第14話 新たなる偉業
男は知っていた。この世は命の価値が安いことを。
どれだけ懸命に、真面目に生きていても。
ある日突然、不条理に命が奪われることを男は知っていた。
人の好い両親は奪われる側だった。愛しい姉と弟も奪われ、悲惨な最期を迎えた。
それなら――。男は奪う側を選んだ。欲しい物はどんな手を尽くしても奪ってきた。
金や食料に女、指示に従う手下。
それらを手にいれた男が新たに欲した者は安寧の地だった。
『自分だけの楽園』。それが欲しい。行く行くは『王』となりたい――。
目を付けたのが、
水や動植物、温かな泉も湧き出る。南へ侵略する足掛かりとする最高の立地。
羊蹄山に住まう者は、人の好い、愚かな奴らだ。だが強い。
勝ちはするが、まともにぶつかれば甚大な損失を被るかもしれない。
そうすると、南への侵略を断念せざるをえないかもしれない。
故に男は、人の好い、弱い者を演じて取り入り――少しずつ、手下を呼び寄せ機を窺い、これを決行した――――。
「――袋岩まで追い詰めたそうだ」
男と一番付き合いの長い手下が、不愛想に男へ告げた。
男は不機嫌色に染めた隻眼を手下に向け、これに返事を戻す。
「あそこは狭い一本路だ。落石に遭えばひとたまりもない――上は確認したのか?」
信用はするが信頼はしない。女を抱いても、寝る時は必ず一人になる。
警戒心の強い男の性格を、付き合いの長いこの手下は当然に知っている。
そのため、落石ではめ込むための準備などされていなかったこと。
羊蹄山の民の死体の数と、追いつめた先に約四十と族長ルシカがいることを淡々と告げる。
「南の戦士らしき者はいなかったんだよな?」
「ああ、
「そうか――」とだけ呟いた男は考えた。
ここから逃げ出した羊蹄山の民が、この地を取り戻すのに再び現れた時、南の者達に助けを乞い引き連れてきた可能性を考えた。
だが、実際に現れた者は、把握している戦士の数、百人に足りない七十と族長の姿。
残り三十は末子のユラと共に女子供を守っているのだろう。
どこかに潜んでいる可能性は捨てきれないが――たかが三十。
南の者達と手を結んでいないならば問題がないはず――と、男は考え、最後の確認をする。
「狩りには何人が参加してる?」
「……すまん。中々しぶとく、四百で追わせている」
「チッ」と男は舌打ちする。
もしも末子ユラが襲撃してきた時、男を守る手下の数が心許ないからだ。
だが、手下を責めることはできない。
自分が褒美を出すと宣言したせいで、手下共がこぞって競い始めた事が分かっている。
『誤った』そう考えつつ、男は拠点としている”半月湖”に女と下っ端合わせた三十人を残し、族長ルシカの最期を見るために、この手下と七十の手勢を引き連れ、半月湖を後にした――。
▽△▽
族長ルシカ・ムフロエゾとトール、戦士七十人が山の中へ入ってから暫らくして。
グラスとルシカの三男ユラ・ムフロエゾは戦士三十人を率いて、手薄となった所から羊蹄山へ秘かに進入した。
目指すは賊を束ねる男がいる”半月湖”と”袋岩”を結ぶ中継地点。
賊の頭領は、滅多な事ではその場から離れない。
何かあれば先ず手下に働かせ、最後の瞬間にだけ己が目で確認する時に現れる。
族長の息子、長男と次男が討たれた時の状況をグラスは聞き出した。
それに加え、半月湖から出る時は常に誰かをそばに付かせ、寝る時は女ですらそばに置かない。
警戒心の強い男だと、グラスは族長ルシカから聞いた。
それらの情報と地図を基に、グラスは族長ルシカとトールを陽動に使い、賊の男を待ち伏せることを決めた――。
そして、袋岩でトールの初撃が放たれた頃にその時はやって来た。
数は七十ほど。矢や奇襲から護られるように中心を歩く、聞いた特徴を持つ隻眼の男の姿をグラスは遠見筒で確認した。
(トールは上手くやってくれたようだ――)
