第15話 その泥棒猫を八つ裂きにしなさい

 闇に転じた真神は、前に立つ全ての生き物を、岩をも両断する爪で切り裂き、隕石鉄をも砕く牙で噛み千切り、やがてその森の王となった。

 逆らえる者はおらず、標的にされば逃れられる者もおらず。

 その日もまた、幾人らの者が食い物とされた。


 だが――。王の気まぐれにより、一人の子が此れを逃れた。


 子は別の人らに癒され、やがて別れた。

 身を潜め、ただ、ただ――機を窺った。

 体を清めることは最低限に抑え。

 糞尿には土や灰、薄荷屑を掛け、臭いを消した。

 雨が降り、陽が照ると、光る何かがその目に映った。

 此の光る結晶を集め、恩人への手土産にと考えた。


 王の好物は此の森に咲く花の種。

 王が忌避するは此の森に咲く花の根。

 仇のように、鋭利な爪で根を細切れにしてから去っていく。

 故に人の子は、何か利用できるかと考え、温かな洞穴ほらあなにそれを持ち帰った。


 子は少年へ成長すると、王へ挑んだ。

 長い期間、観察したことで食後に必ず寝ることを知っていた。

 故に、その瞬間を待ち――挑んだ。

 そして敗れ――必死に王から逃れ洞穴へ駆け込んだ。

 だが、王は知っていた。少年が洞穴を拠点に幾年も過ごしていたことを。

 少年が王の後を付けていたことを知っていた。

 気まぐれで見逃した子が、仇にくるのを待っていたのだ。

 絶望の色に染まるその時を楽しみに待っていたのだ。


 少年の体よりも大きく強靭な前足で、少年は何度も吹き飛ばされた。

 爪をしまい、牙を使わず――。

 唯一の出入り口を爪で崩した岩で塞ぎ。

 ただもてあそばれ、なぶられるだけの少年。

 細切れになった根や、その粉末が舞う中。

 王は絶望に染まる顔を期待し、少年の顔を覗く、が――。

 命尽きたとて少年の目が絶望の色に染まる事はない。そんな目をしていた。

 故に、王は興ざめした。飽きた。その牙で止めをさそうとした――。


 少年は肌身離さず持っていた、結晶の入った袋を投げた。

 王の目を潰した隙に、最後の反撃に槍を付き出した。が――。


 目を潰す光、耳を壊す爆音がしたのち、気付けば洞穴の外へ体を投げ出されていた。

 少年は指一つと体を動かすことができない。

 冷たい空気が少年の体を襲う。

 大粒の雨が少年の血を流すことで、寒さを感じているだけかもしれない。

 故に少年は死を覚悟した。

 意識が混濁そして朦朧とする中で少年は、

 闇夜を舞う火の粉。氷の飛礫つぶて。縦横に駆けるイカヅチの龍と。

 地獄の様な光景を視界に収めながら、意識を手放してしまったのだ――――。


 ▽△▽


 羊蹄山の戦いの夜が明けた頃。

 気を失ったように眠りに落ちていたグラスは目を覚ました。


(思い出したくもない夢を見てしまったな――)


