずつ調べさせてもダメ、町中の屋根裏と倉庫を改めてもダメ、山林なんて焼いてしまいたくなるぐらい見回ったってのに、どういうことよ?」
「……『その他』の区域は如何でしたか?」
「とっくに部下が見て回った。懸賞金まで掛けたってのに使えない国民ねえ……おたくのシステムは、貧乏人のハングリー精神まで腐らせてるわ」
「大型施設に潜んでいるかもしれません。ホテルや学校などの……」
「ホテルはマダムが目を光らせてるでしょ。只でさえ、監視カメラが山ほど有るってのに。学校には『子供』が居るんだから絶対に漏れるわ。私はねえ……他に気になる場所があるのよねえ……」
女は立ち上がると、医師と机を挟んで向かい合い、腕を組んだ。
「ジェファーソン、貴方、私たちに隠し事をしてるんじゃなくて?」
「仰る意味がわかりませんね」
「貴方は理事長の息子とは親友同士と伺っているわ。お二人の可愛い写真も見た。大学時代まで、入学式やお誕生日を一緒に過ごすのは、かなり仲が宜しいと思うのだけれど」
「昔のことです。ソレルは僕を避けている」
「しらばっくれると余計に怪しくてよ、院長。何故なら貴方たちは単なる親友じゃない」
医師は答えずに端末画面に向き直った。無視してキーを叩き始める男を、女は地上げ屋のような目で見下ろす。
「貴方はこの国では珍しいタイプの出自だったわね。理事長の邸宅前に捨てられていた子供なんて、他に居ないんじゃない? その理事長は貴方を病院に預け、何故か多大な援助をしている。大学進学に際しても医学が盛んな国で学ぶ機会を与え、金額だけなら実の息子よりも投資しているわね。当の息子は嫉妬どころか父親と同様に貴方を評価し、子供の頃から兄弟のように過ごした。海外在学中はまめに連絡を取り、休暇は共に過ごし、貴方が医師になった後は右腕のように事業を支え、院長に推薦したのも理事長父子。あんたに『
「ミズ・マスカット、僕と理事長父子との関係は、例の『子供』とは無関係です」
「果たしてそうかしら?」
女は目を細めた。
「多くの国民は、あなた達の関係を知っている。例の『子供』も同じでしょうよ」
「何を仰りたいのですか」
「病院に匿っているのなら、早いとこ出すのが身のためよ、ジェファーソン」
「僕は例の『子供』を匿ってなどいません。此処に居るのは、治療の為に入院を必要とする『子供』だけです」
「ベッドを片っ端からひっぺがしましょうか」
「許しません。患者に無礼を働くなら、退去を命じます」
「お前が私に命令するつもり?」
「ミズ・マスカット。此処は病院です。人間を癒し、治す場です。そして僕はこの場を任されている。他に何か聞きたいことは?」
「お前の命乞いが聞きたいわ」
萌黄色の爪をした片手が、肉食獣のような勢いで線の細い首を掴んだ。女とは思えない力に締め付けられて尚、院長は微動だにせぬまま、薄いブルーの光らぬ目で女を見上げた。
「僕を殺して、院内を引っ搔き回すのですか」
「そうしてやりたいわね」
「申し訳ありませんが、僕は命乞いなどしませんよ。どうせ、いつ途絶えてもおかしくない。不安に思う家族も居ません。患者は他のスタッフが引き継いでくれることでしょう」
「呆れた男。理事長といい、あんたといい、この国の連中はイカれてるわ。『ROMO』が無くても、あんた達はくたばる寸前まで働き続ける」
「ええ、理解不能で当然です。あなた方は金回りさえ良ければいいんですから。この地に、現在のシステムを敷くまでに何が有ったかなど、どうでもいいことなのでしょう。僕も、あなた方がどれだけ金を集めようと、どうでもいい。僕にとって重要なのは、『子供』が何も心配することなく健やかに『大人』になることです」
女が憤りとも嘲りともつかない視線で医師を睨んだとき、ノックが響いた。無言でドアに顎をしゃくった女に、そのままの姿勢で医師はドアに問う。
「はい。何ですか」
「し、失礼します。ミズ・マスカットはいらっしゃいますか……?」
寒さに震える様な声は、先ほど退室したスタッフだ。面倒臭そうに女はドアの方を見た。
「見たらわかるでしょ。何の用?」
「お……お客様がお見えになっています……、あ、あなたにお会いしたいと……」
