第21話 神の巫女
「いい加減に名を聞かせてくれ」
「質問するのはやつがれの方だ。お前はやつがれの質問にだけ答えればいい。余計な口を開くな――」
ルクスが気を失う「グラス討ち死にの知らせ」が王都へ届くよりも数日前。
グラスは一人の女と対峙していた。
頭部から首まで隠れる布で覆い顔を隠す女に、グラスは名を訊ねつつ、記憶を頼りに自分の置かれた状況を分析する。
副将メリアとオーレア侯爵が守る中央ウグイノスから窮地の知らせ。
騎士ローレアが守るタチアオイの窮地。そして、神ノ御子様発見の知らせ。
グラスの元へ、同時に届いた一刻を争う知らせ。
この時点でグラスが取れる行動は、この城の守備と窮地の城を救援に向かう為、戦力を三つに分ける――もしくは、その三つを諦めて
どちらかに一つなのだが、寡兵を分ける愚を選ぶ事もできず、当然に後者を選択すべきだった。
それとも――。神ノ御子様が本当にいるなら?
タチアオイへ向かうべきなのかもしれないが――。
ルクスからの忠告が頭の隅を掠めた。そのせいか判断が鈍る。
頭を悩ませ、言葉を詰まらせるグラスにマリーは訴えた。
「グラス様! どうか――どうか、ローレア兄様をお救い下さい――!!」
と。悲壮に満ちた表情。役目を果たした傷だらけの鎧。
満身創痍の状態で、涙ながらに助けを求めるマリーの声を無視することなど、グラスにはできなかった。
その結果、寡兵を三つに分ける愚を決め、
マリーの代わりに出ると言ったロズ子爵と共に、
グラスはタチアオイ救援と神ノ御子様の保護へ向かった。
それで――。騎士ローレア・
命からがら逃げた湖畔でひと息ついたグラスは、ここでようやく全てが繋がった。
チュリップ王国の主張は正しかった。
騎士ローレアは神ノ御子様を送り届けることなく、タチアオイで監禁していたのだ。
騎士ローレアは……いや、それだけじゃない――。
逆臣ブランカ・
すべて仕組まれていたことを確信したのだ。
目的はフルール王国の、いや、帝国と共謀して奪った地の王になることだろう。
(クソッ垂れが――)
内心で悪態を付いたグラスだが、囚われの身になっている理由だけは、どうしても思い出せない。
だが、隙を突かれてこの女に捕まってしまったのだろう――と、予想して、会話を試みることにグラスは決めた。
「おい! 聞いているのか!? 囚われの身なくせに、随分と態度が高いな」
「うぬが口を開くなと申したのだろうよ」
「また気を失いたいようだな?」
女は隠されていた顔を露わにし、グラスと目を合わせてきた。
同時に、王狼との戦いで負った古傷から血が滲み始めた。
「ツ――。どういう仕組みだ? いや――全身に走るこの痛みには覚えがあるな。確か――」
湖畔に逃れたグラスは、耳に届いた水音に警戒し、これを確認するに動いた。
そして見たものは、体を清める女神とも見違える美しい女性の姿だった。
空に浮かぶ雲の様に優しい白い肌。
自然に溶け込む透明感のある色。そんな白磁色した髪は、光に当たると反射して、天使の輪の様なものを頭上に描いた。
グラスは神ノ御子様の姿を知らないが故に、もしやこの人物が神ノ御子様なのかと考えを抱いた。
だが、エリオントやルクスからは、幼くあどけない可愛さを持つ容姿をした人物と聞いてもいる。
その為、覗くようで悪いとは思いつつ、懐から遠見筒を取り出し確認したのだが――。
碧眼の瞳に縁どられる白金色の輪。
髪にだけでなく目そのものが天使の輪を作っており、グラスは遠見筒越しに見たその目の神聖さに目を奪われてしまった。
視線に気付いた女性が、グラスへ目を向けると全身に激痛が走り、意識を手放すことになった――。
「思い出したか?」
「ああ、水浴びを覗いたりして悪か――っツ――」
「下劣な覗き魔めッッ――! 恥を知れッッ!!」
容姿に食い違いはあるが、神聖さを思わせる白と緑を身に宿し、人ならざる能力を行使する。
この人物が間違いなく、神ノ御子様だ――と、グラスは痛みに耐えながら確信したのだが、気に掛かる事実も残っている。
「
「随分と物知りなんだな。――グラス・
「神ノ御子様の付き人は自分を『やつがれ』と呼ぶそうだぞ。髪色に違いはあるが、染めていたのだろうな。――――フェリス・イタス・イヨン」
互いの正体を明かし合ったことで無言となり、そのまま睨み合う二人。
視線を向けられることが、祝福を行使する条件ではない。任意で行使できるのだろうと、グラスは内心で痛みに怯えながら確信した。
「――ワレを殺すのか?」
「とんだ変態だろうと、
「ふー……そうか――ま、最後に本物の神ノ御子様の麗しき裸体を見られたのだ、これを天国への土産としよう」
「な――!? この――ド屑がッッ!?!? 何が英雄だ!? その正体はただの屑じゃないか!? 屑屑屑屑がッッッ!!!!!! 真性の屑ッッッ!!!!!!」
グラスは先ほど確信したばかりだというのに、自分の考えを訂正した。
おそらく――。感情の起伏に応じても、古傷をよみがえらせる呪いとも呼べる祝福が行使されるのだろうと。
