第12話 贈り物の正体は劇薬だった
ルクスが去ってから暫らく。
興奮から覚めたエリオントは寝台に腰掛け、
一年前を頭に浮かべながら物思いにふけていた。
「ねぇ――騎士様? わたくしは騎士様と離ればなれになる事がこんなにも辛いというのに、騎士様からは寂しいという気持ちがまったく伝わってこないのは、わたくしの気のせいでございましょうか」
「今生の別れでもありますまい。何を寂しがる必要がございましょう」
いじけた様に唇の先を尖らせるエリオントに対して、グラスは飄々と言い返した。
それがまた、エリオントの機嫌を損ねることになったのだが、グラスはとある約束を持ち掛けた。
「それでしたら、一年が過ぎたら姫様の気を紛らわす贈り物をいたしましょう」
「騎士様は物でわたくしを釣ろうとおっしゃられるのですね」
「では、要りませぬか?」
余裕のある笑みを浮かべ、エリオントの弱みへつけ込むように足元を見てくるグラスの言葉で、エリオントの機嫌は悪くなる一方だった。
「………………誰も不要とは申しておりません」
それはもう――グラスにのみ見せる普通の女の子たらん表情で、エリオントは小さな声で返事を戻した。
「ふ――ならば、楽しみにまっていてくだされ」
グラスからの贈り物は、出会った時に貰った向日葵の押し花が最後。
そのため、グラスからの贈り物を断るといった選択肢は、はなからエリオントには存在しなかった。
故に、嬉しさと悔しさを含ませた複雑な気持ちを抱いて結んだ約束。
とは言え、一年も経過すると悔しい気持ちは薄れていく。それに比例して、楽しみな気持ちが強くなっていく。
一体どんな贈り物が届くのかと、エリオントは日々期待していた。
そして、いよいよ――。
ルクスが預かる言伝が贈り物の正体なのだろうと、エリオントは期待に胸を膨らませている。
――トントントン。
と、部屋の扉を叩く音が鳴る。
「姫様、ルクスでございます」
「入りなさい」と返事して、寝台から立ち上がると、すぐにルクスが入室してくる。
普段のエリオントなら、雑談を交えてから本題へ移るところだが、この時ばかりはそれを省き、ルクスへ問い掛けた。
「はい、ですがその前に――姫様、これから
「ええ、
この場にはたった二人しか存在しない。
証人もいない口約束に過ぎないが、和名と和名で結ぶ約束は信頼を預けた証でもある。
それを破るような者は、和名を剥奪され、誰からも信用されずこの国で生きていけなくなる。
言伝を聞くだけ、ただそれだけなのに、重い誓いを交わすことになったのだが、エリオントは躊躇わずそれを即座に了承した。
これにルクスも満足して、言伝を話すのに必要となる自身の秘密――グラスと双子のみが知る秘密を語り始める。
「ルクスとトールは、数十年前に行方をくらませた神の巫女の血縁です」
「ちょ――――っと待って、一旦考える時間をちょうだい」
この夜。エリオントへ衝撃を与える程に驚愕させた事実は三つある。
一つ目の衝撃は、神ノ御子様がグラスを欲するような言葉だった。
二つ目の衝撃は、グラスからの言伝を預かっていると告げたルクスの言葉だった。
三つ目の衝撃は、その二つを霞ませるほどの衝撃だった。
ルクスが和名の制約を持ち出す程のことだから、エリオントも並々ならぬ覚悟を持っていた。
だが、まさか初手からフルール王国が滅びかねない事実。途絶えた筈の神ノ御子様の血筋が、フルール王国に所在する。墓場まで持っていかなければならない程に驚愕な事実が飛び出すとは想像もしていなかったのだ。
頭を抱えたエリオントだったが、ルクスが発した短い言葉で、ありとあらゆる可能性を瞬時に判断した。が――、さすがに気持ちを整理する時間は必要だった。
「グラス兄様からの贈り物は不要、それでよろしければお待ちいたします」
「それは……月の昇る時間に関係しているってことかしら?」
「いえ、月が沈む前であえば問題ありません。単にルクスが今すぐにでもグラス兄様が残して行かれたグラス兄様の寝台でグラス兄様の匂いが僅かに残る布に包まれて眠りにつきたいだけです」
