第13話 そっかー?皆殺しだなー?

 グラスとエリオントが一年ぶりの逢瀬を交わした翌朝。

 グラスは羊蹄山ようていざんの民の戦士百人を率いて、羊蹄山を奪還すべく五稜の地を出立した。


「我らが王よ――王を疑う訳ではないが、我々だけで本当に勝てるのか?」


 羊蹄山の民、族長ルシカ・ムフロエゾがグラスへ訊ねた。

 顔を強張らせる族長ルシカとその三男ユラ・ムフロエゾへ、グラスは何てことない様に返事を戻す。


「ルシカ殿、ユラ殿――犠牲は出る。だが必ず取り戻してみせよう――」


 先住民であった羊蹄山の民を追い出し、羊蹄山を占拠する賊の数は約五百人。

 五倍の数相手に、追いやられた百人で奪い返せるのか、羊蹄山の民、族長ルシカ・ムフロエゾは不安なのだ。

 怪我を負った者と女子供を五稜の地に残し、戦士のみが出ている。

 敗れることそれ即ち、死と同意。

 スレダ辺境伯は良識のある人物。だが、彼らからすれば羊蹄山の民は異民族でもある。

 残される女子供に明るい未来がやって来ない。

 一族を守り、次代に繋ぐことが族長の役目であるがゆえに、問わずにはいられなかったのだ。


「王がそうおっしゃるならば、後は我らが命をお預けいたしましょう」


「うむ――それはそうと、王と呼ぶ事はやめてくれ。何度も言うが、ワレの首が飛ぶ」


「安心しろー? あに様はなー? トールが守るからなー」

「…………」

「安心しろー? あに様はなー? トールが守るからなー」

「……駄目だぞ、トール。その気持ちは嬉しいが、兄が弟を守りたい。その気持ちも覚えておいてもらいたい」


 常に繋がっているトールとルクス。故に、トールが何か発言するとルクスが返事をするのだが、手が離せず返事をできない時もある。

 その時はこうしてグラスが返事を戻さないと、トールは永遠と同じことを言い続けてしまうのだ。

 そして、このやり取りのせいでグラスの訴えが流されることになった。


 王のいる国で、王を自称するなど即座に首をはねられ程の罪である。

 養父の治めるスレダ辺境伯領だから見逃されているが、これが他の領で聞かれればグラスの人生は終了となってしまう。

 それどころか、養父やトールとルクスの首まで危うくなってしまう。

 故に今度こそ止めさせようとしたが――トールが返事を戻したことで空ぶってしまう。

 兄を守ろうとする弟の健気さ。その弟を守りたいと言う兄。

 兄妹愛に対して、族長が陽だまりのような笑みを向けた事で有耶無耶となってしまったからだ。


(王と呼ぶのなら、ワレの命に従ってもらいたいものだ……)


 そう、心の中でぼやいてから、約二日の行軍を進めていったのだ――――。


 ▽△▽


 北海の未開拓地イヴェールとスレダ辺境伯領を結ぶ五稜の地。

 五稜の地には、焼失した土地を開拓して作られた向日葵畑と、焼失から免れた森で広がっている。

 その森の奥には荒野が広がっており、未だ手つかずとなっている。


 そして――。グラスとマリーが盗賊騒動のさなかに起こっていた出来事がある。

 荒野のさらに奥から突如として”羊蹄山ようていざんの民”を名乗る者が、五稜の地へとやって来た。

 これが、初めての邂逅であり、その目的は王狼を打ち倒し者グラスとの謁見であった。

 幸いにも対話が可能な温厚な民であった為、この時は何事もなく、後日再会する約束を交わし別れるに至った。


 宴会の翌日、これをスレダ辺境伯から聞いたグラスは面倒を悟った。

 聞くところによると、羊蹄山の民はひたい刺青すみで羊の角模様が刻まれているというではないか。

 それは、幼子から聞いた親の特徴と酷似しているのだから。

 そしてその悟りは正しかった。

 後日、再訪した羊蹄山の民から話を聞いたグラスは、己の間の悪さを呪った。


 羊蹄山では、元から住む民と後から流れてきた民との間で争いが起きている。

 豊かな土地を有する南へ侵攻したい流民。後の賊である。

 これまで通り山で秘かに暮らしたい先住民”羊蹄山の民”は、王狼を打ち倒し者がいる南への侵攻など、考えてはならない、そう諭そうとしたのだが――虚しく争いが始まることに。


 その戦況は、圧倒的な人数を有する賊が優位で、羊蹄山の民が不利であった。

 庇護を求め、可能ならば助力を得る為に、王狼を打ち倒し者グラスへの友好の証として、先住民を率いる族長の娘――つまり幼子を送り届ける途中、賊に襲撃され、紆余曲折の末、盗賊に囚われる事になったのが幼子の経緯だ。