「私に? どうして私のお客が病院に来るのよ。適当なこと言わないで――」
「し、しかし……確かにこちらの方は……!」
語尾は殆ど悲鳴に近い。女が眉を寄せ、医師をじろりと見てから手と身を引いた。代わりにその手元には、女には大きすぎるボディの拳銃が握られていた。
「いいわ、通しなさい」
刹那、蹴破る様に開けられた扉の向こうに居た者に、女が目を見開いた。先程のスタッフが居たが、床に屈みこみ、青い顔をしていた。その目の前には、見るも無残に顔を腫らし、ようやく此処まで来た様相の男が居た。
「マ……マスカット……奴が……!」
医師が素早く立ち上がって男の傍らに跪き、スタッフに何事か指示を与えた。慌てて立ち去るスタッフをよそに、女はつかつかと歩み寄り、高い位置から男を見下ろした。
「お前、マダム・クラヴィスに付けた筈よね。いやーねえ、男前にされちゃって……まさか粗相してマダムに殴られたんじゃないでしょうね?」
「あ、当り前だ……! ブラックだ……奴が来て……!」
女は額に手を当てて心底嫌そうな溜息を吐くと、男の顔を蹴り飛ばした。
「何をするんですか!」
声を上げた医師を見向きもせずに、女は鼻血を吹いて呻く男の髪を掴むと、上向かせて尋ねた。
「いつの話?」
「……お、
「呆れた。初日からおねんねしてたのね?」
「し、縛られて、倉庫に閉じ込められて――」
血が逆流する痛みと息苦しさに男がむせた。赤い飛沫にも女は動じることなく、男の髪を掴んだまま言った。
「同じことでしょ。奴は一人? 喪服女は一緒じゃなかった?」
問い掛けに男は言葉にならない声を呻き、横から医師が引き離そうと腕を伸ばす。
「ミズ・マスカット……! もういいでしょう、早く手当てを……!」
瞬間、ぎろりと目を剥いた女が割れんばかりの声で怒鳴った。
「うるせえんだよクソ医者がッ! 割り込むんじゃねえッ!」
慄いた医師が、震える唇で二の句を絞り出そうとしたとき、男がか細い声で言った。
「ひ、……ひとりだ……った……が、れんらくを――……」
忌々し気な舌打ちをし、女は男を床に向けて投げ捨てた。強かに叩き付けられた男に、慌てて屈みこんだ医師を冷たい目が見下ろす。
「そんなもの放っておいて構わないわよ、ジェファーソン」
「……あなたは……命を何だと思ってるんです……!」
「倫理が違う相手にアンタの正論を求めないで。 私はね、その男が私のオフィスではなく、病院に這いずってきたのも気に入らないのよ」
医師の顔色が変わった。……何故、病院に来たか? それも、診察を受けるつもりではなく、院長室にやって来た。不意の訪問だったマスカットの存在を、この男はどうやって知ったのか?
「あの女が来てる」
「あの女……?」
「喪服の魔女。こいつは魔法に掛かって此処まで来たの」
「魔法? 何を仰ってるんです?……魔法なんて、有るわけが……」
「あの女のやることが科学的に説明できるかなんてどうでもいいことよ。ただ、縛られて、閉じ込められていたこいつが、どういうわけかこのタイミングで脱出し、自分でも理解しないまま此処に来ていて、私の前に来たってことは事実」
鼻を鳴らした女は、ストレッチャーを転がしてくる音と数名の足音の方をちらと見て、首を振った。意識が混濁し始めている男の血を拭い、傷の様子を診る医師に、女は溜息のような問いを落とす。
「ジェファーソン、本当にガキは此処に居ないのね?」
「……居ません。何度も申し上げた筈です」
「全く――……仕方ない。先にコバエを片付けなくちゃ。もし、喪服を着た女が此処に来ても、あんたは知らぬ存ぜぬを貫くこと。いいわね?」
「患者に害が無いのなら、そうします……」
「共犯の癖に、なんて頼りない返事かしら……シラけるわ」
リノリウムの床にハイヒールを高らかに響かせて、女はその場を後にした。
医師は大慌てで戻って来たスタッフと顔を見合わせ、ストレッチャーを引いて来たスタッフに男を託し、血に汚れた手と、腕時計を見下ろした。
「……い、院長、あのう……、この後のご予定は……」
「ええ、大丈夫。予定通りに……私も仕事に戻ります」
