第22話 憧憬は重なり合わない

「つまりなんだ、フェリスよ? うぬは八つの頃に神ノ御子様を思わせる容姿をした幼子を偶然拾い、神ノ御子様として祭り上げ、ワレの話を子守歌代わりにして刷り込みを行い、フルール王国に来る機会を眈々たんたんと窺っていたと言うのか?」


「やつがれは、その血を隠しているとはいえ、これでも高位な立場なのだ。それゆえ、自由の利かない身。そうしたら、おあつらえ向きな英雄が誕生して、しかもその舞台が北海の未開拓地イヴェールではないか。やつがれはこれを運命と感じたのだ――ま、肝心のお前がいなくて空振りを起こしたがな」


 グラスが言いたいことはそうじゃない。

 幼子を洗脳して道具のように扱い、利用したことに対して物申したいのだ。

 子供に弱いグラスは、子供を大切にしている。

 救えなかった幼き妹への罪滅ぼしともグラスは自覚しているが、ルクスに任せるだけでなく、自身もエリオントと共に養育院には頻繁に顔を出し、給金の大半を寄付していたりもする。

 だからこそフェリスの行為おこないを咎めたいのだが、今は神ノ御子様のことを実の妹のように可愛がっていると聞いたから、グラスは「それならよいのか」と考えを改めた。


「やつがれの話はもうよい。それより――勝てるのか? やつがれに武の覚えはないが、最優と呼ばれるだけの能力は確かにあるように見える」


「誰かのせいで血は足りないが、誰かのおかげで傷は全快したからな――まあ、なるようになるだろう」


 全ての傷口が開き、瀕死の重傷を負ったグラスだったが、フェリスが本来持つ治癒の祝福で傷は全て塞がっている。

 とはいえ、流れた血を戻すことはできないため、グラスの顔は血の気がないし手足に力も入らない。

 もう少し回復に時間を取りたいグラスであったが、フルール王国滅亡までの時は刻々と迫っている。

 カカツミが落ちた以上、ローレアが神ノ御子様を救出したと嘘の報告を上げるのも時間の問題である。

 そのため、最低限に体を動かせるまで回復を努めることしかできず、グラスに与えられた時間は約二日しかなかったのだ。

 にも拘わらず、これからローレア・クスノキ・オーレアを捕らえる為に動く。

 グラスの負けは死を意味して、さらにそれは、フェリスが探し求めていた血縁者と会えないことへと繋がる。

 故に、フェリスは何が何でもグラスに勝利してもらわないといけないのだ。


「言いたいことはあるが、まぁ、いいだろう。ところでワレの目の下の窪み、酷いと思わぬか? 不眠不休で戦に明け暮れた挙句、血を流し過ぎたせいなのだろう。早く姫様の屈託ない微笑みを見たくて仕方がない。だからな、ワレはワレのために戦に明け暮れている。そのついでに、国や民、フェリス、うぬも救ってみせようぞ。言うなればそうよな……皆が明日に絶望せず、期待に夢膨らませ、笑顔に安心して眠ることができる毎日を作るための――――」


「くどい。押しつけがましい。それに長い。あとくどい。だが…………」


「締まらないうえに台無しだ」


 グラス自身、途中から自分でも恥ずかしいことを言っていた自覚はあった為、止められたことに対して文句はないが、何とも居た堪れない気分となった。


「――だが、神の巫女として暫らくお前の戯言に付き合ってやろう。グラス・氷海コウミ・イヴェール。魂に誓え。さすれば、やつがれは望まれるままに使われよう。そして約束を果たすまで死ぬな、生きてさえいれば、やつがれが治してやる」


「誓おう。本当にいるかもわからぬ神とやらでなく、フェリス・イタス・イヨンに、祝福の名を冠する『はふり』、うぬ自身に、ワレの『氷海コウミ』の和名に賭けて願いを叶えてみせよう――』


 信じられないといった驚愕の表情をグラスへ向けたフェリス。

 仰々しく言ったフェリスに合わせたつもりだったのに、予想外の反応が返ってきた為、グラスは『やはり締まらない』と、見当違いな感想を抱きながら、フェリスと待ち合わせているローレアの待つ場へ向かった――。


