命みじかし暴れよ乙女
「お嬢様、朝ですよ」
私は二日酔いの頭を抱えながら起き上がった。太陽はすっかり高く昇って、少し西に傾いている。ここは私の部屋……。ちゃんと帰ってきたのね。
昨日は、新しい友人たちと一晩飲み明かしたのだ。三次会までは記憶があるのだけど、そこから先はすっかり忘れている。
うなる私をよそに、メアリーはちゃきちゃき私の身支度を整えてくれた。こんな酒カスにもきちんと仕えてくれる、良き使用人だ。
「ああ、そうそう」
メアリーがふと、そういえばと口に出す。
「エドガー様に縁談が持ちかけられたそうですよ」
随分、唐突な知らせね。
私は黙って、ベッドサイドを指差した。
メアリーはすっとスピリタスの小瓶を取り上げ、透明な中身をグラスに注ぐ。
「気つけよ」
ぐい、と飲み干した。グラスをそっとメアリーに返し、微笑みかける。
「ごめんなさい、もう一度お願いできるかしら」
「エドガー様に縁談が持ちかけられたそうです」
そう。私の声が、静かに消えていった。
とうとうこの日が来たのね。
「姉として、エドガーの縁談を応援しなくてはいけないわね」
私はすっかり二日酔いも忘れて、すっくと立ち上がった。
「いや、そういうのいらないと思いますよ」
「いいえ。いるのよ」
エドガーは私が大好きだから、きっと私が少しでもためらう素振りを見せれば、縁談を取りやめてしまう。
そうならないためにも、私は彼の応援をしなければいけない。
だけどなぜか、私はとても心細かった。
「……エドガーは、もう出仕した?」
「はい。お帰りはいつもの時間かと」
ふう、と息をつく。正直、この知らせがあってすぐに顔を合わせずに済んで、よかった。
きっと私は今、ひどい顔をしているだろうから。
「……こんな姉がいては、あの子の邪魔になってしまうわね」
私の呟きに、「お嬢様」とメアリーが寄り添うように背中をさすってくれた。なんだかんだとこのメイドは、思いやりと人情のある姉貴分なのだ。
「気晴らしに、お散歩にでも参りましょう。街に出て飲み歩けば気分もあがりますよ」
「そうね。準備をお願い」
メアリーはぱたぱたと足音を立てて、準備のために走っていった。
こうして私たちは街へと繰り出し、居酒屋へ向かった。少し影のある店構えの、だけど料理とお酒がとてもおいしいお店。
こういうのがいいのよ。こういうのが。
私たちが店に入ると、いつものように奥の席へと案内された。
「とりあえず、生ビールを一杯頼めるかしら」
私が注文したお酒が来るまで、二人でちまちまナッツをかじる。ふと酒屋の一角が騒がしくなって、私はそちらへ視線が向いた。
見れば年若い女の子が、いかつい男性たちに取り囲まれて、グラスを突きつけられているところだ。
可憐な印象を与える大きな青い瞳には涙の膜が張って、綺麗に結い上げられたプラチナブランドは少し乱れている。
「げっへっへ、お嬢ちゃん。ここは酒場だぜ?」
「飲まないなんてカマトトぶらねぇよなァ!」
「美味いぜ、一気に飲んでみろよ」
私の中に、強い怒りがたぎる。
未成年にお酒を勧める。一気飲みの強要。
酒飲みの風上にも置かないゴミね。
「メアリー、来てちょうだい」
私は人混みをかき分けて歩き出した。メアリーもひょいと立ち上がり、着いてきてくれる。
「飲めよ、ほらほら」
かわいそうに、女の子はすっかり怯えている様子だ。私は彼らにつかつかと歩み寄り、間に割り込む。
「失礼」
私は暴漢からグラスを奪い取り、一気に煽る。喉を鳴らして流し込む甘いお酒も、おつなものね。
「な、なんだテメェ!」
「いいところだったのに邪魔しやがって、殺すぞ! アァ!?」