 そして貢ぎ物を失った羊蹄山の民は、背に腹は代えられぬ思いから、駄目元で庇護を求めにきたのが、グラスとの謁見を求めにやって来た日となっている。


 過程はどうであれ、王狼を打ち倒し者グラスの元へ幼子『シア・ムフロエゾ』が渡っていることに、羊蹄山の民は大いに沸いた。

 グラスは『まだ子供ではないか』と言って幼子を断るが――。羊蹄山の民の女は小柄の体躯が特徴らしく、シアの年齢はエリオントと同じ十三歳だったのだ。


「我らが王よ――シアからは、すでに王に一糸まとわぬ姿を見せたと聞いている。それは確かか」


「汚れておったからな。幼い子供と思い、濡れ布で拭いてやったまでよ。それと、王などと呼ぶな」


「王よ――我ら羊蹄山の民。異民なれど、その仕来りはきつく。嫁ぐ前の女か親以外の者へ柔肌を見られては、嫁ぎ先など見つからぬ。めかけでも構いませぬ、王の寵を我が娘シアへ分け与えてもらえぬか」


 これに返事を詰まらせるグラスであったが。


「あんちゃん? ワーが嫌いか? ワーはいらない子か?」


 瞳を潤ませ訴える幼子シアの言葉に意志が揺らぐグラス。


「我ら羊蹄山の民は鍛治が得意ゆえ、王の力にもなるかと。我らをお救い頂いたあかつきには、一子相伝の技術も王へ捧げたく――これいかがか?」


 族長ルシカが放った言葉が、鍛治の腕に覚えがあるという言葉が、その有用性が分かるがゆえに――止めとなり、グラスは陥落した。

 結果、シアの身を預かることに決め、その後についてはフルール王国法でシアが成人となるまで保留と決まったのだ。


 希望していなかったとはいえ、貢ぎ物を受け取ったグラスは役目を果たさなければならない。

 先ず、情報の裏取りをした後に羊蹄山の民を五稜の森、荒野に近い場所へ隠し、秘密裏に保護した。

 それから――。反乱を知らせた功を理由に、羊蹄山の民の為に兵を起こしたいと養父スレダ辺境伯へ願い出るが、断られてしまう。

 攻め入られない限りこちらから兵を起こしてはならぬ――。

 帝国戦を控える前に、不要な争いを避けなければならない――。

 王都から、こう指示されているからだ。


 つまりグラスは、羊蹄山を奪還するには民だけで成さねばならないことが決まったのだ。


 帝国からの宣戦布告をされるまでは――と、日和見を決めているフルール王国が、兵を起こす許可を出すとグラスは期待していなかった。

 故に、グラスは落胆せず羊蹄山の民と暮らし、『死んでもいいから故郷へ戻りたい』と訴える民を宥めながら一年待った。

 民から賊の情報や羊蹄山の話を聞き地図を作り、策を練る――戦士を鍛え、練度を高めつつトールがやって来る日を待った。

 そして、トールがやって来ると、グラスは養父スレダ辺境伯に『数日の間、トールらと偵察してくる』といった、本当の目的を隠すつもりもない名目を告げ、出立したのだ。


 そして――。出立してから二日後。陽が傾き、影が伸び始めた頃。

 族長ルシカ・ムフロエゾは羊蹄山を前に布陣し、賊へ降伏勧告をするが――。

 賊がこれを当然に拒絶したことで開戦となった。


 先ず、族長ルシカ・ムフロエゾはトールと共に七十の戦士を率いて羊蹄山へ進軍した。

 これを倍にあたる約百五十人の賊が迎撃に当たる。が――。

 ルシカらはこれをかわす。

 ただ、ひらすらに住み慣れた山の中を進み、賊に追われ逃げていく――。


 木々が葉を広げる新緑の季節。背の高い木々が夕日を遮り、深い影を作る。

 草弦も生い茂り、けしてよいとは言えない視界や路の中、ただひたすらに逃げに徹するルシカら。

 背中から怒声が聞こえ、また少し先の視界には、木の胴に突き刺さる弓や、石飛礫いしつぶてによって小枝が四方に飛び散るさまが目に映る――。


 周りを気にする余裕のない中で誰かが『へへ、奴らさん笑ってんな』と言った。

 圧倒的な数の有利。相手は攻めてきたのに、すぐに逃げ出すような腑抜け。

 故に、賊たちはさながら狩りを楽しむ気分で、必死に逃げ惑う羊蹄山の民の姿を愉快に感じ、追いかけているのだ。


 羊蹄山を知り尽くしている羊蹄山の民は、視界の悪さや盗賊が抱く余裕の気持ちの隙を利用し、駆けて行く。だが――。やはり、数の力は圧倒的な暴力だ。

 初めは百五十人程だった盗賊たちは、今では誰がより多く狩ることができるかを競い、その数を四百以上にも増やしている。

 族長ルシカだけはトールが守っているが、他の者までは手が届かない。

 単純に追い付かれた者。草弦や湿った土に足を取られた者。

 一人、また一人と倒れゆき、染めゆく血と共に生まれ故郷に還っていく――。


 太陽が沈み、月が昇り始める時間まで逃げ回り、細い一本路を抜け辿り着いた場所は行き止まり。

 七十いた戦士の数を四十にまで減らしているのに対して、賊の数はほぼ変わらない。

 高い石壁に囲まれた空間。唯一の出入り口は、路にまでぎっしり賊で塞がれている。

 まさに絶体絶命の瞬間が訪れたのだ――。


 この状況に族長ルシカがトールへ問い掛けた。


「トール殿――王の指示通り時間を掛けて” 袋岩ここ”まで案内したが……我らは、王が待ち構えているとばかり思っていた。して、王はいずこに? いつ現れるのだろうか? この窮地をどうやって打破するのか教えてくれんか」