ルクスは、眠気のせいかグラスの前でのみ見せる飾らない口調に近くなっている。
だが、エリオントは気にしない。いや、気にする余裕がない。
エリオントは『ルクスがいなければグラスの贈り物は得られない』。そう判断して、全ての疑問は一度飲みこむことを選択。
それから、グラスの寝台で眠れるルクスを内心で羨ましいと思いつつ、説明途中で口を挟まないことをルクスへ告げた。
「聡明な姫様のことです。ご説明は短くとも問題ないと勝手に判断させていただきます――」
ルクスは前置きを述べてから、頷くエリオントへ簡潔に説明していく。
数十年前に起きた神ノ御子様失踪の真実は双子には伝えられていない。
だが、神ノ御子様は生き繋いでいて、とある騎士に拾われ、見初められたことで血脈が受け継がれることになった。
その騎士は、拾った女が神ノ御子様とは知らぬまま亡くなり、血を継ぐ子孫にだけ伝えられ――やがて没していった。
そして、縁が廻り、トールとルクスが四歳の頃に、スレダ辺境伯領”五稜の地”でグラスと出会い拾われた。
「トールは頭が弱いですが、その代わりに野生の獣以上の勘を持っており、体が丈夫なだけが取り柄です。そして、ルクスはその血を色濃く継いでおります」
エリオントは、言葉を切ったルクスへ視線を向ける。
精霊と
カンゾウ島で神聖とされる色に酷似しているものだ。
「姫様の察する通り、ルクスの身には祝福が付与されております。そして、その祝福こそがグラス兄様からの贈り物でございます」
「恐れながら……ルクス様の――」
「侍女に対して敬う様な言、ましてや敬称を付けるなど、姫様らしからぬ愚断ですね」
辛辣な物言い。だが、この場での話は他言無用。そのため、エリオントが侍女に対して『ルクス様』と呼ぶことは可笑しな話となってしまう。
「そうね――ところで、ルクスの身に宿す祝福を聞かせてもらえるのかしら」
「ルクスはトールと距離や時間、回数など制限なく意志を交わすことができます」
古代の東の海洋大陸で当然に普及していたとされる通信技術。
それは、今では幻の産物とされ、この時代では再現されていないものである。
故に、トールだけとはいえ、制限なく意志を交わしことができるというものは、使いようによってはとんでもない能力なのだ。
ただでさえ美しく、そして非凡の才を持つ双子。それが、神ノ御子様の末裔にして、誰もが喉から手を出したくなる程に欲する稀有な祝福を身に宿す。
これが知られれば、双子はフルール王国の貴族だけでなく他国からも狙われることが必然。
カンゾウ島へ戻す前に行方不明となる可能性が高い。
それだけの祝福であったが為に、エリオントは驚愕で身を硬直させてしまう。
厭らしいルクスは、エリオントが聡いがゆえに硬直することを読んでいた。であるから、さらに驚くべき内容を打ち明ける。
「制限はありますが、ルクスはグラス兄様とも意思を交わすことができます」
「それが……欠けのない月と関係があるということ?」
ルクスの厭らしい追撃が、反対にエリオントを冷静にさせた。
嫌がらせに失敗したルクスは、次の嫌がらせを考えつつ指を立てエリオントへ返事する。
「はい、その通りにございます。制限は三つ。先ず一つ目が欠けのない月が夜を照らす時のみ、グラス兄様と繋がることができます。付け加えるならば、ルクスを経由すれば誰であってもグラス兄様と繋がることができます」
欠けのない月が現れるのは月に一度だけ。
いや――月に一度もグラスと言葉を交わせるかもしれないと、考え直したエリオントは、笑みを抑えることが難しい。
それを無視して、ルクスは残り二つの条件を淡々と述べていく。
二つ目が、グラスの近くにトールがいること。
トールの位置を目安に繋ぐ――いわゆる受信機のような役割がトールに与えられる為、一年後の贈り物となったのだ。
三つ目が、グラスの愛をルクスの身に補充した時間、それの十分の一の時間限定で意志を交わす事が可能となる。
たとえば一時間の補充を行っていれば、六分ほど繋がる事が可能ということだ。