「いや、よくよく見れば……こっちもなかなか……」
じろじろと、男どもの視線が私の身体を這う。私はふんと鼻を鳴らして胸を張り、女の子をかばった。
男どもはニヤニヤと下卑た笑みを浮かべ、私たちを見て舌なめずりする。
「へへ、上玉二人じゃねえか。俺たちにかわいがられたいのか?」
「こっちはいいぜ。ビジンなねえちゃん二人に相手してもらえるなんて、ラッキーだ」
私は彼らを見て、ふうとため息を吐いた。グラスを置いて、ぱちんと指を鳴らす。すっとメアリーが、私たちの前に出た。
「やっておしまい」
次の瞬間、男がひとり破裂音を立てて吹き飛んだ。
より正確に言えば、メアリーのあまりにも鋭く正確な掌底が吹き飛ばしたのだ。
「ぐおおっ!?」
何も理解できないまま昏倒する男に、わっと酒場が盛り上がる。
「こ、このアマッ!」
一拍遅れて男たちも反応するけれど、メアリーはそれを嘲笑うように回し蹴りで胴体を払う。吹っ飛んだ男の屍を越えて殴ろうとした者は、タックルで呆気なく倒れ伏した。
「いいぞ姉ちゃん! もっとだ!」
「あまりにも強すぎる、何者なんだ!?」
酒場はすっかり興奮のるつぼ。冷静なのは、飛び交うお酒の注文に対応する店員さんと私たちだけだった。
「ご注文の生ひとつです」
「ありがとう」
私はジョッキを置いて「大丈夫かしら?」と女の子の背中をそっと撫でた。女の子は気丈にも凛と胸を張り、「大丈夫です」と微笑む。
「ありがとうございます。私、サンドリヨンと申します。あなたは?」
「ロゼよ。あちらで大立ち回りしているのは、私のメイドのメアリー」
ちょうどその時、最後の一人が床に倒れ伏した。メアリーは勝ち気にぱんぱんと手をはたき、「これに懲りたらしないことです」と言い放つ。
そしてその勇姿に、暴漢たちの一人が叫んだ。
「お、思い出したぞ。お前、メアリーだな!」
「はい。そうですが」
怪訝な顔をするメアリーを指差して、男は大声を上げた。その表情は恐怖に引きつっている。
「十年前、王都最強の名を馳せた伝説の
「年をバラすな」
メアリーはぽいぽいと男たちを店の外へと放り出す。また酒場は沸き立ち、私はビールを煽った。おいしいわ。
「サンドリヨンさん、ここはご飯もおいしいの。何か頼んでみますか?」
緊張をときほぐして差し上げようとメニューを広げると、彼女はおずおずとポテトサラダを頼む。
そして私たちは食事をしながら、彼女の事情を聞くことになった。
「私、とある高貴な方との結婚が決まりそうなのです」
ほろほろと涙をこぼしながら言う彼女は、十六歳とのことだった。ちょうど私が、最初の婚約がだめになったのと同じ年だ。
「そのお方は文句のつけようもない立派な方なのですが、私には、思いびとがいるのです」
まあ……と、私は吐息を漏らして彼女を抱きしめる。サンドリヨンさんは私にすがりながら、泣きじゃくって話しつづけた。
「婚約者になる方は、とても立派な方なのです。弱きものたちのために悪をくじき、法を立て、民のために働いているお方」
法を立てるのね。なんだかうちのエドガーに似ている気がするわ。
「だけど私はいやなの。つらくてつらくて、お屋敷を抜け出して、一人で歩いていたら……」
そこで、サンドリヨンさんは言葉に詰まった。私は彼女の涙を拭う。つらかったわね、と抱きしめた。
「年上として、一つアドバイスしておくわ」
背中をぽんぽんと叩いて慰めながら、私がたった二十四年の人生で学んだことを伝える。
「人生は、一度きりなのよ。思い切り暴れたほうが、後の後悔は少ないわ」
「あばれ……?」