無駄になった三十分弱を取り戻すには、食事を早く済ませればいい。女の去った方を一瞥してから、医師はオフィスに踵を返した。
「ベックは?」
夫の問い掛けに、妻は伏し目がちに頷いた。
「よく眠ってる」
息子が眠っていることを話すにしては、夫婦の顔色は冴えなかった。どこか中東の血を思わせるはっきりした目鼻立ちの妻は、不安を面に俯いた。
「ねえ、あなた……やっぱり、ブエノさんには相談した方がいいんじゃないかしら?」
「お前が言いたいことはよくわかる」
バイキングを思わせる、がっしりした体格に髭面の夫は厳しい顔付きで頷いたが、すぐに首を振った。
「だが、駄目だ。彼が我々の思う通りの善人なら、息子の騒動に巻き込むことになるし、理事長や病院への恩を優先されては我々はお仕舞いだ。夜逃げで済むかわからない」
「学校の先生も、ダメなのね……?」
「もっと難しい。教職の方々はこの国でも特に保守派だ……息子の意見には反対するだろう。何より面倒なのは『子供』だ。彼らの良心が役人に伝えない保証はない」
何度めかの議論は、同じ結論と溜息に流れた。留学準備をしていた筈の息子が、とんでもないことを言い始めたのは、もう二週間以上も前のことだ。
友人が『その他』になるのを防ぐ為に、システムに意見すると。
意見するだけなら、可能だ。この小さな国を総括している理事会は、『子供』の意見には寛容で、幼児の発言にさえ耳を傾ける。時にそれは『大人』の不正を暴き、怠惰を指摘される要因にも成り得る。無論、『子供』とて、悪意ある悪戯は許されないし、観光客とトラブルになればきちんと精査されるが、大抵は『子供』のすることを大っぴらに責める『大人』は居ない。
だが、相手がシステムでは話は別だ。
しかも、息子が取った行動は子供ならではの衝動的なそれであり、強引な不正行為。その無茶な行動にも関わらず、なまじ賢いが為に、彼は恐ろしい秘密を持ち帰ってしまった。
「ステラはどうしてる?」
重たげに問い掛けた夫に、妻は小さく頷いた。
「変わった様子はなかったわ。学校にも行っているし、仕事の研修にも出ていた」
「そうか、良かった」
息子の説得が第一だが、万一にでも彼女がかどわかされてはご両親に会わせる顔が無い。既に息子の行動がどこかに漏れているらしく、理事会と関わる人相の悪い連中がうろついているし、見慣れぬ人間も見かける。ブエノ氏も留学中ではないのを察知しているようだし、先日は理事長の息子が顔を出した。以前から息子と仲良くしてくれる彼に敵意は感じなかったが、見つかるのは時間の問題だろう。
「やっぱり、“あれ”を壊して海に捨ててしまった方が……」
妻のこの意見も何度目かだ。夫も何度も心惹かれた内容に、それでも彼は首を振った。
「駄目だ。……息子が持ち出した証拠が出たときに、物が消えていると弁解の余地もない。“あれ”は息子の罪の証だが、命綱にもなる……」
何度、議論を重ねても、夫婦だけでは何ともならない。逃げようにも、正規の手続きが無くては難民扱いになってしまうし、優秀な息子の将来に関わる。
……やはり、自分が“あれ”を持って、院長か理事長に直接、謝罪に行くしか――……
夫が生死の決断に等しい悩みに胃を傷めていると、不意に家のチャイムが鳴った。
緊張気味に顔を見合わせた夫婦は、一緒に席を立つと、揃ってドアの前に歩み寄った。有休を取っている夫に用がある人間はさほど居ない。近所の奥さんかも、と覗き穴に目をやった妻は、物珍しい客に声を上げそうになった。
美女だった。光が射すと薄緑にも見える青い目といい、肩口にまとめたブロンドや、女性にしてはすらりとした長躯は文句の付けようもない。仕立ての良いスーツに身を包み、穏やかな笑みを浮かべた姿は、少なくとも悪党には見えなかった。
「ど、どちら様ですか?」
小窓を開いて問いかけると、妻は初めて客が二人居ることに気付いた。女性の背後に隠れる――というよりは、我関せずといった具合に周囲の家を眺めている男が居た。こちらも知らない男だ。痩身の白人系の男は、ベージュの髪に緑色だろうか――不思議な色の目をしている。美女は連れに構うことなく、にこりと微笑んだ。
