鈴なりの女たち
ふう、とため息をつく。縁談の顔合わせに向かうのは、いつもどこか憂鬱だ。
馬車に揺られながら、今朝のことを思い出す。早朝にエドガーの夢を見てしまって、なんだか気まずい。
彼は私の額にキスをして、細かい内容は覚えていないけれど、私への愛を囁いていた。
もしかして、私は、彼のことを……。
姉らしからぬことを考えながらも、とうとう今日のお見合い相手のお屋敷につく。
今日は王都随一の色男、フリン=フテー様とのお見合いだ。
私が馬車を降りると、フテー様はすでに玄関口にいらっしゃった。
整った顔立ちに、洒脱な服装。清潔感のあるいでたちは、なるほどモテるのも当然だわ。エドガーほどではないけれど、美しい人ね。
「ごきげんよう、ロゼ=ローラン嬢。フリン=フテーと申します」
本来ならば家令をはじめとした使用人に任せるところだけど、こういう破天荒なところも色男たる理由でしょう。
私は彼が差し出す手を取り、にこりと微笑んだ。
「はじめまして、フテー様。本日はよろしくお願いいたします」
まず、彼は私を東屋へと案内した。この季節に咲く鮮やかな花々に囲まれて、その色彩や芳しい香りに気分がぱっと華やかになる。
「素敵なお庭ですね」
「ありがとうございます」
爽やかな笑みを浮かべて、彼は私を椅子に導く。手を離すその時、彼の骨ばったうつくしい指先が、するりと私の手の甲を撫でた。どき、と胸が鳴る。
「ああ、失礼。あなたがあまりに美しいものですから、離しがたくて」
この男、危険ね。
八年間で
私はぱらりと扇を広げ、口元を隠した。目元だけで微笑んでみせれば、彼もまた微笑みを返す。
私の警戒は、きっとばればれね。
「そのお召し物、とても素敵ですわ。どこでお仕立てになられましたの?」
「ああ、これはうちのお抱えの針子が作ったのです。彼女は大変才能にあふれておりまして」
そうなのですね、と少し大袈裟なくらいに驚いてみせた。
「そんなに素敵なお仕立てができるならば、きっと素敵なお店を持てるでしょうね」
あえて、あなたにその針子はもったいない、と捉えられても仕方のないところを狙う。無礼を働いて、相手をそれとなく不快にするのだ。
だけど彼はまったく気にせず、上品な頷きを返した。
「ロゼ嬢のドレスも素敵ですよ。あなたはきっと、服など気にせずとも美しいお方ですが……」
そう来るか。
「ドレープにたっぷり深紅の布地を使った、艶やかで重厚ないでたち。緑の瞳にもお似合いです」
「ありがとうございます」
こうして、私たちの戦いは火蓋を切った。
私は穏便に断るための、彼は私をオトすための。
「ロゼ嬢は本当に素敵なお方だ。こんな方と巡り合うことができるだなんて、僕は本当に幸運な男です」
「そうでしょうか? 人は星の数ほどいますもの、まだまだ巡り会えていない素敵な方がたくさんいますわ」
「いやいや。あなたは僕の一番星です」
「まあ。私は太陽のように苛烈な女とよく言われますの」
話を少しずつずらして、会話にならないように。しかし相手も相当の手練れだわ。すぐに話を自分のペースに戻そうとする。
負けない。私の方が強いわよ。
「ああ、ロゼ嬢。そんなつれないことを言わずに」
フテー様は、とうとう立ち上がった。そして私の前に跪き、胸に手を当てて顔を覗き込む。
「僕はすっかり、あなたのとりこなのです。どうか美しいあなたに愛されるという幸運に恵まれたいのです」
お慈悲を、と彼は私の手を取る。彼なりの殺し文句とは裏腹に、私の心はどんどん冷えていった。
経験上、こういう男はたいていろくでもない。
私がお断りの返事をしようと口を開いた瞬間、風切音がする。
どこからか飛んできた閉じられたままの扇子が、すこんとフテー様のこめかみを突いた。
フテー様は悲鳴を上げ、私は扇子が飛んできた方を見る。
そこには、およそ十人を超えようかという女性たちが立っていた。
華やかなドレスを着た女性、町娘の格好をした方。様々な身なりの彼女たちはみな、一様に瞳に怒りをたぎらせている。
「この浮気男!」
針子の格好をされた方が、勢いよく倒れたフテー様に殴りかかる。私があっけにとられている間に、女性たちは私を置いてフテー様にとびかかった。
「あたしの五年を返せ! あんたさえいなけりゃ、今頃店のひとつでも構えてたんだ!」
「そうですわ! 私が婚期を逃すこともありませんでした!」
「わたしたちの心を弄んで、何が楽しいのよ! サイテー!」
女性たちに取り囲まれ、身体を捕まれてもなお、フテー様は笑っている。ぞっ、と私の背筋に冷たいものが走った。
