第一章 宿す女
第一話
(そういえば、昨日このくらいの時間に……)
不意に思い出した事件に、
本来なら昨日も同じ時間にここを通っているはずだった。
ただ昨日に限って、必要な日用品が売り切れで店をはしごしたり、乗っていた電車で信号機のトラブルがあったりと、何かと足止めを食らっていた。
結果的には、それがあって良かったのだが。
ただそこで、陰都は思いがけない人物を目撃した。
(あれは、瞳ちゃん……?)
あまり近づきたくないその場所に、大学の後輩である
きょろきょろと地面を見回し、何かを探しているようにみえる。
だが、その姿にはどこか違和感があった。
彼女は、マンションに背を向けて壁際に立っていた。
わざわざ壁の前まで行って後ろを向いた、ということだろう。
探し物をするにしても、そんな不自然な動きをするだろうか――。
と、陰都の視線に気づいた瞳が顔を上げ、目が合うとそのまま小走りに近づいてきた。
「
特に変わった様子はなく、いつも通りの人懐っこい笑顔を陰都に向ける。
「うん。瞳ちゃんはなにしてたの?」
「ちょっと探し物してて。そこ、彼氏が住んでるんですけど、この前遊びに来た時に落としちゃって」
言いながら瞳は視線を落とし、しきりに足元を気にしている。
「えっ、そこって……」
「はい、事件のあったマンションです」
あまり気に留めていないのか、先ほどから足元に視線を向けたまま淡々と答える瞳に、陰都はなにか妙なものを感じていた。
「もしかしたら一緒に片付けられちゃったかもしれないですね」
瞳が言ったことの意味を理解するのに数秒かかり、反応が遅れた。
「一緒にって、もしかして昨日の事件のこと言ってる?」
「はい。色々と片付けた時に、一緒に証拠品として持っていかれちゃったかもしれないなって思って」
「それは、あり得るかもしれないけど……」
――自分の彼の居住区内であんな事が起きて、心配するのは落とし物のことばかりなのは不自然ではないか?
どうして、彼のことについては何も触れないのか。
瞳に対しての違和感と、えも知れぬ恐怖のようなものが大きくなる。
が、そんな不安は瞳の言葉によりあっさりと消え去った。
「とりあえず、今日はこのくらいで帰ります」
「今日はって、まだ探すつもりなの?」
「もちろんです。明日は彼と一緒にエントランス辺りを探す予定です」
彼と一緒に、と聞いて陰十は胸をなでおろす。
”もしかしたら、事件の男は瞳の彼だったのではないか?”
瞳の言動に不安を覚えた陰都の中で、いつの間にかこんな考えが脳裏に浮かぶようになっていた。
(ごめん、勝手な想像して――!)
いざ違うとわかると、安堵と同時に申し訳なさがこみ上げてきて、心の中で何度も二人に謝った。
「御先坂さん?」
「えっ!?」
「だ、大丈夫ですか。なんだかぼーっとして。御先坂さんももう帰るんですよね」
「あ、ああ、うん。そうだね、もう帰るかな」
「なんか今日はすみません。変な話聞いてもらっちゃって。でも、私も彼氏も事件とかあんまり気にしない派なんで、大丈夫ですよ」
「そっか――、うん、わかった。」
「じゃあ、これで。お疲れ様でした」
「うん、お疲れ様」
あれこれと不安や心配をしていた割に、すんなりと解散となったことに拍子抜けしてしまった。
あの時感じた違和感はなんだったのか……。
事件のことを気にしすぎたのか。
そのせいで些細なことにも過剰に反応したのかもしれない。
多少の消化不良感も否めなかったが、これ以上この場にいても仕方がない。
(ほんとに、もう帰ろ)
そう思い
「君が感じた違和感は、勘違いなんかじゃない」
背後からふいに声がした。
「っ!?」
驚いて振り返ると、いつの間にいたのか、ひとりの青年が立っていた。
黒く艶やかで、ゆるくふわっとした髪。
どちらかといえば中性的で端正な顔立ち。
身長も低くはない。
近くに来ていたのなら気づかないはずがなかった。
「あなた、一体いつからそこに?」
「君ともう一人の子が来る前から、かな」
「………あ、そう。じゃあ私はもう帰るのでこれで」
瞳と話しているときに周りには誰もいなかったのは確かだ。
からかわれていると思い、この場を後にしようとした。
「さっきも言ったけど、君が感じた違和感は勘違いなんかじゃない」
そう言って青年は片側だけ口角を上げてみせた。
「なんのことですか?」
「とぼけることないだろ?君はさっきの子に、なにか違和感を感じてたはずだ」
「そんなことないですけど。どうしてそんなことを?」
「だって、視えたから」
「は?」
「いやだから、視えたから。物の怪が」
「モノノケ……?」
霊感商法の類だろうか。
こうやっていわくの付きそうな事件現場にやってきて、ターゲットを探しているのだろう。
「すみませんが、私、そういうの大丈夫なので」
「本当に?さっきの子に物の怪が憑いていたとしても?」
「……え?」
「憑いてるのは君じゃなくて、さっきの子。あの子、落とし物を探すにしては変な動きをしてなかったか?」
「――必死になって探してたら、変な動き方にもなるんじゃないですか」
「いやいや、そういう変じゃなくてさ。わかってるくせに」
陰都の視線が揺らぐ。
これだと断定はできないものの、マンションの前で瞳を見かけてからずっと、なにかが引っかかってはいた。
「そうだな、じゃああの子はなんでこんな時間に明かりも付けずにいた?いくらマンション前でも、探し物をするにはちょっと暗すぎると思わないか?」
「あ………」
初めに瞳を見かけたときに感じた違和感。
マンションに背を向け、自分の影で余計に足元が見えづらい状況をつくり、そしてその暗闇の中できょろきょろとなにかを探している姿――。
「それに、なにを落としたのかもわからない」
「それを言う言わないは、その人の自由じゃないですか」
「まあそうだけど。でも、本当は君も疑っているんじゃないか?
”あの子は落とし物なんてしていないんじゃないか”ってさ」
「――っ!」
陰都の中で漠然としていたものの正体を、急に突き付けられた気がした。
そうだ、瞳は表面的には落とした物を探そうとしていたが、実際にはこの暗がりの中明かりも付けず、探し方も立ったまま足元を見回すだけだった。
つまり、探すそぶりだけ、していた。
それを無意識のうちに感じ取っていたからこそ、どこか不自然に思えて、違和感としてずっと、陰都の中でくすぶり続けていたのだ。
「あなたは、一体……?あの場にいなかったあなたが、どうしてこんなこと」
「俺は陽土。
そう言って陽土は、初めに会ったときと同じように、笑ってみせた。
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