 隻眼の男と命のやり取りをした事が影響を及ぼしたのだろう。

 グラスはそう結論付け、体を起こそうとするが――。

 体が言う事を聞かない。

 疲労のせいではない。ケガをしたからでもない。

 右腕にトールが、左腕にマリーが抱き着いていたからだ。


「あに様起きたかー? 平気かー?」

「駄目だぞ、トール。最初の挨拶はおはようだ。それより、守ってくれていたのだな。助かったぞ」


「おー? あに様おはよー? ルクがなー? 怒ってるぞー? 今すぐなー?」


 グラスが返事をする間もなく、トールはルクスの怒り一気に伝えてきた。


「その泥棒猫をなー? あに様からなー? 離せってなー? ルクがうるさいぞー?」


 次に来る欠けのない月が出る夜。

 ルクスを宥めるだけで時間が終わってしまいそうだな――と、グラスは嘆息しながら、気持ちよさそうに眠るマリーの腕を優しく解く。


「駄目だぞ、トール。その話は人前でしてはいけない。であるから、お喋りはここまでにして、マリーを起こし、準備するとしよう――」


 静かになったトールを確認してから、マリーを起こし、行動を開始する。

 賊の見張りを請け負ってくれた族長ルシカらと合流。

 それから――。

 羊蹄山に還った戦士らへ祈りを捧げた後、トールとマリー、三男ユラらを羊蹄山に残し、グラスは族長ルシカと共に五稜の地へ移動を始めた。


 馬に乗り、一日掛けて戻ったグラスとルシカ。

 養父スレダ辺境伯と面会するのに、その居城を訪ねる道の途中。

 ルシカがグラスへ質問した。


「我らが王よ――捕らえた奴らをどうするおつもりか。殺さぬのか?」


 これにグラスは、『殺さぬ』と短く返事し、それから理由を述べた。

 五稜の地と羊蹄山を結ぶ場所、荒野の開発、つまりは道を作るための労働力にすると自身の考えを口にした。


「ゆくゆくは小さな村か町を作るやもしれんが、ひと先ずは道の整備が第一優先になるだろう」


 さらなる北海の未開拓地イヴェールの開拓の為に、羊蹄山を要所とするのだ。

 その為には、人や物資を運ぶ道を整備するのが何よりも優先される。

 だが、スレダ辺境伯には人員が余っておらず余裕がない。

 現在の領地を維持するだけで手一杯な状況となっている。

 その状況で、二百五十もの労働力が手に入ったのだ。

 人格や性質で任せる仕事は振り分ける事になるが、養父スレダ辺境伯もグラスと同じように考え、荒野の開発に当てるだろうと確信にも近い予想をした。


「そうか……」


「子らの仇を殺さず活かすことは不服か?」


「思うところはあるが――それも我らの不甲斐なさが故のこと。それに、最大の仇は討てたのだ。我らは王の采配に従いまする」


「ルシカらにとって悪い様にはせん。これからも、よろしく頼むぞ」


 手を差し出し、握手を求めるグラス。これにルシカも手を差し出し、手を結ぶ。


「うむ――。それはそうと、王もお人が悪い。王弟トール様があれほどまでの武人とは露知らず、幼き喋り口調から侮り、失礼な態度を取ってしまったではありませぬか。先に教えて下さればよかったものを」


