第三話
(さてと、もう少し調べるか)
陰都を見送った後、陽土は瞳が最初に立っていた場所へ目を向けた。
彼女があれを見なくて良かったのかもしれない。
陽土は
(そうだな、夜目の利くやつがいい)
次の瞬間、形代はフクロウに姿を変えた。
「よし、行ってこい」
陽土の
———そう。
陰都がここを通る数分前、瞳はマンションの屋上に立っていたのだ。
月明かりの下、
辺りを見回してすぐ、乱暴に剥ぎ取られたであろう黄色いテープが隅に捨てられているのが見えた。
周辺の床には黒い液体が点々と散っている。
液体は屋上の外側へ続き、パラペットを越えた先、瞳が立っていた場所には大きな水溜りができていた。
(血——ではない、か)
直接調べられれば良かったが、屋上へ上がるにはマンション内に入る必要がある。
だが、陽土にはその
仕方なくその場所の真下で待ってみるが、液体は落ちてこない。
滴り落ちてはいるものの、途中で消えてしまっているのか。
とすれば、やはり物の怪に
(どうやら、見張りの人間はいなかったみたいだな)
見張りの警官が倒れている、という最悪の状況も念頭には置いていたが、見る限り人が倒れている様子や、そういった痕跡は見当たらない。
(……こんなところか)
今日手に入れた情報を少し整理しようと、陽土は街灯下のベンチに腰を下ろし、フクロウを呼び寄せた。
まずは瞳の行動だ。
瞳は屋上に上がり、故人と同じ場所に立ってしばらく俯いていた。
その後マンション前まで降りてきて、なにかを探していた、いや、探すふりをはじめた。
あの時、屋上に立っていた瞳の肩越しに視えたのは、蛇のような形をした女で、暗くて強い憎悪の念と同時に、執着心のような念も感じられた。
古来より女に蛇というのは、嫉妬だの痴情のもつれだのという愛憎溢れる物語に登場することが多いが、今も昔も、物の怪の性質は変わらずといったところなのか。
ただ、そうなると少し気になるところが出てくる。
屋上に立っていたとき、瞳からは何かに執着するような、ねとねととした念が確かに感じられたが、下まで降りてきたときにはそれは鳴りを潜めていた。
屋上そのものへの執着か、それとも―――。
(明日次第、ひいては彼女次第、か)
明日の陰都との話し合いの結果によっては、屋上に上がることができない可能性は否めない。
陰都と瞳の関係性がどの程度かにも影響されるだろうが、物の怪憑きが彼女を放っておくとも思えない。
(………声かけるつもり、なかったんだけどなぁ)
そもそも陽土は、事件の数日前からマンション周辺の嫌な気配を感じており、事件が起こったのがこのマンションだとわかって、調べに来ていただけだった。
そこでちょうど屋上の瞳を目撃し、一連の流れを見ていたのだが、元々はふたりの会話を聞くだけ聞いて、さっさと帰ろうかと思っていた。
思っていたのだが……。
陽土は陰都の背中、いや、体内に宿る”何か”に気づき、足を止めた。
力の強さは大したこともなく、特に負のエネルギーは感じなかったが、物の怪がこのまま陰都に何もしない可能性は低い。
陰都の安全性も考えて、今の問題が解決するまでは自分のそばにいさせた方がいいと判断し、今に至るのである。
『君、ツイてるね、いろいろと』
そう言って、陰都の反応をみてみたが、どうやら本人は、自分の中に何かがいることに全く気づいていない様子だった。
陰都に伝えるべきかどうかは迷ったが、今は目の前の問題に集中できるよう、結局は伝えないまま家に帰したのだが、思い返すと妙に思わせぶりな言い方になっていた気もする。
(やっぱちょっと期待しちゃったもんなぁ)
どんなに小さい力でも、ないよりはある人間を物の怪は好む。
それは霊力に限ったことでもないのだが、なにかを宿した状態で今まで無事でいることも、陽土の興味を引く要因となっていた。
陰都の安全を考慮したのは嘘ではない。
だが、物の怪と関わったことで、なにか変化があるのではないかと期待して、近くで観察できるようにと思ったことも確かだった。
万が一、危険なことになっても自分が助け出せばいい。
―――それに。
(もしかしたら、もしかするかもしれない――)
意図的に思わせぶりな言い方をしたわけではない。
ただ、陽土の中に”ある期待”が膨らみ、それを伝えたい気持ちと抑える気持ちが同居した結果、あんな言い方になってしまった。
ただ、やはり伝えるのは今ではない。
少なくとも、陰都の中になにがいるのかがわかるまでは、中途半端に本人に伝えてもしょうがないだろう。
(あーもう、やめだやめ!かすかな期待より今の物の怪、だろ)
陰都へかけた期待に気を取られて、物の怪を討ち損じた、なんてことになったら元も子もない。
まだまだ調べることは山積みだ。
屋上、黒い液体、執着心の行方、そしてなにより、なぜ瞳が選ばれたのか……。
ひとつ、ため息をついてから腰を上げ、予定よりだいぶ長くいたこの場所を後にする。
少し歩いたところでゆっくりと振り返り、陽土はもう一度、マンションの屋上へと視線を送るのだった。
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