グラスがトールへ指示した内容は二つ。
『族長を守りつつ、適度に反撃しながら族長に付いていけ』
『目的地に到着したら、降伏を問い掛けて尚、向かってくる者は皆殺しにしろ』
これだけだ。
反撃に合えば、より多くを引き連れ追うことは予想していた。
だが、警戒心の強い男のことだから、羊蹄山の戦士の数から逆算して最低でも倍以上の百。
最悪、二百を手元に残すとグラスは予想していた。
それを相手にしながら隻眼の男だけを討ち脱する――絶望的な状況を覚悟していたグラスは、その内心でトールに感謝を告げた。
それから、隻眼の男が目標地点に到達するその時をジッと待ち――――。
『突撃!』と叫び、先頭に立ち駆けて行く。
三十の戦士を十五に分け、グラスと三男ユラが闇に乗じて挟撃するようになだれ込む。
「てめーらぁぁ!! 相手はたかが三十だ!! 落ち着いて対処しやがれぇぇーッッ!!」
姿を隠し、挟撃するに可能な地点はこの場所しかなかった。
そして、隻眼の男は警戒心から奇襲を念頭に入れていたのだろう。
対応が早い――と、グラスが舌打ちする。
だが、一瞬だけでも混乱は作れた。
戦士は手勢の相手で手一杯だが、その混乱の内に隻眼の男らを囲み、不意の一撃を振るうことに成功した――――。
「我らが王よ!! ここは我らが時を稼ぎます。今のうちに奴を打ち取りくだされ!!」
「それは悪手じゃぞ!!」と、心の中で叫び、グラスは男の潰れている目の外側から剣を斬り付ける――が、すんでのところで防がれる。
「ハハッ――馬鹿な
千載一遇の機会を逃したのだ、隻眼の男が言った馬鹿な末子部分に全力で同意したいが、グラスはこれに答えず、隻眼の男の首を狙い、剣を振る。防がれたら心臓をひと突きに狙う、が――やはり防がれてしまう。
「暗くてよく見えないが――お前さんが見ない顔ってのは分かるな。南の戦士か? いや――王と呼ばれていたな……」
生き残れたならば余計な情報を与えた
「なるほど、な――お前が、
「クッ――」
隻眼の男が振るった横薙ぎの一撃をグラスは剣で受けたのだが、力に圧し負け体勢を崩してしまった。
続けざまに「ほらよ――!!」と振り下ろされた剣を、グラスは横に転がり何とか避ける。
立ち上がり賊へ剣を構えるとすぐに、横薙ぎの一撃が飛んでくるが、今度は体勢を崩さず耐えきることができた。
「随分と寡黙な王様だこって――!! それとも――単に喋る余裕がないだけか!?」
(クッ――何という馬鹿力)
剣技も何もない、
ただ、それだけでグラスは追い詰められていく。
横薙ぎの一撃を受け止め、体勢を崩せば飛び退き、紙一重の攻防を繰り返す。
そうしてグラスと隻眼の男は、徐々に場所を移していく――――。
奇襲と同時に振った最初の一撃で決められたら、それが最良の結果だった。
グラスの命を何よりも尊ぶトールが、別行動を取ることへ了承したゆえに、隻眼の男の実力がそこまで高くない――と、どこか淡い期待を抱いていた。
隻眼の男の実力がグラスに満たなければ、紙一重の攻防を繰り返す必要などなかった。
グラスの期待はことごとく裏切られ、失敗に終わったのだ。
だが、グラスは今より絶望的な状況を幼い頃に経験している。
故に――。
グラスは諦めず、次の手として、月明かりが差し込む地点へ隻眼の男を誘導した。
▽△▽
マリーはジッと耐えている。
ただ一人で、闇の中、身動き一つ取らずに待っている。
怒声や剣戟の音が続くということは、初撃の奇襲は失敗に終わったのだろう。
グラスが相手取る隻眼の男は、予想以上の腕前なのだろう――と、マリーは考えている。
失敗したということは、圧倒的に不利な状況に陥っている。
己の腕で救えるとは思えぬが、今すぐにでもグラスの元へ駆け付けたい。
マリーは逸る思いを必死に抑えている。
マリーはグラスから任されたのだ。弓の腕を買われ、認められ――。
