第18話 トールは危険を知らせる
国境を接するは、オーレア侯爵領の中央ウグイノス。東のヤッサイ。
そしてロズ子爵領地の西のヤマツミーナ。
だが、東のヤッサイの後方には高い山々で連なるミタノ連峰が進路を塞ぐため、フルール王国は東のヤッサイを除いた二カ所が帝国の進軍経路と予想。
ここに加え重要な補給路としてカカツミ、最後の砦として旧王都シャクナゲイルに防衛の力を注いできた。
帝国は宣戦布告と同時に、帝国領ミンミンに約五万の兵を集結。
約五千の兵をミンミンに残し、
西のトウショウに約一万五千の兵を移動、待機。
主攻は第二代目帝王ヴァ―ミン・アントリュー率いる約三万の兵であり、中央ユーミを経由して北上。そしてフルール王国のウグイノスへ侵攻を開始した。
これに対しフルール王国は、第一王子サンテ・
副将メリアとオーレア侯爵が中央ウグイノスに入り、五万の兵を率いて防衛。
また、西のヤマツミーナはロズ子爵家が一万の兵で籠城の構えを取り、補給地カカツミには
副将メリア指揮のもと、数的優位もあり、帝国軍をウグイノスにて撃退。
撤退する帝国兵を、メリアは二万の兵で追撃する反転攻勢に出て、次々と帝国領を落とし、ミンミンの喉元まで軍を侵攻させた――。
(――ここまでが、開戦から
(帝国より西の動きについてはどうだ)
(フルール王国と同盟を結んだ、東海のタバキツカ王国が帝国を牽制してくれている為、帝国はそちらにも兵を割いているようです。また、そのタバキツカ王国の西側、近畿にあるシダレ皇国が静観を決めており不安は残りますが――想定する最悪な状況よりは順調です)
(そうか……報告感謝する、ルクスよ――)
開戦からひと月が経過した。月に一度だけ交わせる交信。
残されている愛の補充時間が少ない為、簡略された報告ではあるものの、その要点は押さえてあり、グラスは正確な状況を把握した。
グラスは冗談で出番が来ない可能性をエリオントに言った。
だが、帝国相手では否が応でも出番はくる――と、考え、最後の逢瀬で盛大に応援された。
にも拘わらず、グラスは未だ
その理由は、戦争に必要不可欠の”製鉄”である。
要は、補給を理由にグラスは製鉄の責任を任され未だ離れられずにいるのだ。
幸か不幸か――グラスは、自身が開発した
だが――このまま帝国を打ち破れるなら、それが一番よいのだろうとグラスは考えつつ、ルクスへ問い掛けた。
(オーレア侯爵は、よほどワレを疎ましく思っているのだな?)
嫡子ローレア・
影響下に置く、ロズ子爵の元にマリーを戻し防衛に当たらせ。
侯爵自身は、軍神の末裔メリアを矢面に立たせ防衛に当たる。
自身の領地だからこそ、ここぞとばかりに身内で固め、手柄を得ようとする。
そこに何をしでかすか分からないグラスを混ぜる事を嫌っているのだろうと考えての質問だ。
(狭量な男です。グラス兄様の爪……髪……垢……どれも勿体ないです。その辺の男の爪の垢でも煎じて飲ませて、そしてルクスがグラス兄様の体の一部を飲み、グラス兄様と一つになりたいとルクスは妙案を提案致します――それでよろしいですね、グラス兄様?)
(どこが妙案か、気が狂った頭のおかしい奴としか思えん提案だ。故に却下だ)
(ありがとうございます。このルクス、グラス兄様のために愛を全うしたく存じます)
(話が通じないのは何も変わらんな――して、冗談はさておきルクスはどう考えておる?)
帝国を戦で破り、撤退させ、さらには領地を奪うまでに至ったのは、フルール王国が初となる。快挙と言っても過言ではない。
だが、このまま帝国が諦めるとは到底思えない。上手く行きすぎている。
具体的な事は何も分からないが、グラスは言い表しようのない――嵐の前の様な嫌な予感を抱いている。
(ルクスの考えは、一つを除いてグラス兄様と重なっております)
自分には見えていない何かをルクスは掴んでいる、そう考えたグラスはルクスへ訊き返す。
『その一つとは何か』と。
これにルクスは、先ほどのやり取りは冗談も何も全て本気だ。愛するグラスの為に、帝国であろうと神であろうと愛に殉ずる覚悟だと、不機嫌に言い放つ。
ルクスの愛は何も疑っていない。許せ――と、怒れるルクスを宥めつつ、グラスは先の報告で気になった個所をルクスへ訊ねた。
(して、昨日までの報告は分かったが――今日は何かあったか?)