きょとんと無垢な顔をするサンドリヨンさんに、私はにこりと微笑みかけた。メアリーも便乗する。
「誰かを殴りとばしてやる、くらいの意気込みで生きるのがいいです。狙うなら顎の下ですよ」
メアリーがウィンクするので、私もぱちんとウィンクした。
「何かあったら、今日の私たちを思い出してちょうだい」
そして私はビールを煽る。喉を鳴らして飲み干す私に、サンドリヨンさんは目を瞬かせていた。
サンドリヨンさんとは、日暮れの頃に別れることになった。彼女との名残を惜しみつつ、もう一軒行きましょうかとメアリーと話していたときだ。
「お嬢様! サンドリヨンお嬢様!」
遠くから、恰幅のいい中年の男性が走ってくる。彼女の家の使用人だろうか。
彼はぜいぜいと息を切らして駆け寄り、「ここにおられましたか」とサンドリヨンさんの腕を掴んだ。
「帰りますぞ。今日はお見合いの顔合わせでしょう!」
そして強引に引っ張る。サンドリヨンさんが悲鳴を上げて、体勢を崩した。思わず私が止めかけた、そのとき。
「いやよ!」
サンドリヨンさんが抵抗して、腕を振り回す。その掌底が彼の顎を捉え、彼はサンドリヨンさんを離して地面に転がった。
サンドリヨンさんは息を荒くして、倒れ伏した使用人と自分の掌を交互に見ていた。そして意を決したように、ぎゅっと拳を握った。
「私、今回の縁談はいやです。破談にいたします!」
その宣言に、使用人がギョッと目を見開いた。
「なりません! せっかくの良縁ですのに、それを無駄になさるなど」
「私がいやなの。それだけで理由は十分じゃない!」
彼女は、懸命に叫ぶ。思わず加勢しようとしたところで、私の肩を誰かがぽんと叩いた。
「サンドリヨン嬢、よく言ってくれました」
そこに立っていたのはエドガーだった。使用人はいよいようろたえて腰を抜かす。エドガーはそれを無視して、サンドリヨンさんと向き合った。
「サンドリヨン=ノンアルコール嬢。どうやら私たちの気持ちは同じのようです」
「ええ。私はもっと暴れて、意中の殿方の心を射止めてみせますわ」
では。サンドリヨンさんは腰を抜かした使用人を捨て置き、一人で立ち去っていった。
その力強い足取りは頼もしく、私の胸まで熱くなるようだった。
「ロゼ、何かあったの?」
エドガーが私の顔をのぞきこむ。いいえ、と私は晴れやかな顔で笑った。
「何もないわ」
ちゅ、とエドガーの頬にキスをする。彼は「ん」と少し渋い顔をしたあと、私の手を取ってエスコートした。
「俺にはロゼだけだからね」
「何を言っているのよ。たしかに、あなたが婚約者だったら喜んで結婚するけれど……」
私が笑うと、エドガーは私を引き寄せた。そして熱い抱擁を交わす私たちに、道行くひとたちが歓声を上げる。
「ちょ、ちょっとエドガー!」
私が慌てふためくと、エドガーは蕩けるような笑みで私を見る。その色気に、やっぱりくらくらした。
「もう少しで、俺とロゼで幸せになれるから……待っていてね」
何を待てばいいんだろう。私は訳も分からず頷いた。
よく分からないけれど、この賢い義弟の言うことなのだから、何か考えがあるのだろう。
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いつも酒カス令嬢をお読みいただき、ありがとうございます!
予想外の反響をいただき、とても喜んでおります。感想などもいただけるのであれば、大切にお読みいたします。
また、別作品(男装ヲトメ)も鋭意更新中ですので、よければお読みください!
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