「はじめまして――わたくし、学校で事務を担当している者です。息子さんに関する件でお伺いしました」
「あ、あら……そうですか、息子はその……留学の為に留守にしていますの」
学校関係者なら知っているのでは? 不審そうな眼差しになる夫人に、女は笑顔を崩さずに頷いた。
「ええ、存じております。実は、息子さんからお手紙を頂いた作家先生が、ちょうどこの町に取材旅行に立ち寄られていまして」
「え? は、はあ……?」
「宜しければ賢明なお子さんにご挨拶したいと仰られまして……ご不在をお伝えしたのですが、それならご両親にでもということなので、ご案内しました」
夫婦は顔を見合せた。
息子の本好きはよく知っている。作家に手紙……まあ、有るかもしれない。妻は改めて覗き窓を見つめたが、綺麗な女性の隣に立つ青年は、著名な作家にも見えないが、悪人や役人の類いにも見えない。
「あの……失礼ですが、先生のお名前を伺っても?」
ひょいと振り向いた作家は、珍しい緑眼に穏やかな光を湛えてお辞儀をした。
「ニム・ハーバーと申します」
後方で返事を聞いた夫は、素早く端末で調べた。
〈ニム・ハーバー。イギリス・ロンドン在住の小説家。『リーフ・ビートルの髪飾り』が新人賞を受賞。代表作は『レディ・モンタヌス』、『ネペンテスの窓辺』、『ゴールド・マドラー』など。雑誌のコラム、絵本のシナリオも手掛ける。熱帯や亜熱帯の動植物を好み、度々、作品に反映されるため全体的に少々、奇天烈な表現が目立つが、その独自性ゆえに老若男女問わず幅広い層にファンを持つ――〉
夫が顔写真と覗き穴を往復した後、小声で囁いた。
「……本物のようだ」
断わっては怪しまれるかもしれない。夫は室内を指し示し、妻は急いで小窓に向き直った。
「少々お待ちを。いま開けますから……」
作家は玄関のマットで念入りに靴底を拭うと、夫妻に向けてきちんと頭を下げた。
「はじめまして。急に押しかけて申し訳ありません」
礼儀正しい態度に夫妻は顔を見合わせ、気後れしつつも和やかに握手を交わした。
「こちらこそ、はるばる訪ねて頂いたのにすみません。高名な先生が来て下さったと知れば、息子もさぞ喜んだことでしょう」
「高名だなんて、とんでもない。先生などと呼ばれるのも恥ずかしいものです」
かぶりを振る仕草も柔和で、少しも偉ぶったところがない。学校関係者を名乗る美女は入室しないつもりなのか、たおやかに会釈して玄関脇に佇み、ドアをそっと閉めた。
「職員の方は……宜しいのでしょうか?」
「ええ、僕もすぐに帰りますから、お構いなく」
「まあ、そんな――お茶くらい召し上がってくださいな」
謙虚な態度に妻は好感を抱いたらしい。確かに、学校関係者にもこういうタイプの男はあまり見ない。ブエノ氏が近しいが、この男は若い分、浮かべた笑顔は爽やかで人懐っこくもあり、相手を委縮させるものが無かった。
「嬉しいお誘いですが、手紙に書かれた件を祝いたかっただけなので」
「はて、祝い……? 手紙とは、息子のですよね?」
「はい。近々、ご婚約されるご予定とか……」
唐突に雷が落ちたように夫妻はぎくりと身を震わせた。
「こ、婚約すると書いていたんですか?」
「ええ」
こくりと頷いた作家は、見る見るうちに青くなった夫妻を交互に見た。
「……まさか、ご両親はご存じなかったので?」
「そ、それは――……」
何と答えるべきか? 夫は冷や汗を拭い、妻はおろおろと夫を見るばかり。焦る夫妻に対し、作家はきゅっと眉を寄せて頷いた。
「なるほど、わかります。お若いご子息のことですから、ご両親は心配でしょう」
腕を組んでの大真面目な様子に、些か毒気を抜かれたように夫妻は顔を見合わせた。人の良い男なのか、身内の話であるような態度だ。
「僕は捨て子ですし、まだ家庭を持ったことがありませんから、お二人のご苦労は想像することしかできませんが……多感な若者の心を察するのは難しいことだとお察しします」
「まあ……」
妻は不憫の眼差しを向けたが、夫は厳めしい顔で青年を見た。確かに、孤児であることはプロフィールに記載されていたが、普通は隠す情報ではあるまいか?