「たとえワレが先に告げたとて、その喋り口調からは想像が難しかろう。見た方が――というよりも、あの恐怖を体感した方が早いと思ったまでよ」


「……確かに――王のおっしゃるとおりです」


 トールが金砕棒かなさいぼうを振り回す光景を思い出したルシカは、作られた地獄にも等しい赤にも黒にも染まる惨状を思い出し、体を震わせた。

 だが、その恐怖を思い出したからこその疑問をグラスへ問う。


「ですが、あのような策を練らずとも、王と王弟様が正面から半月湖へ進軍しても、あの戦は勝てたのではなかろうか?」


「その考えは危うい」と、グラスは返事してから自信の考えを説明する。

 相手がただ、数の有利を前面に押し出すような烏合の衆ならば――。

 賊よりも土地に詳しい羊蹄山の民、そしてトールがいる時点で早々に勝負はついた。


 だが、もしも――。


 数が不利な状況で正面からぶつかっていたら。

 グラスとトールが先頭で敵を屠っていたら。

 警戒心の強い隻眼の男は、第一に南の戦士が手を貸している事を予想しただろう。


 その結果、あっと言う間に包囲されるに至り、隻眼の男に辿り着く前に壊滅。

 生き残れたのはグラスとトールだけとなった。

 最悪の場合、グラスを守る為にトールが死んでいた可能性すらある。

 如何に人間離れした『武』を持つトールとて、足場も安定しない、木々に囲まれた状況では、その力を発揮する事が叶わないのだ。


 故に、足場も安定しており一方向にだけ気を払うだけでいい袋岩。

 半月湖にいる隻眼の男から離れた位置にある袋岩。

 族長という目立つ人物と主要戦士群を囮にし、逃げに徹し、その場所へ誘導することは、三つの意味があった。

 一つが、距離を作る事で、指示や状況を伝わりにくくさせ、賊の連携を遅滞させる事だ。

 一つが、隻眼の男の回りを手薄にする事だ。

 一つが、トールが無類の力を発揮できる状況を作る事だ。


「故に、族長ルシカとトールを囮にすることが、唯一の勝てる方法であり、一番多くの者を殺さない方法だったのだ」


「……王を疑う様な言を取り、申し訳の弁も立ちませぬ。我の首一つで勘弁いただけると、これ幸いにございます」


「ルシカの首を落としたとて、何もよい結果になどならぬ」


 グラスとトールが正面から戦えば、羊蹄山の民の戦士が四十も死ぬことはなかった。

 その考えから、グラスが立てた策は不要だったのではないかと問うたのだ。

 戦士らを無為に殺す愚かな策だったのかと問うたのだ。

 ところが、その考えとは反対に、グラスは一人でも多く生き残る方法を考えてくれていた。

 そしてそれを成し遂げた。

 故に、ルシカは恥じた。地にひれ伏した。

 厚かましさに、愚かさに、恩人に対する傲慢な考えを抱いた己自身に。


「よい、許す。だが、命を救うはこれで二度目。次はない」


「――は」


「念を押して伝えておくが――トールとその妹ルクス、そしてフルール王国が第一王女の前でワレを侮る発言はするな。下手すれば、ワレが庇う前にその場で首が飛ぶ」


「――は、肝に銘じておきます」


 グラスはその内心でその肝を冷やしていた。

 万が一、今のやり取りを交わす前に養父スレダ辺境伯と面会していたら、人の本質を見る目が優れている養父に、ルシカの忠誠を疑われていたに違いないと。

 故に、ここでルシカが抱く疑念を晴らせてよかったと、安堵したのだ。


 紙一重の間に辿り着いた居城。グラスらはそのまま面会の場へ移ることに。

 そしてグラスは先の報告と願いを訴えた――――。


 トールとマリーらと荒野、さらに羊蹄山付近を偵察中、五稜の地を狙う賊と遭遇。

 これを、羊蹄山の民と協力して迎撃した後、賊を捕らえた。

 羊蹄山の民を苦しめていた賊を捕らえ、羊蹄山を解放したことにより、羊蹄山の民はその土地ごとグラスへ庇護を求め、帰順したいと願い出た。

 おいては、賊の押送の為に兵を動かしたい――と。


「よくもまあ――太々しい嘘を吐くよのう、グラスよ」


「はて、何の事やら。ワレは命からがら賊の頭を討ち、その手勢らを捕らえ、それを報告しているまで。また、羊蹄山は北海の未開拓地イヴェールを開拓するに重要な拠点となりえる豊かな土地。これを――少し違った事実があるからと言って、みすみす手放すは愚の骨頂と言えましょう。して、羊蹄山の民らの忠誠は本物。鍛治の腕に覚えもある。故にこの願いを聞き入れて頂きたくダウゼ・大地アスタ・スレダ辺境伯閣下へ願っているのです」


「ふん――馬鹿息子が――――」


 グラスが言う事はもっともであるが、勝手をしたことも事実。

 危うく政敵の庇護下にある子爵家の嫡子マリーと――愛する息子二人を失う可能性があったのだ。

 故に、悪態をついたスレダ辺境伯だったのだが――。


「だがまあ……大儀であった――。悪運強いお前のことだ、心配などしていなかったが――よくぞ、無事に戻った」


「は――ご心配おかけ致しました」


 恭しく礼を取ったグラスへ、養父スレダ辺境伯は温かな眼差しを向ける。

 だがすぐに、表情を険しく変化させ、族長ルシカへ顔を向けた。


「羊蹄山を統べる者ルシカ・ムフロエゾに問う――その心意に偽りはないか。頭を上げ答えよ」


「――は。我ら羊蹄山の民は、王狼を打ち倒し者グラス様をお……あるじと崇め、心より忠誠を誓っております。それは我らが魂の還る場所、羊蹄山の地に誓いし契りでもあります。故に、けして忠誠に違えることなく、グラス様を通してフルール王国へ捧げる所存でございます」


「相分かった――ルシカよ、反乱に対する助力感謝する。大儀であった。数日中に沙汰を下す。それまで、五稜の森でグラスと共に体を休めるとよい」


 スレダ辺境伯の言葉を最後にグラスとルシカは退室し、森に残されていた負傷者や女子供が待つ、五稜の地にある森へ移動。


 その七日の間。

 スレダ辺境伯がフルール王と宰相に根回しを行い、羊蹄山を男爵領と決定させた。


 その地の代官としてグラスが任せられ、後に羊蹄山と荒野一体の地を奉じられた。


 要は、何の権限もない一代限りの騎士爵だったグラスが、末席とはいえ、男爵位を叙爵したことで、れっきとした貴族の仲間入りを果たし、土地と配下を手に入れたのだ――。


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