「頼んだぞ」と言われ、命を預けられているのだ。
だから、マリーは唇のはしを噛み耐えている。
出番が来るその時を、早く出番よ来いと祈っている。
その時の為に。命を救ってくれたグラスの為に。この弓で恩を返す為に。
マリーは呼吸を整え、精神を研ぎ澄ませ、
ただ、ひたすらに月明かりが照らす唯一の地点を見つめている――。
剣や槍の才能はなかった。頭も悪かった。要領もいいとはいえなかった。
私が備えていた才は、騎士が扱うに不相応な弓の才。
それに嘆いた時もあった。だが――。
『引かなければならない』
自分の中にある、そんな思いが頭から離れなかった。
唯一の才にすがっているだけなのかもしれない。
そう思いながら、目的もなく何度も何度も引き続けた。でも、きっと――。
『私はこの時の為に引き続けたのだろう』
そして、いよいよ。その瞬間がやって来た。
慌てずゆっくりと、いつも通りに。
弓に矢を番えて、意識を的に移動させ――放つ――――。
▽△▽
「ほぉ、まるで狼みたいな顔付きだ、な――グッ――――カァッ…………」
月明りに照らされたことで、隻眼の男はグラスの顔をはっきりと捉えた。
狼の毛色に似た、鈍色に染まる髪。
狼の鋭い眼光と同じ、切れ長の目。
その目は、冷酷な狼を表すかのように、青く染まっている。
そして――。隠れ潜んでいたマリーが射た矢。それが隻眼の男の背に突き刺さると同時に、グラスは真一文字に払い、隻眼の男の首へめがけ剣を一閃させたことで――。
隻眼の男は首から血を拭き出し、膝を折り、最期にグラスの姿を視界に収めてこの世を去った。
(見事な腕だ、マリー)
闇に隠れる姿の見えないマリーへ称賛を贈り、グラスは隻眼の男の首を切り落とす。
そして、大きく息を吸い込み――――。
「お前らの
どよめきが広がる中で、グラスの叫びに合わせて、
グラスはその明かり目がけ隻眼の男の首を放り投げ、降伏を訴える。
「ワレの部下が率いる南の戦士も時期にやって来る、投降しろ!! 今すぐ武器を捨てれば、その命は助けてやろう――!!!!」
平然と嘘を付くグラス。もしも、隻眼の男が生きていたならば、その嘘などすぐに見抜いただろう。だが、見抜ける男はすでに死んでいる。
突然の出来事。これまで指示してくれていた隻眼の男は、首だけとなった姿で目の前に転がっている。故に、賊らは判断が付かず戸惑うことしかできない。
だが、その中でも、隻眼の男と一番付き合いの長い男が、拒絶の意志を叫ぶ、が――。
次の瞬間、側頭部に矢が突き刺さり絶命した。
「分かっただろう――!! 武器を捨て、投降せよ――」
その後、グラスらは投降した賊を縛り上げ、生き残った戦士二十人と共に”半月湖”へ移動。
二つの首を掲げ、同じように投降を呼びかけ、ここに残されていた賊三十余りを縛り上げ、捕らえた。
トールから逃げ果せた賊については、半月湖入口に置かれた晒し台に乗る二つの首を見たことで完全に戦意喪失し、その場で捕らえるに至る。
トールの殺気に当てられ、幸せにも気を失った事で助かった者を最後に捕らえ――――。
羊蹄山の民の戦士。死者四十。負傷者六十。
賊。死者二百六十。生き残り二百四十余りを”袋岩”に捕らえ、三男ユラ、戦士らを監視として一本路に配置したことで、戦が終結する事となった――――――。
非公式ではあるが、グラスは約五倍の敵をも打ち破り羊蹄山を奪還した。
羊蹄山を奪還したことで、その民らがグラスに帰属。
これにより
これらは、たった一晩で成された偉業ということをグラスはまだ自覚していない。
また、この奪還戦が帝国戦に必要不可欠な戦であったということは、この時はまだ誰も知らないのである――。
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