「ふん、だからなんだって言うんだ。僕の人生にそんなことは関係ないだろ」
「なんですって……!」
いよいよ殺気だった女性たちが、おのおの拳を握りしめる。いけない、と私は彼らの間に割り込んだ。
「みなさま、いけません。このような不届者であったとしても、暴力はなりませんわ!」
「だけどアンタ、こいつは……!」
お針子が何かを言いかけた瞬間、「お待ちになって!」とドレスを着た女性が制する。
「あなたは伝説の
私は一瞬言葉に詰まったけれど、居住まいを直して胸を張った。
ここで気圧されては、ローラン家の名折れ。
「ええ。私がその伝説の
伝説に……なっていたのね。
途端に彼女たちはわっと私を取り囲み、「お会いできて光栄です」と手を握った。
「あなたのお話に、何度勇気づけられたか」
「独身であることに数々の眠れない夜を過ごしてきましたが、あなたの数々の武勇伝が気持ちを明るくしてくれました」
「あたし、ファンです! 握手してください!」
「浮気者に婚約パーティーで往復ビンタした話が一番好きです!」
それは三回目の婚約破棄の話ね。まだ十代の、ものを分かっていない頃のことだから、恥ずかしいわ。
私が照れている間に、ずりずりとフテー様が逃げようと這いつくばる。あっと声を上げた瞬間、彼は立ち上がって脱兎の勢いで逃げ出した。
「動くな! 司法警察だ!」
そしてどこからか現れた屈強な男性が、呆気なく彼を捕まえた。
「し、司法警察だと……!」
驚愕に目を丸くするフテー様の前に、靴音も高らかにエドガーが現れた。私がまあ、と声を上げると、彼は書類をすっと彼の前に広げる。
「フリン=フテー。貴様を多重不貞罪で逮捕する」
「な、なんだその罪は!」
その聞き覚えのない罪状に、私たちもざわつく。
「なんだあれ、まるであいつのための罪名じゃないか」
「ええ。私たちも彼を訴えることができればと、何度も袖を濡らしてきましたけれど……」
エドガーが胸を張り、威風堂々とした振る舞いで宣言する。
「王都にはびこる不貞行為を重く見た俺が、宰相代理として昨晩立法した。同時に十人以上と性的関係を持った場合、当該者は婚姻の権利をはく奪される」
宰相代理って、すごい。
フテー様は絶句して、真っ赤になって震えていた。エドガーは冷ややかに彼を見下ろす。
「貴様のようなクズが家庭を持つ権利はない。もう一生分の恋愛を経験しただろう。男として隠居しろ」
「ふ、ふざけるな! こんなの権力の私物化だ!」
唾を飛ばして叫ぶフテー様をよそに、私はエドガーに寄りそう。エドガーは私の肩を抱いて、「大丈夫?」と囁きかけた。
「怖かったね。もう大丈夫だよ」
「無視するな! 宰相代理だからって国家権力の濫用をするなよ!」
なんででしょう。なんだかフテー様がまともなことを言っている気がするわね。
だけどこの場の女性陣は、全員エドガーの味方のようだった。わあっと歓声をあげて私たちを取り囲み、涙ぐみながら頭をさげる。
「ありがとう。私、あんな奴のために婚期を逃したって思うと、悔しくて……!」
「あたしもあんな奴に引っかからなけりゃってずっと後悔してたけど、やっと前を向けそうだ」
「本当に、あなたたちは救世主ですわ!」
やんややんやと私たちが騒ぐ中、フテー様は縄をかけられて連行されていく。
「おぼえてろよ……!」
小物ならではの捨て台詞を吐いて、彼は姿を消した。
一方。残された女性たちは、エドガーを置いて、私と一緒に盛り上がっていた。
「あんた、男関係でそんなに苦労してたのかい。大変だったね」
「私たち、なんだかいいお友達になれそうですわね。そう思わなくて?」
「このままみんなで飲みに行きませんか? 私たちの門出を祝って!」
私もにっこり微笑んで、みんなで肩を組んだ。
「ええ。このまま街へ繰り出しましょう!」
こうして、独身女たちは徒党を組んで街へと向かった。
「ロゼ!」
エドガーが私を呼ぶ。あっ! と声を上げて、私は彼を振り返った。
「ごめんなさい、今晩は遅くなるわ!」
「ロゼ……! 二次会までにしてくれよ……!」
まったくエドガーったら、心配性なんだから。
こうして、私は新しい友人たちと街で楽しい時間を過ごした。
四次会まで行って泥酔した私をエドガーが迎えにきてくれたことも、多重不貞罪はさすがにやりすぎだと王太子殿下が罰金刑にすげかえたことも、今はまだ関係のないお話。
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