激痛に耐え、激痛を忘れる為に、グラスは笑いながらフェリスへ呼び掛ける。
「――死ぬ前に答え合わせがしたい。フェリスの質問にも答える。だからワレの質問へも答えてはくれぬか」
「……やつがれの質問に対して正直に答えるなら約束しよう」
「では頼む――」とグラスは返事して、体を横に倒した。
フェリスは、グラスの顔の位置まで移動して、しゃがみ込み質問する。
「レーダの名に聞き覚えはあるか? スレダ辺境伯ではない。『レーダ』という名だ。
真っ先に養父を思い浮かべたグラスだったが、フェリスにそれを否定された為、グラスは短く「ない」と答える。
それに対してフェリスは、脱力しながら「そうか」とだけ返答した。
「神ノ御子様はご無事なのか?」
「囚われの状況を除けば、不自由なく過ごしている」
殺してしまえば各国の恨みを買うことになり、せっかく得た国も無意味になってしまう。
フルール王の指示で囚えることになったが、これに反旗を翻し、帝国と共に救出した――までが、オーレア侯爵の画いている筋書だろう。
だから、フェリスの正体を知った時点で無事でいるとグラスは予想していたが、フェリスの言葉で予想が安心へと変わった。
「そうだな……すでに聞きたい事はないが、
「おそらくワレか羊蹄山の族長だ」
大して興味がないのか、フェリスは無言で質問しろと訴えてきた。
「フェリスの……神ノ御子様の血筋は数十年前から途絶えていたと聞かされていたが、繋がれていたのだな?」
「いざという時の為の予備として密かに生き繋いでいた。ただ――やつがれの希望は途絶えた。疲れたのかもしれない。誰かと結ばれ、血脈を繋ごうとする信仰も気力も残っていない。やつがれに残された願いは、血の繋がらない
「余計なお世話かもしれないが、世界は未知に溢れている。フェリスは若い。諦めを悟るには、まだ早いのではないか?」
フェリスは静かに首を振り、哀愁を思わせる笑みを浮かべグラスを見下ろした。
そして、自身の質問はないから、グラスからの質問も次で最後だと宣告する。
次の質問で、フェリスとの対話が最後となる。
それが意味するのは、自身の命が終えることを意味する。
故にグラスは考えた。
フェリスはどうして、危険を冒してまで秘かにグラスをかくまう様な真似をしたのか。
それは、グラスが逆臣オーレアに捕まれば即刻『死』が訪れるからだろう。
フェリスはその前に聞きたかった。知りたかったのだ。
『レーダ』という名の人物を、
そしてこの『レーダ』とは何者なのだろうか。
これも簡単だ。フェリスの言葉の節々に示唆されていた。
数十年前に行方知れずとなった神ノ御子様が『レーダ』なのだろう。
グラスには、これまでフェリスの身に何が起きたか分からない。
だが、フェリスが血縁者を探し求めていることは分かった。
そして――。フェリスにその血縁者となる双子の正体を明かし、会わせる事ができるのは、グラスだけだ。
「ワレを解放しろ、フェリス。さすれば、うぬの――くっ……願いを、だな――」
話は終わりだと告げる様に、フェリスは光を消した目をグラスに向けた。
光を帯びることで、その碧眼は神聖でいて神秘さを魅せる。
だが、光を消した碧眼からは絶望しか感じる事ができない。
生命を吸い取り、そこにあったものを『無』に還す恐ろしい眼だ。
グラスは命を削られていることを自覚しながら、悲鳴を上げ続ける体を起こす。
額や首、背中や腹部、体のあちこちから熱を感じる。
血が流れ、急激な寒さに襲われる感覚を無視して、命を賭してフェリスに告げる。
「レーダの名は知らないがお前の血縁は生きている!! だからワレを解放しろ!!」
フェリスの表情に僅かな期待の火が灯った。それを確認したグラスは、一気に畳み掛ける。
「和名の制約によりワレが勝手に明かすことはできない!! だがワレを解放すれば必ず会わせてやる!! ワレを殺せばフェリスの願いも途絶えると思え!! だからフェリス――」
痛みが消えた――。いや、消えたかどうかも分からない。
古傷からどれだけ血を流したのかも分からない。
熱も寒気も分からない。
揺れるフェリスの目から逸らしてしまえば、すぐにでも天国へ旅立つだろう。
それが分かっているから、グラスは決死の覚悟で思いを吐き出す。
「神ノ御子様も必ず救い出すゆえ、ワレにうぬの願いを叶えさせてくれ」
先に目を逸らしたのはフェリスだ。そしてそのままグラスへ背を向けた。
エリオントやトールにルクス、養父、マリーらに『すまん』と、心の中で告げた時。
フェリスがもう一度、光を失いかけているグラスの目と合わせた。
「フェリスイタスイヨンとは古代語で祝福を意味する言葉だ――。やつがれはお前を信じてみよう。だから――今は安らかに眠るがいい」
それは死の手向けに送る言葉だ――と、
言葉にならない呟きを漏らし、グラスは眠りに付いた。
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