「んー? 何言ってんだー? あに様はここに来ないぞー?」


「来ない……とな? 王は我らを、弟であるトール殿を見捨てたと――いうのだろうか?」


「頭領に追い詰めたって知らせろ」から始まった、下衆げすな笑い声。羊蹄山の民を馬鹿する野次が賊から届く中、あまりにも絶望的な事実をトールから聞いたルシカ、そして生き残った戦士は膝が折れそうになった。

 トールはというと、死の宣告にも近いことを告げた自覚を微塵も抱いていない。

 ただ『お前らはなー? ここにいろー?』とだけ告げ、背に掛けていた金砕棒かなさいぼうを構え、ゆっくり――と、賊へ向かって歩いて行く。


 まるで散歩にでも出たかのように、トールは歩いていく。

 そのトールを嘲笑い揶揄う様に賊が囲もうとする。そこで、呆けていたルシカの意識が戻り、トールへ叫び掛けようとした瞬間――トールの姿がぶれた。

 瞬きから目を開くと、囲もうとしていた賊数名の頭部が爆ぜていた。

 トールが持つ金砕棒、その棘には頭部だった皮膚や肉片が付着しており、血が垂れ落ちていた。


 余りにも一瞬の出来事のせいで、トール以外の全ての者が思考や体を硬直させ、ただ唖然とトールを眺めていた。

 トールはそんな空気などお構いなしだ。金砕棒を振り、付着した物を飛ばす。

 そしてただ、ゆっくり――と。一歩ずつ。

 ジャリ――ジャリ――と、砂を踏む音を鳴らしながら、賊へ向かって歩いていく。


「あに様がなー? 降伏するなら今だぞー? そう言ってたぞー? どうするー?」


 もしも――ここで素直に武器を捨て、降伏していたならば。

 この地が真っ赤に染まる未来は回避できた。賊が生き残る為の最後の機会だったのだ。

 異質なものを見た恐怖のせいか。はたまた、圧倒的な数の有利からくる驕りのせいか。

 賊たちには理解できていない。

 理解できていないからこそ、一斉に武器を構え、悲鳴にも近い怒声を上げながらトールへ殺到し、この地を赤く染めるただの染料と化してしまうのだ――。


 トールは頭が弱い。弱いからこそ躊躇わず力を奮える。

 本来、自衛から制限してしまう力を全力で奮うことができる。

 全力で奮うことは諸刃の剣でもある。普通なら体中がズタズタになる筈なのだ。

 だが、トールは丈夫な身体を生まれながらに持っている。

 故に――ただ強い。


 訓練用の木で作られた棒を振るかのように、トールは軽々と金砕棒を賊へ振り落とす。

 あまりにも軽そうな一振りからは想像できない重い一撃は、剣や槍ごと賊を叩き折り。

 味方諸共射殺そうとする矢嵐は金砕棒を振る風圧で落とし。

 数多の敵賊を一方的に薙ぎ倒す剛力。鬼の如き戦いぶりを発揮するトール。

 これを武勇と称えてよいものかも分からない。

 ただただ――感情のこもらない表情で、淡々と作業をこなすかのように、向かってくる敵を叩き潰し、少しずつ路の奥へと押し込んでいく。


 大の大人が十人ほどしか並ぶことのできない細い一本路。

 その途中で不意に立ち止まったトール。そしてもう一度問う。


「あに様がなー? 降伏するなら今だぞー? そう言ってたぞー? どうするー?」


 ここでようやく――。

 不自然な静寂が、月の光に照らされるトールの姿を盗賊の眼にはっきりと映した。


『化け物』。


 悲鳴にも近い怒声を上げた理由が”恐怖”だと理解できた賊たち。

 瞳から全身へ恐怖の色を沁み込ませる。混乱に陥り、我先に逃げようと駆けだして行く。


 トールの顔や体は返り血で真っ赤に染まっていた。

 黒く変色している箇所も見えた。

 人だった物が転がる惨状。

 赤く、そして黒く――朱殷しゅあんに染める辺り一帯は、文字通り惨状が広がっている。

 血や肉片で作られた水たまりを歩くトールの姿は、

 金砕棒を軽々と振り回すトールの姿は、

 賊らには地獄から迎えに来た赤鬼にしか見えなかった。


 そして賊らは、この時の判断を間違えた。


「そっかー? じゃあなー? 皆殺しだなー?」


 逃げ出さず、武器を捨て、身を伏せ、降伏してさえいれば――。

 この日に“朱殷染めの妖鬼ちぞめのおに”が生まれる虐殺戦は起こらなかったのだ。


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