 ▽△▽


 チュリップ王国に割り当てられている城の一角。

 その場にローレアを呼び出したフェリス。

 ローレアは室内へ入ったフェリスを一瞥することなく、

 フェリスの後ろに立つ外套で姿を隠す者へ視線を送った。


「――――やはり生きていたか」


 正体を見破られていると分かったグラスは外套を脱ぎ捨てた。


「死の瀬戸際ではあるがな――――。神ノ御子様をどこへやった? それに、部下やマリーに慕われ、その将来を姫様に期待され、最優に相応しい能力を持つ、うぬがどうして国へ背いた」


 共に訓練をした。

 マリーから優しく立派な兄と聞いた。

 エリオントから国ごと守れる騎士になれる人物と聞いた。

 自分よりも圧倒的に優れているローレアへグラスは憧れすら抱いていた。

 憧れた『最優』がどうして裏切ったのかと、グラスは問わずにはいられなかった。


「御子様に危害を加えるつもりははなから無い。今は別の場所で控えてもらっている」


 そう答えたローレアは、もう一つの質問へは答えず静かに立ち上がった。


「グラス、君の武具だ。返しておこう」


 部屋に入った時から机に置かれた自分の武具に気付いていたグラス。

 それが意味するのは、ローレアはフェリスに呼ばれた時点でグラスがこの場に来る事を予期していたことを意味する。


「……何のつもりだ」


「グラスそしてフェリス殿が一緒にいるということは、私の命運はここで尽きるのだろう――。最後に話をしないか、グラス」


 ローレアは無防備にグラスへ背を向け、外を眺めることのできる露台へ移動していく。

 放たれた扉から、生ぬるい風が部屋へと入り込んできた。

 グラスの嫌いな雨の季節がもう時期やってくる。

 ひしひしと肌で感じながら、グラスは一振りだけ腰に携え、第一王子サンテから授けられた剣をフェリスに預け、警戒しながらローレアの後に続く。


「兵も何も伏せていない。ここに居るのは私とグラス、フェリス殿だけだ――と言っても信用ならないか」


「当然だ。フェリス、うぬは顔を出すな」


 弓兵が潜んでいる可能性を考慮したグラスは、外へ出ようとするフェリスに注意を送った。


「私が巻き込んだ兵とマリーには、温情をもらえると助かる」


「――それが事実ならな」


 ローレアが言った「マリー」。この言葉と中途半端に不可解なローレアの行動。

 マリーをグラスに付けた理由を探っていたルクスから聞いた内容。

 結局のところ。

 オーレア侯爵家の警戒が強く、はっきりとした理由は分からなかったが、

 オーレア侯爵の手筈ではなくローレアの発案ということだけが分かった。


 そしてそれらが、一つの可能性をグラスに結びつかせた。


下衆げすが――。その本心ではマリーを助けたいと願うくせに、マリーの純真を利用し裏切りの一助を担わせたな。何が最優か、お前には腐れ外道がお似合いだ」


「グラス、君は――本当に人の心の機微に聡いのだな――。これで心置きなく逝くことができる」


 ローレアが、マリーをグラスに付けた理由は二つ。


 一つ目が、マリーのまっさらな性格が必ずグラスの信を得ると分かっていたからだ。

 そして、いざという時。

 邪魔なグラスを嵌める為にマリーを使うと、父、オーレア侯爵に言って手配した。

 ローレアの計算違いは、グラスを実際に嵌めるつもりはなかったが、紛れていたオーレア侯爵の部下の指示で、マリーがグラスの元へ助けを求めに動いてしまったことだ。


 二つ目が、マリーの命を救うためだ。

 国へ背く事を反対すれば、オーレア侯爵がはローレアを従わせるためにマリーを人質に取ることを、ローレアは確信していた。

 そのため、マリーを父の手が届かない北海の未開拓地イヴェールへ追いやった。

 マリーへ情を湧いたグラスなら――。

 国を裏切ったロズ子爵家に属するマリーを、

 反逆が失敗した場合に助けてくれると期待したからだ。


「守りたいなら己自身で守り通すだけの努力をしろ。その力や手がお前にはあっただろう。なのに――全てが中途半端だ。ワレはお前のような者を心底軽蔑する」