この他にも、補充された時間の全てを捧げることで、トールがいなくとも一度だけ繋ぐことは可能だが、その未来がやって来る可能性はないだろう――と、ルクスは考え説明を省いた。
そして、指の先から肘まで覆う、淑女専用の手袋を脱ぎ取り――。
「さぁ、姫様。ルクスの手をお取り下さい」
「ルクス、一つだけハッキリさせておきたいのだけれど」
その質問内容が『愛の補充』に関してだと察しているルクスはこれに答える。
「年頃の男女が交わす愛の補充、愛し合う者同士が肌と肌を触れ合う時間――それをそのままご想像ください。ルクスはたくさん、それはもうグラス兄様からの愛をこの身に注いでもらいました」
紛らわしい言い方ではあるが、愛の補充とはつまり、手を繋ぐだけで行えるものである。
さらに補足するなら、ルクスと手を繋いだ者ならグラス以外の者でも可能となっている。
ただ――実際には、トールとグラス以外の者へ、ルクスはけして触れてこなかった。
故に、グラスに限定と説明したのだ。
そして、エリオントはルクスから聞かずとも前半部分の仮説を立てていた。
グラスが旅立つまでに三日。
その内約五十六時間もの間、グラスとルクスは手を繋ぎ行動を共にしていた。
詳細な時間は分からずとも、この事から愛を補充する方法が手を繋ぐ行為だと察し、ルクスが心に抱える複雑な思いを汲み取り、謝罪そして礼を送った。
「ルクスとグラス様の時間を奪ってごめんなさい。そして、わたくしの為に愛を分けてくれてありがとう、ルクス」
「……言っておきますが姫様に譲れる時間は、この――砂時計の砂が、天と地の両方が落ちる間だけです。残りはルクスがグラス兄様と語らい合い、グラス兄様の声を子守歌とする時間です」
ルクスが懐から取り出した三分の計測ができる砂時計。
その両側の砂が落ちるまでの時間――約六分といったところだ。
「ええ、十分よ――ありがとう、ルクス」
「……明日は忙しく、トールが早く寝たいとぐずっております。さぁ、姫様。ルクスの手をお取り下さい。グラス様へ繋ぎます」
飾りのない柔和な笑顔を浮かべるエリオント。
どこか不機嫌に内頬に空気をためるルクス。
二人並んで寝台に腰掛け、手を繋ぎ、そして。
(グラス兄様、お久しぶりでございます。お待たせいたしました)
(――おう、久しいな、ルクスよ。待ちくたびれたぞ)
(ルクスは知りません。あとは、どうぞお好きに姫様へ直接文句をお伝えください)
ルクスはふて腐れた様に砂時計を逆さにしてから寝台へ体を転がした。
(まあ……よい。支度に準備がかかるのが
(ふふ、それは偏見がすぎるのではありませんか? グラス)
(ふ――姫様、久しいですな。変わらず元気に過ごせているようで何よりです)
(グラスはわたくしと離れた事で、交わした約束までお忘れになられてしまったのでしょうか)
(二人きりの場では、身分も立場も忘れると言った約束でしたら覚えておりますぞ)
(この場には国を滅ぼしかねない真実を打ち明け合った者しかおりません。故に、今この瞬間も適応される約束と、わたくしは認識しておりましてよ)
(やはり、昔と変わらず強引な姫さんだことで――エリオント)
(ふふ――お久しゅうございます、グラス)
少年時代のグラスと、幼いエリオントが交わした懐かしいやり取りから始まった、一年ぶりの会話。
エリオントは、話したいことや聞きたいことが山ほどあった。
グラスがこの一年でなした盗賊退治の話や新たに見つかった人種族の話など、時間はまるで足りないが直接グラスの口から聞きたいと考えていた。
だが、ここで――。
ルクスの知らないグラスを語るエリオントに、
そのエリオントと楽しそうに会話するグラスに、
一年もの間、グラスと会話することができずグラス不足に陥っていたルクスの不満が、ここで限界を超えてしまった。
嫉妬した結果、さきほど考えていた嫌がらせを決行、そして二人に水を差したのだ。
(姫様、申し訳ございません。ルクスは大切な事を伝え忘れておりました。ルクス・
(ねぇ、グラス――――ルクスの出自を分かった上で、名付けられたのでしょうか? 詳しく教えてくださります……わよね?)