「ミスター・ハーバー、その……息子は手紙に何と?」
「さて、『婚約する』と書かれていたのは間違いないのですが、よく考えたら、あれは決意表明のようなものだったかもしれません」
「決意表明……では、する“つもり”というようなことですかな?」
「ええ。僕の作品の感想を書かれた後に綴られていましたので、そういう意味なのかもしれない。正直、僕の作品というのは……何と言いますか、青少年の心に響くのは珍しいというか、そうした決意を促すようなものではないんです。僕が頂く手紙というのは、どちらかというと、作品に用いた食虫植物や生物について長々と講釈する内容や、誤りを指摘するものが多くて。息子さんのは良い意味で稀なお手紙だったので、印象に残っていたんです。婚約のお相手や時期など詳しいことは書かれていなかったので、僕は勝手に近日中のことだと思いまして……大学生ぐらいの方を想像していたのですが」
「そうでしたか。いや、そう思われて然りです。高校を出る前だというのに全く、非常識な息子で……」
頭を垂れる父親に対し、作家はにこにことかぶりを振った。
「いやいや、非常識なんて……素敵なサプライズじゃないですか。僕なんてここ数年は、育ての親から会う度に結婚に関してどやされていますよ。いつまでフラフラしているつもりだって。そりゃね、僕だって相手が居ればと思いますけど……向こうにも選ぶ権利があるじゃないですか、あちこち出歩く男は嫌われますし……ああ、どうでもいいですね。息子さんは本当に親孝行です。お二人は、お相手のお心当たりはないんですか?」
「え、ええ……」
「そうですか。じゃあ、紹介されるのが楽しみですねえ……立派な息子さんでしょうから、きっと素敵なお相手だと思いますよ」
もはや操られる様に夫妻は頷いた。純真無垢と思しき作家は、夫妻の曖昧な反応に動じることなく、自らの腕時計を確認した。
「では、僕はそろそろ失礼致します」
「あらまあ、何のお構いもしませんで……」
「いらして下さったことは、息子に伝えておきます」
半ばほっとしたような夫妻に、作家は爽やかに微笑んだ。
「いいえ、十分です。――直接、ご挨拶できそうですから」
「……はじめまして、ハーバー先生……」
夫妻が仰天して振り向いた。そこには、少年が立っていた。くしゃくしゃの髪をした、同級生よりも子供っぽい容貌だが、母親似の浅黒い肌と焦げ茶色の目は利発そうだ。重い瞼をどうにか開けているらしい彼の傍らには、先程の美女と同じスーツを纏い、琥珀色の瞳をすっと細めた青年が居る。
「ソ、ソレル様……じ、じゃあ……さっきの人は……!」
「悪いね、ミスター・ラン。屋根からお邪魔させてもらった」
言葉のわりに悪びれる様子のない青年に、夫婦は呆気に取られて喘いだ。
「で、でも……どうして……!」
「わかるさ。この町の家の構造は大体同じ。今居るリビング&ダイニングと浴室、トイレを除いたら残る部屋は幾つも無い。さすがの俺も、最初に案内された時にクローゼットは覗いただけでひっくり返さなかったしな。けっこう居心地が良さそうだったぜ」
夫婦の視線は彼と作家と息子とを彷徨った。作家は少しばかり申し訳なさそうな顔をしたが、相変わらず穏やかな笑みを浮かべるばかりで、美女を装っていた青年は支えていた少年の肩をそっと叩いた。
「自分で言うだろ、ベック」
「……うん、ありがとう、ソレル」
少年は目を擦り擦り、両親を見上げて言った。
「ごめんよ、父さん、母さん……でも、違うんだよ」
「な、何が違うの? ステラと結婚する為に、あのデータを盗んだんじゃ……」
思わず口走ってしまったらしい妻を夫が素早く見たが、既に遅い。少年はゆるゆると首を振った。
「最初は、そのつもりだったよ……けど、データを見ていたら、違う事に気付いたんだ。だから僕はステラを連れて出て行こうと……、ステラは? 無事なの? 急がないと……」
半ばうわ言のような少年の言葉に、大人は一様に顔を見合わせた。
作家が場違いなほど呑気に言った。
「失礼ですが、ステラとはどなたのことですか?」
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