「話しは以上だ。――抜け、グラス。果し合いだ」


 フェリスの手筈で、ローレアが率いていた兵はチュリップ王国によって抑えられている。

 この場も合図次第でチュリップ王国が突入するだけの状況となっている。

 故に、ローレアを捕らえるだけならグラスがこの果し合いに応じる必要はないのだが――。

 監禁されている場所に神ノ御子様の姿がなかった。

 これを予期していたローレアが場所を移していたのだ。

 つまり、居場所を知っているのはローレアただ一人の為グラスは受けるしかない。


「神ノ御子様を解放しろ」


「ああ、どちらが勝っても神ノ御子様を解放すると――クスノキの名に誓おう。だから、私と戦え。最期の我儘だ」


 すでにフルール王国から離反した者がする和名の誓い。

 なんの保証もない誓いだ。

 だが、グラスは腰を落とし構えた。

 何の保証もない誓いだが、戦わなければローレアが口を割る事がないと分かったからだ。


「……なんのつもりだ? それに、サンテ様より授かった剣は使わないのか? そのようなか細い剣で私に勝てるとでも?」


「言っただろう――ワレはすでに死にていだ。立っているのもやっと、あのような大剣を振り回す余力がないのだ。故に、一振りに全てを込めよう」


 青白い顔。呼吸は落ち着いているようだが、脱力した構え。

 グラスのそんな姿を見たローレアは、「万全のグラスと相対したかった」と漏らし、それから上段の構えを取った。

 二人が向き合う中、フェリスがローレアへ顔を向けた。

 そして、その素顔を露わにしようと手を動かすが。


「フェリス、救いたいなら余計な真似をするな――」と、グラスが釘を差す。

 周囲に兵も控えている状況で正体を現すな。本物の神ノ御子様がいれば、囚われている偽物の神ノ御子様の命が軽くなると告げたのだ。


 それから――。

 互いに構えを解かず向き合うグラスとローレア。

 だが、吹いていた風が止んだ。

 その瞬間。

 ローレアがグラス目がけて剣を振り落とした。

 同時にグラスも腰に差す刀をローレアの剣に目がけて抜刀し――――。


 刀のない現代では廃れている居合いの構えから放たれた一太刀にて、グラスを叩き切ろうとしていた剣ごとローレアを斬る。


 斬られた剣が宙を舞い、露台を造る石畳に突き刺さる。

 ローレアの腹部から肩に掛けて滲み出る血。

 剣が盾となり即死には至らなかったが、傷は深く、命が燃え尽きるまでは時間の問題だ。


「――憧れはやはり憧れだった……最期まで届くことはなかった、な」


 ローレアは膝を折り、石畳に身を預け――光が薄くなり始めた目で、グラスへ訊ねた。


「そ、の剣は?」


「おそらく、古代にあったとされる刀というものだ。銘は"妖真神オオカミ鋼牙ノ太刀コウガノタチ。ワレが討った堕ちた"大口ノ真神"狼の牙と、製鉄の末にできたはがねを使用して、羊蹄山の民が鍛えた一振りだ」


 最優の騎士として王から賜った名剣が、自分の体ごといとも容易く斬られた。

 その正体が、伝説とされる刀と聞いたローレアは笑った。


 グラスが討った、鉄をも砕くとされる王狼の牙。

 グラスが革新させた製鉄技術。

 グラスが救った羊蹄山の民が鍛えた刀。


 全てが、グラスが成してきた行いで繋がっている。

 故に――ローレアは、完膚なきまでの敗北に晴れ晴れと笑ったのだ。


 それから、ローレアは神ノ御子様をすでに解放していると告げた。

 フェリスの元へ、その報告の知らせもすぐに届いた。


「最期だ――遺言をきこう」


「マリーを、頼む」


氷海コウミの名に誓おう」


「ふ」と笑みをこぼしたローレアは静かに目を瞑った。


「……馬鹿者が――無二の友となれたやもしれんのに……残念だ――」


 死に逝くものと思えぬほど、穏やかな表情をするローレア。

 反対に苦悶の表情を浮かべるグラス。

 そして――グラスの介錯の元に。


 ローレア・クスノキ・オーレアは、その短い生涯に幕を下ろした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る