ルクスが放ったこの一言で、約一年ぶりとなるエリオントとグラスの逢瀬は、その経緯を話す時間で終える事となってしまったのだ。
▽△▽
エリオントの世話を終えたアイビー。
自室へ戻る途中、付き人フェリスと遭遇する。
「フェリス殿? 何かご用でしょうか? それとも、私どもに何か不手際がございましたでしょうか――」
「これは――アイビー様。いえ、エリオント第一王女殿下やアイビー様がしてくださる細かなお気遣いのおかげで、神ノ御子様は大変お喜びです。改めて感謝を。やつがれは、今晩の夜会も含めたお礼を伝えたく戻った次第なのですが、殿方に声を掛けられ、その――方角が狂ってしまい……お恥ずかしい限りです」
アイビーは心の中で、付き人フェリスに声を掛けた者へ罰を与えることを決めた。
客人でもあり盲人であるフェリスへ、無遠慮に声を掛ける失礼を働いたのだから当然だ。
注意事項として厳重に言い伝えてあった事でもある。
アイビーは非礼を詫び、それからお休みになったエリオントの代わりに付き人フェリスからの礼を受け取り、寝所まで案内することを申し出た。
付き人フェリスはこれに感謝を告げ、その申し出を受け、アイビーの導きの元、移動を開始した――。
「やはり――。グラス・氷海・イヴェール様は、噂に違わぬ御仁なのでしょうか」
「――誤解なきよう前置きを致しますが、イヴェール卿は立派な騎士に相違ありません。ですが、吟遊詩人が謳う詩とは、多少の脚色が入るものにございます」
先の夜会であった、名付けについて付き人フェリスは気を病んでいるとアイビーは考え、返事を誤魔化した。
「脚色……それは例えば、実際は森を焼失させていないとか、一人ではなく仲間とともに王狼を討っていたとかでしょうか?」
「いえ、おおよそ十の歳という若き頃に一人で討ち取り森を焼失させた事は紛れもない事実です。『余裕』で討ち取ったが、脚色された部分となります。実際には瀕死の重傷、スレダ辺境伯領の騎士が来なければそのまま命を落としたと、イヴェール卿本人から聞いております」
この答えが付き人フェリスの期待にそぐわないと知りつつも、事実を捻じ曲げて伝える訳にもいかず、アイビーは、付き人フェリスへ声を掛けた男への罰を重くしようと考え直した。
そして、やはり――。付き人フェリスは「神ノ御子様が気に召されそうな御仁ですね」と、どこか呆れ笑うように言った。
「その時の功が認められた事で『イヴェール』を名乗るようになられたのでしょうか?」
「はい、一代限りの騎士爵を賜り、性として選ばれたようです」
「そうなのですね――。名乗られるということは、グラス様は北の未開拓地に自身が一番詳しいと自負されているのでしょう」
「イヴェール卿に訊ねた事もなく、またその心内を覗ける訳でもないため定かではありませんが。出身地でもあり、開拓基盤を作り上げた人こそがイヴェール卿ですから、内心では自負しているやもしれませんね――。到着となります。改めて、フルール王国の者が失礼をいたしました。重ねて非礼をお詫びいたします」
頭を下げるアイビーの気配を察した付き人フェリスは、顔を上げる様に慌てた様子で身振りする。
「むしろ、貴重なお話を聞かせて頂けましたので、声を掛けてくださった殿方には感謝したいくらいです。やつがれなどが、アイビー様のお時間を奪うことになってしまった事だけは、申し訳ない気持ちであります」
互いに謝罪を送り合ったところで、この日を終えることとなった。
翌朝、アイビーから報告されたエリオントは、声を掛けた貴族の男を探し出し、厳重注意を言い渡した。
また、付き人フェリスから話を聞いた神ノ御子様が、より一層グラスに対して期待を抱いた事で――。エリオントはルクスだけでなく神ノ御子様という強力な恋敵の出現に頭を抱える事となった。
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