(さすがです、グラス兄様。ルクスは
古くから親交を結ぶチュリップ王国の同盟破棄は並々ならぬ衝撃を与えた事だろう。
神ノ御子様を存する、カンゾウ島を守護する国が攻め入ること。
攻め入られる国の事を、天の反逆者に等しいという宣言でもある。
故に、王の間が混乱に陥ることは誰であっても想像がつく。
グラス自身も、全く予想にしていなかった出来事ゆえ、必死に頭の中を整理している。
その中でも特に重要な事。
それを確認する為に、ルクスへ問う。
(……神ノ御子様はご無事なのか?)
(生死不明。行方知れずです。その原因を作ったフルール王国に天誅を下すことを理由に同盟破棄を宣言されております)
ルクスはグラスからの質問を予期して、続けて説明する。
騎士ローレア・
であるから、フルール王国としては青天の霹靂であり、何としても弁明したい事である。
帝国の相手だけでも手一杯なのに、北陸から攻め入られてはどうにもならない。
同盟を結んでいる東海のタバキツカ王国とて、どう動くか分からなくなってしまう。
このまま帝国を撃退できたとしても、反逆者の烙印を撤回できなければ、フルール王国に明るい未来などくるはずもない。
故に――何としても、神ノ御子様を探し出さなければならない。
それしか、フルール王国が助かる道は残されていないのだ。
(我らが双子の王――グラス兄様、出陣です。総大将
(ふー……相分かった。ルクスも任せたぞ)
(姫様の安全は確保しております。準備も整っております。グラス兄様の手足として働く者も秘かに用意しておりますので、好きにお使いください)
(ワレもルクスに預けたいものがあるゆえ、立ち寄るつもりではあったが、何から何まで助かるな――。愛しているぞ、妹よ)
(ルクスはその何万倍も、一人の女としてグラス兄様という一人の男を愛しております。そして調子の良いグラス兄様へご忠告です――)
被せるように愛の種類を訂正したルクス。その上での忠告、きっと『気軽に愛していると言うな』みたいな事を言われるのだろう――と、グラスは予想していた。
だが、ルクスはグラスの予想もしていなかった忠告をしてきた。
(マリー・
(な……)
養父スレダ辺境伯の選定眼に『まっさらだ』と認められた。
そして、グラス自身がマリーと三年もの間、接してきたことで、
マリーが和名で誓ったことで、
類い稀ない弓の腕で助けてくれたことで、
グラスはマリーを何も疑っていない。信頼している。
だが、グラスは双子のことを自身の半身にも思っている。
当然にルクスを、トールを、双子を信頼している。
故に、言葉を詰まらせてしまった訳だが、ルクスは追い打ちをかける様に告げてきた。
(敬愛するグラス兄様を疑う訳ではありませんが、ルクスは一応伝えておきます。これは、泥棒猫に対するルクスの嫉妬心などではありません。トールがマリーを警戒しているがゆえの忠告です。トールの勘が働いた、それが確固たる証拠となりますでしょう)
(……トールはなんと言ったのだ?)
(信じたら危ない――とだけ)
(そうか……マリーがワレを裏切るなど考えにくい、が――相分かった。重々気を付けよう)
(ルクスとトールはグラス兄様の望みを何でも叶えます。ルクスは、ルクは……お傍にいられるだけでいいのです。ですから、置いていなくならないでください)
(ああ、安心しろ――帰ったら二人の好きな、山羊の乳を使った麦粥を作ってやるからな)
昔からの二人の好物。それを作る誓いをすることで、グラスは必ず帰るとルクスへ告げた。
だが、実のところ、ルクスは山羊の乳があまり好みではない。
故に、沈黙で返事を戻したのだけれど。
(まあ、なんだ? 兄としては、ルクスが嫁にいくまでは死んでも死にきれんからな)
ルクスの安心を取り除けなかったと勘違いしたグラスは、見当違いなことを告げてしまった。
(たった今、ルクスの心は死にました。グラス兄様は本当に仕方のないお兄様です。ルクスがどれだけグラス兄様を愛しているのか、まだお分かりになっていないようです。よいですか? ルクスは――――)
グラスやルクスにも考えつかない状況。
けれど、勘の鋭いトールのおかげで難を逃れてきた過去がある。
そのトールがマリーを警戒している。
故に、ルクスは不安なのだ。
自身の考えの及ばないところ、正体を掴めない何かが、グラスに迫っている。
そして、グラスはルクスの不安を払拭するように、数分もの間、ルクスから愛の告白を受けてから、この日の交信を終えたのだ。
この数日後。
トールそして、羊蹄山の族長の三男ユラ・ムフロエゾ。
スレダ辺境伯の兵を預かり、羊蹄山の戦士、そして羊蹄山の兵となった元捕虜を率いて、グラスは出陣したのだが、その心には霞が掛かっていた――――。
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